あせる【焦】
萩原義雄識
大槻文彦編『大言海』所載の当該語和語動詞「あせ・る【焦】」は、標記語を「焦心」として所載する。それ以前における『言海』には、
‡あせるル・レ・ラ・リ・レ(自動)(規一)〔あは發語にて、せるは、競(せ)るか〕急(せ)きて心をつかふ。苛(いら)つ。焦心 〔一七頁上段〕
とする。
‡あせるル・レ・ラ・リ・レ(自動、四)【焦迫】〔相(あひ)迫るの約、(閒(ア、ヒ)好くば、あはよくば、あひしらふ、あしらふ)倭訓栞、後編、あせる「俗に急遽なるを云ふ、相迫にや」」急(せ)きて競(きそ)ふ。せる。せく。苛(いら)つ。*俚言集覽、あせる「人に負けじと競(きそ)ひて、心を遣ひ氣をもむを云ふ」〔一冊七〇頁1・2段〕
とあって、『言海』の記述を変改している。標記漢字を「焦迫」と二字熟語で記載しているのも特徴となっている。意義説明も「あ、迫る」から「相(あひ)迫るの約」とし、「急(せ)きて心をつかふ」を「急(せ)きて競(きそ)ふ。せる。せく。」とする。
同時代の官版『語彙』卷二には、
あせる俗 人にまけじときそひて心を遣(つか)ひ氣ヲモムをいふ 〔卷二、卅五ウ8〕
としていて、『俚言集覽』の説明をそのまま蹈襲するものとなっていることが判る。
やがて、和語動詞「あせ・る」は、単漢字「焦」の字だけで表記するに至る。さらに、『日国』が示す⑶の意味での「俗に、あわてる。」を表すものとなっていく。
【ことばの実際】
島崎藤村『新生』
○彼の心が焦れば焦るほど、延びることを待っていられないような眼に見えないものは意地の悪いほど無遠慮な勢いを示して来た。〔三十五〕
○二人の結びつきは要するに三年孤独の境涯に置かれた互の性の饑に過ぎなかったのではないか。愛の舞台に登って馬鹿らしい役割を演ずるのは何時でも男だ、男は常に与える、世には与えらるることばかりを知って、全く与えることを知らないような女すらある、それほど女の冷静で居られるのに比べたら男の焦りに焦るのを腹立しくは考えないかと。〔六十七〕
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
あせ・る【焦】〔自ラ五(四)〕(1)気がいらだってあばれる。手足をばたばたさせて騒ぐ。*梁塵秘抄〔一一七九(治承三)頃〕二・四句神歌「娑婆にゆゆしく憎きもの、法師のあせる上馬に乗りて」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「沛艾 アセル ヲトリアセル」*名語記〔一二七五(建治元)〕三「馬のあせり、さはぐ」*荏柄天神縁起〔一三一九(元応元)~二一頃〕「かの女房くれなゐのはかま腰にまとひつつ手に錫杖をふりて〈略〉狂ひおどりあせりけれ」(2)思い通りに事が運ばないので、急いでしようとして落ち着かなくなる。気がいらだつ。気をもむ。じりじりする。*天理本狂言・塗師〔室町末~近世初〕「其時、女房うしろより、いろいろ、てまねきして、身をあせり、男をよぶ」*俳諧・馬の上〔一八〇二(享和二)〕「あはれかくては十里の道こころもとなしとあせるにも似ず」*和訓栞後編〔一八八七(明治二〇)〕「あせる 俗に急遽なるをいふ。相迫にや」*浮雲〔一八八七(明治二〇)~八九〕〈二葉亭四迷〉三・一九「不満足の苦を脱(のが)れようと気をあせるから」(3)俗に、あわてる。*にんげん動物園〔一九八一(昭和五六)〕〈中島梓〉九三「甘栗を買おうとして反射的に『あまつ……』と云いかけてあせることがある」【方言】(1)催促する。せきたてる。《あせる》広島県安芸郡776高田郡779(2)働く。《あせる》岐阜県吉城郡500飛騨502(3)もがく。暴れる。《あせる》富山県射水郡394福井県大野郡062岐阜県吉城郡501飛騨502(4)睡眠中に動き回る。《あせる》島根県隠岐島725(5)熱心にする。《あせる》石川県金沢市404(6)口論する。《あせる》宮城県石巻120【語源説】(1)「アヒセル(相迫)」の約〔和訓栞後編〕。(2)「アセル(彌急)」の義〔言元梯〕。(3)「アセ得ル」の義。「ア」は「顕ルル」、「セ」は迫る〔国語本義〕。【発音】〈なまり〉アセイ・アセッ・セッ〔鹿児島方言〕アセガル〔壱岐〕アズル〔神戸・播磨〕アヅル〔佐渡〕〈標ア〉[セ]〈京ア〉[0]【辞書】色葉・ヘボン・言海【表記】【沛艾】色葉【焦迫】言海
