駒澤大学「情報言語学研究室」

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いわし【鰮・鰯】─古辞書『和名類聚抄』から『倭名類聚鈔箋注』へ─

2024-02-03 13:22:49 | 日記
  いわし【鰯】
                               萩原義雄識
  はじめに
 二月三日は「節分(せつぶん)」季節の分かれ目として、「豆撒き」(=邪鬼祓い)、「恵方巻」などが主流だが、邪鬼祓いに玄関軒下に「鰯」の頭と柊(ひいらぎ)の葉を餝る風習(諺に「鰯の頭も信心から」と云う)を行って来た。近ごろなかなか見ることのないものとなっている。腥い鰯の匂いを鬼が厭がり近づきにくくなる。庶民にとって手軽な安値で入手する魚でもあった。
 一月まえのお正月の御節料理にも素干しの「片口鰯(かたくちいわし)」を其年の田作り豊年を願う意味を込めて重箱に添えてきていた。此の魚名「いわし」について、平安時代の宮廷でも女房ことばで「むらさき」(色あい)、石清水(いはしみづ)八幡宮の「いはし」に懸けて密かな食味魚として知られている。『源氏物語』作者、紫式部がその女房名「むらさき」につながりこよなく食したとも云う。此の「いわし」は、傷みやすく鮮度が落ちやすい難点もあって、都人にとって素干し魚の代表格だったのだが、紫式部が父為時の任国に暮らしたことも幸いして、新鮮な刺身や焼き魚として食する機会を得ただろうと思うと、彼女が大好物だっただろうという説も満更ではなかろう。

  本邦古辞書と魚名「いわし」
 本邦古辞書にはどう表記されているかと云えば、昌住編『新撰字鏡』〔八九八(昌泰元)~九〇一(延喜元)年頃〕巻九第八十七魚部〈次小學篇字卅三字〉に、
天治本 享和本
𩺮 𩺮 伊和志 〔巻九、五、ウ〕 ※天治本「波」字疑うべしとあり。
とし、標記語「𩺮」で真字体漢字表記(=万葉仮名)「伊波志」「伊和志」と記載する。

 さらに源順編『倭名類聚抄』〔九三四(承平四)年頃・内閣文庫蔵補訂本〕にも、
十巻本巻第八「 楊氏漢語抄云鰯〈伊和之 今案夲文未詳之〉←棭齋は此字とする。
廿卷本卷十九「(イワシ) 漢語抄ニ云鰯ハ[以和之今案本文未タレ詳]〔鱗介部第30竜魚類第236・五丁裏五行目〕」林羅山手沢本『倭名類聚抄』〔内閣文庫蔵〕

とあって、万葉仮名表記で「伊和志」「伊和之」と記述されていて、藤原宮木簡、平城宮出土址木簡なども此に倣う。藤原宮跡から発掘された木簡に「伊之」と記載する。
続いて、平安時代末の橘忠兼編、三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕に、
イハシ/云未詳 〔伊部動物門五ウ6〕
※和訓「イハシ」で、注記「云未詳」(云ふに未詳)としているが、『和名抄』の典拠資料とする『楊氏漢語抄』(十巻本)、『漢語抄』(廿巻本)が検証できない佚文資料となっていることを示唆するか。

