前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

アンコールが三回

2019年10月12日 16時58分47秒 | 本・漫画

一応テレビはありますが、観もしないのにつけているということは

ほとんどありません。観たい番組があるとき、ちょっと時間に余裕があるとき、

夜はテレビを観ます。でも大抵最後まで観ないの。途中で片付けをしてお風呂。

そんなわけで、連続ドラマは観なくなりました。

 

昨日は食事の後、ちょっとすぐに片付ける気がしなくてうだうだしていて、

テレビを観てみました。浜崎あゆみのことを取り上げている番組をやっていて、

全然興味がないので、そろそろ片づけますかとリモコンを手に取ったところ、

話が、なーんだか懐かしい少女漫画のような内容に思えました。

結局最後までは観ていないので、どんな結末かは知りませんが。

 

多分、全然違うのですけれどね、わたしの世代の人ならわかる、

くらもちふさこの『アンコールが三回』を思い出したのです。

浜崎あゆみはマドンナの真似というか、模索の中で手本にした、

そんな雰囲気がありますが、、そこが、当時全盛期のマドンナ風に

仕立てられた主人公、二藤ようこの雰囲気を感じます。

 

当時週刊マーガレット、特にくらもちふさこはとても人気がありました。

寮のごみステーションに週刊マーガレットが山積みだったのも思い出します。

(わたしはフレンド派で買っていなかったけれど、今だったら拾ったかも

みんな親の金で買っていたのですからね)

ついでに言ってしまうと、くらもちふさこより、妹の倉持知子の方が

わたしは好きで、くらもちふさこ作品なら『アンコール~』の次の作品で

『Kiss+πr2』が良かったな。

その後ぐらいから段々漫画も卒業して、そのうち読まなくなってしまいましけど。


思うのですが、アンコールが三回とか今ドラマにしても全然古臭くない気がするの

だけど・・・・えっ?古臭いかな? そうねぇ・・・

公衆電話なんて出てきてはいけないけど、その頃の方が、ロマンティックだったと思いますよ。


くらもちふさこの絵、以前、朝のドラマに出てたでしょ?ちょっとだけ観てすぐわかりました。

特徴のあるペンの使い方だったなぁ・・・。


それでは、台風、大事になりません様に。



大正時代の本

2019年07月13日 17時59分54秒 | 本・漫画

昨日は暑くて、何度も着替えをしました。

汗をかいたとかではなく、調節が単に下手だったということ。

今日は今日で、冷たい雨。

ちょっと着足りない感じがしますが、面倒なので冷たい脚をしています。

 

昨日の街で見つけたある物を買うか買わないか思案の末、買った話です。

僅か二百円でしたが、物が増えることを考えずいぶん悩みました。

でも、呼ばれた感じがしたのです。

 

それは・・・古本です。なーんだって感じでしょう。

大正時代の本で、表紙のタイトル横書きは、右から左へ読みます。

装丁にもひかれましてね。

思うのですが、こういう時代には名もなき優れたグラフィックデザイナーが

多くいたのだろうなぁ・・・って感じます。


それで、その本は短歌の指南本です。

昔から、わたしはダメなのですよね。短い言葉で自分の言いたいこと、

見た情景、よくもまあこんなに上手く伝えますことと、

感心することはあっても、自分では全くダメ。

学生の頃、中等部か初等部かからいた子が品が良く歌を上手に読むので、

やっぱりこういう情緒的なことは小さい頃からの訓練なのだろうか?

とほれぼれし、コンプレックスを感じたのも事実。

 

そういう部分って大きにあると思うのは皇室の方々の御歌。

毎年感動しております。


しかしですね、その本のはじめに飾ったりしないで、

真の心を読むのが第一だというようなことが書かれていて、

そうよね、わたしにはわたしの道がありますもの。

これからゆっくりはじめてみますわ。

ここには、歌は書きませんけれど


日常生活では、社会とのバランスで、嘘って言っちゃ悪いけれど、

本音を隠さないといけないことがあるでしょう。

だから、こっそり本気の本気、真の自分を読んでみたいと思ったのです。


二百円が無駄にならなければよいですが

余談ですが、随分古く家に帰って除菌ティッシュで拭きまくって、

表紙が外れそうなのを修繕して、昔仕事で使っていた

トレーシングペーパーの残りでカバーを作り、素敵な一冊になりました。


今年最後の一冊

2018年12月23日 16時59分29秒 | 本・漫画
毎晩寝る前にラジオを聴きつつストレッチ、少し読書をする、
これがわたしの一日の締め、決まり事です。

かっこよく言えば、routineというやつでしょうか。

近年そんな感じになってしまって、集中して読書をし、
二、三日で一冊読むということができなくなりました。

同じ二十四時間なのにね。

わたしは読書と言えばほとんどが小説で、
エッセイや指南書、啓発本などは少ないですね。

一年の読書量もぐんと減ってしまいました。
読書において決め事がいくつかあって、
読み始めたら、絶対どんなに気が合わなくても最後まで読む、
同じ作家のものを続けて読まない、ミステリーも続けない、
映画やドラマより先になど・・・
でもこんなこだわりも少し緩めようと思うようになりました。

