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前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

『終』そして、わたしはわたしでいい

2019年12月16日 18時44分56秒 | わたしの思い

今更ですが、今年の漢字・・・わたしバージョン。

は、『終』と決定。


今までの事象が改まるというより、一つの時代の終焉を感じる年でした。

これまで正しかったことが、そうでなくなったことも含めて。

それが良いことならばいいけれど、どうなのかな?と思うことも正直多いです。

 

わたしも、悪癖や悪習を此の年に置いていこうと思います。

どうすれば、より良い黄昏時を過ごせるのか、

じっくり考えて、整えて、新しく始められたらいいなぁ。

 

このところ自信喪失のわたしは、縮こまっています。

先ずは、「わたしはわたしでいい」と自分に呪文をかけて。

頑張ります。

 


回収ボックスはゴミ箱ではないのに

2019年12月10日 18時54分36秒 | わたしの思い

わたしの暮らす地域では、ずいぶん昔からゴミ捨ては有料で、

分別の数も多い方だと思います。

ペットボトル飲料を買うことはほとんどないのですが、

それでも時々はペットボトルのごみが出ます。

 

節約のため、プラ、ペットボトル、紙パックは車で出かけるとき

スーパーの所定のBOXに入れさせてもらっています。

ペットもお醤油のペットはダメと書かれているから、それはある程度

貯めてから決まった日に出すことにしています。

 

しかし、ルールを守れない人がここでもいるのです。

ペットボトルを洗わずにいれたり、ラベルを取っていなかったり。

 

昨日、一番腹が立ったのは、プラトレー。

BOXを開けたら何かプーンと嫌な臭い。

見たら、トレーを入れるボックスに、

洗っているとは思えないトレーがたくさん入った袋、

更に味噌の入っっていたプラスチック容器が、

濯ぎもせず、味噌が付いたまま入っていました。

ここはリサイクル回収ボックスで、ゴミ捨て場ではないのに。

 

BOXの中のルールを守っている人の思いが、

たったその一人のために台無しになってしまった・・・

そんな風に思いました。

急いでいたので、持ってきたものを片隅に入れて、

お店の人に申し訳ない気持ちになって、シュンとしました。

きっとこれを仕分ける人がいるのだろうなぁ。

ごめんね。

 

嫌だなぁ。

 


面倒くさい

2019年12月09日 18時33分34秒 | わたしの思い

もう、十二月も一週間終わってしまいました。

何だか何もかも面倒になってしまって…困るなぁ。

 

やっと冬物を出して、やっとお天気に恵まれて天日に干せました。

 

今日はお歳暮を一件すませました。

残り、二件。こういう鼬ごっこをやめたいのですが、

そうできない。

知人が、お歳暮に十万かかるというのを聞いて、

わたしならそれで、ふた月近く暮らせると思ったのでした。

 

底辺で生きていることを実感していますが、

どういうのかな?決して不幸ではないと思うのです。

∵こころが穏やかでいられる時間が多いから。

 

最近、更新を怠りがちですが、

師走の感じがしなくて、ちょっと散らかしているし、

もう、スマホも嫌になって飽きちゃったし、

(通信費も気になるし)

パーマを強めにかけたら、下品な感じになっちゃったし。

(ひと月もすれば落ち着くでしょう)

 

その日は大変になるけれど、おでん、カレー、あいだで鍋、

の繰り返しで、楽をしています。

 

このやる気のなさ、そんな年頃なのですが、

今、結婚していなくてよかった、と思います。

こんな家事状況だと、絶対嫌われちゃうでしょうし、

加齢臭なんか知らぬ顔でふりまかれたら、

中々言うことができずに、イライラするのだろうと。

 

完璧主義では決してないし、もはや理想も持たないけれど、

そんなものがあった頃の自分が見たら、

よくここまで落ちたものだという無様。

 

でも、その中でもささやかな幸運や幸福を見出していく、

見い出せる自分がいるからいいのだ。

まあ、やる気が蘇れば、そこでよりよく生きようと思える、

そんな自分がここに宿っていることを知っているので良いの。

 