とし、標記語「鰯」で、訓みを「イハシ」とし、第二拍の表記「ハ」としている。語注記は、『和名抄』(村田正英「三巻本色葉字類抄における和名類聚抄和訓の受容」鎌倉時代語研究に詳しい、但し当該語については未載)を継承する。
鎌倉時代の観智院本『類聚名義抄』僧下十四に、
 ⑴いはし【鰮】× 〔古辞書には未記載表記〕
 ⑵いはし【鰯】
イ(上)ハ(上)シ(上) 未詳 〔僧下五ウ6〕
 ⑶ひしこいはし【鯷】
音題 ヒ(平)シ(上)コ(上)イ(上)ハ(上)シ(平) アユ フク
クソナメル 音鼓
 ⑷いはし【𩺮】
𩺮 イルカ イハシ〔僧下八ウ・十四4〕
 ⑸いわし【𮬏〔魚扁+「集」旁〕
𮬏 イ禾シ〔僧下八ウ・十四8〕
 ※離合字とし、「魚」が「集まる」意の国字欤
  K1001484𮬏イワシ
とあって、第二拍のかな表記に「は」⑴⑵⑶⑷と「わ」⑸とユレが生じはじめている。茲で表記漢字⑸について触れておく必要がある。これ以前の資料には未収載の標記語であり、これ以後の聯関資料にも未収載という当に『名義抄』単独収載の語例となっているからだ。そして、『名義抄』が如何なる原資料から抽出収載したものなのかも検証されて行かねばなるまい。
 こうした語例を纏めて検証していく時代が今や到来し、北大の池田証壽代表による古辞書グループが成し得た『類聚名義抄』データベースでの連繫抽出作業が重要不可欠なものとなってきたと言える。近時、池田さんは『日本辞書史研究─草創と形成』〔二〇二四年一月、汲古書院刊〕をご発表なされている。基礎的な判断を求めるうえで重要な役割を果たすご論と云えよう。机上近くに置いて語の端々を知る標べとなろう。
 室町時代の古辞書になると、先ずは東麓破衲編『下學集』〔一四四四(文安元)年〕に、
(イワシ) 〔氣形門六十四頁4〕
とする。次ぐ広本『節用集』〔文明年間〕には此の語を欠く。だが、飛鳥井榮雅編の増刋『下學集』には、
(イワシ) 〔伊部畜類門五ウ4〕
の語を収載していく。『伊京集』・明応本『節用集』にも収載する。
刷版系の天正十八年本・饅頭屋本・易林本も同様に収載する。
印度本系『節用集』系のA黒本本・弘治二年本、B永禄二年本、尭空本、両足院本、経亮本、高野山本も同様に語注記を記載せずに収載する。その一本である経亮本の図絵を記載する。
(イハシ) (同) (同) (同)〔伊部氣形門、巻五・四十、三八二頁7〕
 『和名集』廿六魚類部〔亀井本・有坂本〕にも、標記語「鰯」で「イワシ」を記載する。
慶長十五年板『倭玉篇』には、
(テイ) ヒシコ イハシヒシコ イハシ 〔四〇五1〕
(ジヤク) イワシ 〔四〇八4〕
という標記語は、なぜかこの字書にあっても「いはし」と「いわし」にかな表記が二分して所載する傾向にある。此れも、寛永版『倭玉篇』になれば、「鯷」「鰯」の両語とも、「いはし」で処理するものへと変改していたりする。
江戸時代の惠空篇『節用集大全』には、
(いはし)鰮 (同)鰯 順カ和名ニ漢語抄ニ云鰯ハ/以和之今按スルニ本文未タ詳ナラ (同) 鯷 (同)鰣 (同)鱹 (同)鮻 〔伊部氣形門十九頁4・5〕
とあって、はじめて標記語に「鰛」字を先頭に「鰯」「鯷」「鰣」「鱹」「鮻」の標記語を記載する。そして、語注記は「鰯」字にあって『和名抄』を再び継承し、引用するが、この文字がどのような本文資料に依拠しているかは定かでないとしていて、その原拠には辿り着けていない。所謂、国字と称する標記語であって、平安時代には既に用いられていて、その表記が世話字として通用していたことを知るものとなっている。
 江戸時代中期には槇島編『書言字考節用集』〔一七一七(享保二)年刊〕に、
(イハシ) 〔伊部氣形門、巻五・四十、三八二頁7〕
とだけ記載するに留まる。それ以前の江戸期資料、中村惕斎編『訓蒙圖彙』〔一六六六(寛文六)、一六九五(元禄八)、〕には、
(をん) いわし
○鰛(いわし)は五臓(さう)を利(り)しよく湿熱(しつねつ)をたすけかさを發(はつ)すをゝく食(しよくす)へからす
(じやく)同
と林羅山が招来した『本草綱目』に触発され、茲に「いわし」の食材薬効を述べている。その意味から「鰯」字を「同」とし、世俗字を単簡に所載している。
 寺島良安編『和漢三才圖會』〔一七一二(正徳二)年刊〕巻第四八では、
〔巻四八〕
         鰛
(いわし) 俗字
和名 以和之
 聞書云鰮似馬鮫而小有鱗大者僅三四寸
 △按鰮俗云鰯四方皆有之形似小鯯而其鱗細易脱
 背蒼黒腴黄白而脂多小者一二寸大者五六寸群行
 至時海波稍赤漁人預知下網采之鯨好吃鰯爲所逐
 者數万爲群浪如樓取之作膾可熬可炙又取脂爲燈
 油
(ヒシコ)和名比之古以和之用一二寸許小鰯爲醢造法鮮鰯一升不洗
 鹽三合三日而後以石壓之如自初日置壓則腹破出不隹或同茄
 子生薑穗蓼番板等漬。亦佳鯷字未詳
 五万米(コマメ)(イハシ)正字未詳一名田作又云古止乃波良漁家海邊石上或簀上
 擴乾小鰮也阿波之産爲上野之耐久無脂臭和諸物
 煮食亦佳常爲嘉祝之供與鮑熨斗並用
 干鰯(ホシカ)保之加 與五万米同乾時不撰地不論大小數万覺
 乾盛莚運送市中用爲田畠培糞諸國多出房州最多
 鰯䱒(シホモノ) 豫州宇和島常州水戸之産爲上肥前松浦丹後
 由良之産頭畧大扁亦得名炙食脂氣酷烈以賤民爲
 食用痰咳痞滿人忌之産婦小兒不可食其味美有頭
 凢ソ鯨ト與本朝海中寳也其利用不可計フ
とある。
 江戸時代になると、第二拍を「は」で表記するようになる。だが、『和漢三才圖會』や『訓蒙圖彙』は、平安時代の『和名抄』の和訓表記を遵守して記載する方針をとっていることになる。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
いわし【鰯・鰮】〔名〕(1)ニシン科の海魚、マイワシ、カタクチイワシ、ウルメイワシなどの総称。《季・秋》*平城宮出土址木簡〔七五六(天平勝宝八)頃〕「青郷御贄伊和志腊五升」享和本新撰字鏡〔八九八(昌泰元)~九〇一(延喜元)頃〕「𩺮 伊和志」十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕八「鰯 楊氏漢語抄云鰯〈伊和之 今案本文未詳〉」中外抄〔一一三七(保延三)~五四〕久安六年一一月一二日「鰯はいみじき薬なれども不公家*御伽草子・猿源氏草紙〔室町末〕「和泉式部、いわしと申す魚を食ひ給ふところへ、保昌来りければ、和泉式部はづかしく思ひて」*料理物語〔一六四三(寛永二〇)〕一「鰯は、 なます、しゃか汁、すいはし、くろつけ、やきて、かすに」(2)マイワシ。全長三〇センチメートルに達する。背は暗青色で、他は銀白色。体側には円い黒斑が数個一列または二列に並ぶ。大きさにより大羽、中羽、小羽と区別する。各地の沿岸に多量に生息し、産業上重要な魚の一つだが、その漁獲量は年による豊凶がはなはだしい。塩焼きや煮付けなどにするほか、丸干し、目刺し、缶詰などに加工する。(3)切れない刀。鈍刀。赤鰯。*浄瑠璃・義経千本桜〔一七四七(延享四)〕三「此鰯(イワシ)で切るか、此目でおどすか、前髪を一筋づつ抜くぞよ」*雑俳・柳多留‐二三〔一七八九(寛政元)〕「本阿彌は鰯は見れど鯨見ず」(4)節分の夜、鬼を避ける呪(まじない)として、柊(ひいらぎ)の枝と共に門口にさした小型の鰯の頭をいう。*夫木和歌抄〔一三一〇(延慶三)頃〕二九「世の中は数ならずともひひら木の色に出でてはいはしとぞ思ふ〈藤原為家〉」*談義本・根無草〔一七六三(宝暦一三)~六九〕後・一「去年と今年の堺町、節分の夜のにくまれ役も、いやとの臭さをこらへ、狗骨(ひいらぎ)で目をつくづくと、路考に見とれし贔屓の証拠」(5)看守をいう、盗人仲間の隠語。〔日本隠語集{一八九二(明治二五)}〕【語誌】(1)(1)に挙げた『新撰字鏡』の例、天治本では「𩺮 伊波志」とあって仮名づかいが違っている。(2)(1)の『中外抄』の例から、平安期の貴族が食さなかったことが知られる。また、『古今著聞集』巻第一六には、藤原師長が、言いつけにそむいて祗候しなかった弟子・藤原孝道に「麦飯に鰯あはせ」の食事を供した話を載せるが、これも鰯が下賤の食するものと考えられていたことによる。(1)の挙例『猿源氏草紙』も同様。(3)鰯が秋の季語として定着したのは一八世紀の末ころからだが、「鰯引く・鰯雲」などはそれ以前から季語として扱われていた。【方言】養子。《いわし》新潟県中魚沼郡062語源説(1)死にやすい魚であるところから、ヨワシ(弱)の転〔滑稽雑談所引和訓義解・東雅・大言海〕。イヲヨワシ(魚弱)の義〔和句解〕。(2)賤しい魚である意から、イヤシの転〔日本釈名〕。(3)イワシ(祝)の義〔紫門和語類集〕。【発音】〈なまり〉イアシ〔栃木〕イバシ〔富山県〕イワス〔石川〕イワヒ〔NHK(鹿児島)〕イワヒ〔鹿児島方言〕エワシ〔栃木・富山県・鳥取〕シワシ〔岩手〕ヤシ〔八丈島・静岡〕ユアシ〔栃木〕ユワシ〔津軽語彙・岩手・仙台音韻・秋田・山形・山形小国・福島・茨城・埼玉・埼玉方言・千葉・八丈島・福井大飯・静岡・志摩・伊賀・大阪・大和・和歌山県・和歌山・紀州・NHK(和歌山)・島根・島原方言・鹿児島〕ユワス〔NHK(岩手)・秋田〕ヨワシ〔岩手・秋田〕ヨワス〔千葉〕〈標ア〉[0]〈ア史〉平安●●●〈京ア〉[0]【辞書】字鏡・和名・色葉・名義・下学・和玉・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【鰯】和名・色葉・名義・下学・和玉・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【𩺮】字鏡・名義【箙】名義(僧下十四)【鯷・陀】和玉【図版】鰯(2)((https://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=2002005701aeUpdx8SKl 参照 2021年3月18日)