今回からもっと緩く読書することにしました。

今年はもう、最後の一冊でしょうね。

今年最後の一冊は、帚木蓬生著『千日紅の恋人』となりました。
正直あまり好みではありませんでした。

今年はブログランキングのおひとりさまという枠に登録
させていただきましたが、
わたしのように一人で生きようと決めているひとより、
誰かと生きたいと切望している人には、
夢のある話かもしれません。

さて、来年はどんな本と出合えるかなぁ・・・

それに合った季節 柴田翔を読む

2018年10月08日 23時28分56秒 | 本・漫画
今日も昨日に続いて快晴成り。
なので、せっせと干しもの。
天日に干して風を当てると何でも気持ち良いものです。

本の埃を掃っていると、処分したと思っていた
柴田翔、『立ち盡す明日』が・・・読み直してみよう。今読んでいる本が終わってからだけど。

わたしは柴田翔の世代ではありませんが、
この人の文庫本が100円以下で古本屋さんに並んでいた世代です😊

また、こういう時代の小説が好きなのですネ、なぜだか。

ちょっと前、同著者の『贈る言葉・十年の後』を読みましたが、
わたしは登場人物よりもうすでに年上なわけですが、
通り過ぎて気づくこと、そしてそれはもうどうしようもないのですね。

わたしは、本を読んだら長年、覚書のノートを書いてきました。
そしてそれをとても大切にしていました。宝物だと思っていました。
でも一度、短い期間やめたことがあります。

わたしは一度、絶望したことがあります。そのときです。
こんなノート書いても意味がないと思ったのです。

わたしの心の中には、その時の絶望のかけらが残っていて、
持って生まれた憂鬱の質と混ざり合って、実にシラケた
思いをこっそり抱いて生きています。

そんなわたしが友のように大切にしていたノート。
今は再び、記録は続けています。

時々思い出して眺めています。その時が楽しい。

『贈る言葉・十年の後』では気に入った箇所を書き写していました。
二編のうち【十年の後】から
凡ての物事にはそれに合った季節がある
他の連中がもう惜しげもなく振り捨てて行ったものに俺一人
季節外れに固執するのは愚かなことかもしれない。
一つの季節が終わったらそれが終わったことを認めるだけの
思い切りをもたなければいけないのだろう。


共感というより代弁してくれているような一文です。
そして、わたしはもうそこを通り過ぎている。

いくつかの季節を終え、彼の言う思い切りがやっとわかる
気がするのですよ。

いまわたしは新しい季節に向かおうとしていますから。

主人公の男性は30代?ではなかったかと思うのですが、
まだ若いですよね、今の感覚だと。
昔の恋人とボーリングに行って、
彼女が言ったセリフも印象的でした。

色々思い出して書き出すときりがない。
そういう記憶の呼び起こしにもノートを続けてけてよかった・・・
大切にしていきます。

さて、明日から暢気なことを言っていられない。頑張るよ。


ホコリだらの本

2018年06月11日 16時44分38秒 | 本・漫画
投薬治療が効いてきたのか少しばかり体調が良くなって来た。
不思議なもので、少しばかりやる気も出てきた。

掃除も疎かにしていたもので、すごいホコリ。
きちんとしているときでも、どうしてこうホコリって次々たまるのか。

昔、『浴室』という小説を読んだ覚えがある。
奥さんが出て行って、浴室、多分バスタブの中で暮らすようになった男の話・・・
だったような・・・・覚えがある。
どこか違っているかもしれない・・・断定はできない。

他の本かもしれない・・・でも多分『浴室』

ホコリの大半?何パーセントだかはその人の皮膚だというようなことが書いてあった。
と、思う。しつこいけれど記憶が曖昧なので。

だからいなくなった人の一部が漂っているような気がすると、男。だったと思う。
多分この本探せばどこかにあるはずなので、読み返したら処分しようと思う。

昔は平気でハードカバーの本を買っていたけれど、今は勿体なくって買えない。
何より、本を捨てるというのがどうしても嫌なので、図書館にないものは
すごく考えてのことになる。


