前回は、こちら
つづき
道は左へこの先は丘陵地帯が続きますある意味関東平野もここまでですかね?
ということで後半戦まいりましょう
後ろを振り向くと男体山ほか日光の山々が
早乙女坂(弥五郎坂)に
右手が旧道
立派な並木です 土道ではなくアスファルト舗装になっているので歩きやすいです
荒川にかかる連城橋
荒川と内川に挟まれた地域が足利将軍家末裔の喜連川藩になります
江戸時代5000石の小大名ながら
10万石以上いやいや100万石の大大名待遇を受け参勤交代も免除されていた藩です
どれもこれも始まりは豊臣秀吉の色心から…
そして国替えの話も大石内蔵助の討ち入りで消えてしまった
詳しくはこちらの本に
藩内の通りは今も静かな感じ
御用掘
足利家歴代の墓所がこちらに
町の観光案内所
お聴きしたところ
喜連川藩主足利家の末裔の方は喜連川から出て栃木県内にお住いのようです
喜連川城複現大手門が足利銀行の先に
内川を渡りダラダラ上る坂道が続きます
丘陵地帯へ土道の峠道
鶴ヶ坂に30Km付近結構足に来ます
下り坂5月だというのに結構な暑さです
手持ちの飲み物も飲みきってしまい
飲み物もなく歩き続けてやっと自動販売機に出会いました
ちょっと小休止
街道脇に花が…ゆっくり見ている余裕は今はないです33Km付近
大田原市に入りました
またまた坂
佐久山宿に到着
また、公衆トイレで休憩
桝形の通りを抜け佐久山から大田原に
箒川を渡り、橋からは那須の山々が
那須与一絡みのものが…いよいよゴールも近い40Km手前付近
明神町を最後の右折44.5Km
桝形が見えてきたもう大田原の御城下に…
那須与一像
金灯篭の交差点17:17本日のゴール
ランニング時計の表示46.418Km
後ろの垂れ幕ちゃんと撮っておけばよかった
46Km歩いた疲れのためぼんやりとしていました
二枚の写真を繋げて推測すると
歓喜のゴール○○大高85Km強歩
大田原○○東支部
大高とは、大田原高校の事のようで
競歩ではなく強歩?聞いたことのないフレーズに
気になったので調べると、私が歩いた翌日(5月16日~17日)にかけて
令和元(2019)年度第33回「85キロ強歩」行われたようである
県立大田原高校では、1986年(昭和61年)より「85km強歩」が行われている
学校を出発し、生徒の通学範囲でもある学校を中心とした円状のコースを26時間かけて一周し、再び学校まで歩いて戻る同校は男子校であるため参加者は男子のみ
高校のホームページはこのようなことが書いてありました
85キロ強歩の先頭と最後尾は、職員が「先導歩」「終末歩」として交代で歩いています。特に、先導歩は決められたスピードで歩き、到着予定時刻に合わせて生徒を各関門、ポイントに導きます。先導歩は、1分と違わず歩いています。
今までトータル1000Km程歩いていますが1分違わず歩くのは大変です
30Km位からそして40Km越えるとなお辛くなります
85Kmとなるとペースは大事ですね私はまねできません
大田原高校、令和元(2019)年度第33回「85キロ強歩」模様は、こちら
本日の歩行距離
街道距離45.2Km
歩行距離46.418Km(寄り道込)
歩数 64078歩
消費Kcal 3270kcal
歩行時間11時間09分
この後、バス停トコトコ大田原前まで200m程歩き
バスで西那須野駅そして宇都宮駅に移動です
この後の駐車場等移動を含めると合計49Km歩行しますが
大田原高校の皆さんには遠く及びませんな
宇都宮駅に戻り東口のみんみんに
餃子、焼2・水1セットで夕食
お土産を買って車でベルさくらの湯へ
そうそう餃子像を見に宇都宮駅西口へ
この餃子像、山田邦子さんの番組で作り元々は東口にあったのですが再開発でこちらに移動
その際クレーンから落ちて真っ二つに
くびれた部分が破損個所、パテで埋めてありますな
本日のマンホール量水蓋
河内町
旧氏家町
旧氏家町上野地區の農業集落排水蓋
旧喜連川町
大田原市
その他 啓蒙看板
奥州道も残り白河まで42Km程
本日そのまま歩けば宇都宮から白河まで約87Km
大田原高校越え狙えますがやめておきます
この後、左足のかかとは水ぶくれで大変なことに…とほほ
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