萩原義雄識
大槻文彦編『大言海』所載の当該語和語動詞「あせ・る【焦】」は、標記語を「焦心」として所載する。それ以前における『言海』には、
‡あせるル・レ・ラ・リ・レ(自動)(規一)〔あは發語にて、せるは、競(せ)るか〕急(せ)きて心をつかふ。苛(いら)つ。焦心 〔一七頁上段〕
とする。
‡あせるル・レ・ラ・リ・レ(自動、四)【焦迫】〔相(あひ)迫るの約、(閒(ア、ヒ)好くば、あはよくば、あひしらふ、あしらふ)倭訓栞、後編、あせる「俗に急遽なるを云ふ、相迫にや」」急(せ)きて競(きそ)ふ。せる。せく。苛(いら)つ。*俚言集覽、あせる「人に負けじと競(きそ)ひて、心を遣ひ氣をもむを云ふ」〔一冊七〇頁1・2段〕
とあって、『言海』の記述を変改している。標記漢字を「焦迫」と二字熟語で記載しているのも特徴となっている。意義説明も「あ、迫る」から「相(あひ)迫るの約」とし、「急(せ)きて心をつかふ」を「急(せ)きて競(きそ)ふ。せる。せく。」とする。
同時代の官版『語彙』卷二には、
あせる俗 人にまけじときそひて心を遣(つか)ひ氣ヲモムをいふ 〔卷二、卅五ウ8〕
としていて、『俚言集覽』の説明をそのまま蹈襲するものとなっていることが判る。
やがて、和語動詞「あせ・る」は、単漢字「焦」の字だけで表記するに至る。さらに、『日国』が示す⑶の意味での「俗に、あわてる。」を表すものとなっていく。
【ことばの実際】
島崎藤村『新生』
○彼の心が焦れば焦るほど、延びることを待っていられないような眼に見えないものは意地の悪いほど無遠慮な勢いを示して来た。〔三十五〕
○二人の結びつきは要するに三年孤独の境涯に置かれた互の性の饑に過ぎなかったのではないか。愛の舞台に登って馬鹿らしい役割を演ずるのは何時でも男だ、男は常に与える、世には与えらるることばかりを知って、全く与えることを知らないような女すらある、それほど女の冷静で居られるのに比べたら男の焦りに焦るのを腹立しくは考えないかと。〔六十七〕
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
あせ・る【焦】〔自ラ五(四)〕(1)気がいらだってあばれる。手足をばたばたさせて騒ぐ。*梁塵秘抄〔一一七九(治承三)頃〕二・四句神歌「娑婆にゆゆしく憎きもの、法師のあせる上馬に乗りて」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「沛艾 アセル ヲトリアセル」*名語記〔一二七五(建治元)〕三「馬のあせり、さはぐ」*荏柄天神縁起〔一三一九(元応元)~二一頃〕「かの女房くれなゐのはかま腰にまとひつつ手に錫杖をふりて〈略〉狂ひおどりあせりけれ」(2)思い通りに事が運ばないので、急いでしようとして落ち着かなくなる。気がいらだつ。気をもむ。じりじりする。*天理本狂言・塗師〔室町末~近世初〕「其時、女房うしろより、いろいろ、てまねきして、身をあせり、男をよぶ」*俳諧・馬の上〔一八〇二(享和二)〕「あはれかくては十里の道こころもとなしとあせるにも似ず」*和訓栞後編〔一八八七(明治二〇)〕「あせる 俗に急遽なるをいふ。相迫にや」*浮雲〔一八八七(明治二〇)~八九〕〈二葉亭四迷〉三・一九「不満足の苦を脱(のが)れようと気をあせるから」(3)俗に、あわてる。*にんげん動物園〔一九八一(昭和五六)〕〈中島梓〉九三「甘栗を買おうとして反射的に『あまつ……』と云いかけてあせることがある」【方言】(1)催促する。せきたてる。《あせる》広島県安芸郡776高田郡779(2)働く。《あせる》岐阜県吉城郡500飛騨502(3)もがく。暴れる。《あせる》富山県射水郡394福井県大野郡062岐阜県吉城郡501飛騨502(4)睡眠中に動き回る。《あせる》島根県隠岐島725(5)熱心にする。《あせる》石川県金沢市404(6)口論する。《あせる》宮城県石巻120【語源説】(1)「アヒセル(相迫)」の約〔和訓栞後編〕。(2)「アセル(彌急)」の義〔言元梯〕。(3)「アセ得ル」の義。「ア」は「顕ルル」、「セ」は迫る〔国語本義〕。【発音】〈なまり〉アセイ・アセッ・セッ〔鹿児島方言〕アセガル〔壱岐〕アズル〔神戸・播磨〕アヅル〔佐渡〕〈標ア〉[セ]〈京ア〉[0]【辞書】色葉・ヘボン・言海【表記】【沛艾】色葉【焦迫】言海