現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です
どうも調子が悪かったり、クッキーを消したらIDがわからなくなったりして、( 馬鹿なわたし )
ずいぶん間があいてしまいましたが、わたくしごとから・・・はじめます
窓を開け放って、五月のさわやかな風を呼び込みながら古いロングスカートの裾上げ。
BGMはミッシェル・ポルナレフ。風に乗って鶯の鳴き声が聞こえてきます。今年は初めから上手に鳴いていましたっけ。
あーこんな風を感じて、自然に耳を傾けるのも悪くない・・・。あれれっ、わたしってこんなだったっけ?
わたしは田舎育ちのせいか、周囲にいくらでも、どこまでも田舎があるので、わざわざキャンプに行ったり、
山に登ったりする人の気が知れず、アウトドアは好きではありません。いや、はっきり言って嫌い。
それでもって、鳥の声なんぞ騒音にしか聞こえないタイプの人間でした。自然恐怖症みたいなところがあって、
将来はまた都会に戻るつもりでもいました。
まあ、きっかけになったことはここでは割愛。されど、あるきっかけにより、四季のある国に生まれて、
時々の自然の声、色、風などを感じてそれを楽しみ、愛しむ心が芽生え、それによって心救われることも知りました。
先日、以前なら、闇に飲まれていくようでワクワクしていた夜の街を歩いていて、どうも居心地の悪いものを感じました。
これらを総合してつくづく人っていうのは変わるものだなあ・・・と自分の中で不変であるはずであったものが、
意味を失っていく寂しさを感じつつも、それをしっかり認めたとき別の喜びと寄り添っている自分に気づき、まあ、いいものだと思うのです。
色々書きたいことがあるので、話が脱線する前に導き出したい答えを先に書いておきたいと思います。
人は変わるということです。でもそれは変化とは違って、成長するということ・・・いえ、気づくというのが一番しっくりする言葉かもしれません。
さてさて、またわたしの思い込みを書いてみたいと思います。
元々のわたしがそうなのか、『若さ』の劣化によるものなのか、尾崎豊の叫びが無意味な咆哮にしか聞こえず、
しらけた大人になってしまった自分って、ところで話しは終わっていたかと思いますが、
わたしはどこかで破滅型の人に惹かれるところがあります。尾崎豊がそういう人だったかどうかはわかりません
大胆な振る舞いができない者が見つめる、遠い場所にある憧憬みたいなものでしょうか。
その反面、大人やきちんとルールを守って堅実に生きている人を軽視しているような彼の視線が
どうも受け入れられない気がしていたんですよね・・・17才の地図の後半の歌詞を今聴くとそうでもないのかなあ。
尾崎豊が歌っているようなことはわからなくもないんですよ。むしろよくわかるかも。
でも、そんな自分であることを半ばあきらめつつ、必ずしも肯定はしていないから共感に及ばず。
進学校だったこともあるのですが、高校に入学してすぐさま思い描いていた高校生活と違って、
学校を辞めたいと親に呟いたことがありました。どうせ実行力もなく、辞めた後どうするかも
考えていないただのボヤきだということはお見通しだったのに、意外とちゃんとした答え、
「今は一日がとてつもなく長く感じられるかもしれないけれど、一年後にはうんと短くなるから続けてみなさい」
続けました
ある時、授業中にせっせと空想にふけっていると、先生のこんな言葉が耳に入りました。
「君たちは今そこに座って、こんな授業を聞いても将来は何の役にも立たないと思っているかもしれない」
思っているよ・・・
「・・・しかしね、そこに座っているだけでいい 一時間そこに座った、それに耐えたということが
将来の君たちにとって意味あるものになる いつか僕の言う意味がわかる時が来る」
よっしゃ、これからずっと座り続けるよ
こうしてわたしはまた思い描いていたものとは異なり、実現したときには裏切られるかもしれないけれど、後のことは考えず、
ただ進学することを一つ目の目標に、そして席に座り続けることをもう一つの目標にして休むことなく日々を過ごす決心をしました。
と、まあ大志を持って高校生活を過ごしていたような書きっぷりですが、よく読めば、よく読まなくても、
わかるように、ごく普通に、生真面目に、誰でもやっているように過ごしたわけです。
盲点かもしれませんが、尾崎豊を好んだ人はこんなふうに平凡に、時には不満も持ちながら、
大人しく席に座っていた人たちだったと思うのですよ。
そして、不満の部分を尾崎豊が代弁して叫んでくれていたのではないかと思うのです。
でも、そういう支持者を彼は叩いて、小ばかにしている印象をわたしは受けていたんです。すまんネエ・・・
しかし、尾崎豊とて、いつまでもハイティーンでいられるわけもなく、10代の心のままには
物事を感じられなかっただろうし、気づくこともあったはずなのに・・・薬物に逃避。だと思う いくら何でも、
興味本位でというような馬鹿な人ではないと思いたい
だから思うのですよね。尾崎豊自身が、そんな自分を「かっこいい俺だぜ」と思っていたのか?