日々物を減らしていこうと思っても中々。
最近は買い物をしなくなったので増えてはいないはずなのだけど・・・
捨てようとすると次々思いがホコリみたいに漂うんだなぁ。

湿気の多い季節なのでホコリを落ち着かせて、掃除、片付け、処分。
わたし、断捨離という言葉はいいわけみたいで嫌いなので使いたくない。

わたしはこの場合はキッパリ処分と言います。
ここには無駄なことをしたなどの反省や使い切った満足、感謝
を込めてきまりをつける、適当な方法でそのものから離れるという意味で。

その適当な方法・・・スマホでも持てばもう少し広がるかもね。
それから物に対するわたしのattitude・・・変えていかないと。
年を考えれば自然変わっていくものですが。



丁寧に、そして感謝して

2018年02月25日 17時24分56秒 | 本・漫画
ああ、昔からみんな同じことを言っているのだ・・・そう思いました。
なんのことかと申しますと、
こころ彩る徒然草 ~兼好さんと、お茶をいっぷくという本を読んで感じたことです。
時代は変わっても、人の営み、心の在り方、悩み、その悩みの果ての苦しみ・・・
そんなのは人の基本なのだと思わせてくれる本でした。

そして話は初めに戻って、素敵だな尊敬できるなと思うひとは皆言葉は違えど、
同じことを言う。
そんな風に思いました。
まさに、存命の喜び日々楽しまざらんや 今、生きている。この喜びを、日々、楽しもう。
悩みは尽きねども、それによって苦しまなくていいこころの置き場所が見えた気がます。

生きていると嫌なことは避けられません。
でも、悪口を言われても言った人も、聞いた人もすぐに死んでいきますから気にしなくてもいいのです。本当ですね。

そして、独生独死文字通りです。
著者の木村 耕一さんという方も現在のブログだったか?ツイッターみたい
というようなことを書かれていましたが、素敵な人のブログやツイッターには
ぱっと目を覚まさせてくれる部分がありますね。
そしてみなさん、一日を大切に丁寧に過ごしていて、一日の無事を感謝で終えている。

仏教に帰依するとか信心とかはまた別の問題でわかりませんし、
深く入っていくつもりもありません。
でも、歳を重ねていくと、それは今日や明日ではないかもしれませんが、
今日でも明日でも不自然ではなく、起こりうる死を心の片隅に置くようになります。
そこをチラチラ意識して、大事に丁寧にそして感謝して過ごしたいです。

因みにイラスト写真入りで非常に読み易くすぐに読み終わります。



ブルーグレイの夜が明けて後の物語 / 小林麻美

2016年08月08日 15時24分12秒 | 本・漫画
毎日あまりにも暑いので、買い物に出かけると暫し店内で涼むのです。

先日は本売り場で、一冊の雑誌を手に取りました。
昔は雑誌をよく買いました。まだ流行とかに支配、左右されていましたから。
今はあまり立ち読みもしないのですが、懐かしい方が表紙だったもので。

雑誌の名前はku:nel。表紙を飾っているのは小林麻美さん。
わたしたちの世代にとっては、あこがれのお姉さんでした。

中学生の頃くブルーグレイの夜明けという本を手に取って以来あこがれの女性です。
メイクしている表紙、ちょっとせつなげな雰囲気の目元が素敵でした。
日東紅茶しか飲んだことのない田舎の中学生にアールグレーティーを教えてくれたのも、
前日から明日着るものを選ぶのではなく、朝の天候や、気温なども考えて余裕を持つことを
教えてくれたのもこの本です。
病気をして髪を切りましたが、長い髪でいることや、ずっと痩身を貫くのも
ここに起因しておりました。

後の、バブル期にはアンニュイ女優などと言われていましたけど、あまり女優としての活動は
そんなにしていなかったと思いますが、わたしはセイコーの腕時計『ティセ』のCMが印象的でした。
当時のこの時計がまた小さく華奢で、彼女の細い腕によく合っていました。
あと、車のCMも。甲斐バンドのフェアリー(完全犯罪)が流れていましたっけ。

彼女を一番有名にしたのは、ガゼボのカバー雨音はショパンの調べ/Gazebo I Like Chopin
だったのではないでしょうか。声も物憂げな歌い方も似合っていました。

大人の女性、雰囲気の素敵な女性、そういうひとになりたいと、指針にしていたひとですが、
突然、引退。
社長さんと結婚。すでに妊娠。ちょっとイメージが瓦解した瞬間でした。

