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前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

こんなことで出してきて悪いけど/Paul Weller

2009年09月24日 02時20分22秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


NHKでやっいていた、白洲次郎の最終話を観ました。
今日は、知人が亡くなり、その死があまりに突然で、やりきれなく少しお酒が入っていて、
サラッと流し見。ほとんど、故人の在りしときのこと、それも笑って語れるようなことばかりを話しつつ、
その人が、「体にいいのよ」と言っていた、アボカドとピーナッツをつまみに。

女性だったら、白洲次郎と言えば、白洲正子の夫として次郎氏の名を知っている人は多いかも。
かく言うわたくしもそのくちで、あとはジーパンを日本人で最初にはいたであろうとか、
マッカーサー?GHQをして、唯一従順ならざる日本人と言われたとか、
吉田茂(タロちゃんのじいちゃんです)の下で戦後処理した人という認識でした。
この認識が、正しいかどうかは責任が持てないこと、お断りしておきます。

ざっと観た感想は、適当な言葉がみつかりませんけれど、戦前、戦中、戦後を通して、
まあ、そんな古い時代に(安っぽく聞こえるかもしれませんが、)こんなかっこいい夫婦が
いたんだなあということです。
言い方は悪いけど当時、まだまだ日本は国際的な位置づけは、
世界の田舎者だったと思います。その頃になんと、垢抜けた夫婦のあり方。
さらには、人としてのあり方もそうです。
方やカントリーライフを選び、必要あらば国政に関わる働きは『いざ鎌倉』の鎌倉武士の如く、
方や能に携ったりと、優雅さを忘れず、共に洗練されたものを保っていた印象。

白洲次郎を演じたイセヤなんとかさん、
以前、結婚、離婚前の○末○子と噂になっていたような(名前もはっきりしないのにくだらんことを)
彼の端整でシャープな顔を見ていると、誰一人賛同してくれる人はいないかもしれませんが、
わたしはポール・ウェラー/Paul Wellerを思い出してしまうのです。
勿論、ジャム/The Jamの時代は知らなくて、わたしの時代には
スタイル・カウンシル/The Style Councilのポール・ウェラーという冠がついていました。

ううっっ、すごく眠いので今日はこれにて・・・
白洲夫妻のことを書きましたので、ポール・ウェラーの奥さんや
スタイル・カウンシルの好きな曲について、いつになるかわかりませんがいつか書きます。
ちなみにわたしの好きなのはこれ http://www.youtube.com/watch?v=vZ84JxZvlrs&feature=fvst
The Style Council - Come To Milton Keynes

残念ながら埋め込みできないけど、似ていませんか?

優しく残酷な秋の夢

2009年09月22日 01時03分16秒 | 四季折々
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


あのひとの夢をみた。
もう自分ではすっかり忘れてしまっているつもりだったのに。
最近、チラッと見かけたせいかもしれない。疲れた風情だった。
もう昔のような特別な感情はない。
時というのは不思議なものだ。
初めての出会いは86年。印象的なひとだった。
二度目、なんて感じの悪い人だろう・・・。
そして二年が過ぎて88年、久しぶりに再会したそのひとは優しく微笑んでいた。

誰かに人生を左右されるなんて真っ平だと思うけれど、きっと出会っていなければ、
わたしの人生はもっと別の方向を向いていただろう。
わたしたちは時々びっくりするくらい同じようなことを考えていた。
でも、それが二人が同じ道を歩くために必ずしも必要なものではなかったことが、今ならわかる。
大人になったばかりだったわたしは、二人が一緒の道を歩くための切符のごとくそれに執着し、
そして信じ、すがった。

夢に出てきたあのひととわたしは肩を並べていても、心の中でわたしは距離をとる。
近づき過ぎないように、近づき過ぎないように、二人は絶対同じ道を歩けはしないのだから、
後がつらいよ近づきすぎると・・・夢の中の自分に言い聞かせる。
けれど、ただ同じ部屋に一緒にいらけることがうれしくて、うれしくて、うれしくて。
醒めることも、その部屋を出て行かなければならないこともわかっているのに、
うれしくて、仕事を中断してくれたあのひとにたくさん、たくさん話しかけた。
「何も期待してはいけないことはわかっているから」

優しい秋の夢に騙されてみる気にはなれなかった。目覚めたら、現実が必ずある。

ふるい日記にこんなことを書いた覚えがある。
  ((秋の夢はわたしに期待をさせて、いい気にさせて、肝心なところで覚めてしまう))

