前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

あのひとも、このひとも

2017年10月29日 18時06分05秒 | わたしの思い
ある症状がわたしを苦しめる。
結構これが辛い。困った、今日はそれがひどく出てしまって。
あ~またかと、腹をくくろうとした。
でも何とか治まってくれた。良かった。本当に良かった。

人間て不思議だ。知らない時はそれがどんな困難なのかわならないから耐えられる。
知っていると、あーまたこれを耐えるのかと、耐えることに付加がかかる。

生きている限りこんなことを繰り返していくのだろうな。
あのひとも、このひとも。

わたしは今日という一日をきちんと終わらせないといけないのだ。

『もう一度を』胸に、何かを構築しようと思い下準備してみたものの、
わたしのやり方はもう古いのだろうかとあぐねる。
このやり方が通用しないのなら、それはそれで仕方ない。
これを変える気はない。
この『変える気がない』で、わたしは失敗したのかもしれないし、
それを押し通す途中にいるのかもしれないし、
実際はいつも迷っているということなのだと思う。

まあ、大丈夫だ。今日は体調だって持ちなおしたし。

日曜日の今、仕事をしているだろうひとのことを思ってみた。




あの頃いつもわたしが聴いていた曲

2017年10月28日 15時11分19秒 | 音楽
朝からの雨が俺を昨日に走らせる・・・

この歌を知っているひとってどれくらいいることでしょう?
最近はコミカルなお父さん役が多い時任三郎さんの歌。
俳優としての認知度の方が高いことでしょうし、これはヒット曲というわけでもなし。

俺のバラード  というアルバムの中の一曲です。
今聴いてみると男っぽい、いい曲がたくさん入っています。
『風は激しく』とか『俺のバラード』とか。

俳優というイメージがわたしには強いけれど、立派なミュージシャンでもあると思うので、
こういう言い方は失礼かもしれないけれど、はじめてラジオから流れてきたウェディング・リバー
聴いたときには浜田省吾っぼいかなと思ったものです。

あの頃君が いつも聞いていた曲を今夜は偶然 FENが流した
これは俺のバラードの歌い出し。

今ではなかなか音源を手に入れることができないかもしれないけれど、
多くの人に紹介したい曲なのです。

なぜかこんな時代の心境なのです。
センチメンタルなね。

時任三郎ってわたしたちが思っている大学生のイメージだったな。
日に焼けて、背が高くて、青春を謳歌していて、悩んで。
彼女は十九 俺もまだ学生だった と歌っていたっけ。

これから行くはずの場所を見つめていたあの頃にいつも聴いていた曲。



人を戀ふる?いやいやまさか、シナモンスティックの香り

2017年10月28日 11時23分34秒 | わたしの思い
通院の後で何だかどっと疲れています。
何やらいつも同じことを考えている自分に気づいたとき、
あダメダメ、心を空にしないとと、自分に言い聞かせるのだけれどまた考える。

つまるところある人物のことが頭から離れない。
あれこれ思った後、その人のこころがいつも穏やかで、幸せならいい・・・と。

ある想念に取りつかれると、決まってあとの事はことは疎かになるので、
わたしという人間は大事な物はできるだけ持たないほうがいい。
空っぽになれ。

帰りの電車の中でぼんやりしていたら、あーいつも同じになる高校生をふと思う。
ちょっと?だいぶ太った女の子。前回の通院の時とシンクロニシティ。
プシュッという音と一緒に昔よく飲んだファンタグレープのフレーバー。
顔を上げるとその女の子が、カルピスソーダのグレープ味をグビグビ。
三分の一くらい・・・。あーこれは前にも見た光景だわ。
その時は、メロンソーダでしたっけ。
考えたら、この子のお母さんはわたしよりずっと若いでしょう。
しかし、毎日これをやられたら月に結構なジュース代ですね。
まあ、ジュースだけではないけど、親は大変です。
あーわたしも親の金でジュース飲んでいたわ。
水でも飲んでおくべきでした。反省。
制服のベストのボタンがはちきれそうなその女の子が、
残りのジュースを飲んでいました。
制服の中に楽しみが溢れて見えて微笑ましいこと。

