前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

僕のこと知ってるでしょ?/ヤヌスの鏡

2010年05月28日 00時47分46秒 | TV番組・CM
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

親しげに笑いかけてきた人に見覚えはなかった。さっさと用を済ませようとするわたしに、
「どこかでおねえさんと会った気がするんですけど」彼は首を傾げた。
「えーっ、?そうですか」わたしは笑って俯いた。
あまりまっすぐ見つめられるのは苦手だし、ちょっと厭なことを思い出したから。
ずっと昔に会った陰気で、粘着質な男の眼差し。
懸念は無用だった。彼はそれ以上何も追求することなく、さわやかに去っていった。
きっと、自分の記憶違いに気付いたのだろう。まさかナンパでもあるまい。
それならばもっと若い子相手にするだろう。おばさんと呼ばれなくてよかった。(ホッ)

夏の午後だった、門扉に手をかけて庭に入ろうとした時、後ろから声がした。
「ちょっと待って」
若い男が自転車に乗って追いかけてきた。(ついでにわたしも若かった)
「僕のこと知ってるでしょ?どこかで会ってる」
どこから追いかけてきたのか知らないけれど、息が上がって汗ばんだ男の神経質そうな顔に見覚えはなかった。
眼鏡の奥の思いつめたような目の中に、何らかの魂胆を探ったがよくわからない。
大体、僕のこと知ってるでしょ?って何なの?
「さあ・・・知りません」
あまり関わりたくないと思ったし、買い物帰りで荷物が重かった。
「駅でだったかな、S駅の」
「・・・・・・?」
いつも利用する駅の隣駅だった。時々買い物に出かけることはあったけれど、目の前にいる男が視界に入ってきたことはない。
毎朝駅で会う、知らない人だけれど、知っている人々の顔を思い出してもみたが、そのメンバーに男の顔はなかった。
「ここに住んでるんだ」
まずいことに家を知られてしまった。普通ならばそんな男は無視するだけのことなのだ。
90年代に入り、世の中の軽薄さは深まっていた。普通に家から駅に行くまでの間や
コンビニから出てきたところで、この類の男にでくわすことはたまにあったが、もっとみんなカラッとしていた。

共通の入り口から入り、中庭を挟んで一軒の家とアパートがあり、わたしはアパートの一室の住人だった。
部屋を知られたくない。どうやってやり過ごせばよいものやら・・・。
中庭から家の方に進んでやり過ごすか、いやいや、付いて来たら他人の家に入っていくわけにもいかない。
「話がしたいんだ」
「ちょっとここじゃ困るんですけど」
暑さと、困惑でわたしは顔を抑えた。当時、いつもMr.ロンリーとの思い出の指輪をしていた。
細く狡猾そうな男の目がその指輪を捕らえたらしい。
「結婚してるの?」
とっさにわたしは嘘をつくことができず否定した。しまった、肯定すべきだった。
「結婚はしていないけど・・・とても好きな人がいるから」
そんなことを言って通用する相手でないことはわかっていた。一見、大人しそうな勉強ばかりしているような風貌だが、かなり図々しい。
下手な鉄砲数打てば・・・と、手当たり次第に同じようなことを言っているに違いない。
あるいは、性格異常者か・・・何にしても好きになれない目をしていた。

さて、どうしたものか・・・・
仕方ないので、少し歩きながら話をすることにした。どうも男はその界隈の土地勘はないらしいことが歩いているとわかった。
通りを一本変えて、わざとちょっと複雑な住宅街の中を歩いて、駅前の喫茶店にでも捨ててこよう。