くわゐ【烏芋】『和名類聚抄』から『倭名類聚鈔箋注』へ

2023-12-25 11:23:51 | 日記
2023/06/02~2023/12/25更新
くわゐ【烏芋】
                               萩原義雄識
『和名類聚抄』廿巻本
 福田本『倭名類聚抄』〔大阪公立大学図書館蔵〕
 林羅山手沢本『倭名類聚抄』〔内閣文庫蔵〕
 【翻刻】
廿巻本『倭名類聚抄』巻十七菓蓏部第廿六芋類第二百二十四〔十五丁表8行〕
 烏 蘇敬本草注云烏芋[和名久和井]生水中澤写之類也
 十巻本『和名類聚抄』卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九
 烏 蘓敬本草注云烏芋[  久和為]生水中澤舄之類也
※注記「和名」有無。真名体漢字表記「久和井」と「久和為」で「井」と「為」字に異同。注記字「写」と「舄」の異同。

【訓読】
(クワ井) 『蘇敬本草注』に云はく、「烏芋」[和名(ワミヤウ)やまとなは、「久和井」]、水-中に生ず。「澤寫」の〈之〉類なり〈也〉。
『蘇敬本草注』に云はく、「烏芋」[「久和為(くわゐ)」]は、水中に生ゆる「沢舄」の類なりといふ。
※茲で、標記語「烏芋」字に、和名「久和井(くわゐ)」と「久和為(くわゐ)」で「井」と「為」字に異同。

 【影印】
天正三年書写『倭名類聚抄』〔大東急記念文庫蔵〕巻十七菓蓏部第廿六芋類第二百二十四
 烏 蘓敬本草注云――(烏芋)[和名久和井]生水中澤舄之類也
※典拠書名「蘓敬本草注」で「蘓」字表記。「澤舄之類」で「舄」字にて表記する。
伊勢廣本『倭名類聚抄』〔東京都立中央図書館河田文庫蔵/神宮文庫蔵〕巻十七菓蓏部第廿六芋類第二百廿四
 烏 蘓敬本草注云――(烏芋)[和名久和井[○・上・上]]生水中澤舄之類也
 烏 蘓敬本草注云――(烏芋)[和名久和井[平・上・上]]生水中澤舄之類也
※典拠書名「蘓敬本草注」で「蘓」字表記。「澤舄之類」で「舄」字にて表記する。真名体漢字表記「久和井[○・上・上]」と「久和井[平・上・上]」に差声点あり。
※河田文庫蔵と神宮文庫蔵との相異点は、「蘓敬本草注」の「草中( ― )」に墨線、真字体漢字表記の「久」字に平聲の差声点の有無の異なりを見る。神宮文庫書写者が「注」を附記するか迷ったとみる。
※廿巻本古写本の天正三年本と伊勢廣本共に同じ。那波本(元和版)の後の慶安板以下は、『蘓敬本草』として異なる。
昌平本『和名類聚抄』〔東京国立博物館蔵〕卷九菜蔬果蓏は欠。
下總本『和名類聚抄』〔内閣文庫蔵〕
天文本『略抄和名類聚抄』〔東京都立中央図書館河田文庫蔵〕
松井本『和名類聚抄』〔静嘉堂文庫蔵〕乾冊卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九
 烏 蘓敬本草注云――(烏芋)[○{和名}久和為○{又和名奈萬井}]生水中澤舄之類也
※注記部に朱筆記載があり、○「和名」字に朱筆で記載する。

京本『和名類聚抄』〔国会図書館蔵〕卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九
 烏(クワ井) 蘓敬本草注云――(烏芋)[久和為[平・上・上]]生水中澤舄之類也
※注記内容は松井本に共通する。真名体漢字表記「久和為[平・上・上]」の差声点あり。
同じく前田本〔下56ウ5〕も同じで、京本を忠実に転写する。

狩谷棭齋『倭名類聚鈔訂本』〔内閣文庫蔵〕卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九
 烏 蘓敬夲草注云瑰芋[久和為]生水中澤舄之類也
※頭注に「烏」字。注記「夲」の字に作く。

慶安元年板『倭名類聚抄』〔棭齋書込宮内庁書陵部蔵〕巻十七菓蓏部第廿六芋類第二百廿四
 (クワ井) 蘇-敬カ本草ニ云烏-芋[和名久和井]生ス二水-中ニ一澤寫之類也
※典拠書名「蘇敬本草」と記載。注記「和名」の語有無については有り。真字体表記「久和井」と「井」字に作く。「澤寫之類」と「寫」字に作く。

【古辞書】
深江輔仁『本草和名』〔下冊31ウ1~4〕
醫心食治部作萍新修作〓〔艹+冴〕並非
鳥(烏 新)芋 一名籍姑一名水〓(萍)〔氵+芋(無翼誤也)〕鳬茨[仁𧩑音上府下在/此反出陶景注] 一名槎牙[仁𧩑音錫加反]一名茨菰[澤泻(舄)之類也已/上出蘇敬注]鳥茈[出崔/禹]一名水芋[出兼名苑]一名王銀[出雜要訣]和名於毛多加一名久呂久和爲