十代って眩しい。
戻りたいとは思わないけれど。
わたしは田舎の高校生だったから、何もかも経験値は低いし、
十代の終わりには、寮生活を余儀なくさせられて、
縛り事も結構きつかったから、伸びやかな十代とは言えないし、
一人癖ができたのも、喧騒を好まないのもこれが起因していると思っています。
まあ悪いことばかりでもなく、そんなに勉強が苦にならないかな?
運動とかしないし、この頃から元気満々ではなかったからってことですけど。

暗く読んだ本のこととかをじっっくり考えたかったっけ。
無理してワイワイ言っていたっけ。
一度逃げ出したくなって、駅前にあった敷居の高そうな喫茶に入って、
背伸びしてカプチーノを頼んだっけ・・・。少しでも長く居たくて。
シナモンスティックがついていました。
高いコーヒーでした。ごめん、親って感じですね。
何だか勿体なくって、何度も何度もかき回した気がします。
何だろう?たった一杯のカプチーノが、それまで超えられなかった一線を
ポンっと飛び越えさせてくれた気がしましたね。
こういう時間を持つことができるのだって・・・。

それから後、自分でお金を稼ぐようになって、シナモンスティック付きの
カプチーノを飲んだ記憶がありますが、その時は誰かと一緒でした。
近年シナモンスティックにお目にかからなくなった気がします。
もっとも、ブラックコーヒーを好む様になってしまったからかもしれませんが。

今度、いいことがあった日に飲んでみようっと。
ちなみに、カフェって言葉使いません。
喫茶店という響きがいい。
わたしのイメージでは、70年代に学生生活を送っていたお兄さん、お姉さんたちの
世界みたいで、なんかちょっといいから・・・。

薬が変わって少し、今日は体が軽い気がする。
物事何でもいいように考えないと。






本当にどうでもいいこと、においで憂鬱になり、カフェモカに癒される雨の日

2017年10月21日 12時03分08秒 | 美容・健康
雨が続いています。
こんな日々を ああ、うっとうしい。
やる気が出ないと、仕方なしにこなしていくことは
きっと勿体ないことなのだろうけれど、寒さも加わって
自分に甘くなりがちなわたしは、グズグズしていて
やっと冬支度の絨毯に敷き替えましたが、何だか嫌な臭い。
天日に干したかったなぁ。
夏用のイ草マットはきれいに拭きあげましたが、
これは天気を待って一度風を通しましょう。
それまでちょっと邪魔だけど仕舞いません。

年々体力がなくなっていくので、干したり洗ったり、敷き替えたりの
作業を考えて、小さいものに変えていかないと・・・

それにしても部屋が嫌な臭いです。
わたしは嫌なにおいが大嫌いです。誰だってそうか
それだけで、やる気を削がれる。
もしかしたら、においで人間関係も悪くなったりするのでは?

香水やコロン、柔軟剤、こういったものは好みではない香りの人もいますが
まあ何とか我慢できます。時、場所、場合ですね。
わたしも香りはつけるので考えつつ、利用していますし、
ちょっと古いタイプなので、嫌われる可能性もありますから、
自分で楽しむ程度~傍を通ったときフワッと香る程度を心がけています。

このすれ違いざまのフワッとってすごく難しいものですけれど。
残り香っていうのが素敵な人が男性にも女性にもいて、
わたしは何年もその香りを追い続けているような気がする時があります。
そういう人は見た目も清潔感に溢れて、何もかも加減を知っていて
軽やかで素敵にみえます。
それだけ、自分自身に気を使ってケアしているのでしょう。
逆の場合のウンザリ・・・・というひとになりたくないなぁとは思っています。

