前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

いつもきれいにしていたい

2019年12月30日 15時09分23秒 | 四季折々

いつもきれいにしているから、そんな必要ないのよ。

そう言いたいのだけれど、そうでもない環境。

なのに今年もやり残しのまま終わりそうです。

 

もう少し掃除をして、おでんを作る下準備。

おでん、カレー、おでん。カレーで数日さぼります。

昔と違って、スーパーも元日も営業ですから、何も困りません。

 

カレンダーをかけ替えて、お鏡も飾って、後は玄関とトイレ掃除。かな?

 

此の年は、わたし以外の人々が、それぞれその人なりに

一生懸命生きているということを思い知った年でした。

遅まきながら、何か一心に取り組めることを今求めています。

心身ともに強くなって・・・。

 

くる年の年末には、いつもきれいにしているから

そんな必要ないのよ、と言えるよう頑張ります。

 

数少ない今年関わった全ての人に感謝。

そして、ここを訪れて下さった方々、本当にありがとう

ございました。残り一日、そして新たな一年、

素敵な日々になりますように。


此の年に置いていきたい

2019年12月26日 18時36分09秒 | 何気ないこと

嫌な天気、こんな日は片づけをしても湿気を含んでしまいそうで、

結局この年末もいまいちスッキリしないまま終えそう・・・

もう少し慌てないといけない気もします。

 

もうずっと、物事が思うように進まない日々。

そんなに思い通りになる人もいないでしょうけれど。

ただ、わたしはグズグズ思い悩む時間が長いことは自覚して

いますから、これを改めてこの先を生きたい。

クヨクヨするのは今年に置いていこう。

 

実は昨日、この一か月間ずっと煩わしく感じていた件を

所用の後時間があったので、どうするか迷った末、

折角近くまで来たのだからと、解決に向けた行動をとりました。

結局、昨日解決には至りませんでしたが、

その糸口は見えました。

まだ、迷っている部分はありますけれど、

いつでも解決可能なのだ、そう思ったら気が楽になりました。

 

山ほどある悪癖、此の年に置いていきたい。

今夜は雨になったけれど、今年最後の新月ですよ。


給食ののクリスマスケーキや田舎のイルミネーションや

2019年12月24日 14時55分13秒 | 四季折々

Merryクリスマス

今夜はクリスマスイブ。明日は早朝から用事がありますので、

早く休まねばなりません。

クリスマスも何もないわけです。一応、高級アイスを買って

冷凍室に準備しておりますが、明日頂きます。

ワインをもらったから一緒に開けようかな。


子供の頃アイスデコレーションケーキを買ってもらっていましたが、

今考えると、あれ、おいしくなかったなあ・・・

今みたいに冷凍室も大きくないから、残った分は益々おいしくないの。


ケーキも今みたいにスポンジがしっとりしていなくてね

パサパサしていました。

給食のクリスマスケーキがこれまたおいしくないチョコレートケーキ

で、砂糖菓子のサンタさんとマズいチョコレート。


だけど、幸せでした。


今が不幸だとは思いませんが、幸せでした。

あのパサパサのチョコレートケーキが食べたい。

そんな気がします。


何故そんな風に思うのだろう?

何か特別な、心づくしの暖かさを感じるからかもしれません。

 

何やらどんどん世間からずれていく自分を感じていますが、

一応、四季折々の行事はひとりでも大事にしているつもりって、

前回の年賀状の話と矛盾するけれどねぇ。

 

20日の大安にお鏡や年越しそばを買ったから、

27日か28日に年末の買い物をして、しめ飾りを買ったら

今年の買い物は終わりです。

その帰りに、イルミネーションを見て来ようかな。

もはや、決してロマンティックなものではなくて、

寒いから車でサーっと通り抜けるだけにしますけれど。

そこは穴場でね、都会のイルミネーションとはまた一味違って、

時間が遅くなるとほとんど人がいないので、

じめッとした孤独ではなく、

何か清々しい孤独を感じるのです。


家族写真入りの年賀状、処分にためらう

2019年12月22日 18時49分41秒 | わたしの思い

前回の年賀状について続きですが・・・

毎年、わたしの場合、お年玉年賀葉書の抽選確認後、

此の年の分をいつもしまっておく場所にしまい、前年の物を処分します。

 

ここで、いつも思うことがあります。

家族写真入りの年賀はがきです。

 

