前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

歌い続ける/Paul Young 2

2009年01月26日 19時33分53秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

Paul Young、今でも時々聴いているし、80年代のような目立った話は日本には届きません。
ですが、一昨年前に知ったことですけど、『死亡説』がそれ以前にあったそうで、驚きです。
わたしは普通に彼の曲を聴いてすごしてきたので、
それって、ポールはポールでもマッカートニーの方じゃない?
ここで余談ですけど、その昔、60年代の終りにポール・マッカートニーは交通事故死していて、
現存する?!わたしの知っているポールは所謂、影武者。(武田信玄か)
て、ことはもうポール・マッカートニー(本物)はわたしの生まれた時にはすでに亡き人で、
ずっとポールと思っていたSirは影武者ってことになるのだわ。
都市伝説みたいなものでしょうか。この話を聞いた時はずいぶん面白がりましたけど。

で、肝心なポール・ヤング死亡説、これは病死したっていう説だったようですが。
ちょっと近況やらなにやら調べてみました。同じ名前の人が亡くなったということが本当で、
それで納得しました。
髪が随分白くなっていた。それもそのはずもう、50歳すぎちゃったんですね。
独身に戻っていた・・・。身近に置いているはずのミュージシャンでも、細かいことって、
こんなふうにインターネットでもしないとわからないものですし、知る必要もないのかもしれないけど。
大好きな80年代は実は結構遠い場所にあることを毎度思い知ります。

Qティップス?だか、チップスだかのボーカルを務めていたけど、ソロに転向。
あまり売れなかったみたいです。
それで、あまり自信のない記憶ですが、喉を痛めて歌えなくなった時期があったんじゃなかったかと・・・
でも彼は諦めず、1stアルバムはロングヒット、2nd は大ヒット。
(しかし、自信ないな1stと2ndのあいだでの出来事かも・・)
諦めずにいてくれてよかったよ・・・と感動した覚えがあります。

そういうのっミュージシャンとしてどう?という人もいるかもしれないけど、
この方、オリジナルなものより、カバー曲を歌ったほうが成功して、ヒットしてます。
その意味するところは、この人がいかにボーカリストとしてすごい人かってことだと思うので、
もし、万一、いないと思うけど、オリジナリティがないなんていう人がいたら 「メッ」
つまり歌手ってことですよね。美空ひばりだって人の作った歌を歌う歌手じゃない。
そもそも、わたしだって彼の声は好きなタイプの声質ではないのですが、
どういうわけか心惹かれ、締め付けられるように切なくなります。
ソウルです。なので、いつもいうけど、
ブルーアイドって冠は必要ないと思うのです。
兎にも角にも、ポール・ヤングは生きて、そして歌い続けている。はずです。

カバー曲はどれも有名ですが、次回はいくつか取上げてみます  つづく

補足
書いている途中、ある場所でおそらくQ-Tips時代ティップスみたいですねのものと思われる
音源を聴くことができました。

無常観て何?/ Paul Young

2009年01月23日 01時55分44秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

ラジオで久しぶりに Paul Youngを聴きました。

ポール・ヤング自体はoh girlとかWhat Becomes of the Brokenheartedなんかの
カバー曲は最近でも良くかけて聴くんですが、
ラジオで、しかも80年代の彼の曲がきけたのがとてもうれしかったんです。
そのひと時だけ、あの頃に連れ戻してくれるんじゃないかと心がざわめきました。

かかった曲はEverything Must Change 『心の道標』なんて邦題がついていたんだ。
この曲の収まった2ndアルバムThe Secret Of Association持っていたのに全然そんな邦題記憶にない。おそろしい
1stアルバムのタイトルが思い出せない・・・嗚呼 年だ・・・けどこちらも友達経由で貸してもらって良く聴いてました。
2ndからはHall&OatesのカバーEverytime You Go Awayが有名ですが、
Everything Must Change も好きな人は多いはずです。

あの頃、古典の授業で『もののあはれ』とか『無常観』という言葉がでてきて、それが
どんなこころもちなのかよく解することなく、ただ『問題』の『解答』としてその言葉
を覚えたものです。