もう恋も卒業しましたが、どんなにいい人だ・・・いい人だと周りが言っても、
においが嫌だったら、それはいい人で終わり、恋することはなかったなぁ
きっと言えないだろうし、それがストレスになると思うから。
ケアしているかいないかこれが重要です。気にしないひとは気にしないみたいですが。

あー、雨が上がらないかな。

最近、カフェモカに凝っているのである。何々?
と言ってもなんちゃって。
濃い目に入れたコーヒーに甘いミルクココアの粉、牛乳少々、
バラリとシナモンパウダー。
ストレスを感じているときにいい感じです。
美容とかアンチエイジング、わたしはアンチはしないことにしています。
逆らうより、年相応できちんとしていられたら…と思っていますが、
いやはや、体調次第でこのきちんがねぇ~。まあ、頑張ります。

もうずいぶん昔から、シナモンをパラっとは取っていました。
偶々ね。取り過ぎはいけません。パラっとが大事です。
40代後半ですが、目立ったシワはない?と思っています。
思い込んでいます。これが肝心。
さぁてと、頑張ろう。





冷たい雨と公衆電話と竹内まりやとグレープフルーツ

2017年10月14日 14時38分16秒 | わたしの思い
あの時も今もわたしはひとりだ。
べつにいいけど・・・・

少し肌寒くて、雨が降り始めて何だか惨めだった。
道に迷っていた。
一体どこに行こうとしていたのだっけ?
人生にも迷っていた。
いい歳して今も迷ってはいるけど・・・

来た道を戻って辿り着いた駅。
多分用賀の駅だったと思う。

当時は電話をかけるのが大変だった。
並んでやっと自分の番。
後ろに人が並んでいると落ち着かない。
いつも電話はBOXを探した。
誰かと話がしたかったのか。
義務的だったのか。
心は晴れず、雨もひどくなった。

誰とも分かり合えない気分だった。
ただそれだけのことだ。
よくあることだけど。

どこかで竹内まりやの『恋の嵐』がかかっていた。
馴染みのない街を傘をさし
『元気をだして』を歌いながら歩いた。
だからと言って元気は出なかった。

誰もが街に馴染んで、楽しそうに見えた。
探し物が見つからないまま歩くのにも疲れた。
仮住まいの場所に帰るしかなかった。

食べたくもなかったが、
朝食べたグレープフルーツのことを思い出した。
黄色。きいろ。
苦みが嫌いだと言うと友達が剥いてくれたっけ。
あら食べやすい。
昔は半分に切って、
砂糖かけて先がギザギザの匙で食べたよね。

溜息・・・・・

これは昔の何でもない一日の断片的な記憶。
覚えておく必要もないのになぜ思い出すのだろう。
いいことでもないのになぜ覚えているのだろう。

一日一日が消えていくのに。
もっと大事なこともあるだろうに。

ちょっとこころを入れ替えたい。
痛切にそう思っている。
まりやさんなら『もう一度』って感じだな
輝いていた頃のわたしに再び戻って・・・
let's try again







美少年のち?美少女にもらったレコード

2017年10月08日 17時08分10秒 | 音楽
美少年がこちらをじっと見つめている。
美少年が美少年でいられる時のはかなさ。

人の一生のはかなさ。

もう30年も前の話。
昔のレコードを友人にもらいました。
彼女は垢ぬけた都会的な女子高生で、
さみしげな美少女でした。

引っ越しの時に置いて来たと思っていたそのレコードが
でてきました。埃だらけになっていたジャケットの美少年。
彼の名前はレイフ・ギャレット / Leif Garrett
I Was Made for Dancin’/ダンスに夢中、
NEW YORK CITY NIGHTS、(田原俊彦の哀愁でいと)が有名ですね。
わたしは何故だかですが、韓国のチャングンソクくんを見ると彼を思い出します。

