最近、新聞でもテレビでもホワイトカラーエグゼンプションという言葉が良く聞かれます。横文字で自分とは関係ないと思っている方も多いでしょう。
ところがどうも、サラリーマンとかOLとか給与をもらっている人ならば、ほぼ全員がその対象者だとも言えるのです。残業代をもらっている人であれば、それがなくなる。結果的に給与所得が減ります。さらに過重労働を強いられている人は、死んでも自分の責任。自己管理が下手だったということにされます。そして、その結果、多くの会社が残業代分の支出を抑えることができる・・という制度です。
国会では野党側は結束して反対、与党の中にさえ反対といっている議員がいますし、経済団体の中にさえ反対を主張しているところもあります。それほど、なぜ・・と首を傾げざるを得ない制度といえます。
この制度の問題点の詳細は、下記の池上彰さんの解説に良くまとめられていますので、ぜひご一読ください。
http://www.ewoman.co.jp/2005_news/
マスコミ等では、この制度の落としどころは、制度を適用する賃金がどのくらいになるかと見ているような気がします。もともと年収700万円くらいを想定していたが、400万円程度の人まで対象が引き下げられてきた・・と。そういう人まで、企画とか設計というような頭脳労働といえるだろうか・・と。
果たしてそういうことなのだろうか・・と思います。実は、私の場合、もう何年も残業代をもらったことがありません。
マンションの内装工務店で、まさに設計のような仕事をしていた20年近く前までは残業代をもらっていたのですが、その後、市民運動家となり、国会議員秘書やグリーンピース・ジャパンのスタッフ、そして環境エネルギー政策研究所に現在のおひさま進歩エネルギー、みーんな裁量労働制(と言いながらも始業時間はしっかりあったりする)で働いてきました。
労働時間は正直言って長いです。土日、祭日も事実上仕事をしています。私の場合、雇用されているという意識がなくて、事業として自分自身が目標を持っていて、それを達成するにはどうしたらよいかをいつもいつも考えているのです。考えるだけでなく、実践として営業もしますし関係書類も数多く作成します。誰かにいわれてやるのではなく、自分で考えて動く。
それはお金にならない『平和への結集』でも同じで、結局、市民運動も事業としての仕事も「等価値」のものとして行っています。現在の仕事としての事業も市民運動の延長線上で形成されてきたと言えなくもありません。不謹慎な言い方ですが、私はそのうち「平和」もお金になる事業にしたいと考えています。
そういう私の生き方と、ホワイトカラーエグゼンプション・・。正直なところ、私はこれを議論する資格があるのか自問せざるを得ませんでした。
私は労働を雇用と経営とを分離した形ではあまり考えていないのです。かつて公害反対運動に目覚めたとき、公害を生み出しているのは企業でもあるが、その現場の労働者でもあることを強く感じました。なぜ労働組合はそれを拒否しないのか・・、改善されるまでは生産を止めることができないのか・・と怒りに震えたことがあります。いま思えば、それは解雇の道を選べというに等しかったのだろうと思いますが・・。
しかし、自分たちが何をつくっているのか、そのことに誇りがもてる仕事でなければ、やってもしようがないというのが私なりの割り切りです。逆に、自分が何をしているか・・について、常に自問し、誇りがもてる仕事であるのかを考えよ・・ということにもなります。私自身は、こうやって生きてきたのです。
ホワイトカラーエグゼンプションという制度と向き合って、私たちは単なる雇用の形ではなく、一人ひとりの人間が、自分の仕事をどう選び作り上げていくのかを議論することが実は必要なのではないかと感じます。皆さんは、どうお考えですか?
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