あの頃は、まだ自分の『未来』とか『将来』とかが光に満ちていて、
馬鹿みたいに幼い勘違いで、それが『永遠』と等しい意味で広がっているように捕らえていました。

でもこの曲によって、未来はそんなに明るいことばかりではないという予感、
悲哀や諦念といったまだ対峙したことのない場面を遠くから見ている、
何とも言い表せない心象をつくっていました。

忘れていたのに今日はいっきに連れ戻されたみたいな気分です。

変わっていくことを受け入れるということが理解できず、
それをあきらめることだと若い頃はずっと思っていましたし、
ひとつひとつ、受け入れていくことをやっと覚え始めたばかりの昨今です。

無常観なんて学校で、言葉で教えられて、覚えるものではありません。
みんな心の中に持っていて気づくものです。
若い頃は心の片隅で、大人しくって静かにしているものだから気づかないけど、
年取ってくると『いたのそんなところに』って感じで正座して行儀よくしている
そいつに気づくんです。秋風みたいな奴です。「夏は絶対終わるんだよ」そう呟く。


Paul Young は当時年上の女性に人気があったそうです。(UKに限るかな 日本ではしらない)
わかる気がします。今のわたしは、その頃の年上世代だから。彼の歌は沁みますわ。

わたしは渋々オバさんにChange
オバマさんは張り切ってChange に務めてください。


Paul Young は大好きなのでいつかにつづく






グラビアの美青年/Duran Duran4

2009年01月22日 20時02分56秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

Duran Duranの曲について書こうと思っていましたが、何となく戦意喪失。
ファンでもない素人が知った風なことごちゃごちゃ書くのもあんまり
気持ちのいいものじゃありませんしね。

そもそも、彼らの曲をいつはじめて聴いたんだろう?
planet earthか、『グラビアの美少女』という邦題の付いていたGirls on Film
だったと思います。

今ビデオを見直してみたんだけど、planet earthが先だったかなあ・・・
シングルとしてはこちらが先みたいですけど、わたしが聴いたのはどっちが先かわからないです。

でも、どっちもある意味久々に見るとすごいビデオ・・・
planet earthの方は、意外にもロジャーから始まるんですが、その後が当時わたしが変だと思っていた
サイモンの横揺れダンス。おまけに宝塚のスターみたいな格好。当時は格好かったんですよ。
Girls on Filmは、(ふーんそんなタイトルだったんだ)がーず おん φ
わたしにはグラビアの美少女の方が馴染み深いタイトルだわ。
それにしても、当時は全部は観たことなかったけどすごいビデオです。みせてもらえなかった
いきなり相撲取りがシコを踏み出すんですよ。ここの印象は強かったなあ。

当時は聴きかじっただけで、それからしばらくしてUnion of The Snake が出たとき
何だか随分サウンドが急に垢抜けた気がしました。
当時はそう思ったんですけど、色々並べて聴いてみるとどこがどうとも言えないし、
知った風なことも言いたくないので、戦意喪失というわけなのです。

でもひとつどうしても言いたいのは、一連のヒット曲をちゃんと聴いて思ったのですが、
サイモンのボーカルって曲によって異なるんですね。歌、上手ですね。 何をいまさら
Wild boysなんてずいぶん男っぽい歌いだしです。
Wild boysとThe Reflexの歌いだしの部分にわたしはすごく80'sを感じます

デビューしたてのころの動画なんかもyoutubeにはあって、
昔友達に誘われてよく行っていたライブハウスで、インディーズバンドを聴いてい
るような感じで何だか意外でした。

  一番気に入った動画 Union Of The Snake テレビ出演したときのようです 
http://www.youtube.com/watch?v=8tL5_W2Fkj0
前にもロジャーが一番贔屓だったと書きましたが、この人全然格好つけないところがいいのです。
黙々と自分の仕事を確かにこなす、寡黙な武士みたいなところ。
この画像の中でも気を散らすことなく確実な演奏。最も音は出てない口パク演奏のようですが
気負って、体壊しちゃうような演奏するドラマーもいますけど、この人は違います花の占めたる位置の確かさ
「あーもうサイモン邪魔 ロジャーが見えんだろ」