立之案茨蘓敬/慈姑々々之反爲
藷(シヨ)云慈姑亦山藷之義謂塊然山根也
按鳥証類作烏医心引養生要集同
按医心食性引兼名苑一名玉銀
とあって、「仁𧩑」の語を示す。注記語「籍姑」の「籍」字は、棭齋『倭名類聚鈔箋注』で「藉姑」と補正表記する。

三巻本『色葉字類抄』〔一一七七(治承元)~八一〕年〔前田本中卷欠→黒川本〕
 烏(ヲウ) クワヰ 澤冩之類濱 鳥茈 同〔黒川本中卷久部植物門〕
※『和名抄』と接点となる語注記「澤寫之類」
 十巻本『伊呂波字類抄』卷八〔大東急記念文庫蔵〕
  クワイ 澤冩類也〔中卷久部植物門(三八六頁)3・4〕
※標記語「瑰芋」の注記の「之」は削除され、「澤冩類也」と記載する。
観智院本『類聚名義抄』
 烏―(芋) ク禾井 〔八一艸部・僧上三六頁3〕
※標記語「瑰芋」、和名「クワ井」のみで注記語は削除し未収載にする。
このように、『字類抄』『名義抄』共に『和名抄』からの継承が濃厚なのかの注記記載となっていて、この表記と注記の一部分に継承記載が覗いているということにもなる。

室町時代の古辞書として、広本『節用集』に、
烏芋(クワ井)[平軽・去] ウ・カラス、ウ・イモ一名茨菰(シコ)/又田烏子〔久部四九九頁7〕
と記載する。茲での注記は『和名抄』には未収載の一名「茨菰(シコ)」と「田鳥子」を収載していて、「茨菰(シコ)」の語は『本草和名』に見えるのだが、「田烏子」の語例は別の資料からの引用となる。此語は俗用としていて、他写本『節用集』類には未記載とし、広本『節用集』の独自の記載と見て良い。因みに、同時代の『庭訓往来』十月日返状に、
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ)フクホンシ・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨御自愛ニ思歟。浦山ノ二字万雜也。莫如クハ彼二ニ也。〔謙堂文庫所蔵『庭訓往来註』五九右8〕

文明十四年寫『庭訓往来』〔龍門文庫蔵〕
 更に、『撮壤集』〔飯尾永祥著、一四五四(享徳三)年成立〕茶の子に此語を所載し、その存在を知ることになる。
 此外、印度本『節用集』〔弘治二年本・永禄二年本・尭空本・両足院本〕・易林本などの『節用集』類、そして、江戸時代に編まれた『書言字考節用集』などにも和語「くわゐ【烏芋】」の語は記述されてきている。

次に、江戸時代の注釈書での当該語の記載内容をみておくことにする。
契沖編『和名抄釋義』龍・第十七飲食部〔東京都立中央図書館河田文庫蔵〕
 烏芋
 俗用田烏子三字愚按烏黒義乎
 奈万為ハ黒久和為ハ白然則奈(クワ井ハ鍬藺ナルヘシ葉形鍬ニ似タリ)万為可用烏芋欤〔契沖全集第十六卷三八七頁下段〕
と記載し、標記語「烏芋」の語に俗用として「田烏子」について「烏黒義」と注解を以て示す。そのあとに「奈万為(なまゐ)」→「黒久和為」とし、右傍らに「クワ井ハ鍬藺ナルヘシ葉形鍬ニ似タリ」と記す(この箇所は全集未記載)。

狩谷棭齋『倭名類聚鈔箋注』〔東京都立中央図書館河田文庫蔵〕卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九〔八四オ・ウ〕
【翻刻】
烏芋 蘇敬本草注云烏芋[和名久和井○下總夲有和名二字夲草和名云和名於毛多加一名久呂久和爲]生水中澤舄之類也[○所引果部中品文下總夲作寫那波本同與原書合夲草和名引作舄與舊同證類夲草引作瀉夲草云烏芋一名藉姑二月生葉葉如芋陶注云今藉姑生水田中葉有椏狀如澤寫不正似芋其根黄似芋子而小煮食乃可噉疑其有鳥名今有烏者根極相似細而美葉乖異狀頭如莞草呼爲鳬茨恐此非也蘇注云此草一名槎牙一名茨菰葉似錍箭鏃按陶注藉姑蘇注茨菰槎牙詳其形狀可充久和爲陶注𦳓茨其個不可讀雖似有誤𦳓茨即烏芋故夲草圖經云烏芋今𦳓茨也苗似龍鬚而細正青色根黒如指大輔仁訓爲久呂久和爲是也然夲草統言以藉姑爲烏芋一名陶注混個二物蘇所個亦是藉姑故源君訓久和爲也其實藉姑訓久和爲烏芋訓久呂久和爲爲允久和爲钁藺也其莖似莞其葉似钁鑱故名之烏芋根似藉姑而黒故名久呂久和爲其葉不似钁鑱也又輔仁烏芋或訓於毛多加按於毛多加其葉如人仰見之狀故有是名當以東醫寶鑑野慈姑草花譜慈姑花充之其草頗似藉姑則知輔仁所云於毛多加以訓藉姑非訓烏芋也]

狩谷棭齋『倭名類聚鈔箋注』〔明治十六年刊森立之〕卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九
【翻刻】〔曙出版下冊卷九果蓏部第廿三果蓏類百十九〔八九四頁〕
烏芋 蘇敬本草注云、烏芋、[久和爲下總本和名二字、」本草和名云、和名於毛多加、一名久呂久和爲、]生水中、澤舄之類也、[○所引果部中品文、下總本寫、那波本同、與原書合、本草和名引作舄與舊同、證類夲草引作瀉、」本草云烏芋、一名藉姑、二月生葉、葉如芋、陶注云、今藉姑生水田中、葉有椏狀、如澤寫、不正似一レ芋、其根黄、似芋子、而小検食乃可噉疑其有鳥名、今有烏者、根極相似、細而美、葉乖異、頭如莞草、呼爲鳬茨、恐此非也、蘇注云、此草一名槎牙、一名茨菰、葉似錍、箭鏃、案陶注、藉姑、蘇注茨菰槎牙、詳其形狀、可久和爲陶注𦳓茨其說不讀、雖誤、𦳓茨卽烏芋、故本草圖經云、烏芋今𦳓茨也、苗似龍鬚一而細、正青色、根黑如指大輔仁訓爲久呂久和爲是也、然本草統言藉姑烏芋一名陶注說二物、蘇所說亦是藉姑、故源君久和爲也、其實藉姑久和爲、烏芋訓久呂久和爲、爲允、久和爲、钁藺也、其莖似莞、其葉似钁鑱、故名之、烏芋根似藉姑、而黑、故名久呂久和爲、其葉不钁鑱也、又輔仁烏芋或訓於毛多加、按於毛多加、其葉如人仰見之狀、故有是名、當以東醫寶鑑野慈姑、草花譜慈姑花之、其草頗似藉姑、則知輔仁於毛多加、以訓藉姑、非烏芋也]
【語解】
○「允」に爲り、「久和爲」は、「钁藺」なり〈也〉。
○故に、『本草圖經』に云く、「烏芋」は今、「𦳓茨」なり〈也〉。
烏芋 烏芋味苦甘微寒無毒主消渴痹熱温中益氣一名藉姑一名水萍二月生葉如芋三月三日採根暴乾 圖經曰烏芋今𦳓茨也。舊不著所出州土 苗似龍鬚而細正靑色根黑如指大皮厚 有毛又有一種皮薄無毛者亦同田中人 并食之亦以作粉食之厚人腸胃不饑服 丹石人尤宜蓋其能解毒爾又爾雅謂之
芍 陶隱居云今藉姑生水田中葉有椏狀如澤瀉不正似芋其根黄似芋子而小煮之亦可饌疑其有烏者根極相似細而美葉乖異狀如莧草呼爲𦳓茨恐是此也。
○椏 烏牙/切 唐本注云此草一名槎牙一名茨菰主百 毒産後血悶攻心欲死産後難衣不出搗汁服一升生水中葉似錍箭鏃澤瀉之類也。[卷三五・39ウ]