自己嫌悪とかなかったのかしら?って。多分あっただろうって。
でね、もうひとつ推論。彼は自分の弱さを単に歌っただけよ。本当、ただ自分の心を歌っただけよ。
『なーんだ、ダメな奴だなあ・・・でも、そんな不満ならわたしだってあるよ』
これが、彼のファンに求めていた反応なんじゃないのかなあ・・・。神様みたいに言われりゃ苦しいよ。
そして、「カリスマとか何かの教祖みたいにみんな言うけど、全然そんな俺じゃないんだぜ」という
尾崎豊なら、それがほんとうの尾崎豊だったならば、案外好きだったかもしれないと思うのです。
多分、聞かれてそんなに考えなければ『尾崎豊?あんまり好きじゃないなあ』と答えると思います。
それはよく考えると、彼や彼の音楽が嫌いというより、その扱われ方が嫌いなんだと思い至りました。
まあ確かに彼の歌唱法や、重苦しいメロディ、作文みたいなちょっと字余りな感じのする歌詞は
わたしにとっては耳障りのいいものではありませんでしたけど。
だから、どこかで流れていたりの偶然以外でちゃんと聴いたこともないので、
かなり誤った解釈をして、かなり飛躍したことを書いているやも知れません。
卒業して思い出以外残るものがあるとしたら、『耐えてみる』という試みによって
『気づく』を知るのもその一つだと思うんですけど。
実際、同じ『卒業』を歌うのも、若い尾崎豊と晩年?の彼と聞き比べて、後の方が数段良かったですよ。
自分の中に間違えをみつけたり、ちょっぴり寂しげにも見えたり、諦念という人もいるのかもしれないけど、
刺々しさが消えて、ツッパリ棒を外した彼は同じ歌詞を歌うのに不思議な優しさを感じました。
『支配』とは歌詞を作った時とこの時では彼の中では異なるものになっていたようにも聞こえます。
これなのですが、いつ頃でしょうねhttp://www.youtube.com/watch?v=Phx4y8xhhlg
わたくし、今までも、これからも尾崎豊を愛聴することはないと思います。
しかしですね、これだけは自信を持って言えるんだなあ・・・
偶然、河村隆一が I love you を歌っているのを聴いたんですけど、
また、他の人が尾崎豊をカバーしたのを耳にすることが、極たまにありますが、
尾崎豊の曲は尾崎豊が歌うのが一番いい。正解でしょう?彼の心を歌うのは彼が一番でしょう。
Arlo Guthrie が古い映画で言っていましたうろ覚えです
嫌なことをしないのが僕の人生。その嫌なことから逃れることができたと思ったら、
今度は何をしていいのかわからない。耐えることのできた人にしかわからないことがある
と、席に座り続けることの意味は人それぞれ違うでしょうし、答えもしかり。
でも、逃げて得た自由は(something wrong)何か具合が悪い。やり遂げた爽快感、
自分の中で自分をとがめる気持ちがないことをわたしはひとつの自由と感じ、ひとつの自由と呼びます。
いつかわかると仰っていた先生の年をそろそろ追い抜いての、わたしなりの解釈かな・・・
尾崎豊の言っていた支配とは意味が異なるのかもしれないけれど、彼も自分の心からの解放を
どこかで感じ始めていたのではないでしょうか。
実に長くなりました。もうお気づきでしょうが、これは尾崎豊を非難するために書いているのではありません。
逃避癖のあるわたし自身への覚書として書き留めておきたかったことです。
でも一つだけ年寄りとして、非難させてもらうよ、豊くん。それはあなたがいないことです。
わたし自身10代の頃に大好きだった人たちが、様々な変化をとげていて、がっかりしたり、
胸が熱くなったり、時の重さを感じたりと色々ですが、そういう思いを包み込む