Duran Duranについてはくだらない記憶を探せばまだまだあるんですけど、
ひとまずわたしの思い出の中のグラビアの美青年の話は終わりです Fin




彼らのことを何と呼ぶ?/Duran Duran 3

2009年01月20日 02時11分08秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

Duran Duran???どう読みます?
でゅらんでゅらんですよね。でゅらん・・・
初めて何かのテレビで彼らが話すのを聞いて、自分というか日本人全体が間違っていることを知りました。
彼らは自分たちのことをでゅらんでゅらんとは言っていないではありませんか。
文字ではこう書くより仕方がないですが、じゅらんじゅらん。ここで発音記号が書ければいいのですけど・・・
そう、じゅらんじゅらんに聞こえます。
でもぉ、アメリカ人が言うと、『じゅ』じゃなく『でゅ』と言っているように聞こえる人もいるような。
まあそこらへんは、英語ならみな一緒のわたしにはよくわかりませんのですが、
当のDuran Duranさん方はじゅらんじゅらんと仰っているようなんです。
まあ、すごくどうでもいいことなのですけど、
日本に来て「デュランデュランのみなさんです」とか紹介されて「ジュランジュランなんだけどな」
とか思わなかったかと思いまして。実にくだらん・・・

80年代のDuran Duranはアンディとロジャーが脱退する少し前に、二つに分かれて
活動していたことがあります。まあ、本体と並行してと言ったほうが良いのでしょうか。
その辺りのことは詳しくないので、間違ったことを書いてもいけないので、中身には触れません。
彼らのファンで、またその中でも誰が好きかってことで、
このふたつの企画バンドは異なった意味を持っていたのだと思います。

しかし、後年残った三人で活動し、(しかも結構長く)また新たなメンバーを加えたり、
ジョンが抜けたり、と色々なことが知らない間にあったようです。
そんな知らない期間があって偉そうなことを言うのかと言われるのを覚悟で言っちゃうと、
もう三人になったとき、名義はDuran DuranでもこれはDuran Duranじゃあないなぁ
とわたしは思ったものです。
で、久々に全盛期のメンバーが集まってその雄姿を拝見して思いました。
多分、わたしは間違っていました

要のニックとボーカルのサイモンはずっーッとDuran Duranを続けてきたんだ。
うまくいえないけど、Duran DuranはDuran Duranでした。
悔しいけれど、一体何がだ?C C派だったからか?サイモンの歌声はずっーと歌い続けてきた人の声でした。
そう、バンドの中で歌うことに専念してきた人の歌声でした。
昔は粘っこくって好きな歌い方ではなかったけど冴えていて、いい声をしています。
そして、これこそDuran Duranの発音より言葉(文字)で表現するのが難しいけれど、
ソロのアーチストとして、歌い続けたり、演奏し続けたりするのとは異なったバンドの中の
誰かでいる輝き、バンドの中だから発すことのできる煌きがニックとサイモンにはあるように思えました。

中々、人と人との関係、音楽性などバンドって続けていくことは容易なことではないのでしょうけど。

ソロとして一番活動しやすいと思われるボーカリストのサイモンが、
サイモン・ル・ボンではなく、Duran Duranのサイモンでいてくれるってきっと
ファンの人はうれしいことではないでしょうか。
多分、解散と言う形はとったことがないこのバンド、ニックとサイモンに

本当は今日は彼らの曲について書くつもりだったのに、大したことは勿論言えませんが
どーでもいい発音の話なんかして長くなったので、も少しDuran Duranについてつづく

いくつもショック / Boy George

2009年01月18日 01時43分18秒 | ニュース
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