わたしたちが高校生だった頃はバブル前夜で
段々音楽も変わっていく感じがしていました。
わたしの知っているディスコというより、
わたしたちより上のお姉さん世代のディスコで流れていたであろう
レコードだったわけなのですが、
正直言ってしまうと、田原俊彦の方がいい感じですね。
こもった感じで音もあんまりよくなかったし・・・

その頃のレイフ・ギャレットはヤングアダルトスター?だったかな(・・?
そんなくくりの扱いを受けていた頃で、
若くしてスターになったことによる悪影響の中にいたような気がします。
今ほど情報がない頃なので、詳しいことは当時はわかりませんでしたけど。
金髪の巻き毛の美少年に影が落ちはじめていました。

レコードも処分しなければと思うのですが、
思い出が多くて中々・・・当時は学生に2800円は高かったし。

美少年でいる寿命って本当に短いのですよ。
もし今美少年を見つけたなら、しっかり心に焼き付けてくださいね。
で、短いから一層美しいということも今ならよくわかります。

もうすぐわたしの美しい友の命日。
彼女は30年前の美少女のままわたしの心の中に蘇ります。
その日は彼女にもらったレコードをかけて一杯飲みたいと思います。
大人になった彼女が何を思い、どんな気持ちに達して死を受け入れたのか
最後を迎えたのか・・・そんなことを考えながら。

わたしはあなたと歩いた新宿や六本木での出来事が忘れられない。
わたしもあなたも子孫を残せない生き方になったけれど、
あなたはわたしよりずっといろいろなものを残して世を去ったのでしょうね。
わたしは・・・・・


孤独と寂しさについて 日の名残りを感じつつ

2017年10月05日 17時49分32秒 | わたしの思い
ひとりでいることを孤独とは思わない。

むしろ孤独は誰かといるときに強く感じる。
締め付けられるように苦しく、とてつもない恐怖を覚えるときすらある。
とにかくその状況から逃げ出したい。

今、ひとりでいるこの時間、わたしはひどく穏やかだ。
時折車が行き来する音と、時計が刻む音だけがする。
間違いなく時が過ぎていることを意識する。

ひとりでいる状況を憐れむように『寂しいでしょう』というひとがいる。
こんなひとに限って、忙しいときつまらないおしゃべりで邪魔をしてくる。
時間泥棒。
あなたが寂しいだろうから・・・と、憐れんでいる。嫌だなあ。

大体、わたしはおしゃべりとか大嫌い。噂話とか、人がどーしたこうした。
どうでもいいことではないの。

『いいえ、ちっとも』心の中で答えるとき、
多分わたしはひとりの時間を大事にできないその人を軽く軽蔑している。
きっとお互い様だ。
ひとりの時間が時には自分を豊かにすることを知らないのだろうか。
ああ、全く気が合わない。この人こそ寂しいのだろう。
頑張って微笑むのだ。前回も言ったけど他人は変えられない。

寂しさならいつも感じているというひとがいた。それも堂々と。
何だかうれしかった。わが意を得たり!
ああ、ありがとうわたしの代弁をして下さって。
子供の時からいつもそう感じていた。
この寂しさはわたしだけのものであり、誰にも邪魔できないものだ。

気が合わない人と無理して付き合う時、随分と孤独だ。

寂しさをいつも感じていると言ったひとに会う時、
わたしは珍しくも心から笑っている。
作り笑いという鎧の必要がない。

こう言っては何だが、知る人ぞ知るという類の本を
読んで過ごす時間が大好き。

ずーっと以前はカズオ・イシグロってそんなイメージだった。
大変な賞を取ったことで、読み散らかされるとちょっと寂しい。
この気持ちがわかる人が好き。
でも、たくさん読まれる中で、これからこの気持ちをわかる人が
読んでくれると、これはうれしい。
おめでとうイシグロさん、どうかここで筆を止めないでください。