思うに、明け方ひんやりする季節、お気に入りの柔らかな毛布の心地よさが、
はじめは優しく、結果的には残酷な夢を運んでくるんだ。

もう恋なんてしないはずなのに、目覚めたときに恋していた頃のようにせつない。

そしてこんな夢をみるのは決まって秋恋や恋 われ中空になすな恋

恋っていうのは、やはりひとり悲しむ(孤悲)ものなのかもしれませんね。
幾つになっても思い出すと胸が痛いわ。

絶滅したのか/濡れた髪の女いや、学生カバン

2009年09月20日 01時53分34秒 | Weblog
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


ハクション、ハクションハクション大魔王~ ♪ 熱はないのでインフルエンザではないと思われますが、扁桃腺が腫れて鼻水が辛い

前回に少し付け加えをしてきました。そして・・・・以下
続き、西日の眩しい電車の中でサングラス越しに女子高生を眺めるわたし。
四人は電車に乗り込んできた時はワイワイ騒いでいました。
だけど、すぐに静かになっちゃった。携帯電話が出てくるともう話すこともなくなっちゃうらしい。
いったい何を見ているのでしょうね?なんだかつまんないの・・・・。

携帯電話が出てくるまでの彼女たちの行動をまとめてみると、鞄からはじめに出てきたのは
ボトルケースに入ったペットボトルのお茶かスポーツドリンク。
ごくごくとおいしそうに飲むのが微笑ましい、キャーキャーおしゃべり。幸せそうだなあ。
だけど、すぐに携帯電話登場。
静かになった彼女たちを見ていてふと、ある記事を思い出すおばさんであります。

『最近の若者はあまり頻繁に(毎日は)髪を洗わない』実際にはこんな見出しではないけど、そういう内容でした
これって本当なの?でもまんざら嘘でもない気がする・・・だって、だって四人中二人の髪が、
汗かいた後だからかな?何だかペットリ油っぽいのです。
ちなみにその記事によると、わたしたちの世代が一番髪を頻繁に洗っているんですって。
そりゃー朝シャンとか言っていた世代ですもんね。
朝シャン自体が減って、最近のマンションなどはシャンプー台機能が消滅しているって聞きました。
余談ですが、昔、びっしょり濡れた長い髪の毛で自転車に乗って駅までやって来て、
わたしと同じ通勤電車(当然混んでいます)に乗り込む女性がいました 側に立っている人は結構迷惑だったはずです 
彼女の湿り気にあたりたくないのでいつも別の車両に乗ったことを思い出します
斉藤由貴を太めにしたような、あるいは当時人気のあった漫画家松苗あけみを思わせる風貌の、
よくワンピースを着ていた当時30才くらいのあなた、心当たりがあっって今も朝シャンして電車に乗っているなら、せめてしっかり
タオルドライして下さい とにかく、びっしょりなんですよ 真冬でも 風邪ひきます 朝シャン・・・という時代でしたねえぇ


ええっと、えっと何の話だったっけ・・・
四人中、二人が下車。残った二人は会話もせず、携帯を眺めています。

ここで、やっと今日のお題、わたしの目は彼女たちのボトルや携帯の出てきたカバンに。
彼女たちは、スポーツバッグの様なものを使用していましたが、リュックの男の子も側に。
学生カバンというものは一体いつ頃から姿を消したのでしょう。大体、学生カバンってどんなものかわかります?
もう、カバンそのものが重くて、中に教科書なんか入れると手にまめができていました。
カバンをペチャンコに潰していると、不良もうこれも死語か?なんて言われるの。
わたしが高校の頃には、このカバンを持たずに登校すると校門に生活指導の先生が立っていて、
一々、注意していました。
カバンはあまり好きではなかったけど、そういう注意を受けることが面倒なので大体の人は
使用していました。わたしの場合は、土曜だけは荷物も少ないし、朝礼があったのかな?
その先生も登場しないので、学生カバンから解放されていました。

時は流れ、大学の夏休みだったか?高校生のいとこの勉強を見てあげて気づいたのです。
学生カバンが消えている・・・リュックサックを使っていたのです。
聞いてみるとそれが、極、当たり前の様子。

一体なぜ、一体いつから?ここで、わたしなりの勝手な解釈。
あのしつこく学生カバンを持たせたがった、先生が転勤していなくなったからだ。
そうに違いない。その時はそれで納得。

時が過ぎ、本当にもうどこにも見かけなくなってしまった学生カバン。
きっと、あのしつこく学生カバンを持たせようと校門に立っていた先生は既に定年退職したに違いない。
よって、学生カバンは消滅したのである。ジャンジャン、おしまい。

って嘘です。学生カバンは現存し、検索すれば購入できるところもでてきます。
が、ああいう重いカバンに教科書を詰め込んで登校する中高生は極めて稀でしょうね。

若き日、ラケットを振り回していたせいか、はたまた日課表を見るのが面倒で、
教科書が一杯詰まった重い、重い学生カバンを持って通学したためか右腕だけが
アンバランスに太いのでした。 本当におしまい。