Duran Duran の続きを書く予定でしたけど、それは次回にして、昨日のBoy Georgeの裁判の評決、量刑言い渡しについて書きます。

すごくショック。
それはいろいろな意味で。

有罪の評決を受け、その罪状から最悪の場合は終身刑だと書いてあったけれど、
まあそこまで酷いことはないだろうし、懲役にいくことになっても月単位で、
せいぜい二、三ヶ月のことだろうと思っていました。
なので、昨年一年で、随分肥満度が高くなった印象を受けていたので、ヘルスファームにでも
入院したつもりで、時を過ごしてくれればいいなと思っていたのですけど、
実際のところ、 jailed ってことは投獄、つまり禁固刑ってことですよね。
しかも15ヶ月、一年以上ですよ。年が明けたばかりですけど、来年の今頃もまだ
刑務所にいなければならないのです。

もっとショックなのは『この有罪ゆえに、この80'sスターはおそらく厚いファン層を持つ
アメリカや日本での公演がもはや叶わないだろう』みたいな一文があったことでございます。
昔々、サーポール・マッカートニーが、大麻を持ち込んで、日本で捕まったことがありました。
その時、みんながもう10年は入国できないと嘆いていたのを覚えています。
その後、ボーイ・ジョージのヘロイン事件。
あのポールだってそうなんだから、ボーイ・ジョージを日本で観ることは最低10年はできないよ。
と、みんないいましたけっけ。その通りでございました。はい。

アメリカでオレンジのチョッキを着たとき、当分来日はないなと諦めましたが、
これで完全に道が絶たれたのでしょうか?そこのところはわたしにはわかんないなあ。
日本に来なくても、彼の音楽はちゃんと届きますし、来れないならこちらが行くまで。
その点においては15ヵ月後も円高ポンド安だといいのですが、
景気の面では・・・そうも言っていられないですね。

も一つショックなのはジョージのお母さんの容態が芳しくないらしいこと。
証拠を出して裁判を続けることで、お母さんに心労をかけるより、刑に服することを選択したとのこと。
ジョージのお兄さんによるお話のようで、お母さんはこれまでもう、充分に様々なことを通り越してきたので、
ここにきてこれ以上心を煩わすようなことをしたくないとジョージは言っているそうな。
割と、最近のインタビューだっただろうか、
「ジョンを愛していたのか」の質問に
「さあ、でもはっきりしているのは母親を想う(愛する)程には想っていなかった」というようなことをいってました。
80年代のあの事件のときもそうだったけれど、時々メディアに登場していたママさん。
いつまでも、いつまでもジョージのために元気でいて欲しいなあと見かけるたび思っていたので、
病気の報は気にかかります。
しかもこれから一年以上も会うことが出来ないなんて・・・・・。

ジョージが前科者だってことは周知のことですけど、わたしの知らないティーンエイジャーだった
頃の前科まで書いてあって、これはわずかにショック。

真実はわかりませんけど、この事件被害者の方が、有名人からお金を巻き上げたろ、
みたいな狂言説もありますが、そうもいかず、相手のほうも裁判費用なんか随分
かかっていると思うので、その賠償なんかも言われかねないんじゃないかと余計な心配しています。

わたしは、裁判フリークで国内のことなら少しはわかるんですけど、英国の法律や
刑務所のことはちょっとわかりませんが、
日本なら、みあったカロリーや栄養の食事がでて、運動の時間なんかもあって、
麦ご飯とか食べてむしろ健康的に過ごせる印象がありますけど、
欧米だと、ロールパン二個にりんご一個が「おら、朝食だぜヨ」ダンっっ。
と、勝手に想像してしまいます。あくまでも想像です

そう言えばいつ見てもタバコを指に挟んでいる印象があるんですが、
日本なら吸えないと思うけど、英国はいかに?
辛さはわかるんだけど、深く吸っている感じではないので禁煙できるといいね。

そんなわけで、しばらく断食道場にでも行ったと思うことにしよう。
とはいうものの、
今日の、復帰の道は厳しいような記事を読むと凹みます。

一つ言えることは、こんなことがあったにも関わらず、いつ聴いても彼の歌は素敵だということ。

日本なら模範的に過ごせば刑期も短縮されたりするけど、
ただ、閉じ込められているだけなら模範の示しようもないです。
頑張れ、くじけるなと遠い極東から念を送ります。





ひとりニューロマンテック/Duran Duran 2

2009年01月16日 00時44分57秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

Duran Duranはメンバーの出入りが結構あって、創始からのメンバーはNick Rhodes
とJohn Taylorだけだと思われますが、ジョンは一時期バンドを離れてていたので、
そういう意味では、ニックは唯一の存在です。
Japanのデビットシルビアンとハノイロックスのマイクモンローを足して二で割って、
小室哲也をトッピングしたようなイメージの人でした。一体どんな感じだ?