しかし、この男、本当に見かけによらず、まるでモテ男みたいな振る舞いで、たった今会ったばかりだというのに
肩に手を回してきたり恋人気取りなのだ。そう、まさに『僕のこと知っているでしょ』状態で、まるで長い付き合いみたいに。
わたしにとってはまるで見知らぬひとだ。触られるのは抵抗がある。大体、この生活圏で、知っている人に見られたらどう説明すりゃいいの。
その頃のわたしはMr.ロンリーとの将来ばかり考えて、他の男なんぞ目にも入らなかった。
わたしにそんなことしていいのはMr.ロンリーだけだ。
「やめて下さい 困りますから」
ここで男は豹変。下手な鉄砲が外れたゆえの怒りか、男はわたしを罵倒し始めた。それもすごい剣幕で。
いやぁ、だけど本当に軟派な男ならば、こんな場合あっさり引き下がってさらりとしているはず。
たかだか触るなと言われたくらいで、ものすごい剣幕と形相。やっぱり性格異常者か。
腹は立つは、気味悪いは、暑いは・・・もう我慢ならぬと、その場に男をうち捨てて踵を返した。
この間わたしは無言だった。かなり頭にきて、腹が立っていたので喧嘩してもよかったが、言葉がでないくらい腹が立っていた。
初めからそうすればよかった。無言の勝利。無言の力を思い知る。男は追ってはこなかった。

冷たいものを買ってきたのがぬるくなってしまった。
変てこな男にちよっぴり傷つけられた収まりのつかない心。

その後、男が自転車を取りに来て、道に迷うのをチラと目撃、いい気味だった。


その昔、「ヤヌスの鏡」('85~'86)というドラマがありました。原作は漫画でした。
漫画はともかく、ドラマは言い方は悪いですけど、ちゃちなお粗末な、わざとらしい、くっさーい作りでした。
それなのになぜか見てしまう・・・魅力がありました。
まじめな主人公の中に宿る、もうひとつの人格が夜の街で暴れまくる?ような話だったような?
その『もう一人の人格』になったときのメイクは、笑いたくなる過去とか、
古くさっというレベルのものではその当時からなかった気がするので、今見たらもっとすごそう。
声もぜんぜん別の人が吹き替えていて、そうだなあ・・・
韓国とか台湾のドラマ(あまり見たことがないけど)を吹き替えでみているみたいな
ちょっと口元と音がずれているみたいな違和感がありましたっけ。

そんなわけでこれ名場面集 http://www.youtube.com/watch?v=jrI3Ewwp-T0&feature=related
今観てみたら、思っていたほどひどくありませんでした。
変身場面  2:41~3:46
わたしが一番印象に残っている場面  4:16~5:37


「僕のことしってるでしょ?」
「もしかして、夜の街で暴れまくってるわたしを見ましたか?」
と、でも言ってみれば逃げ出して行ったかもしれない。ところで、本当に暴れまくっていないよね?わたし。
今ならば、「知るわけないでしょ」と即答だ。





奇妙なシャツ/ラブソングができるまで

2010年05月17日 01時03分39秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

連休中、録画してあった『ラブソングができるまで』/Music and Lyricを観ました。
80年代の洋楽が好きなわたしにはたまりませんけど、
興味のなかった人や、当時を知らない人にはどうでもいい退屈な映画なのかも。

まず、主演の二人の話から。
わたしの知っている80年代のヒュー・グラント/Hugh Grantと言えば、大変な美青年でして、
『モーリス』/Mauriceという映画で主演の一人。
当時、『アナザー・カントリー』/Another Countryとか、道ならぬ恋愛というか、
衆道とでも言っておきますか、(わたし自身は、そういう恋愛があってもいいと思っています)
それがテーマの全てではないけれど、何本かのイギリス映画が話題になって、
素敵な俳優陣やイギリスの風景といった、美しいもの見たさにそういった
単館上映される映画を 学校の休みに付き合いのいい友人に恵まれ観に行ったものです。


ドリュー・バリモア/Drew Blythe Barrymoreは82年の大ヒット映画『E.T.』の子役。
この映画、リアルタイムでは観ていませんで、公開から数年後に見た記憶があります。
自分からはあまり選択しないタイプの映画で、ひねくれ者なのか、ヒット映画って
予告の段階からあまり、観たい!!!!と心躍るようなものが少ないのです。
実際観ても『タイタニック』/Titanicは嫌いだったし、宮崎駿もあまり好きではないし、
最近話題なった『アバター』/Avatarは観たいとも思わないし・・・おっと、話が逸れました。
そんなわたしが、モーリスを観ていた頃には、
「E.T.の子役の女の子はアル中なんだって」という噂が流れていたような気がします。
ヒュー・グラントの方も、美形としての登場が、役柄を広げていく上で障害になったのか、
共に、低迷していた時期があって後、互いに確固たる地位を築いていることは言うまでもありません。

