Yahoo japan!をホームページにしています。最近新聞をあまり見る暇がなくて、
世の中の動向をざっとこのホームで確認するのですが、
一体なぜ?というくらい藤原紀香が厳しく叩かれいます。
記事までは読んでいなかったけれど、いつも見出しに登場しているので、
読んでみると随分辛辣なことを言われている様子です。
以前はさっぱりした女優さんだなぁと思っていましたが、
40代を超えても、いつも肩剥き出しファッションで(印象)、
多分スタイルとかを自負してのことでしょうけれど、ちょっと
気持ち悪くなってきました。
この年なので、(まっ、紀香さんと世代的には変わりません)
たまに白髪染めのお世話になるのですが、節約のため自分染めで、
全体を染めるときは、藤原紀香の宣伝している泡タイプが一番の
お気に入りで、自分でも上手に楽勝。
伸びてきた部分を染めるのはもう少し安いのを使います。
って、ここではわたしの貧乏くさい話ではなく、話を元に戻すと、
白髪染めのコマーシャルなのに、なんか、クネクネと品を作った
お色気CMみたいで、嫌になって抗議の気持ちも含めて、商品はお気に入りなのですが、
最近使わなくなっています。
まあ、藤原紀香というより、CMの演出、作り手が悪いのだと思いますけれど。
他にも、そういう理由で買わないものってありますし。
でも、結婚、再婚してすごく幸せそうなところを、世の中から、随分な言われようなので、
わたしが思っているような理由からかなぁ・・・
と、特に興味なしでした。
何気なく彼女のブログを見て、あーこの人、かなり自分が好きなんだなぁと・・・
人の為という時も、どこか自分を強くアピールしている印象。
まあそれが、芸能人なのかもしれません。アピールして、気づいてもらわないと話になりませんから。
そして、自分が好きということは、とても生きていくうえで大事なことで、その方が絶対に楽しいはずです。
だけど、それが目に付く鼻につく人がとても多いわけなのですね。
わたしは、昔々観たインドシナという映画を思い出しました。
もう、深い内容は忘れていますけど、とても良い映画でした。
物語の初めだったか?
カトリーヌ・ド・ヌーブが生まれてきた孫を見て、「なんて醜い赤ちゃん」というようなセリフを言って
いたはず?それはなぜかというと、「かわいい」なんていうと神様が羨ましがって連れて行ってしまう
から?だから醜い醜い、っていわないといけないんだと・・・そんなことだったはずです。
(古い記憶なので、いささか自信なし)
まあ、昔は赤ちゃんが育つのが大変で、日本でも一度捨ててくると元気に育つとかで、
わたしの叔母も捨てられたそうです。もちろん、隣人に頼んですぐ拾って届けてもらったとのこと。
何で、こんな話になったのか?それは自分が幸福ならそれでいいのです。
それを過度に表現しすぎるとやっかみを受けるのではないかなぁと。
言い方が悪いけれど、幸福を見せびらかす必要はないということですが、
彼女の場合は芸能人ですからね。多少は仕方ないけれど、わたし個人としては
あーいつも見たいなぁというブログではありませんでした。多分もう見ないけど。
人によっては、彼女の書くことに敏感に反応してしまっても仕方ないと思います。
逆に良い方向にも反応するファンの方もいることでしょうし。
わたしは、ああいった芸能人の結婚会見とかに興味もないので、さっと流し見なのですが、
数年前、ある有名人同士のカップルの花嫁を見ていたら、彼女がとても無神経に見えてきました。
優等生っぽく、一点の曇りもないように語るはいいけれど、結局は自分の幸福が全面的で、
わたしも病気をしていて、そういった人の幸せの披露ををうっとうしく感じた部分もなかったとは言いませんが、
いい印象を受けなかったのを思い出します。
その花嫁の開けっ広げな幸福披露から数年が過ぎて、時折思い出すインドシナのド・ヌーブのセリフがふっと
このカップルに落ちてきた影に対して蘇ってきました。
幸福は見せびらかすものではなくて、静かに受け止めるものなのだろうな。
静かに嚙み締めるものなのだろうな。
そして、それをおすそ分けします。なんてブログには書かないこと
やっています。やっています。なんて言わずに静かに社会にお返しができる、そんな幸せな人にわたしはなりたい。
何故って?わたしも病気や困難を経験する以前、知らず知らず、時には無神経に悲しんでいるひとを見過ごし、
幸福を見せびらかしていたことがあったかもしれないからです。
今のわたしの幸福な時は、お気に入りの毛布にくるまって眠るときです。
あー一番幸せだとそっと呟きます。神様が羨ましがって、寝返りを打った時に
ベッドから毛布が落ちて、明け方のどが痛くて目が覚めました。
もっとそっと、呟かないと幸福は
秋は色々くだらないことを思うものです