頑張ろう。万事、体調を整えて。

 


良識は管理されるものではない

2019年12月04日 17時13分09秒 | わたしの思い

今、すごく昔の小説を読んでいるのですが、

会話文は言葉遣いが今と随分違うし、手紙文も

かなり違う気がします。

手紙文に関しては、随分、あからさまな気がします。

手紙は残ってしまうから、抑え気味にわたしは書くけど、

大正期や昭和では今のメッセージやメールみたいな感覚

なのかもしれませんね。

人間の営みはツールが変わっても変わりない。

 

それにしても・・・いまは正直に物を言えない時代だと。

わたしは最近そんな風に思うけれど、

もともと、正直に物を言っていた方ではないかもしれない、

だけど、意見は持っていて、肝心な時には自分の意見を述べていました。

今は難しいですよね。

自分なりの常識が通用しないときもあって。

常識まで押し付けられる時代になり、

思っていた未来とは本当に違う気がします。

 

未来はもっと伸び伸びと自由な物だと思っていたけれど、

思想まで統一させる、管理社会になっていくのではないか

心配。

いつの時代も、型はあった気がするけれど、

自分なりの良識で生きてくることができました。

でも、

ある朝、これが全ての人にとって正しいことです、

全員実行せよとなるのではないかと心配なります。

 

ある意味、戦時中ってそういう時代だったでしょう。

右向け右、別の方向を向こうものなら、

憲兵に引きずられて行くんだ。

間違っていると思ったから、そっちを向かなかっただけなのに・・・

 

わたしは意見は述べていいと思います。

それを正しいか正しくないか、

好もしいか好ましくないかの判断ができる人に

若い人にはなってほしいと思います。

 

命にかかわる問題なので軽々しいことは言えないけれど、

韓国の芸能人の自殺問題に、物思いました。

誰か一人が悪口を言った、

もしかしたら、事実でないこともあるかもしれません。

でも、言われた当事者は傷つきます。

言った方はそこまで考えて、悪口を言っていないはずです。

そこまで考えて行っているのなら、もっと悪いけど。

その悪口を観たり、聞いたりして、

同調して、同じ行為をするか、こんなことをしては

言われた人は傷つくと考えるか、

ここが大事だと思います。

 

それと、言われる側も見ないようにするという

選択もあるでしょう。

でも若い子だから気になるでしょうし、

見なくても、一々教えてくる余計な告げ口もあるのでしょう。

人前に立つ人は、ある程度の心構えがあって生きているでしょう

けれど、命を絶つほどの悪質な悪口、どんな内容なのかは知りません。

実に可哀そうです。せつない。

 

良識を身に着けないと、良識が決めごとになる。

こういう自由に発言する場も管理されるようになる。

考え物です。

実名で書くなら、このブログもやめるでしょうね。

 

話があちこち飛びましたが、要は管理されなくても

他人を傷つけることない良識を持とうということです。

わたしも、まだまだです。

 


『おほほ』『ですの』が似合う人

2019年11月06日 18時10分16秒 | わたしの思い

時間の使い方が下手なことはわかっていますが、もう夕方。

来客やセールスの電話、こういうのが一日の予定を狂わせて益々時間がない。

それでも、夜どうしても読書の時間を持ちたくてベッドの中で本を読み始めると、

一頁でウトウト・・・。何度も同じところを読んでいておばあさんみたい。

 

わたしは一昔前の古ーい小説を読むのが好きです。

でも、最近は図書館もそういう本を処分するのか少なくなっています。

 

『おほほ』『ですの』、こういった言葉遣いが本の中はでは許容できても、

それをドラマにすると、最近の女優さんだと取ってつけたみたいに

かたくて、イマイチの響きにわたしは感じるのです。

八千草薫さん、こういう言葉遣いがしっくりくる最後の女優さん

だった気がします。さみしいなぁ・・・。

 

おこがましく、図々しくも、わたしは子供の頃~中学生?