もともと、自分の価値観には満足していたので、あまり人様にあこがれるとかいうことが
少なく、そう考えてみれば、それ以降は自己流に生きている気がします。

60さいを過ぎた小林麻美さんを見て、特別な思いは沸いてきませんでした。
ただ時が流れたのだな…という思いが一番強く。
時代の演出にうまく魅了されてしまっていた若き日の自分を眺めていました。

何かとっくに解けてしまった魔法に、ああそんな魔法にかかっていた時もあった
んだなと改めて思った夕涼みの時間でした。



暗黒が食欲を奪う

2011年08月23日 01時26分59秒 | 本・漫画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

とっても身体がきつくて、最近ご無沙汰だったすごく重い、重い肩こり。
年のせいか、夏ばてか。

そんなわけで、本を読みかかっても、いつの間にか電気も消さず眠ってしまって、
前回書いた、『原節子 あるがままに生きて』を読みかけては眠りの日々です。
あと少しなのですけどね。

大体読んだところで、やっぱり原節子は美しいです。
前回書いた美しい人、いや美しいと思う人に加えます。
前回もうだうだと書きましたが、単に、姿かたちが美しいひとの名を上げているよう
に思われるかもしれませんが、一貫した何かをその美の中に持っている人がわたしに
とっての美しい人です。

ですから、日本で一番の美しい人は以前にもこの方について触れましたが、
皇后様だと思います。

ため息・・・・・
先週は思いもかけないことがあって、気持ちが乱れているところ、追い討ちをかける
ような知らせがさらにあって、こんなとき今まではどうやり過ごしてきたのだろう、
暫くしたら、いつものわたしにまた戻るのかなと考えてみるものの、今のわたしには
希望というものがないから、かなりきついです。
収拾のつかない心の乱れを人はどうやっておさめているのでしょう。

時々思います。感じ方は人それぞれっていうでしょ。
確かに同じ物や、出来事に対する人の感じ方は人それぞれだと思っていますが、
あー嫌だとか、辛いなぁとか、うれしいとかの言葉の上で同じものは、
人の心に同じ重みの同じ感覚のものが落ちかかってくるのでしょうか。
胃の辺りに重く重く圧し掛かっているものがあって、それは例えるならば、暗黒。
暗黒が心に胡坐をかいて、重いこと重いこと。こうなると食欲がなくなります。
こんなことを言っても誰もわかりませんよね。
そう、こう言って何度も諦めてきたのでした。

ただ誰かわかってください、いまわたしはとても落ち込んでいるのです。

いつかわたしもそれにならおう/はいからさんが通る

2011年06月12日 01時26分23秒 | 本・漫画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

もう、あの日から早三ヶ月。遅ればせながら、
この度の震災で被害に遭われた多くの皆様に、お見舞い申し上げます。
・・・・・なんて言ったところで何もできない無力な自分がいます。
何かできることはないかと思ってみても、
毎日程ほどに食事し、心地よい自分のお布団に寝ています。ごめんなさい。

そんなわたしがひとつ言えること、わたしの街も過去に災害に遭ったことがあります。
当時わたしは仕事で帰ることができなかったのですが、二ヶ月後帰省して驚きました。
若干、交通の面で、不便なことはありましたが、
もう、みんなほぼ普通に生活ができていたからです。
そのとき思いました。天災というのは防ぎようなく、とんでもない力を持っているけれど、
そこから立ち上がる人はもっともっと、大きな力を持っている。人の力ってすごい。

その際、家財を失った友人が後に、全部なくなったおかげで、振り返る材料がない、
思い出もなくなったけど、後ろを振り返ってああだこうだ思う心も一掃されたと、ずっと後になって言っていました。
いまはまだそんな心境になれるはずもなく、
思い出よりも大切な家族を亡くされた方もいます。
多くのマスコミは、被災された方の心に寄り添うべくテレビの向こうから訴えてきますが、実際何もできなくてごめんなさい。
確かなことは、この国は何度も窮地から立ち上がってきたということです。

『東京は焼け野原・・・見渡すかぎりの廃墟・・・
だがいつかこの廃墟にも新しい家がたちならび
人々の新しいくらしが始まるときがくる・・・
人々が生きていくかぎりそれはくりかえしくりかえし・・・
愛も人生もそれににて・・・
こわれてはつくりあげ・・・
来たっては去り行くもの・・・
いつかおれもそれにならおう・・・』


これは前回話題にした(いつだったことやら)南野陽子主演で80年代話題になった映画、はいからさんが通るの原作漫画(こちらは70年代作)で関東大震災に遭い、恋にも敗れた編集長こと、青江冬星氏の独白。
今年のお正月時間があったので、たまたま読み返して、この場面のこの独白がいたく心に残っていました。