はじめに書いたようにこの映画は当時を知り、当時を楽しんでいた方のみにおすすめいたします。
圧巻は、始めと終わりに流れる、ちょっぴり安っぽい当時のミュージックビデオを模した、
ヒュー・グラント演ずるアレックスがボーカルを勤めたPoPなるバンドの「恋は突然」/Pop! Goes My Heartの
プロモーションビデオ。(わざとらしい下手な演技も当時の雰囲気を出しています)
デュラン・デュラン/Duran Duranのサイモン・ル・ボン/Simon Le Bonのようないでたちや動き、
懐かしくもあり、笑いたくもあり、映画自体があの時代に対するオマージュ(敬意)なのか、
嘲笑なのか?自分自身の心にも疑問を抱きつつ、観ていて楽しくて仕方ありませんでした。

あと、まるでワム!/Wham!のアンドリュー・リッジリー/Andrew Ridgeleyが
「ワムのジョージ・マイケル /George Michaelじゃない方」という言われ方をされているような
扱いが、アレックスに被されている感じです。

ドリュー・バリモア演ずる、当時をあまり知らない若いソフィーに「奇妙な服装と髪型」と
言われる当時最先端のスタイル・・・・・
昨日の新聞にも散々に書かれていた、鳩山首相のプライベートの色とりどりのチェックのシャツ。
(別に箪笥の肥やしをひっぱりだしてきたわけではないでしょうけど、散々な扱いです)
あれをはじめてみた時、わたしなんぞは既視感?いやいや、実際過去に見ていたぞ・・・
という懐かしくはないけど、既知のモノとして捕らえ、手繰り寄せてみるとどうもそれは80年代。
でも、当時を知らない人にはきっと奇妙なシャツなのですね・・・ん?
知っててもあれはどうなんでしょう・・・コメントしづらいし、庇う言葉がみつかりません。

最高にかっこよかったものが、笑いものにされるというのも時を計るひとつなのかも。

映画にしても人にしてもですが、芸術は時の経過とともに再評価や価値を上げるものもあります。
ファッションっていうのは厳しく、遠へ放りやられている期間の扱いはひどいもので、
大抵は捨て去られます。出番を失った箪笥の肥やしを拾い上げてくれる時代の到来はあるのでしょうか。
銀行利子が上がるのを待つと同じくらいに長く、厳しいかもしれないと、
Popのビデオ観て笑ってしまった自分に言い聞かせるのでした。

笑っちゃうけどいい時代だったんですよ。
なんだかすごく眠くなってきました。変てこな文ですがそのまま投稿することにしよう。

今日は簡単な健康検査をしてもらいました。なんと、身体年齢28才。自分でも驚き。
映画の中のアレックスのショーにキャーキャーいっている年代なのですが。

そうだ、そうだ、これ。忘れていました。ペタッ
PoP! Goes My Heart - 80's Parody - Hugh Grant


たちあがってみる

2010年05月03日 01時08分51秒 | わたしの思い
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

今年の桜は、寒空の中を何日も耐え、美しく咲いていました。
気が向かない中、誘われてお花見に出かけました。
風の中、花吹雪が舞います。「わあ、見てごらん きれいだ」誰かの声。
それはそれは、見事でした。だけど、せつない。
『これが嫌なんだ この胸の痛むような何かが』わたしの心が呟きました。

言い様のない心に痞えた何かの正体を探ってみます。
それは重苦しく、暗くて、春だからウキウキするなどという明るさとは対極の
かなり陰気なものなのですが、決して悪いものではなそう。

ニュースを見ては落ち込み、天候で落ち込み、友人のメールで落ち込み、
人の噂話に落ち込み、この世は落ち込む要素に溢れている、と落ち込みます。

暫くの雨降り状態からは抜け出せたものの、曇りがちな心のなかに
ある日、ひとすじの光明が・・・というか、たっ、たちあがれ日本という言葉が響いてきました。

ああ、最近心にかかっていた重たい雲の正体は、日本人故の感傷だったのです。
 静心無く散る桜に揺す振られたその感傷。わたしが傷つくのは憂国 ゆえ。

大体わたしは政治に対する関心は乏しく、大半、諦念。
小市民が声をあげても、悪代官はのさばって、いいようにやるのが大昔からの相場。
どうせもう一絞りされる油粕。入札などで世の中は変わらぬ。
だから、そんなに期待もしない。仰るままにいたします、というくらい意識が低いのです。