何度か「八千草薫に似ているね」と言われたことがあります。

(ホント、ずうずうしいですねぇ…だけど言われていたんだから(笑))

その頃は、百恵ちゃんのお母さんという感じだったのですが、

今言われるなら大喜びですね。

当時はもう少しわたしもふっくらしていたので・・・

今は原形をとどめていないと思います😢

 

そんなわけですが、わたしより伯母が似ていたと思います。

八千草薫さんを見ると亡くなった伯母と結び付けてしまいます。

仲良しだった伯母は八千草薫さんに似ていました。

顔が特別似ているわけではありませんが、

なぜいつも八千草さんを見るとそう思うのだろう?

不思議でした。

亡くなってわかったのは、醸し出す雰囲気が似ていたのだと

思います。

いつも、優し気で人に柔らかな印象を与えるけれど、

強い部分も内面にはあって、とても健康な人でした。

 

八千草さんを見ると伯母を思い出していたのに、

その機会もなくなってしまいました。

 

『おほほ』『ですの』と言って似合う人もいなくなってしまった。

寂しい秋です。合掌。


出会うこともなくなりつつある

2019年10月29日 11時36分02秒 | わたしの思い

今、結婚していなくて良かった、子供がいなくて良かった、

と、思うsituationは数多あります。

その反対はほとんどありません。

強がりでも、負け惜しみでも何でもなくただそう思うだけ。

 

だからこの先、独身、子なしで苦しむsituationに

出くわす可能性は大。すごく苦しむことになるかもしれません。

でも、それを事前に恐れることはしていないつもりです。

これはわたしの定めなのだと思います。

とてもみっともない未来がわたしを待っているかもしれません。

そんな風にしか生きられなかったのだから仕方ありません。

 

何のために生きているのだろう?

誰かがわたしのことをみっともないね、可哀そうねと

憐れむ、そんな誰かの心の動きのために生きている瞬間も

あるのかもしれません。

 

思い切り一人を楽しみます。

思うのだけど、大好きな大好きなあの人と結婚できていたとしても

多分、結局は離婚したと思うなぁ。

きっと、嫌われて別れることになったと思う。

そして、ひとり。

好きな人から嫌われてのひとりより、そうでもない人と一緒にいない

ひとりの方がいい・・・

最近これを確信しました。

今後は、みっともないことになる可能性は大、その覚悟は

常に片隅に置いてね。

 

とことんわたしはひとりが向いているのだと思います。

permanentな人間関係がわたしには難しい。

別れるために誰かに出会ってきたみたいに

あった時から別れることを考えている・・・

うーん、もはや誰かに出会うこともなくなりつつある。ジャン、おしまい。

 


狷介な我、サンマを焼きながら

2019年10月15日 19時09分10秒 | わたしの思い

狷介不羈(けんかいふき)という言葉があります。

わたしはそういう人でいたいとずっと思ってきたような気がします。

いや、意識的にそう生きてきたとはとても言えません。

そして、意識してそうなれるものでもありません。

 

ふと気づいた時、そんな人でいることを自分は望んでいるのだ

そしてここまで来たのだと、ふと思ったのです。

自分を律することに欠けるわたしは、到底、狷介不羈と言える

ような人間ではなく、ただの狷介な人なのだと思います。

狷介という言葉は、その後ろに━不羈孤高という言葉を添えることで、

ずいぶんと格が上がる気がします。

そんなふうな人でいたい。

 

先頃、長い間、本当に長い間、知りたかったことを偶然にも知りました。

いえ、必然だったのだと思います。

わたしは、それを知るためにここまで生きてきたのではないかと

思うほど、ずっとその理由を考えてここまで来ました。

時が、カチカチに固まっていた悲しい過去を少し柔らかくしたみたいに。

あっさりと、その答えを耳にして、自分という人間の中にある謎も

少し解けた気がしています。

 

まだ、ただの狷介なわたしにはDesperadoが遠くで流れてくるのです。

 

秋ですね、今サンマを焼いています。

 


明日のわたしに委ねる

2019年10月04日 18時13分30秒 | わたしの思い

このブログ、開設から今日で3999日ですって。

明日で4000日。

テーマが変わったり、しばらくお休みもありました。

 

始めた頃とは時代も変わりましたし、わたしの環境も多少は変わり、

物の捉え方や感じ方も変わった部分もあります。

根強く同じ思いの部分もありますけれど。

 

何もかもずっと同じではいられません。

ここで区切りをつけるか、5000日を目指すか?