このバンド、いわゆるニューロマンティックという雰囲気は82年以降は薄くなっていましたが、
ニックだけはひとりニューロマっていう感じで、メイクはバッチリ、
いつも連れていた奥さんと同じ色の口紅をつけたりしていましたっけ。
結構小柄で、実際はどうだかわかりませんけど、ヒールなんか履いている場合は奥さんの
方が、頭一つ上にあるような誇大した印象が記憶に残っています。
Boy Georgeの顔が大きいとよく言われますけど、だったらニックも大きいよなと思ってました。

バンド創始からのメンバーだからか、要的な存在に見えていました。
フロント的役割を担っていたのか、マイクを向けられて困ったジョンが
「ニック答えてよ」みたいなことを言うと「あいよ」みたいな感じでテキパキとそつなくこなしていました。

当時公開された『Blade Runner』を観た彼が来日の印象で(多分、東京は)ブレードランナー
みたいな近未来都市を連想させるみたいなことを答えていました。
看板とかの少ない、ロンドンみたいなところにいるとそう思うだろうと妙に納得。

最後はAndy Taylorなんだけど、この人に対する印象というのが極めて薄くて、
80年代の全盛期のメンバーの中で最初に脱退したのがこの人だった気がするんだけど、
ロジャーの方が先だったのかちょっと記憶が遠くなっています。
足並みを揃えるのが苦手なのか、近年の全盛期のメンバーによる再結成でも、
真っ先に抜けたみたいで、現在は4人で活動中のようです。

アンディとロジャーが抜けた後も残りの三人でサポートを加えたりして、バンドは続くのですが、
それ以降のこのバンド歴史はわたしの中ではしばらく途切れて、ダイアナ妃の追悼に至ったわけです。

もうちょっとこのバンドのことは記憶があるので 次回につづく

そりゃもう、カッコよかった/Duran Duran 

2009年01月14日 01時15分28秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

そんな派閥はありませんが、83、84年から85年ぐらいの間、Culture ClubとDuran Duranは
人気を二分してカルチャークラブ派とデュランデュラン派みたいなものがあった。
わたしはカルチャークラブが好きだったけれど、
人気があったからデュランデュランを耳にすることはしょっちゅうでしたし、
レコードを買ってまでは聴かなかったけど、良い曲もありました。

とにかく彼ら、かっこいいんですよ。
丸坊主に詰襟の学生服を着ている隣の席の鈴木君や佐藤君とは大違い。
中でも、John Taylorのカッコよさっていったらもう・・・。
ベッカム、ヨンさまと言っている人の中にはジョンーッといっていた人もいるかもしれません。
背は高いし、細くて長い脚、小ぶりの顔、隣の席の鈴木君や佐藤君とは、別の生命体のようでした。
今見るとちょっと軽薄なチャラ男的にも見えなくないけど、美しい男です。
バンドの初期、彼はギタリストだったのに脱退したベースの変わりに転向したと聞きました。
わりにしっかり、ベーシストしていました。
アンディを立てていたような印象もありました。(あくまでもわたしの主観)
年取ったジョンは激変しているわけでもないのに、初めは誰かわからなかった。
体形なんかは昔のままだけど、顔がずいぶん違って見えます。どこが、どう変わったのだろう?
表情?美形の悲しき末路っていうのとも違うんです。何か別の人みたいなのです。
人としての経験とか成長が、表層的な部分に現れたのかもしれません。