○當に『東醫寶鑑』には「野慈姑」、『草花譜』には、「慈姑花」を以て之れに充るべし。
『東醫寶鑑』「野慈姑」
 李氏朝鮮時代の医書。廿三編廿五巻。許浚著。一六一三(慶長一八)年に刊行。
 湯液編(全三巻)薬物に関するもの
 巻一  湯液序例、水部、土部、穀部、人部、禽部、獣部
 巻二  魚部、蟲部、果部、菜部、草部(上)
 巻三  草部(下)、木部、玉部、石部、金部
江戸時代の將軍徳川吉宗公は、此の湯液編(全三巻)にとりわけ関心を示し、棭齋は此の内容を以て備忘参考資料書を元に記述したものと見る。
実際、「野慈姑」の標記語では見えず、「野茨菰」で記載する。
『草花譜』「慈姑花」
飯室庄左衛門著、一八〇〇(寛政一二)年刊〔写本で国会図書館蔵〕
実際、「慈姑花」の標記語では見えない。

新井白石『東雅』三冊〔享保四年成、明治三十六年刊〕
烏芋クワヰ 白地栗 剪刀草 槎丁草 雨久花
烏芋クワヰ 倭名鈔に、澤寫一名芒芋、ナマヰといふ、烏芋はクワヰ、生水中、澤寫の類也と註せり、ナマヰといひ、クワヰといふ。義不詳。
ヰといふはイモといふ語の急なるなり。二物幷に芋の名ありて倭名鈔に、亦芋類に収載せし卽是也。ナマとは生也。クヮとは鍬也。その莖葉をつらね見るに、鍬の形に似たる故也。鍪の飾に鍬形といふものを古語に相傳へてオモタカの葉のひらけたるに、かたとれりなどいふも此義なる也。《注略》それをシロクワヰといふは、倭名鈔に見えし烏芋、彼俗に葧臍なといひ、此にクワヰといふものに、紫黑二種あるに對しいふなり。其慈姑は、三瓣の小白花を開くなり。慈姑の如くにして深藍色の花を開きぬるをも、雨久花などいふなり。〔卷十三○穀蔬第十三、三七八頁~三七九頁〕
※白石は『和名抄』を引用し、此語を記載し、俗用に「葧臍」の語を示す。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
う-う【烏芋】〔名〕(1)植物「くろぐわい(黒慈姑)」の漢名。*異制庭訓往来〔一四C中〕「柏実椎榛栗烏芋芡生栗干栗」(2)植物「くわい(慈姑)」のこと。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕九「烏芋 蘓敬本草注云、烏芋〈久和為〉生水中、沢舄之類也」
からす-いも【烏芋】【方言】〔名〕(1)植物、からすびしゃく(烏柄杓)。《からすいも》長野県北佐久郡485静岡県524(2)烏瓜(からすうり)の実。《からすいも》栃木県西部198(3)植物、きからすうり(黄烏瓜)。《がらすいむん》鹿児島県奄美大島965
くわい[くわゐ]【慈姑】〔名〕(1)オモダカ科の水生多年草。中国原産で、古くから各地の水田で栽培される。高さ九〇~一二〇センチメートル。ほぼ球形で径三~四センチメートルの青色の塊状の地下茎から、長柄のある鏃(やじり)形で長さ二〇~三〇センチメートルぐらいの葉を叢生する。秋、葉間から花茎をのばし、白色の三弁花を円錐状につける。地下茎は食用になり、その液汁は、やけどに効くという。漢名、慈姑。しろぐわい。ごわい。学名はSagittaria trifolia var. edulis 《季・春》*堀河百首〔一一〇五(長治二)~〇六頃〕雑「種つ物み園にまきついさこ共外面の小田にくはひひろはん〈藤原顕仲〉」*俳諧・誹諧初学抄〔一六四一(寛永一八)〕末春「くはゐ はすの根ほる」*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕五「慈姑(クワイ) 其子は根蔓の末より生ず。旧本はかれて、母子は、のこりて又来春生ず。水田に多くうゑて利とす。甚繁生す。味美し」*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕六「慈姑 クハヰ シロクハヰ」*日本植物名彙〔一八八四(明治一七)〕〈松村任三〉「クワヰ ゴワヰ スイダグワヰ アギナシ 慈姑」(2)植物「くろぐわい(黒慈姑)」の古名。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕九「烏芋蘓敬本草注云烏芋〈久和為〉生水中沢舄之類也」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「烏芋 クワヰ 沢瀉之類也」*名語記〔一二七五(建治元)〕八「くはい 如何、答烏芋とかけり、くろはたやきの 反、くはいをくわいといへる也」【方言】【植物】(1)「くろぐわい(黒慈姑)」。《きわいつる》播州†034《ごや》阿州†039香川県037《ごよ・ごい》新潟県一部030(2)「おもだか(沢瀉)」。《くわい》香川県037《くわいぐさ〔─草〕》和歌山県690692《ごわい》能州†039《ごおわゃあ・ごわ》京都府竹野郡622(3)「あまな(甘菜)」。《ぐわい》広島県比婆郡773(4)「つるぼ(蔓穂)」。《くわい》西州†035(5)「ががいも(蘿藦)」。《くあい》山口県玖珂郡・都濃郡794(6)「あぎなし(顎無)」。《くわいぐさ》和歌山県新宮市692【語源説】(1)葉の形から、「クヒワレヰ(噛破集)」の義〔大言海〕。(2)「クリワカレヰ(栗分率)」の義〔名言通〕。(3)根は黒くて丸く、葉は藺に似ているところから、クワヰ(黒丸藺)の義か〔和字正濫鈔〕。(4)「クアヰ(顆藍)」の義〔言元梯〕。(5)味が栗に似ているところから、「クハヰグリ」の略。ハヰは若い意〔滑稽雑談所引和訓義解〕。(6)水生であるところから、「カハイモ(河芋)」の転略か〔和語私臆鈔〕。【発音】〈なまり〉カヰ〔福岡〕グアイ〔島根〕クアエ〔紀州・和歌山県〕クヮイ〔長崎〕グワイ〔愛知・島根〕クワエ〔徳島〕グワエ〔周防大島〕クヮヤー〔佐賀〕〈標ア〉[0]〈ア史〉平安○●●〈京ア〉(0)【辞書】和名・色葉・名義・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・言海【表記】【烏芋】和名・色葉・名義・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林【慈姑】書言・言海【鳬茈・沢瀉】色葉【鳬茈】天正【図版】慈姑(1)