誰かを悪者に決めなくては済まないような報道の仕方もあります。
でも、誰も予測できない甚大な被害をもたらせたこれは天災。誰のせいでもなく、
怒りや悲しみのやり場はなく、月単位で時間がたてば膨れ上がるのはストレス。
きっとその極みの中にいる多くの皆さんが、過去にいた人たちがそうしたように、
こわれたものをそれでもつくりあげていく、再生していけるとわたしは信じたいです。お願い。再生して下さい。だってわたしは経済面や国力の衰えを無意識ですがどこかで感じ、
ふと暗くなる日々の中で、むしろ被災者の方々の在り方に励まされるときすらあるからなのです。
今のところ募金くらいしかできていませんが、これから長丁場になると思います。
この国の片隅で、何か長期的にできることはないかと考える今日この頃です。

Weltmeisterschaft/キャプテン翼とレーヴ監督

2010年07月11日 03時12分32秒 | 本・漫画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

Weltmeisterschaft[ヴェルトマイスターシャフト]略してWM[ヴェーエム]、ワールドカップのことです。
ドイツ語の勉強をしていた時に教えていただきましたが、もうすっかり離れてしまって忘れているので
つづりが間違っているかも・・・そう言えば、サッカーは Fußbal[フスバル]でしたなぁ。

って、何故にドイツ語の話などするかは後回しで、そもそもわたしがサッカーを見るようになったのは
『キャプテン翼』とセルジオ越後さんの子供向けのルールブックを何気なく手にしたのがきっかけだったと思います。
『キャプテン翼』は80年代の初頭に始まったお話だと思います。当時の翼くんの夢はブラジルに行って
サッカーをすることであったり、ワールドカップに出場することだったり・・・そんなの無理、無理って当時は
思ったものですけど、その頃翼くんに夢中になった世代がワールドカップに出るという夢を叶え、
今はそのワールドカップで勝ち上がっていくという更なる高みを目指す時代になりました。
もういい大人になろうとしていたので、サッカー以外のところでは幼稚というか、あり得ないことが
結構漫画の中にはあって、わたしは翼くんが中学生になる頃までのお話しか知りませんので、あしからず。

ついでに、当然ながら、マラドーナはその頃監督ではなく選手でございました。(もう50さいになるのね)

そして、翼くんの中で、ハットトリックとかの用語を学び、三杉君にはオフサイドトラップを教えてもらいました。
更に、越後さんのルールブックで、コーナーキックになるときとゴールキックになる場合とかの細かいルールを知り、
単純ではあるけど、よくできたルールだなあと、サッカーが好きになりました。

やがて、Jリーグなるプロリーグが日本にもできるわけなのですが、
どうも発足当初のチャラチャラした感じを好きになれませんで、いまだにあまりJは見ませんねえ。
地元チームの結果を気にするくらいです。

どこの国でもそうかもしれませんけど、代表に選ばれるような選手は個性が強くて、主張も強いけど、
今回の大会を見ていて思ったことなのですが、サッカーはチームプレイ。いくら上手にシュートを
決められるとしても、それに繋がるいいパスを出してくれる人がいないといけないし、意気が合わないとね。
翼くんの中の日向小次郎を思い出しました。
サッカーは一人ではできません。今回の日本の代表選手には、以前のバラついた印象と違って、
小学生の翼くんが色んな子と試合で出会って、仲間になって時にライバル、時にチームメイトとして
成長していくそんな過程と似たものを感じました。
特に帰国後の会見で、みんな口々にチームとの離れがたい思いを語っていましたものね。

そんなわけで、終わりが近づいたワールドカップ、よりまとまりのあるチームが優勝することでしょう。
実は、わたしは決勝戦はオランダVSドイツでオランダ優勝と、予選が終わったとき予想しました。
でも、ドイツは負けちゃったし、色々鑑みてタコのPaulくんと同じくスペインという最終予想。