 

わたしの小言を見つけて読んで下さった方々、

ありがとうございます。

最近はほとんど独り言みたいなものなので、

いないかもしれませんが、ほんとうにありがとうございます。

 

日々時間が取れなくなってきたので、今後のことは?

どうするか明日のわたしに任せたいと思います。

 

記念すべき、4000日目のわたしが決めるでしょう。

日が短くなったなぁ...。

 


スーパーホワイトで何が悪い

2019年09月26日 17時40分38秒 | わたしの思い

少しお休みしてしまいました。

時間が取れなかったのですが、

この間、色々なことがございました。

いいこと、がっかりすること、また頑張うと思うこと。

そして、少し傷つき、首をかしげたこと、何で?

わたしの常識が最早、世の常識ではないと思い知るわけです。

 

何から書こうかな、まあ、傷ついたことからにしましょう。

クレジットカードの審査に落ちました。

はじめから、収入の面で問題があるとは思いましたが、

気やすい感じだったもので、少し安心したのが間違い。

あの時免許証を携帯していたならば、違ったでしょうか?

 

貯金は本当のことを書かなくていい大体・・・と

みんなが書く金額を聞いて、その間を取ったのですが、

収入はないけれど、貯金ならはっきり言ってその何倍もある。

それを正直答えたとして、通過できたでょうか?

否、職場があり、日銭をきっちり稼いでいることの方が重視されるのでしょう。

家は、借家ではない。(だから引っ越したくても引っ越せない)

 

そして、収入の少なさに加えて、ずっと自分の大事にしてきた考え、

お金がないなら、借金をしてまで物を買わず、貯まるまで買わない、

つまり、ローンで物は買わないという考えがあだになりました。

カードはちょっとの間でも、(引き落としまで)でも借金がある気分なのですねぇ。

 

わたしだって、クレジットカードくらい持っていましたが、

全然使用しなくなって、会費も無駄に思っていました。

やがて、更新審査に通らなかったのでしょう。届かなくなりました。

さらに、いくつもあった銀行口座を整理したことで、

自然消滅?

ずっと、現金主義で生きてきましたが、世の流れには

逆らえないから、格安スマホを買うかな、

カードも必要かな?と思う今、気づけば、

世がいう高齢のスーパーホワイト


お金のことで人に迷惑をかけたり、借りたりせず、

誠実に生きてきたつもりです。

なのに、その考えが否定され、傷つきました。

物を買っても、シャンシャン払うって言っているのに、

ダメだって言われているみたいです。

 

この先、半年はどこのカードもダメでしょう。

半年たってもただ年を半年取るだけです。

益々、審査には通りにくくなります。

今更、一流企業に勤めることなんて無理ですし、

どうやっても信用なし。

 

自分は自分、がモットーですが、なんかすごく否定された気がします。

スーパーホワイト脱却に分割で、スマホを買うのもありかもしれませんけど、

3G携帯電話で行けるところまで行くかなっ?

 

もう一回色々なことを考え直す機会にしましょう。


それは、突然

2019年09月22日 18時14分43秒 | わたしの思い

今朝はご機嫌というほどではないけれど、先ず先ずの心持で

朝食を食べて、新聞を読んでいると耳鳴りが始まりました。

直ぐにおさまるだろうと思ったのですが、全然おさまらない。

 

ギャーギャー怖い。突発性難聴前回のことを思い出しました。

それは本当に突然やってくるのです。

一度なったらそちらの耳はならないという説も聞くが・・・

 

どうしようどうしよう、病院は休みだし、明日も休みだし。

台風だし。

前回はすぐに病院に行けたから事なきを得たのに。

落ち着け、わたし。

そう思って身支度をしたり、ウロウロしたり、

だけどおさまりません。

前回の薬を残していたはず、

病院が開くまでそれで何とかなるだろうか?