一番大きな思いが活動を続けてくれていることに対する喜びです。
尾崎豊はもう二度と誰かをがっかりさせるようなことはないけれど、40過ぎの尾崎豊が、
20代、30代を終えて気づいたことを歌ってくれないことが、ファンだった人は本当に残念でしょうねえ。
話を前回の冒頭に戻して、デビュー当時の吉川晃司はきっとアイドルみたいな扱いに対して、
いくらかは忍の字でいたと思うのです。
そこを耐えたから、やりたいと思って計画してきた方向を向いて、
今は気持ちよく進めているのではないでしょうか。
山登りの嫌いなわたしが言うのもなんですが、自分に対する厳しさを道連れに
耐えた者、登った者だけが見ることのできる頂上を目指して精進している印象を受けました。
尾崎豊が無計画だったかどうかはクエスチョン。
ifは決してないけれど、もしがあるなら、道の途中で計画をたてることもあったはずです。
と、ここまでで、それこそ無計画なわたくしの思い込みによる話は終わります。
この先は思い出の中のくだらないおまけ話
就職して間もない頃だったでしょうか?職場に或る特徴のある電話が時々かかってきました。
その特徴については書くことができませんしかし、その電話の主が名指しする人物は運悪く、いつも不在でありました。
あるときの会話、
「○○×さんからお電話がありましたけど、○曜日はいらっしゃらないとお伝えしてよろしいですか?」
「ああ、○××さんね。お会いしたときに○曜日はいないと言っておきます」
「○××さんでしたか・・・」
わたしはいつもその方の特徴ゆえに名前を聞き間違っていました。そこで、その特徴の理由を教えていただき、納得。会話は続きました。
「○××さんはさんののなんですよ」 詳しいことは書き控えます
「は の をなさっていてね・・・」 「 の ですか?」
「そう、でも今度ねもっと若い・・・何ていう人だったかしら、Kさん(わたくしのことです)ならご存知じゃないかしら、素敵な方よ 」
と、わかりづらい会話ですみませんが、その若い素敵な方と新たに仕事を始められることをはうれしく思っていらっしゃるようでした。
そして、上品な言葉の中に登場する『素敵な方』の特徴を繋げると、その人物が尾崎豊ではないかという結論に至りました。
「そうそう、たしか尾崎豊さんでした」 このとき写真集か本がどうのこうの言っていたような気がするようなしないような
目の前にいる年嵩の美しく、穏やかな人の語る人物と、わたしが勝手に抱いたイメージの乱暴者の、
暴れ者の尾崎豊との隔たりが大きく、別人。実際に乱暴者で、暴れ者だったわけではありません
尾崎豊よりの方に幾分興味があったわたしですが、ならば、尾崎豊ファンの友人のために
いつか、ライブでもあればチケットをお願いできないものだろうかなどと思ったものですが、
尾崎豊の経歴を見てみるに、それはとても短い期間だったようです。
しかし、考えてみると声しか知らない人から数人を介在して、わたしにとっては
尾崎豊が一番身近にあった瞬間と言っていいのかもしれませんね。
それから600日も彼はこの世界にいなかったのですから・・・ Fin
どうも調子が悪かったり、クッキーを消したらIDがわからなくなったりして、( 馬鹿なわたし )
ずいぶん間があいてしまいましたが、わたくしごとから・・・はじめます
窓を開け放って、五月のさわやかな風を呼び込みながら古いロングスカートの裾上げ。
BGMはミッシェル・ポルナレフ。風に乗って鶯の鳴き声が聞こえてきます。今年は初めから上手に鳴いていましたっけ。
あーこんな風を感じて、自然に耳を傾けるのも悪くない・・・。あれれっ、わたしってこんなだったっけ?