そんなわたしの目や耳にも、政権交代して後のあり方は疑問です。
結構この国の人達は、頑張っている気がするのですがね。
わたしの気のせいでなければ、たった数ヶ月でこの日の本の国は、
以前に増して一層輝きを失った気がするのです。そりゃあ、長き積み重ねの末なのでしょうが加速がついたというか
今なら何とか頑張り屋さんたちが、つぎはぎできるかもしれないぎりぎりかもと。

そこで聞こえてきたのが、たちあがれ日本だったのです。
年寄りだの、古いだの、立ち枯れだの言われ、その政策もわたしはわかっていません。
ただ、これまで培った経験を生かし、政治生命をかけてと仰った老先生の言葉のみ支持。

経済学者とかなんとかかんとか、よくわからない肩書きの方々が
インフレーションが起きたらとか、とんでもない日本の未来予測してくれます。
未来を予測するとき、過去の事象ほど役に立つものはないのではなかろうか。
失敗を立て直すとき、過去の経験ほど役に立つものはないのではなかろうか。

年寄りだろうが、古かろうが、ドンキホーテになろうが悪くない気がしました。
同じ三振でもバットを振ったならば、見送りとは違って立ち枯れとは言いません。
立ち上がれと呼びかけた時点で評価していい気がします。
繰り返しますが、政策については全く知りません。
経験を生かしてと仰るならば、過去の良くない点は反省して下さるはず、なので。

そんなわけで、渋々年貢を収めるのみであることは変わりませんが。
選挙のときから支持はしていませんが、この場でアンチ民主党を宣言します。
と、まで言ってしまっていいのかわからず、支持する政党も、確固たる意見もありませんが、
ここに不得手な政治ネタを書き込むことは諦念のみではなく、
微妙にわたしは立ち上がったのかも?日本人の端くれとして・・・・・
自民党を支持しているわけでもなく、やり場のない思いを、みんなの党にもっていくわけでもなく、
ただ、たちあがれという言葉と経験という言葉に反応しただけのことです。

こうしている間にもまた新党が旗揚げのもよう。五月に入りました。どうするね?鳩山さん。

日々の小さなことに落ち込むわたしは、過去に楽しいものは落ちていないか探してみました。

RiO (80年代の雑誌です) 1985.8月号 より
Frankie goes to Hollywood/フランキー・ゴーズ・トウ・ハリウッドの
Holly Johnson/ホリー・ジョンソン、インタビュー記事

『日本人てぇのは、みんなテレビ付きの時計を腕に巻き、ミッキー・マウスの帽子を
かぶっているのかと思ってたぜ。それにしてもなんなんだ、この天気は。
日本にゃあ雨しか降らねぇのか。おまけに桜の花も咲いてねぇじゃないか。
まったく、こんな空気の薄汚れた町でよくもまぁ生活していけるもんだ
酸素ボンベはどこに備え付けてあるんだ?』

まあ、毒づいたジョークだったのでしょうけど、ミッキー・マウスの帽子はともかく、
テレビつきの時計を腕に巻き、というのは老若男女に関係なく、携帯電話を持ち歩き、
人によってはそれでテレビも楽しんでいる時代になってこの印象は笑えました。
この雑誌、八月号なので、来日はきっと梅雨だったのでしょうね。桜はあるわけないね。
日本の都会の空気も当時よりはきれいになったのかなぁ・・と、
チャイナのオリンピックや、万博の模様を見て思うのでありました。

書きかけては止めてばかりで、ゴールデン・ウィークに突入してしまいました。
久々なのに、全然まとまっていないなあ・・・・。
予定のないわたしは、こんなご時世なので節約をしようと思います。
みなさん、心やすまる休日をお過ごしください。