何度も言わなくていいのですが、

わたしは今現在、結婚していません。そして子供もいません。

そういう写真を見て、羨ましいとも思いません。

そういうのに嫉妬するのだと思われると心外なので、

ここのところは、はっきりとさせておきたいの。

だって、そのご主人と結婚したいなど思わないし、

誰かの子供を見てカワ(・∀・)イイ!!とか

そんな思いも希薄で、どこか自分は欠けているのだろうと

反対に悲しくなるくらいです。

 

そんなわたしがいつも家族ポートレートの処分の時に思うのが、

おそらく、家庭の幸福を披露してくれているであろう写真を

どうやって処分すればよいのだろう?ということなのです。

近年は個人情報に神経質じゃありませんこと・・・。

ポイッと捨ててしまうわけにいかないから

シュレッダーの出番。

でも、この幸せ家族をサクサク切っちゃって、

何か不幸が及んだりしないだろうか?

そんな余計な心配をするの。

昨年は見えない紙袋に入れて、ガムテープでぐるぐる、

ゴミ袋の真ん中の方に沈めました。

ほんと、余計な心配なのでしょうけどね。

みんなどうやって処分するのでしょう。

 

考えてみたら、もし子供がいて、素敵な旦那様がいても、

わたしは、葉書は作らないだろうなぁ・・・

近年は身近な人には、メールで送って、こういった

年賀状も減っているでしょうし、実際、

子供のいる知り合いもいない年頃に自分がなったことで、

減りましたが、一応処分には気を使っています。

 


表も裏も印刷の年賀状、一言と言っても・・・

2019年12月21日 18時44分51秒 | わたしの思い

年賀状の季節、積極的には数年前から書きません。

どうして?

経済的な理由もありますが、心情からの方が大きいかな。

表も裏も印刷の年賀状が目立つようになった頃から

疑問に思うようになったのです。

 

「あー、年賀状書かないといけない」

こんなセリフを耳にするでしょう。わたしも言ったかもしれない。

無理して書かないといけない物なのだろうか?

こんな印刷物を明日会う人とやり取りするより、

直接、会って言えばいい。

この思いを率直に語れる人には伝えて、賛同してくれた人から

少しずつ書く枚数を減らしてきました。

 

元々、人付き合いの悪いわたしですし、

遠い親戚などには、生きているよという知らせのつもりで書いたり、

電話であいさつしたり、クリスマスカードを送ったり、

そして、どうしてもの人には、寒中見舞いではなく、

節分に立春大吉のご挨拶をします。

この方が落ち着いて書けるから。

言うまでもなく、クリスマスカードも、立春大吉も全て手書きです。

 

表も裏も印刷の年賀状について、

出さないよりマシ、という方がいます。

世間からピントの外れた人間の考えなので聞き流してもらいたいけど、

わたしは、そうは思わないの。

わたしはそういう年賀状なら出してくれない方がいいです。

そこに一言添えるから、という人もいます。

この一言もそこに心はあるのかい?の、書きなぐりのお元気?

ならば、無理しないでくださいとわたしは思うのです。

 

届く人には申し訳ないから、書かないといけない

そんな気持ちになるのです。

 

わたしの認識が正しければ、明治から始まったこの風習、

表も裏も印刷ならば、改元した今年、もっと考えて

みるのもよいのでは?

この話は次回へつづく。


所有しない贅沢

2019年12月20日 18時57分50秒 | 整理整頓

所用で昨日は街へ出かけましたが、着こみ過ぎで

暑かった・・・。このまま暖かいといいなぁ。

 

街は昔のような賑わいもなく、浮かれた雰囲気もありません。

みんな物を買いませんね。

だけど、消えていく食べ物などは結構贅沢をしているのかもしれない。

超リッチな高級食パンを買ってもらって、おいしく頂きました。

自分では絶対買わないから、食べ納めかもしれませんね(笑)

わたし、食べることにはあまり拘りがないからこういう贅沢は

思いも及ばず、只々感謝です。

 

そうそう、それとこれは自分で飲んでみたくて、

限定品のFamilyMartのいちごミルクを奮発しました。

果肉多めの贅沢なもの、しかしながら甘すぎでした。

甘いものは好きですけど、ミルクも多めでこってりしているから

甘さはもう少し控え目がわたしはよかったなぁ。

 