探して、数を数えてみます。

そうこうする間に気持ちが落ち着いて、耳鳴りも去りました。

ステロイドは怖いしあまり残っていないら、

内耳の血流をよくする薬とビタミン剤だけ飲みました。

 

ちょっと長い耳鳴りでした。前回みたいに聞こえにくくはならなかったから、

単に耳鳴りなのでしょう。

それも、きっと更年期による・・・自己診断です。

あるいは台風接近で気圧の関係。

 

嵐の前の静けさ、事なきよう願うばかりです。

わたしにとっても思い出多き地を

襲った15号、それを凌ぎ、癒し、している人達を

17号はどうか、傷つけないで・・・


災害の経験は何度かあって、

電気、水、そして心地よく眠れる場所、

普段何とも思っていないことが、

いかにありがたいことかその都度思い知るのですが、

のど元過ぎるとそれを忘れてしまうダメなわたし。


そして、何の見返りも求めず、片付けを手伝って

下さる方々を見ると、政治とか、上に立つ人とかには不満もあるけれど、

この国は良い国だとそんなとき思います。

唯一わたしにできるのが、わずかな、わずかな募金です。


雨の土曜日、わたしは・・・

2019年09月21日 17時49分35秒 | わたしの思い

雨の土曜日、少し肌寒くて長袖になった。

こんな日は、ロバータ・フラックの『やさしく歌って』

      ROBERTA FLACK『 KILLING ME SOFTLY』

が聴きたくなる。もう二十歳ぐらいからずっとこの曲は雨の日の曲と

決めている。ここにも何度か書いた気がする。

 

誰にも、この歌の歌詞のように、

歌や本に出会い、それが人生の中で特別、格別な

出会いになることがあると思う。

 

わたしのexceptional

本も歌も今までここでは語っていない。

わたし、好きな物は人に紹介したいと思う。

けれど、紹介したくないほどの別格はそれぞれにある。

どうもこの辺りに、自分が団居から遠ざかったり、

背を向けたりする答えがある気がする。

落ち着ける場所で、こっそり好きな物を楽しみたいのかな?

自分でもわからない。

共有したくない物がある。ただそれだけ。

 

雨の土曜日、わたしは変わり者なのだろうね、と思う。      


強い気持ちを持って

2019年09月19日 18時45分04秒 | わたしの思い

昨夜も、三時前後から一時間おきに目が覚めて、暑いっと

肌布団を跳ね退けるわたし。

悩ましい、そのうちに落ち着くと思いますが、

みんな、こういう時期を通って生きて行くのだなって

何だろう?ちょっと一人前な気分です。

 

何をやらせてもダメなわたしなものですから、

こんなことで一人前気分というのもどうなのでしょう?

まあ、よい。

 

今日は思いました。

よく人が、「強い気持ちでやり遂げました」とか

「強い気持ちを持って~」というのを聞いていて、

滅多にそんなことを思わないけれど、ちょっと羨ましく

思うことがあります。

 

わたし、そういうことができない、どかでいつも弱腰。

そういう言葉を使ってみたいと今日ふと思いました。

 

それで、家に戻ってきて、

「強い気持ちで絶対~してみせるから」と独り言ちた。

何だか気分がいい

本当に強い気持ちを持って、うまく行きそうな気がします。

 

かわいいワンちゃんや笑顔のいい、快活な小父さんに

励まされて『強い気持ち』にたどり着いた日でした。


戻ってこないかな

2019年09月16日 15時08分04秒 | わたしの思い

前回の記事について、グズグズしていたというか、ほんの一瞬にして、

わたしが決めていたスマホがなくなっていました。

あーこんなことになるなんて。

ずいぶん安くなっていたしなぁ・・・きれいだったし。

わたしは変な趣味と言われているから、そう欲しがる人もいない、

すぐには売れないと思っていたのに。ほんの一瞬でなくなってしまった。

 