わたしは田舎育ちのせいか、周囲にいくらでも、どこまでも田舎があるので、わざわざキャンプに行ったり、
山に登ったりする人の気が知れず、アウトドアは好きではありません。いや、はっきり言って嫌い。
それでもって、鳥の声なんぞ騒音にしか聞こえないタイプの人間でした。自然恐怖症みたいなところがあって、
将来はまた都会に戻るつもりでもいました。
まあ、きっかけになったことはここでは割愛。されど、あるきっかけにより、四季のある国に生まれて、
時々の自然の声、色、風などを感じてそれを楽しみ、愛しむ心が芽生え、それによって心救われることも知りました。
先日、以前なら、闇に飲まれていくようでワクワクしていた夜の街を歩いていて、どうも居心地の悪いものを感じました。
これらを総合してつくづく人っていうのは変わるものだなあ・・・と自分の中で不変であるはずであったものが、
意味を失っていく寂しさを感じつつも、それをしっかり認めたとき別の喜びと寄り添っている自分に気づき、まあ、いいものだと思うのです。
色々書きたいことがあるので、話が脱線する前に導き出したい答えを先に書いておきたいと思います。
人は変わるということです。でもそれは変化とは違って、成長するということ・・・いえ、気づくというのが一番しっくりする言葉かもしれません。
さてさて、またわたしの思い込みを書いてみたいと思います。
元々のわたしがそうなのか、『若さ』の劣化によるものなのか、尾崎豊の叫びが無意味な咆哮にしか聞こえず、
しらけた大人になってしまった自分って、ところで話しは終わっていたかと思いますが、
わたしはどこかで破滅型の人に惹かれるところがあります。尾崎豊がそういう人だったかどうかはわかりません
大胆な振る舞いができない者が見つめる、遠い場所にある憧憬みたいなものでしょうか。
その反面、大人やきちんとルールを守って堅実に生きている人を軽視しているような彼の視線が
どうも受け入れられない気がしていたんですよね・・・17才の地図の後半の歌詞を今聴くとそうでもないのかなあ。
尾崎豊が歌っているようなことはわからなくもないんですよ。むしろよくわかるかも。
でも、そんな自分であることを半ばあきらめつつ、必ずしも肯定はしていないから共感に及ばず。
進学校だったこともあるのですが、高校に入学してすぐさま思い描いていた高校生活と違って、
学校を辞めたいと親に呟いたことがありました。どうせ実行力もなく、辞めた後どうするかも
考えていないただのボヤきだということはお見通しだったのに、意外とちゃんとした答え、
「今は一日がとてつもなく長く感じられるかもしれないけれど、一年後にはうんと短くなるから続けてみなさい」
続けました
ある時、授業中にせっせと空想にふけっていると、先生のこんな言葉が耳に入りました。
「君たちは今そこに座って、こんな授業を聞いても将来は何の役にも立たないと思っているかもしれない」
思っているよ・・・
「・・・しかしね、そこに座っているだけでいい 一時間そこに座った、それに耐えたということが
将来の君たちにとって意味あるものになる いつか僕の言う意味がわかる時が来る」
よっしゃ、これからずっと座り続けるよ
こうしてわたしはまた思い描いていたものとは異なり、実現したときには裏切られるかもしれないけれど、後のことは考えず、
ただ進学することを一つ目の目標に、そして席に座り続けることをもう一つの目標にして休むことなく日々を過ごす決心をしました。
と、まあ大志を持って高校生活を過ごしていたような書きっぷりですが、よく読めば、よく読まなくても、
わかるように、ごく普通に、生真面目に、誰でもやっているように過ごしたわけです。
盲点かもしれませんが、尾崎豊を好んだ人はこんなふうに平凡に、時には不満も持ちながら、
大人しく席に座っていた人たちだったと思うのですよ。
そして、不満の部分を尾崎豊が代弁して叫んでくれていたのではないかと思うのです。
でも、そういう支持者を彼は叩いて、小ばかにしている印象をわたしは受けていたんです。すまんネエ・・・
しかし、尾崎豊とて、いつまでもハイティーンでいられるわけもなく、10代の心のままには
物事を感じられなかっただろうし、気づくこともあったはずなのに・・・薬物に逃避。だと思う いくら何でも、
興味本位でというような馬鹿な人ではないと思いたい
だから思うのですよね。尾崎豊自身が、そんな自分を「かっこいい俺だぜ」と思っていたのか?