ボーカルの Simon Le Bonも中々に良い男で、アメリカ人なんかにはジョンより受けたみたいですね。
やっぱり容姿で目を引くバンドだったことで、あんまり正当な評価を当時は受けていなかった
かもしれませんけど、今聴くとボーカリストとしても力のある人だと思います。
が、ちょっと80年代の彼は粘度のある歌い方で嫌いな人は嫌いかも。
でも、当時はそういう歌い方が主流の時代でしたよ。
今の日本の若い女性ボーカリストの歌い方がみんな一緒なのと同じようにね
当時わたしは、サイモンはプレスリーに何となく似ているなあと思っていました。
だから、将来はきっとおデブに成るだろうと思っていました。
ずーっとデュラン・デュランなんて忘れていたけど、去年か一昨年か本物の王子様方主催の、
故プリンセスダイアナの追悼コンサートに親交のあった80年代の王子様デュラン・デュランが
出演すると聞いて、きっと肥って腹の出たサイモンを観ることになるだろうと予感しましたが、
なんのなんの、そりゃ少しは恰幅も良くなりましたけど、お腹は出ていないし、遠目には昔のまんまよ。
サイモン、あなたはえらいよ。あの頃の少女の夢を壊していない。
おまけに、まあ、一般的には人間『結婚』することがあたりまえの私自身はそうは思っていませんが
人生の経験の一つとするなら、欧米の有名人は『離婚』もほぼ絶対的なひとつのように、
昔はあんなにいちゃいちゃ、べたべたしていたのにいつしか離婚しているんですよ。
ジョン・テイラーもその1人でその後再婚したみたいですね。(その後は知らない)
確認できた範囲では、ニックもそのようですね。英語だったから違っていたらごめん
でも、サイモンはまだヤスミンと一緒のようです。。これも英語だったから違っていたらごめん

何だか、有名人同士だったし奇跡みたいなカップルです。
あと、付けたしでサイモンのダンスはちょっと変だと思っていました。


で、わたしは一番贔屓していたのは、ドラムのRoger Taylor 。
すごくまじめで、繊細なタイプでした。
ドラムスティックをくるりっと回す姿を今でも思い出します。
でも、人気絶頂の頃、ちよっと疲れたから休むみたいな話で脱退。
当時、デュランデュランのファンだった友人の話によると、恥ずかしがりで、繊細な
彼は、キャーキャー騒がれることに疲れて、精神的に病んでしまったので田舎の
農家でしばらく休養するようだと言っていました。
確か、ロジャーはその少し前に結婚して、INROCKと言う雑誌の表紙か巻頭に
その様子が載っていたのを覚えています。
奥さんになった人はデミ・ムーア風の美人だったと思います。
気になったのは、ウェディングドレスを初めの写真ではきちんと着ていたのに、
式が終わってのみんなと一緒のスナップでは、ドレスのパフスリーブを引き下ろして、
肩を露出させてノースリーブ化していたことです。
まあ、あちらの方は式が終わったらそうゆう着こなしをするのかもしれません。
しかし、地味で静かなことを好む(ように見えた)ロジャーとともに、彼女が田舎暮らしを
寄り添ってできるだろうかと彼の隠遁を聞いたときちょっと余計にも心配したものです。
そして、その後のことは知りません。いかなる場合でも幸せでありますように。
ただ、彼はいまバンドに戻っているようなので、これはうれしいでことです。
あのまま消えて、田舎のおっさんになってしまったのかと思っていましたから。
見た目もあまり変わっていないようです。
日本に来日したとき、ジョンと『笑っていいとも』に出演したようですが、
学校に行っていたので観れませんでした。
観たかったなあ・・・・・。

眠くなったのでNick Rhodes、 Andy Taylorその他思い出したことは次回へ

James Bondと言えば・・・/007

2009年01月12日 19時21分11秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

http://jp.youtube.com/watch?v=fsiBhQ60rJE
まずは、何も言わずにこのビデオ。

007シリーズのJames Bondと言って思い出すのは、誰ですか?
わたしの場合は、初代Sean Conneryなんですが、世代的にはこのビデオに登場する3代目Roger Moore。
でも、スケベなエロ親父に見えて当時は嫌いでした。
2代目George Lazenbyは観たことがないんです