補注「田烏子(くわゐ)」は、『庭訓往来』十月返狀に付載語で、同時代の『庭訓往来注』に引用されていて、拙論「『庭訓往来註』にみる室町時代の古辞書について―その十六 十月日の返状、語注解―〔駒澤大学総合教育研究部紀要第十号、二〇一六年三月刊の六八一頁~六八四頁に所載〕

リンヱ【輪廻】→「リンクワイ」「リンネ」

2023-11-20 13:51:47 | 日記
2012.04.11~2023/11/20 更新
リンヱ【輪廻】
                             萩原義雄識

0224-46「輪廻(リンヱ)」(069-2012.04.11)⇒「廻文歌」(069-2000.084.09)
 室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「利」部に、
 輪廻(リンエ) 。〔元亀二年本・利部七一5〕
 輪廻(リンエ) 。〔静嘉堂本・利部八六6〕
 輪廽(  ヱ) 。〔天正十七年本・利部上四三オ1〕
 輪廽 。〔西來寺(天正十五年)本一三〇頁1〕
とあって、標記語「輪廻」の語を収載し、訓みは上記の如く諸本それぞれやや異なっているが訓みを「リンヱ」とし、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』二月廿四日返状に、
和歌者雖仰人丸赤人古風未究長歌短哥旋頭混本折句沓冠風情輪廻傍題打越落題之躰詩聯句者乍汲菅家江家之舊流忘序表賦題傍絶韻聲質如猿猴之似人。〔至徳三年本〕
和哥者雖仰人丸赤人之古風未究長哥短哥旋頭混本折句沓冠風情輪廻傍題打越落題之躰。詩聯句者乍汲菅家江家之舊流更忘序表賦題傍絶韻聲之資([質])。頗如猿猴之似人。〔宝徳三年本〕
和歌者雖仰人丸赤人古風未究長歌短哥旋頭混本折句沓冠之風情輪廻傍題打越落題之躰。詩聯句者乍汲菅家江家之旧流更忘序表賦題傍絶韻聲之質。頗如猿猴之似人。〔建部傳内本〕
倭歌者(ハ)雖仰クト人丸赤人之(ノ)古風ヲ未タス長歌短哥旋頭混本折句沓冠之(ノ)風情輪廻傍題打越落題之(ノ)躰ヲ詩聯句者(ハ)乍ラ菅家江家之(ノ)舊流ヲ更ニ忘ル序表賦題傍絶韻聲之(ノ)質(スカタ)ヲ。頗ル如ク猿猴(エンコウ)ノ似タルガ人ニ。〔山田俊雄藏本〕
和歌者(ハ)雖モ仰グト人丸赤人之古風ヲ究メ長歌短歌旋頭混本折句沓冠風情輪廻傍題打越落題之躰ヲ詩聯句者(ハ)乍ラ汲ミ菅家江家之旧流ヲ更ニ忘ル序表賦題傍絶韵聲之質(スカタ)ヲ。頗ル如シ猿猴ノ似タルガ人ニ。〔経覺筆本〕
和歌(ワカ)者(ハ)雖(イヘトモ)仰(アヲク)ト人丸(ヒトマル)赤人(アカヒト)之(ノ)古風(コフウ)ニ未(イマタ)ス究(キワメ)長歌(チヤウカ)短哥(タンカ)旋頭(せントウ)混本(コンホン)折句(ヲリク)沓(クツカムリ)冠(カンムリ)之(ノ)風情(フせイ)輪廻(リンエ)傍題(ハウタイ)打越(ウチコシ)落題(ラクタイ)之(ノ)躰(テイ)ヲ詩(シ)聯(レン)句(ク)者(ハ)乍(ナカラ)レ汲(クミ)菅家(カンケ)江家(カウケ)之(ノ)旧流(キウリウ)ヲ更(サラ)ニ忘(ワス)ル序表(シヨヘヨウ)賦題(フタイ)傍絶(ハウせツ)韻聲(インシヤウ)ノ質(スカタ)ヲ。頗(スコフ)ル如(コト)シ猿猴(エンコウ)之(ノ)似(ニタル)カ乍(ナカラ)人(ヒト)ニ。〔文明十四年本〕
と見え、標記語「輪廻」に、訓みは文明十四年本に「輪廻(リンエ)」と記載する。
 古辞書では、院政時代の三卷本『色葉字類抄』(一一七七-八一年)・鎌倉時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「輪廻」の語を未収載にする。仏教語「輪廻」の語としての所載は、降って室町時代以降を俟たねばならない。次に示す。
 古辞書、『下學集』〔(一四四四年成立・元和三年(一六一七年)版)〕に、
 輪回(リンエ)〔元和本疊字門一五九頁1〕
とあって、「輪廻」の語を収載する。
 増刊『下學集』(文明頃、飛鳥井榮雅編)に、
 輪廽(リンエ) 。〔利部・言語門十九ウ6〕
とあって、「輪廻」の語を収載する。
 広本『節用集』(一四七六(文明六)年頃成立)には、
 (リン)()[平軽]マワス、クワイ・メグル 。〔利部・態藝門一九八頁6〕
とあって、標記語「輪廻」の語を収載し、訓みは「リンヱ」と記載する。
 印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・堯空本・両足院本『節用集』に、
 輪廽(リンエ) 。〔弘治二年本・五八3〕
 輪廽(リンエ) 。〔永祿二年本・五九2〕
 輪廽 。〔堯空二年本・五三7〕
 輪廽(リンヱ) 。〔両足院本・六一8〕
とあって、標記語「輪廽」「輪廻」の語を収載する。
 次に易林本『節用集』に、
 輪轉(リンテン) 。輪廻( ヱ) 。輪番(バン) 。〔利部・言語門五七5〕
とあって、標記語「輪廻」の語を収載する。
 饅頭屋本『節用集』に、
 輪廽(リンエ) 。〔利部・雜用門九ウ4〕
とあって、標記語「輪廽」の語を収載する。
 江戸時代の『書言字考節用集』に、
 輪囘(リンエ) 生―。死―。〔平楽寺板六八九頁7・10-51-5〕
とあって、標記語「輪囘」の語を収載し、訓みを「リンエ」とし、語注記には「生―。死―」とだけ記載して仏教語本意の注記内容と見て取れる。