自己嫌悪とかなかったのかしら?って。多分あっただろうって。
でね、もうひとつ推論。彼は自分の弱さを単に歌っただけよ。本当、ただ自分の心を歌っただけよ。
『なーんだ、ダメな奴だなあ・・・でも、そんな不満ならわたしだってあるよ』
これが、彼のファンに求めていた反応なんじゃないのかなあ・・・。神様みたいに言われりゃ苦しいよ。
そして、「カリスマとか何かの教祖みたいにみんな言うけど、全然そんな俺じゃないんだぜ」という
尾崎豊なら、それがほんとうの尾崎豊だったならば、案外好きだったかもしれないと思うのです。
多分、聞かれてそんなに考えなければ『尾崎豊?あんまり好きじゃないなあ』と答えると思います。
それはよく考えると、彼や彼の音楽が嫌いというより、その扱われ方が嫌いなんだと思い至りました。
まあ確かに彼の歌唱法や、重苦しいメロディ、作文みたいなちょっと字余りな感じのする歌詞は
わたしにとっては耳障りのいいものではありませんでしたけど。
だから、どこかで流れていたりの偶然以外でちゃんと聴いたこともないので、
かなり誤った解釈をして、かなり飛躍したことを書いているやも知れません。
卒業して思い出以外残るものがあるとしたら、『耐えてみる』という試みによって
『気づく』を知るのもその一つだと思うんですけど。
実際、同じ『卒業』を歌うのも、若い尾崎豊と晩年?の彼と聞き比べて、後の方が数段良かったですよ。
自分の中に間違えをみつけたり、ちょっぴり寂しげにも見えたり、諦念という人もいるのかもしれないけど、
刺々しさが消えて、ツッパリ棒を外した彼は同じ歌詞を歌うのに不思議な優しさを感じました。
『支配』とは歌詞を作った時とこの時では彼の中では異なるものになっていたようにも聞こえます。
これなのですが、いつ頃でしょうねhttp://www.youtube.com/watch?v=Phx4y8xhhlg
わたくし、今までも、これからも尾崎豊を愛聴することはないと思います。
しかしですね、これだけは自信を持って言えるんだなあ・・・
偶然、河村隆一が I love you を歌っているのを聴いたんですけど、
また、他の人が尾崎豊をカバーしたのを耳にすることが、極たまにありますが、
尾崎豊の曲は尾崎豊が歌うのが一番いい。正解でしょう?彼の心を歌うのは彼が一番でしょう。
Arlo Guthrie が古い映画で言っていましたうろ覚えです
嫌なことをしないのが僕の人生。その嫌なことから逃れることができたと思ったら、
今度は何をしていいのかわからない。耐えることのできた人にしかわからないことがある
と、席に座り続けることの意味は人それぞれ違うでしょうし、答えもしかり。
でも、逃げて得た自由は(something wrong)何か具合が悪い。やり遂げた爽快感、
自分の中で自分をとがめる気持ちがないことをわたしはひとつの自由と感じ、ひとつの自由と呼びます。
いつかわかると仰っていた先生の年をそろそろ追い抜いての、わたしなりの解釈かな・・・
尾崎豊の言っていた支配とは意味が異なるのかもしれないけれど、彼も自分の心からの解放を
どこかで感じ始めていたのではないでしょうか。
実に長くなりました。もうお気づきでしょうが、これは尾崎豊を非難するために書いているのではありません。
逃避癖のあるわたし自身への覚書として書き留めておきたかったことです。