それ以降のJames Bondをきちんと観たことがないんですが、
次の4代目 Timothy Daltonがわたしは一番好きなんですよ。
だけど、世間の評価はよろしくないですよねえ。なんで?
ハンサムで、スマートで、タフで、スパイだから時に非情で、中々はまっていたと思うし、
彼が、ボンド役に決まった時、ぴったりだと思ったものでしたが、
先代のお二人よりずいぶん短いお勤めでした。

わたしは彼のことを『嵐が丘』のヒース役で知ったのですが、
やはり長編文学『スカーレット』のバトラーをTVで演じていましたっけ。
バトラーをやるから、ボンドを降りたと言っていた人もいましたが、どうなんでしょうね。
バトラーと言えば、クラーク・ケーブルのイメージが強すぎて、ここでも損しちゃった感じです。
でも、ちゃーんと観て下さい。当時の我が家ではテモシー・ダルトンに一票。
この方は年をとるほど素敵になっていくタイプだと思います。

80's世代のわたくしとしてはロジャー・ムーアについて語らねば。

スケベなキザ男みたいであんまり好きではなかった彼。
世界中の人からきっと愛されたであろう妖精オードリー・ヘプバーンの晩年、
何かのプレゼンターを務めた二人のやり取りが印象的でした。
オードリーをエスコートするロジャー。
「相変わらず素敵ね」みたいなことを言われて、
「君の横にいるのにふさわしくあるためさ」みたいな返答していました。
くーっ。キザですねえ・・・・・でも素敵ですねえ。そんな言葉出てきませんよねえ中々。
ちなみに歴代ボンドさんの中では、3代目だけど一番年上で、80才を過ぎてます。
いつまでもお元気で、素敵なおじいさんでいて欲しいものです。

人それぞれに自分の中のボンド像があって、そこら逸脱すると馴染むのには
時間がかかるかもしれませんね。
ブロンド、ブルーアイズのダニエルさんも苦労しているみたいです。
わたしも初めて見たときあまりにソフトな印象に好感を抱くものの、首を傾げました。

でも、これは基本中の基本なのですが、うっかり忘れていたことに気づきました。
そう、James Bondって英国人なのですよねえ。
歴代ボンドさん方もみんなブリテッシュな方達です。
初代、3代、5代(アイルランド)はアメリカっぽい印象を受けます。
2代はオーストラリアだそうですが、言葉のアクセントの面で苦労があったとか。
6代はそういう意味では嵌っているのかもしれません。

James Bondってスズキさんっていう日本人と結婚したことがあったそうです。
子供もいたらしいです。

次回は今日の冒頭で登場したミュージックビデオ、80's世代の王子様達Duran Duran
について書きます。




少々、拝借 / Billy Joel

2009年01月10日 00時36分32秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

二十歳を幾つか過ぎた頃だったでしょうか・・・
十歳位年上の素敵な人が、Billy JoelのStrangerは思い出の曲だと言いました。

ビリー・ジョエルと言えばわたしの世代はイノセントマン(An Innocent Man)
というアルバムがヒットして、わたしもクラスの男の子がダビングしてくれたので、
その頃はよく聴きましたが、それ以降は聴きませんでしたね。
わかりやすく、心地よい曲と胸を打つストレートな歌詞でたくさんの人に愛され、
ピアノとセットの優等生の洋楽という感じかなあ。悪く言えば面白みはないかもしれません。

それでもって、わたしのほんの半径3mくらいですが、ビリー・ジョエルという人物に対する
評判はあまりいいものではありませんでした。うーん何故だったのでしょうねえ?
何かそれについて彼らは語っていたようにもありますが、
全く覚えていません。ちゃんと聞いていなかったようにも思います。
だって、イノセントマンというアルバムは悪くないと思っていましたけど、
そんなにビリー・ジョエルに興味がなかったのですもの。