 このように上記、当代(室町時代)の古辞書においては、『下學集』、広本『節用集』、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・堯空本『節用集』、易林本『節用集』『運歩色葉集』には、標記語「輪廻」の語を収載する。だが、語注記の内容としては、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見える「輪廻」の註記文の内容は引用哥の表記と末部「此ノ躰ノ事也」と「杜若を句の上に置き讀み給ふなり」とあって、連歌俳諧の専門用語に用いる特異な注記内容として記述することがあるに過ぎない。此れが上記、古辞書類の標記語の訓みだけを記載する内容と果たして合意するものかは明らかにできない。そして、江戸時代の『書言字考節用集』の注記は、仏教語の本意に繋がる「生―。死―。」にのみ伝えてるという意義のギャップを此を以て知らねばなるまい。
 真名本『庭訓徃來註』二月廿四日返状に、
 069 輪廻 哥ニ云、長キ夜ノ十ノ眠(ネムリ)ノ皆目醒波乗リ舟ノ音トノ善哉。此ノ哥ハ順逆ニ読哥也。云々。〔謙堂文庫藏十一右2〕
※静嘉堂文庫蔵『庭訓徃來抄』には、「輪廽(クワイ)」とし、その頭冠書込みには「△輪廽ノ哥ニ云ク、キシヒコソマツカミキワニコトノネノトコニハキミカツマソコヒシキ」と記載し、尾沓書込みには「●輪廻/おしめどもついにいつもと行春ハくゆともついにいつもとめじをいふこと也」と記載する。
とあって、標記語「輪廻」とし、訓みは漢音「リンクワイ」、語注記は「哥に云く、長き夜の十の眠(ネムリ)の皆目醒め波乗り舟の音(おと)の善き哉。此の哥は順逆に読む哥なり。云々」と記載する。
 古版『庭訓徃来註』では、
 輪廻(リンエ)ハ前ニ有事也。〔上8オ五〕
とあって、標記語「輪廻」の語を収載し、訓みは「リンエ」と記載し、語注記は「前に有る事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年〔一八〇〇〕版)に、
未(いま)だ長歌(ちやうか)短哥(たんか)旋頭(せんどう)混本(こんぼん)折句(をりく)沓冠(くつかむり)之(の)風情(ふぜい)輪廻(りんゑ)傍題(ほうだい)打越(うちこし)落題(らくだい)之(の)躰(てい)を究(きわ)め未(ず)/未タ究長歌。短歌。旋頭。混本。折句。沓冠。之風情。輪廻。傍題。打越。落題。之躰。是は皆和歌乃よみ方ときすとなり。風情と云躰と云ミなそのすかたなり。〔9ウ四~七〕
とあって、この標記語「輪廻」の語を収載し、訓みを「りんゑ」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
 和哥(わか)者(ハ)、雖仰人丸(ひとまる)赤人(あかひと)之(の)古風(こふう)を仰(あふ)ぐと雖(いへども)、長歌(ちやうか)短哥(たんか)旋頭(せんどう)混本(こんぼん)折句(をりく)沓冠(くつかむり)之(の)風情(ふぜい)輪廻(りんゑ)傍題(ほうだい)打越(うちこし)落題(らくだい)之(の)體(てい)を/和哥者。雖レ仰人丸。赤人。之古風。長歌。短歌。旋頭。混本。折句。沓冠。之風情。輪廻。傍題。打越。落題之躰。▲輪廻ハ廻文(くわいぶん)ともいふさかさまによみても同(おなじ)き哥なり。√仁和帝(にんわてい)の合薫(あハせたきもの)すといふことを詠み給ふ御哥√あふさかも(六)は(二)てハゆきゝのせきもいず(八)た(四)つねてとひし(九)き(五)みハかへさじ(十)。
とあって、標記語「輪廻」の語を収載し、訓みを「りんゑ」とし、語注記は、「輪廻ハ廻文(くわいぶん)ともいふさかさまによみても同(おなじ)き哥なり。√仁和帝(にんわてい)の合薫(あハせたきもの)すといふことを詠み給ふ御哥√あふさかも(六)は(二)てハゆきゝのせきもいず(八)た(四)つねてとひし(九)き(五)みハかへさじ(十)。」と記載していて、連歌俳諧の「廻文」との聯関性について記述する。『庭訓往来』での「輪廻」に関わる注解では、凡て仏教語本来の意義とはかけ離れた連歌俳諧の用語説明が主流とし、仏教語「輪廻」とは異なるものへと展開してきている。
 こうしたなか、『日葡辞書』(一六〇三-〇四年成立)には、
 Rinye.リンエ(輪廻)Vauo meguru.(輪を廻る)すなわち、Mayo>.(迷ふ)さまざまな転生や変身の一続きの輪をたどりつつ、霊の救われる道を迷い歩く。ただし普通には、人がすでに忘れていなければならなかった事とかについて、繰り返し同じ事を言う意。例、Rinye xita cotouo yu<.(輪廻した事を言ふ)他人の感情を害したりしないためにだまっていなければならなかった事を、再び繰り返して言う。〔邦訳五三四頁l〕
とあって、標記語「りんゑ【輪廻】」の語を収載し意味は「(輪を廻る)すなわち、Mayo>.(迷ふ)さまざまな転生や変身の一続きの輪をたどりつつ、霊の救われる道を迷い歩く。ただし普通には、人がすでに忘れていなければならなかった事とかについて、繰り返し同じ事を言う意」とあって、本来の仏教語として意味を伝え記載し、連歌俳諧用語としての「輪廻」については一切触れずじまいにある。彼らが本邦の『庭訓往来』ついて読み解くことを避けてきたとは到底思えないのだが、この語への取扱いについては、稍その編纂姿勢が違い、通俗語性を重視していて、「(輪廻した事を言ふ)他人の感情を害したりしないためにだまっていなければならなかった事を、再び繰り返して言う」とし、置換語でいえば、「愚痴(グチ)」となる語意を記載する。