わたしは、毎回、日本亡き後はドイツを応援してまいりました。
フランスも好きなのですけど日本より先にいなくなることが多いので。(前回はとても残念でしたよ)
今回もずーっとドイツ応援していました。なのに放送されない試合はあるし・・・よりによって
三位決定戦の放送がない・・・・・なんで?
おまけに監督、選手数名がインフルエンザになってしまったそうで、大丈夫?
Paulくんの予想は3位はドイツ。わたしも希望的予想でドイツなのですが見れない。残念すぎます。
Joachim(Jogi) Löw/レーヴ監督からも目が離せなかったんですけど・・・。
本人はいたって大真面目なんだけれど、何か一つ一つの動作に落ち着きがないというか、
ガサガサしている感じが、男前なのに面白くて(失礼)好きでした。
後は(多分スポンサー)STRENESSEのタイトなお洋服を見事に、モデルさんより素敵に着こなしていることも
注目でしたけど、セーター、もといドイツなのでPullover[プローヴァー]を裸に着ちゃだめ、
アンダーシャツ着ないから風邪をひいてしまったんじゃないのでしょうか。
今日は何を着るのかなと思っていたけれど、出てこれるのでしょうか?ずいぶん熱も高いそうですから。
と、ネット上でもレヴ監督は話題になっているみたいですね。柴田恭平に似ていますか?
わたしは、カビラさんとか草刈雅夫とか連想。怪しげなくらい?豊かな黒髪もいいですね。
個人的希望として『エロイカより愛をこめて』のエーベルバッハ少佐を実写版にするなら推薦したい人物です。

すごくどうでもいい話題でしたが、何でこんなことを書くのかといえば、レヴ監督って『80年代好み』です。
あの時代を過ごした人にはきっと好みのタイプだと思うのですよ。彼のファンが主婦層になるのは当然ですね。
もうひとつ、どーでもいいことですが、はじめインタビューを聞いて(そのときテレビの音量が低かったこともあるけど)
ドイツ語に聞こえなくて、本当にすっかり自分が忘れてしまっていることを
思い知りました。フランス語話しているのかと思ったくらい。継続は力なりですね。だめだ。

そんなわけで、今回のWeltmeisterschaftで心に残った場面はレーヴさんの怒ってペットボトルを
投げつけたシーンではなくて、中沢選手が、駒野選手をぐっと抱きしめて涙ぐんでいたところです。
あんな中沢初めて見ました。

それでは、もうじき3位決定戦、始まります。
ドイツの選手健闘を祈ります。クローゼさん、点を入れてください。腰大丈夫?
レヴさん、今日は暖かくして出てください。

それでもって、まだ終わっていないけど、寝不足の楽しい時間をありがとう。Danke schön

あっ速報見たらクローゼ控えになってた



西洋への憧れ/星降る夜にきかせてよ

2009年08月03日 00時54分53秒 | 本・漫画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


昭和52年ということは・・・・西暦だと1977年。
その頃イギリスにあった『ジェット』というお店にPANNY・RAIN / ペニーレイン
というアマチュアバンドが出ていました。
メンバーはローリエ、クレランス、ナルシスの三人。('79年にジュリアンが加入)
美しい彼らは女の子に大人気でありました。

「そんなバンド知らないなあ・・・」
・・・でしょうね。彼らは漫画の中の登場人物。実在のバンドではありませんから。

見なきゃ見ないでも暮らせるのですが、ついついパソコンを開くとインターネット。
自分がいつも見るところを一巡りすると結構な時間。
就寝前の読書の時間がこれでいつの間にかなくなって久しいいことに気づきました。
そこで、夜はパソコンに触れない日々を数日過ごしてみました。
結果のんびり過ごせます。そこで、若返りたくて漫画なんて読んでみます。

星降る夜にきかせてよ/ 一条ゆかり
これは昔、『りぼん』の付録についていた文庫本で、小学生の頃初めて読みました。
その後、続編の『ハスキーボイスでささやいて』を加えた単行本を買って読んだのは
もう大学に行っていた頃だったかも。

あらすじ ですが知りたくない人は読まないように、
知りたい人はマウスで反転させると読みやすいです。


憧れのウィルソン画伯の講義が受けたくて、イギリスに留学してきたフランス人の女の子ジュール。
しかし、画伯は事故死。夢はかなわなかった。おまけに人気バンドペニーレインの親衛隊に加入することを拒絶したため、
寮を追い出されるはめに。寒空の中、見知らぬイギリスで倒れたジュールを救ったのは故ウィルソン画伯夫人。
夫人に気に入られたジュールは下宿させてもらうことになる。
が、そこに帰宅した一人息子はジュールが寮を追い出される原因となったペニーレインのローリエだった。
毎夜帰宅が遅く、時に泥酔。人気物のローリエは、ジュールの目には軟弱な遊び人にうつっていた。
しかし、しかし、ローリエには秘密があった。軟派な男に見えていたローリエこそ真の男だと気づくジュールであったが・・・・