そんなわけで、言いたかったことから逸脱。

本当は、持たない贅沢について語りたかったの。

わたしは物を溜め込みがち、この先買えないかもしれない、

買えなくなるかもしれないという恐れからなのですが、

そんな心配がなければ、

わざわざ、来る予定もない客用布団なんて家に置かず、

その時に、レンタルでもするでしょう。

(しかし、この田舎にはそんなシステム無しですが)

その分家も広々、そういう贅沢、

つまり、持っていないけど、持とうと思えばいつでも持つことが

できるという心の余裕。そんな贅沢を

片付かない身の回りの小山を見て思うのでした。

 

今日はお風呂の壁と窓の掃除をして、

好きでもないブラウスを仕立て直し、十年着たベストと

温かくもない半纏を処分することにしました。

 

そして来週だと思っていた、今年最後のリサイクルゴミが

今日だったため出し忘れ、袋詰めのまま年を越すことになりました。

わたしっていつもこう、ダメだなぁ。

 


『終』そして、わたしはわたしでいい

2019年12月16日 18時44分56秒 | わたしの思い

今更ですが、今年の漢字・・・わたしバージョン。

は、『終』と決定。


今までの事象が改まるというより、一つの時代の終焉を感じる年でした。

これまで正しかったことが、そうでなくなったことも含めて。

それが良いことならばいいけれど、どうなのかな?と思うことも正直多いです。

 

わたしも、悪癖や悪習を此の年に置いていこうと思います。

どうすれば、より良い黄昏時を過ごせるのか、

じっくり考えて、整えて、新しく始められたらいいなぁ。

 

このところ自信喪失のわたしは、縮こまっています。

先ずは、「わたしはわたしでいい」と自分に呪文をかけて。

頑張ります。

 


回収ボックスはゴミ箱ではないのに

2019年12月10日 18時54分36秒 | わたしの思い

わたしの暮らす地域では、ずいぶん昔からゴミ捨ては有料で、

分別の数も多い方だと思います。

ペットボトル飲料を買うことはほとんどないのですが、

それでも時々はペットボトルのごみが出ます。

 

節約のため、プラ、ペットボトル、紙パックは車で出かけるとき

スーパーの所定のBOXに入れさせてもらっています。

ペットもお醤油のペットはダメと書かれているから、それはある程度

貯めてから決まった日に出すことにしています。

 

しかし、ルールを守れない人がここでもいるのです。

ペットボトルを洗わずにいれたり、ラベルを取っていなかったり。

 

昨日、一番腹が立ったのは、プラトレー。

BOXを開けたら何かプーンと嫌な臭い。

見たら、トレーを入れるボックスに、

洗っているとは思えないトレーがたくさん入った袋、

更に味噌の入っっていたプラスチック容器が、

濯ぎもせず、味噌が付いたまま入っていました。

ここはリサイクル回収ボックスで、ゴミ捨て場ではないのに。

 

BOXの中のルールを守っている人の思いが、

たったその一人のために台無しになってしまった・・・

そんな風に思いました。

急いでいたので、持ってきたものを片隅に入れて、

お店の人に申し訳ない気持ちになって、シュンとしました。

きっとこれを仕分ける人がいるのだろうなぁ。

ごめんね。

 

嫌だなぁ。

 


面倒くさい

2019年12月09日 18時33分34秒 | わたしの思い

もう、十二月も一週間終わってしまいました。

何だか何もかも面倒になってしまって…困るなぁ。

 

やっと冬物を出して、やっとお天気に恵まれて天日に干せました。

 

今日はお歳暮を一件すませました。

残り、二件。こういう鼬ごっこをやめたいのですが、

そうできない。

知人が、お歳暮に十万かかるというのを聞いて、

わたしならそれで、ふた月近く暮らせると思ったのでした。

 

底辺で生きていることを実感していますが、

どういうのかな?決して不幸ではないと思うのです。

∵こころが穏やかでいられる時間が多いから。

 

最近、更新を怠りがちですが、

師走の感じがしなくて、ちょっと散らかしているし、

もう、スマホも嫌になって飽きちゃったし、

(通信費も気になるし)

パーマを強めにかけたら、下品な感じになっちゃったし。

(ひと月もすれば落ち着くでしょう)

 

その日は大変になるけれど、おでん、カレー、あいだで鍋、

の繰り返しで、楽をしています。

 