でも一つだけ年寄りとして、非難させてもらうよ、豊くん。それはあなたがいないことです。
わたし自身10代の頃に大好きだった人たちが、様々な変化をとげていて、がっかりしたり、
胸が熱くなったり、時の重さを感じたりと色々ですが、そういう思いを包み込む
一番大きな思いが活動を続けてくれていることに対する喜びです。
尾崎豊はもう二度と誰かをがっかりさせるようなことはないけれど、40過ぎの尾崎豊が、
20代、30代を終えて気づいたことを歌ってくれないことが、ファンだった人は本当に残念でしょうねえ。
話を前回の冒頭に戻して、デビュー当時の吉川晃司はきっとアイドルみたいな扱いに対して、
いくらかは忍の字でいたと思うのです。
そこを耐えたから、やりたいと思って計画してきた方向を向いて、
今は気持ちよく進めているのではないでしょうか。
山登りの嫌いなわたしが言うのもなんですが、自分に対する厳しさを道連れに
耐えた者、登った者だけが見ることのできる頂上を目指して精進している印象を受けました。
尾崎豊が無計画だったかどうかはクエスチョン。
ifは決してないけれど、もしがあるなら、道の途中で計画をたてることもあったはずです。
と、ここまでで、それこそ無計画なわたくしの思い込みによる話は終わります。
この先は思い出の中のくだらないおまけ話
就職して間もない頃だったでしょうか?職場に或る特徴のある電話が時々かかってきました。
その特徴については書くことができませんしかし、その電話の主が名指しする人物は運悪く、いつも不在でありました。
あるときの会話、
「○○×さんからお電話がありましたけど、○曜日はいらっしゃらないとお伝えしてよろしいですか?」
「ああ、○××さんね。お会いしたときに○曜日はいないと言っておきます」
「○××さんでしたか・・・」
わたしはいつもその方の特徴ゆえに名前を聞き間違っていました。そこで、その特徴の理由を教えていただき、納得。会話は続きました。
「○××さんはさんののなんですよ」 詳しいことは書き控えます
「は の をなさっていてね・・・」 「 の ですか?」
「そう、でも今度ねもっと若い・・・何ていう人だったかしら、Kさん(わたくしのことです)ならご存知じゃないかしら、素敵な方よ 」
と、わかりづらい会話ですみませんが、その若い素敵な方と新たに仕事を始められることをはうれしく思っていらっしゃるようでした。
そして、上品な言葉の中に登場する『素敵な方』の特徴を繋げると、その人物が尾崎豊ではないかという結論に至りました。
「そうそう、たしか尾崎豊さんでした」 このとき写真集か本がどうのこうの言っていたような気がするようなしないような
目の前にいる年嵩の美しく、穏やかな人の語る人物と、わたしが勝手に抱いたイメージの乱暴者の、
暴れ者の尾崎豊との隔たりが大きく、別人。実際に乱暴者で、暴れ者だったわけではありません
尾崎豊よりの方に幾分興味があったわたしですが、ならば、尾崎豊ファンの友人のために
いつか、ライブでもあればチケットをお願いできないものだろうかなどと思ったものですが、
尾崎豊の経歴を見てみるに、それはとても短い期間だったようです。
しかし、考えてみると声しか知らない人から数人を介在して、わたしにとっては
尾崎豊が一番身近にあった瞬間と言っていいのかもしれませんね。
それから600日も彼はこの世界にいなかったのですから・・・ Fin