これを運が悪いと思ってはいけない、何か意味があるのでしょう。

ただ単に出遅れただけかもしれないし。

 

でも一度これにしようと思って、十分検討してのことなので、

何となく気持ちの収まりがつかない、同じものを探すも、

あの状態と価格では中々見つかりそうもなく、

また一から考え直すのが面倒くさくなりました。

あーあ。

他の人にとってはたかがスマホかもしれませんが、

されど、スマホなわけ。

 

あーーーあ。

これはすべてにわたしが電話嫌いなのがいけない。

問い合わせをして、可能なら取り置いてもらえばよかった。

すぐに電話したり、聞いたりできる人、いますよね。

いい歳をして苦手なのですよ。

今がっかりしているところ、戻ってこないかなぁ。

 


何故聞く、どうして聞く?

2019年09月13日 17時35分46秒 | わたしの思い

誰にでも語りたくないことはある。

みんな聞かれたくないことを聞かれた時、ちゃんと答えるのだろうか?

以前ならわたしは「うーん」とか「えー」とか言ってはぐらかしていた。

でもよく考えてみると、わたし、その質問をした人嫌いだな。

と、言うか気が合わないと思う。

もうこんな年になって人に無理して同調して、

付き合いたくない人に好かれても仕方ない。

 

「あなたになぜそこまで答える必要があるの?」

これが本心ですが、あまりに棘があり、大人げないかな。

なので、

「何故?」

この一言で済みそうだ。

察する人は察するだろうし、それでもなおかつ聞く人には

ガツンと、

「あなたには答えたくない」くらい強気に出よう。

と、以上今日は独り言。

 

お仕事終了。

もう少し稼ぎたいなぁ・・・いや、もっともっと稼ぎたいなあ。


旅先での目覚め

2019年09月07日 18時03分57秒 | わたしの思い

ずっと一度行ってみたいと思っている『おわら風の盆』

今年も無理でしたが、二十代の終わりごろ?高橋 治の小説を読んで

いつか行ってみたいなぁ・・・と思いつつ未だ実行に至らず。

いつかは来るのだろうか?

それは自分次第ですね。


わたし、実はあまり旅行が好きではありません。

そんなに旅した訳でもありませんがね。

昔から、どうしてなのか旅先、まあ、研修などでも、

自分の家とは違うところで目覚めた時、何とも言えない、

虚無感に襲われるのです。

こころの中がしーーーーんとして

旅先でわくわくするとかいう気分になれなくて、

しーーーーんという表現が一番しっくりきます。

てつもなく空しいのです。

まあ、目覚めた時だけですけれどね、多分、誰にもわかってもらえないと思うし、

自分も何故そんな心持になるのかがわかりません。


おわら風の盆、別に小説には特別感動した訳でも、好きなわけでもないのですが、

一度行きたいと長年思い続けているのです。それと、『チャグチャグ馬コ』

これは写真を見て、美しいし、暖かな思いを感じたのです。


そう言えば大昔、青森のねぶた祭りに誘っていただき行きました、

地元の人々がすごく楽しんでいたのですが、浴衣まで着せて頂きましたのに、

何が何やらわからず、人の多さに圧倒されて、あーこれは地元の人たちのための

地元の人が楽しむお祭りだと、stranger感たっぷりの心持でした。

 

さて、週末は見慣れた秋祭りです。だけど、暑いです。

 

全国には様々なお祭りがあって、盛大なものもあれば、

縮小されて、田舎ではどんどん淋しくなるお祭りもあります。

楽しいだけではなく、発端は健康や幸せを願ってなのでしょうね。

 

名物のお菓子を頂き、小さな張り子の人形を新調して

今、わたしは軽く微笑んでいます。願いを込めて。