そこは修羅場でした

2009年09月12日 01時50分18秒 | Weblog
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


遅い夏休み。出かけたのは福岡、九州国立博物館。
目的は、『興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展』を見るためです。
楽しみにしていたのですが、もう・・・挫けた。
大変な混雑ぶりで、とても芸術鑑賞するなんて状況ではありませんでした。
東京での混雑振りを聞いていたので、開館時間より前に行ったものの、
30分以上並んだし、阿修羅の周りはまるで大嫌いな満員電車みたい。
12秒ごとのカウントで阿修羅の周りを少しずつ移動して・・・何やってるんだろう。
眉間に皺を寄せた阿修羅から「ばーか」と言われている気がしてきた。
混雑の輪から抜け出るのも一苦労で、押し合いへし合いの中で
『おばさん』わたしその領域に入りつつあるけどと言われる人々の厚かましさ、醜さを強烈に感じました。
中でも一人本当に酷い人がいて、ちゃっかりいいポイントに収まって鑑賞していました。何だかすごく嫌な気分
今となっては正直なところ、本当に鑑賞してきたのかな?何の感慨もない・・・。ライティングも暗すぎて、ガラスごしでもいいよ、いつか奈良に行きたい

参考までに、これから行く予定の方へ
満員電車を想像していただければわかりますが、大きなバッグなどは持たないこと
チケットを購入して並ぶので、前売りを持っていると20分から30分並ぶ時間が短くなる可能性があります
1時ごろに出てみたら、エスカレーター下の大宰府近くのお店まで列がありましたし、
  日によっては見れないまま諦めて帰った人もいるそうなので、午前中には列に入ってないとね
平日でも混雑は変わらないらしいです
会期も終わりが近く一層混雑する模様、暑いので心構えを持って並んで下さい
テント、冷水、ミストの準備はあるけど、エスカレーター下の行列にはなかったと思います 団扇は貰えます
   すごく人と接近することになるので、 こんな人はマナーとしてマスクも必要かと
会場が混んでいるから当然ですが、記念グッズや図録を買うもの一苦労、品物に近寄れず見えず、挫ける。

小学生の高学年か中学生だったかな?以来に大宰府天満宮へ・・・骨董市を一巡りして、参拝。
おみくじを引きました・・・心だに まことの道に かなひなば いのらずとても 神も守らむ 本当?
人に限らず、前向きな新しい出会いがあるというようなことが書かれていました。
真の道にかなっているかはわからないけど、こうしか生きられないわたし。
信心深くないので祈ることもないけど、それで守られているなんてありがたいです。

他にも色々行きましたが、割愛。

どうやらはっきりしなかった夏が、これでわたしの中では終わり。
さて、日常に戻り、きちんと生きよう。
旅の終わりのローカル線、高校生の女の子が4人、途中から乗り込んできました。
西日の差し込む席で、わたしはサングラス越しをいいことに彼女たちをしげしげと観察。まるで変態みたい
あきらかに、わたしが高校生だった80年代とは異なる点がいくつかあります。
中でも気になったのが・・・・・次回、『絶滅したのか』につづく
 
追記
これを思い出すわたしは不謹慎?1:20 辺りです。

Dead or Alive You Spin Me Round


レコードみたく阿修羅さまのまわりをぐるぐる回ったし・・・



あなたならどうする?/Whitney Houston 2

2009年09月01日 00時16分54秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


前回の続きです。88年の日本武道館The Moment Of Truth Tour でのこと

ホイットニー・ヒューストン/Whitney Houstonはステージの後方やサイドのお客さんに
配慮ってして歌っていた覚えがありますし、 そういう席の人のこともわかって
いるんだから・・・っていうようなことを言っていたような気がします。

わたしもいい席が取れなかったのですが、少し前方にいたおっさんが、前の席の男女が
立ち上がるたびブツクサ「立つな」とか言うんですよ。  みんな立っていたんだけど
何だか嫌だな・・・と、こっちまで立っちゃいけない気になっていると、
女性の方がおっさんに反撃を始めました。(おっさんはどちらかと言えば男性の方を攻撃していた)
はじめは恋人同士かな?と思っていたので、だめな男だなぁ・・・なんて思っていたのですが、
どうも姉、弟の関係らしく、その時はお姉さまのその反撃っぷりが小気味よく拍手したい気分でした。
おっさん・・・みんなが楽しい気分になるためにやって来る所にたった一人で水を差しにやって来て、
一部の人(その周辺の人)を不愉快な気持ちにさている印象を受けましたが、
彼は彼で自分の愛しい時間のために、 彼のモラルを持って戦っていたのかもしれないなあ。