そんな感じで時が過ぎ、冒頭の年上の人の話を聞いて、Strangerを聴いてみました。
ちなみに、'77年の発売なので、軽く10年はその年から経っていました。
そりゃ思い出にもなりますよね
でもわたしにとっては、ちゃんと通しで聴くのは初めてでした。
アメリカっぽい曲だなあと一番に思いました。
アメリカ→夜→霧→高層ビル→バーボン→タバコ
意外にちょっと悪っぽい感じの連想が頭を巡りましたねえ。
当時は自分のことだけを考えていればいい気楽な年頃だったので、わたし自身も
羽を伸ばしていた短い期間でしたからねえ。お酒を飲んだ後なんかに聴いていました。
一体この曲の前でどんな出来事があったのかと、他人の思い出に思いを馳せつつ。

そして、2009年、Just the way you areが車か何かのCMで流れているのを耳にしました。
昨年から流れていたのかもしれないけど、年が明けて気づいた
改めて、いい曲ですねえ。この曲、邦題を 素顔のままで というのですが、
中々いいじゃありませんか。ねえ?
80年代の洋楽の邦題を馬鹿にする人って結構いますよね。
確かに時にはひどいのがあるんだぁ。でもこれしかないっていう優秀なのもありますよ。
イノセントマンの中だったら あの娘にアタック なんてわたしはすんなり捉えることができました。

80年代のある期間、聴いていたイノセントマンはその後一切聴いていないのに、
ストレンジャーは今でも時々聴くことがあります。
何となく小さくなりながらね。
これまでにも、ブームタウンラッツやボウイみたいに70年代から活躍していた人の
ことを書きましたが、冒頭に書いたような思い出があるせいか、
80年代あんなヒットアルバムを提供してくれた人なのに、何故かしらビリー・ジョエルは、
一つ上の世代の人からの借り物みたいな感じがして、ちょっぴり遠慮がちに聴いています。
そう、なぜか控え目なパッションしか示せないのです。

「スミマセン、ちょっとお借りして聴かせてもらっています」みたいな・・・


昭和が終わった日

2009年01月03日 01時25分23秒 | わたしの思い
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

新年おめでとうございます

気がつけば、平成の御世になり早20年。
昭和が終わってからは、何かを記入する際に指定がなければ元号を使って
記入をすることはなくなりました。
ほとんどの場合、西暦を使って元号で年を数えなくなったのです。
平成になっての20年間というのはわたしにとって、ポッカリ開いた穴のような期間でした。

昭和が終わった日、わたしは東京行きの飛行機に乗っていました。
あらゆる企業が喪に服すから飛行機も飛ばないんじゃないか、なんて心配されていました。
そこは、明治や大正が終わったときとは違って(知らないけど)飛行機は飛びました。
が、何かいつもとは違って妙に機内が静かで、薄暗い気がしたのを覚えています。
他に記憶があるのは、文房具屋さんで国旗を買っている人が結構いて、
各家庭でも半旗を挙げているのを見かけました。

しかし、自分は書きかけの論文の提出締め切りが迫っていてそれどころではなく、
ずっと機内でもそのことばかり気にしていました。
まだまだ、自分のことだけを考え、目先のことだけ考えてていればいい恵まれた時の中にいました。
前年から、昭和はやがて終わるかもしれないその日のことを学校の行事やなにかの
自粛で感じることはありましたが、
その当時は終わったことの感慨はありませんでしたね。
テレビコマーシャルで井上洋水が「お元気ですか」といっていた部分の音声が
カットされるというよく訳のわからない自粛もありました。

あの頃生まれた人が、その当時の自分と同じくらいの年齢になっているのですからね・・・
個人的な意見かもしれませんが、物心ついた頃から厳しい時代を生きてきて、
生まれた時代としてはあまり楽しい時代ではなかったかもしれませんねえ。
でも、その分早くから目的を持って頑張っている人も沢山いますね。
そういう場面に遭遇すると、日本もまだまだ大丈夫だと思います。


わたしの知らない昭和には戦争という大事もあって、いいことばかりではありませんが、
わたしの知っている昭和という時代はとても素敵な時代でした。
そして今になっても平成に馴染めずにいます。
平成も20年を終えてそれに加える新たな一年目。
そろそろこの時代にちゃんと足を下ろして歩かなくては・・・。

とにかく日々を丁寧に生きてみよう。それが今年一年の計。