と・・・これくらいにしておきましょう。知りたい人には個人的に教えてあげます

不思議なもので小学生の頃に初めて読んだときと、いつの間にこんなに年をとったのか
しらないけど、現在の自分とで、読後感はあまり変わらないので、我ながら驚き。
一条ゆかりさんは大人っぽい絵柄の人でしたから、(内容も)小学生時分は苦手だと
いう人もいましたが、今でもちっとも古臭く感じません。
ヨーロッパの映画を観ているような間や雰囲気が好きでした。
西洋への憧れは、映画でも音楽でもなく、わたしの場合は漫画から始まったのかもしれません。

いい年して、漫画を読んで楽しかったってことで終わるのも如何なものかと思いますが、
その昔、『漫画を読むと馬鹿になる』などと大人が言っていた時代がありました。
しかし、大人も大人の今思うのは、漫画には知識や教養が結構散りばめられていまして、
そこから得たものって結構ありますよ。問題提起もあって考えさせられることもありますしね。
考えることや読み解くことが苦手な人は、昔の漫画から入ってみるのもいいかもしれません。
まあその分勉強する時間は減るけど、インターネットの時間くらいなものです

わたしが漫画を読んでいたのは80年代までのことでそれ以降のものには
責任は持てませんし、語ることもできません。
でも、そこから得るものを一つでも漫画好きの人には見つけて欲しいな。

今後も時々80年代、それ以前の漫画について語っちゃうよ

森の深さは人それぞれ/ノルウェイの森

2009年06月06日 01時50分13秒 | 本・漫画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


村上春樹の新刊 1Q84 はもうお読みになりましたか? わたしはまだ。
   ノルウェイの森が映画化されるそうですが・・・
  うーん、これは積極的に観に行きたいとは今現在は思っていません。

若い頃のわたしは案外読書家で、年間100冊くらいの小説は読んでいたかと思います。
ん?そのくらいで読書家なんて自分で言うのはえらそう。単に本を読むのが大好きでした。
結構記憶力はいい方で、生きていく上では何の役にも立たない余計なことばかりを覚えています。

しかしです、読んだ本の内容がすっかり頭の中から消え去っていることだってあるのです。
かと思えば、大体あの辺りにこう書いてあったとかくだらないことは覚えているんです。

ノルウェイの森は87年に出版されたそうですが、わたしが読んだのはその翌年だったかと思います。
とにかく流行っていたのです。流行り物的な扱いを作家はどう思っていたでしょう。
現在は流行り物とは距離を置くことにしています。年をとっただけかもしれない
流行の渦中より、少し時間を置くことで正当な評価ができるという屁理屈。
鮮度の落ちたものを読んだり、観たりするのです。節約にもなります これをケチともいいます

ノルウェイの森は物語に入る前に、目を引く装丁、(クリスマスカラーとでもいうのか?赤と緑の上下巻に金帯)
著者、村上春樹というところに人々は引かれるわけ。わたしも、『蛍』『羊をめぐる冒険』とか好きでした。

こう言うと、なんですが、村上春樹のちょっとわけがわからない感じなところが当時のわたしを魅了しました。
わかりやすそうなふりをして簡単にわかってもらっちゃ困る、という奥深さが隠れているような、
云いたい事を押し出してはこない、別に何かいいたいわけじゃないんだけど・・・
というふりをしているような世界を感じていましたっけ・・・何のことやら

高校生の頃レイモンド・チャンドラーが大好きだったのですが、大学で初めて村上春樹を読んだときに、
なぜか後ろに吹いている風に似たようなものを感じて、ノルウェイの森に至るまでの作品を
ほとんど読んだ覚えがあります。にもかかわらず、ほとんど忘れているんですよねえ・・・一体なぜなんだろう?
覚えていても断片的で、あれこれ考えてみるに、出た答えは、
村上春樹を読んでいた頃のわたしは気取った鼻持ちならぬ奴だったということです。
心を入れて本を読んでいなかった気がするのです。
冷えすぎたビール、ラバーソウルの靴、100パーセントの女性、カティ・サーク、といった
小説に出てくる小物に洒落たものを感じて(今見ると何でもないのですが)本もファッションみたいなものでした。

また話が脱線。ノルウェイの森に話を戻しますが、学生の頃、確か研修に行った先で、
ハイキングかオリエンテーリングに参加して山道を歩いているとき、友人の一人が
『ノルウェイの森読んだ?』と聞いてきました。『いいえ、まだ 良かった?』
『うーん・・・(ちょっと口ごもる)なんか出てくる人がみんな死ぬの まあ読んでみるといいよ』
とのことでしたが、彼女所有の本は三人くらいの予約が入っていて、回ってくるには時間がかかりそうでした。