何言ってんだか・・・・・
ひとはみんな寂しい。それに気づいているひとがかわたしがは好き。
他人の寂しさを試したりせずに、それを嘆かないひとが大好き。
ひとりの時間に成すべきことを持っていることが好き。

わたしに執拗に寂しいと言わせたがった件の人物が、認知症になったという。
絶句・・・・・
この人はちょっとでも家族のいない時間をさみしい、さみしいと言っていた。
本なんか読む気もないし、読めないと言っていた。

一日の終わりを感じる夕方のこんなひととき、
ひとりの時間に成すべきことを持っていることの喜びを感じる。
その人がわたしのことがわからなくなる前に言っておきたい。
寂しいって悪いことと断定しない方がいいと思う。

 時は刻々と過ぎていく。






ひとの心の中は変えられない

2017年10月01日 17時48分31秒 | TV番組・CM
Yahoo!のニュースに保毛尾田保毛男の文字を見つけました。
正直なところわたしはあまりとんねるずは好きではありません。

あ、でも好きではないということも書いてはいけないのかしら?と、実のところ少し戸惑います。
昨今の風潮が怖いです。でも感じることの自由は許されていますよね。

そう、とんねるずは好きではないけれど、その昔保毛尾田保毛男というキャラを見て笑っていました。
それも結構おなかを抱えて・・・。だけどその笑いの中には誰かを差別したり、蔑視した思いは皆無でした。
でもこれを見て不愉快に思ったり、傷ついたりする人がいたということにも思いは至りませんでした。
単純に面白いものを見て楽しい気持ちになっていたということだけでした。
むしろもっと他の点でとんねるずの振る舞いが気になることはありましたけど。

同じ頃?少しずれがあったらすみませんが、ウッチャンナンチャンの番組で九州男児というキャラが
同じように楽しかった覚えがあります。
わたしも九州生まれですが、別にこれを見てバカにされた感も不快なこともありませんでした。

ひとは不快を感じるツボはそれぞれに異なるでしょうし、わたしだって他の人は思わなくても、
言われたら嫌なことはあります。でも、それが嫌だったから、いちいちその人に誤ってくれとは言いませんし、
例え、そういって誤ってもらったとしても、その人の心の中にあるその考えは変わることはないでしょう。

そう、この『思っている』という点が今回の問題なのでしょう。
これを観て差別意識を生み出すという点です。言い直すと、『思い始める』心を生み出すという点です。

Sexual Orientationは人それぞれで努力で変えられるものでもないので、
わたしは人それぞれでいいではないかと、ずっと10代の時から思っています。
なのに保毛尾田保毛男を観て笑いました。
もう一度自分に問い直してみても、保毛尾田保毛男を楽しいと思っただけで、
そこに差別意識を探してみても自分の中にはやっぱりみつけられません。
笑ったことが差別なのだと言われればもう返す言葉はありません。

最近は子供が真似をしたら・・・という言葉をよく聞きます。
昔も言っていたかもしれません。
でも、それを真似するのがいいのか、悪いことなのか判断できる人に育てることが
大人の役目なのではないのかなぁ。と、子供がいないので、批判されるかな。

ちょっと前に『意地悪ばあさん』の漫画を懐かしくて読んだのですが、
巻末に現在では不快に思う人がいるかも云々、作者はすでに故人で云々という
断りの文章が保険みたいに書かれていて、かえって気が重くなりました。

こういう謝罪とか断りが表現の世界に常に介入してくることは由々しきことなのでは。

最後にもう一度、謝ろうが何をしようが、その人の心の中は変えることはできません。
誤ってもらいたいあなたの心の中が自由で変えられないのと同じでその人の心も自由だから。
謝らせて解決するわけではないとわたしは思います。

むしろおずおず何事にも気を使って優等生発言する若い子たちの心の中が気になります。
あれから30年何も言えなくなる時代が来る気がしてちょっと怖いです。