お姉さんが言いました、「あんたも立ちゃあいいじゃん」
無作法ながら、人の話に聞き耳を立てていたわたしですが、それ以上のことは覚えてないのです。
でも、今になって思うに、おっさんにはおっさんの立ち上がれない事情があったのかもねえ・・・

ここからはその後、ちょっと居心地の悪い思いをした経験なのですが、 あるとき知人に誘われて
ある俳優兼シンガーのコンサートに行きました。その人はその俳優の大ファンで、
ファンクラブにも入っていて、そこを経由してチケットを取ったらしく前から2列目のど真ん中の席。

わたしは、大してその俳優のファンではなくて、本当にお付き合いでした。
開演前、席に着いてずいぶんいい席だなあ・・・、こんなに近くで○○○○を見るなんて楽しみ。
ちなみに長身で今でも結構有名な俳優さんですよ
まあ悪くないか、なんて思っていたのですが・・・開演直前、見てしまったのです。
後ろを。気づかなければよかった ごめんなさい、何だかお化けでもいたみたいな書き方になっちゃって

わたしのすぐ後ろの席には、一目でそうとわかる重度の障害を持った女性が座っていました。
    
やがて開演。
はじめはバラード調の曲で一つ前の席の人達も座って聴いていました。
しかし、段々ノリのよい曲になって前の席の人が立ち上がってしまいました。
わたしの内心は[あーっ やめてくれぇー わたしはどうすればいいんだ]

後ろの女性は会場までおそらく車椅子でやって来たものと思われ、手拍子もままならず、
勿論立ち上がるなんて絶対できそうにありません。わたしが立ったならば・・・・・
それに、それに、不自由な体で精一杯おしゃれをしていて、そこからも彼女がどれだけ
そのひと時を楽しみにやって来たのか窺い知ることができます。きっと大好きなんだ・・・

わたしの心を察したらしい、隣の席の知人はわたしの手をとってわたしを立ち上がらせます。
多分その人は後ろの席の彼女にも気づいていたと思いますが、お互い終演後もその話が何となくできなかった

ごめんね・・・・・わたしの前の人も立っているし、お付き合いとは言え、
安月給のわたしには結構高いチケットだし、就職して初めてお給料を貰った頃でした
せっかくのいい席で楽しみたいし、ここだけポッコリ座っているのも変だし、
と色々心で言い訳はするものの、バラードが来ると即座に腰を下ろすわたしでした。

こんなとき、人はどうするんだろう?何が正解なんてないと思うけど。
無用かもしれない気遣いでちっとも楽しくなかったのは事実。

ここで、わたしが某俳優の大ファンだったならば、わたしの心に問題は発生しなかったはず。
いや、発生したにしてもね、「あなたも彼の大ファンかもしれないけど、わたしもそれ以上なんだ、
あなたもこの日を楽しみにしていたかもしれないけど、わたしだってこの日のために
辛い現実を耐えて、ここにやって来たの おんなじよ」と割り切れたと思うのです。

無論、彼女が立ち上がったわたしに対して、苦情を言ったわけでもなければ、
わたしが気にしたようなことは全て了解済みだったかもしれません。

近年、障害を持つ方々もそれぞれの権利を主張できる世の中に、以前より
増してなってきているかも?しれません。それは良いことだと思います

時々その主張の中で、みんなと同じにして欲しいというようなことを耳にすることがあります。
その皆と同じにするためには莫大な費用がかかり、希望が通らないときも稀ではないでしょう。
そんなとき思うのです。受け入れる方にはすぐ駄目だとはね付けるのではなく、
ケースごとに臨機応変さが必要だし、
権利ばかり主張するだけでも駄目だと思うのです。難しいケースは譲り合わなければ。
どこかに中庸の打開策があるはず。

例え、障害がなくても人と人との間には様々な意見や状況があって、
どこかでみんな譲り合って、折り合いをつけて生きています。
それが本当の意味で、『みんなと同じ』扱いだと言っては言い過ぎでしょうか?

重い障害を持ったあの人は、わたしに立ち上がることを許し、多少見えにくいときがあっても
同じ時間を楽しむことを許そうとしてくれた、と思いたい。
それに応えて、バラードでは瞬時に座り、立っている時は知人の方にできるだけ身を寄せて
見やすい隙間を作って、お互い譲り合ったつもりでいるのですが・・・難しい問題です。

ホイットニー・ヒューストンのライブのおっさんが何ゆえ『立つな』と主張したのか
その理由をちゃんと盗み聞きしとけばよかった。
そこに何らかの答えがあったかもしれない、なかったかもしれない。

どっちにしても、コンサートの内容は両方ともよく覚えてないけど。

近くあの時の俳優のコンサートがあるらしい。
あの時の彼女はきっと出かけるんだろうなあ・・・ちらりと見た細い腕を思い出す。

あの時わたしはどうすればよかったたのだろう・・・・