程なくして、一般教養の政治学だったかな?の講義中に教壇からの声『ノルウェイの森、みんな読んだかい』
散々何やら語っていらっしたわけですが、結論、『あれは、不能の男女の話だ』
装丁やタイトルから、ビートルズとか、クリスマスとか、北欧とか、樹木を勝手に想像していたわたし。
友人と教授先生の話を足すと、ん?『みんな死んで、不能の男女が出てくる? 一体どんな話やら?』
それから日々は忙しく過ぎて夏休みになり、近所の古本屋さんに並ぶノルウェイの森を発見。
あんまり安くはなかったけど、奮発しました。こんなくだらないことは覚えていやがる

しかしです、『みんな死んで、不能の男女が出てくる』っつう無茶苦茶な先入観がほんと邪魔でした。
何か、自分の頭をそれに合致させようという試みでごちゃごちゃ。
色々期待しすぎてしまったこともあるかと思いますけど、読み終えたときの感想は『こんなもんか』でした。
この作品を否定する気は全くないですよ。言いたいのは人の感想に惑わされたことの勿体無さです。

これから読む方が、万に一つこの駄文を読んで変な先入観を持たないように感想を薄く箇条書き。
『みんな死ぬ話』っていうのは、まあそうねえ・・・。当たらずといえども遠からず。
答えがそこにあったわけではないけれど、誰かの死に対して、
  その乗り越え方について考えさせられました。
恋愛小説ではない。(100%恋愛小説は売り出し文句)
『不能の男女』っというのは・・・言わずもがな、性的にってことなのでしょうけど、
  (うーん?子供だったからぁもう一度読んでみないとわかんないなぁ・・・嘘)
  成り立っていたかどうかは御一読あれ。
あんまりこういう話題は苦手だけど、この本の根幹を成している気もするので、
思い切って触れますが、この作品の性描写には好感が持てませんでした。
主人公がどちらかと言えば、孤独癖の強い印象ゆえか『この道ばかりは別』って感じが嫌だったんです。
そう言えば、文学科の友人がこの本の性描写の部分を「あれ読んでて気分が悪くなった オエッ」
と言っていましたっけ・・・その友人、映画「トップガン」のラブシーンを観ても同じように言っていました。
大ベストセラーでしたが、それ以前の村上春樹の作品より秀でているとは思わず、
  以前のものを膨らませた印象。はっきりしたことは『僕』が名前を持ったっていうこと。


この本を読んでいた80年代の後半は現在とも、それ以前とも異なる、価値観を持ち始めた頃でした。
     その頃からポイポイ捨てるようになったものを、
今頃になって慌てて拾い集めているような気がするのはわたしだけではないはずです。

今回の新作は書き下ろしで、売り方も先入観を持たせない配慮がされているみたいです。
そして、ノルウェイの森の映画化キャストなのですが、レイコさんの配役に注目していました。
霧島れいかさんという美人。知らない人です。
この方 http://nest-net.jp/talentprofile/kirishima_reika/main.html
別に知らない人でもいいのですが、わたしのイメージはジャズシンガーの綾戸智恵さんを若くした感じ。
ついでに主人公は村上春樹本人を若くした感じ。どちらも風貌のことですが
「小説に出てくる人(主人公のことでしょうね)と、作家のイメージがぴったり重なるのは村上春樹よ」と言っていた人がいたなあ・・・


ノルウェイの森以降、村上春樹を読んでいません。
上のように書きましたけど、その後人に薦めたりもしていたので、自分にとっては価値ある一冊だった
と思いますので特に読まない理由になったわけではなく、単に読みたいと思わなかっただけです。

確か、ノルウェイの森の主人公は30代の後半になってドイツ?にいて過去を見ていました。
劇的なことはないけど、わたしもここで80年代の過去を取り出して眺めています。
だから、1Q84が1984を意味するのなら、読んでみたいかな?
あと、カポーティの翻訳をしているのを読みたいと思ってます。

ノルウェイの森、。迷い込むもよし、引き返すもよし、最短コースでぬけるのも、楽しむのも全て良し。
だってぇ昔、『若きウェルテルの悩み』/Die Leiden des jungen Werthersを読んだ時、解説の人が
ウェルテルを書いたことでゲーテの悩みはゲーテだけのものでなくなったと書いてたのです。
そして、音楽などもリリースっていうでしょ。手放しているわけです。
それらを拡大解釈して、今更読書感想文コンクールに作文を出すわけでもないので、
一冊の本からどんな感想を持ったっていい!!!というのがわたしの大人の解釈。
そして、何か一つでも得るものがあると非常に良い。それは漢字一文字を覚えたということでもいいの。
心が動くと一層良い。それがわたしと本との気楽な付き合い方。   おしまい