このやる気のなさ、そんな年頃なのですが、

今、結婚していなくてよかった、と思います。

こんな家事状況だと、絶対嫌われちゃうでしょうし、

加齢臭なんか知らぬ顔でふりまかれたら、

中々言うことができずに、イライラするのだろうと。

 

完璧主義では決してないし、もはや理想も持たないけれど、

そんなものがあった頃の自分が見たら、

よくここまで落ちたものだという無様。

 

でも、その中でもささやかな幸運や幸福を見出していく、

見い出せる自分がいるからいいのだ。

まあ、やる気が蘇れば、そこでよりよく生きようと思える、

そんな自分がここに宿っていることを知っているので良いの。

 

頑張ろう。万事、体調を整えて。

 


良識は管理されるものではない

2019年12月04日 17時13分09秒 | わたしの思い

今、すごく昔の小説を読んでいるのですが、

会話文は言葉遣いが今と随分違うし、手紙文も

かなり違う気がします。

手紙文に関しては、随分、あからさまな気がします。

手紙は残ってしまうから、抑え気味にわたしは書くけど、

大正期や昭和では今のメッセージやメールみたいな感覚

なのかもしれませんね。

人間の営みはツールが変わっても変わりない。

 

それにしても・・・いまは正直に物を言えない時代だと。

わたしは最近そんな風に思うけれど、

もともと、正直に物を言っていた方ではないかもしれない、

だけど、意見は持っていて、肝心な時には自分の意見を述べていました。

今は難しいですよね。

自分なりの常識が通用しないときもあって。

常識まで押し付けられる時代になり、

思っていた未来とは本当に違う気がします。

 

未来はもっと伸び伸びと自由な物だと思っていたけれど、

思想まで統一させる、管理社会になっていくのではないか

心配。

いつの時代も、型はあった気がするけれど、

自分なりの良識で生きてくることができました。

でも、

ある朝、これが全ての人にとって正しいことです、

全員実行せよとなるのではないかと心配なります。

 

ある意味、戦時中ってそういう時代だったでしょう。

右向け右、別の方向を向こうものなら、

憲兵に引きずられて行くんだ。

間違っていると思ったから、そっちを向かなかっただけなのに・・・

 

わたしは意見は述べていいと思います。

それを正しいか正しくないか、

好もしいか好ましくないかの判断ができる人に

若い人にはなってほしいと思います。

 

命にかかわる問題なので軽々しいことは言えないけれど、

韓国の芸能人の自殺問題に、物思いました。

誰か一人が悪口を言った、

もしかしたら、事実でないこともあるかもしれません。

でも、言われた当事者は傷つきます。

言った方はそこまで考えて、悪口を言っていないはずです。

そこまで考えて行っているのなら、もっと悪いけど。

その悪口を観たり、聞いたりして、

同調して、同じ行為をするか、こんなことをしては

言われた人は傷つくと考えるか、

ここが大事だと思います。

 

それと、言われる側も見ないようにするという

選択もあるでしょう。

でも若い子だから気になるでしょうし、

見なくても、一々教えてくる余計な告げ口もあるのでしょう。

人前に立つ人は、ある程度の心構えがあって生きているでしょう

けれど、命を絶つほどの悪質な悪口、どんな内容なのかは知りません。

実に可哀そうです。せつない。

 

良識を身に着けないと、良識が決めごとになる。

こういう自由に発言する場も管理されるようになる。

考え物です。

実名で書くなら、このブログもやめるでしょうね。

 

話があちこち飛びましたが、要は管理されなくても

他人を傷つけることない良識を持とうということです。

わたしも、まだまだです。

 


家の老朽化

2019年12月03日 17時17分08秒 | 何気ないこと

寒いですね。ただそれだけ。

師走、全然そんな感覚がない。本当に今年は一年あったのでしょうか?

 

クリスマス用の飾り物を出そうかなと思っていましたが、

今日はとんでもないハプニングが起きて一日その修繕。

家のこと、本当に困ります。

これからどんどん老朽化して、色々起きるでしょうねぇ‥タメ息です。

自分でできることは、わたしの場合案外多い方だと思いますが、

どうしても、業者を呼ぶことになると今は出張費だけでも

馬鹿になりませんからね。

 

今は何をやるのも面倒くさく感じます。

だからといって、このままにしておくわけにもいかないことが

たくさんあります。

そんな感じの日々でございます。