 明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、
りん-ゑリンネ〔名〕【輪廻】(一)衆生の、無始以來、六道の生死に旋轉すること、車輪の轉じて、窮りなきが如きを云ふ。るてんりんゑ(流轉輪廻)の條を見よ。法華經、方便品「以諸欲因縁、墜階三惡道六趣中、備受諸苦毒」榮花物語三十、鶴林「天上の樂しみも、五衰早く來り、乃至、有頂も輪廻期なし」雜體(二)未練がましきこと。執着心の深きこと。薩摩歌(元禄、近松作)中「過にしことを輪廻深く、言ふ氣はさらさら無いものを、云云」(三)和歌のくヮいぶん(廻文)に同じ。庭訓徃來、二月輪廻、傍題、打越、落題之體」〔4-819-2〕
とあって、標記語「りん-ゑ【輪廻】」の語を収載する。
 現代の『日本国語大辞典』第二版に、
りん-え[:ヱ]【輪廻】〔名〕→りんね(輪廻)
りん-ね[:ヱ]【輪廻】〔名〕({梵}sam.sa-raの訳語「りんえ」の連声)①仏語。回転する車輪が何度でも同じ場所に戻るように、衆生が三界六道の迷いの世界に生死を繰り返すこと。*文華秀麗集〔八一八〕中・答澄公奉献詩〈嵯峨天皇〉「頼有護持力、定知絶輪廻」*観智院本三宝絵詞〔九八四〕下「その子ひじりにあらず、神通なければ輪廻すらむをも見ずしてゆくべき事かたし」*宇津保物語〔九七〇~九九九頃〕俊蔭「輪廻しつる一人がはらに八生やどり、二千人がはらにおのおの五八生やどるべし」*苔の衣〔一二七一頃〕三「いづることなく、りんゑのきづなにまとはれて」*浮世草子・諸国心中女〔一六八六〕三・四「男女婬楽互(たかひに)抱臭骸(くさきかばねをいだく)と囀(さべ)りをきてきたなき物の最上とす。子をまうけて愛心を動かし親と成てはむつかしと嫌はれ旅途に出ては古郷を案じ戦場にして妻子に輪廻(リンエ)し」*心地観経ー三「有情輪廻、生六道、猶如車輪無終始」②同じことを繰り返すこと。*日葡辞書〔一六〇三~〇四〕「Rinye(リンエ)シタ コトヲ ユウ〈訳〉口にしてはならなかった、人の心を傷つけるようなことをくりかえし言う」③執念深くすること。執着心の強いこと。未練がましいこと。*浄瑠璃・出世景清〔一六八五〕二「十蔵たもとをふりきって、ゑゑりんゑしたる女かな。そこのけとつきのけて」*浄瑠璃・艷容女舞衣(三勝半七)〔一七七二〕下「お気に入らぬとしりながら、未練な私が輪廻(リンヱ)ゆへ」④連歌・俳諧の付合で、三句目に同意・同想の語や意味を繰り返すこと。去嫌(さりきらい)の一つで、数句隔てて反復する遠輪廻とともに、変化を尊ぶ文芸として忌み嫌われる。*異制庭訓往来〔一四C中〕「連歌者如漢聯句〈略〉号花下新式、定輪回傍題韵字」*連理秘抄〔一三四九〕「一、輪廻、薫物といふ句にこがると付きて、又紅葉を付くべからず。舟にてはこれを付くべし。こがると云ふ字かはる故なり」⑤一八九九年、アメリカの自然地理学者デービスの提唱した地形の変化についての概念。侵食輪廻や堆積輪廻など、地学現象が一定の順序で繰り返すという。【発音】〈標ア〉於[リ]〈京ア〉[リ]【辞書】下学・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【輪廽】文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本【輪囘】下学・書言【輪廻】易林【輪回】ヘボン
とあって、標記語「りん-え【輪廻】」の語を収載し、見出し語「りんえ(ゑ)【輪廻】」の単独立項用例とはせずに此の「りんね【輪廻】」に統括するものとなっている。また、『庭訓徃來』の語用例も『異制庭訓往来』『連理秘抄』に譲り、収載を見ないものとしている。慥かに、④の意での説明はあるが、国語辞典の意味説明として読み理会するには稍高尚の説明となりすぎていると吾人は考える。むしろ、大槻文彦編『大言海』の(三)「和歌のくヮいぶん(廻文)に同じ」とする意味説明の方が惑わずにその意義に到達できるのではと考えている。

 まとめ
いま、此の室町時代全般に亘って、連歌俳諧の語研究として、此の「輪廻」について見定めていかねばならないとき、当代の往来物資料で、仮に、⑴過去の「輪廻」、⑵現在の「輪廻」、⑶未来の「輪廻」として時代の軸を室町時代に設定し、此の語を見定めようとしたとき、⑴は、当然仏教語本来の意味を云うことになり、「生と死」の観点からそのことを理会し得てこそ、⑵室町時代に連歌俳諧の「輪廻」という轉想が具現化されはじめ、室町時代の古辞書『下學集』『節用集』へ標記語と訓み「リンヱ」だけを記載することで、⑴と⑵の意味を共に認知できる知己者集団が誕生していたとみたい。そのなかにあって、印度本系の一種『和漢通用集』(標記語漢字、付訓ひらがなで表記)を引くことがその展開を繙くカギとなる。
 ○輪廻(りんゑ) 愚痴(ぐち) 〔一〇一頁7上〕
とあって、上記に示してきた古辞書類とは異なる語注記「愚痴(ぐち)」と記載している点にある。此語ももとは仏教語であるものの、此の時代「愚痴」は、小学館『日国』第二版の「(2)言っても仕方のないことをくどくどと嘆くこと。言ってもかえらぬこと、益のないことを言うこと。泣き言。*仮名草子・小さかづき〔一六七二(寛文一二)〕四・六「貪瞋痴の三毒といふは、是地獄のたねの第一也〈略〉痴は愚痴とて、かへらざる事をくやみ叶はざる事をおもふ事也」」とある意としている。こうした通俗語解釈があって、そうしたなかで、『庭訓往来』二月二四日に返状や『異制庭訓往来』『連理秘抄』の「輪廻」の語が意義派生していると推定される。同じ頃の末に、キリシタン資料『日葡辞書』が⑴にのみ言及していたことも注意せねばなるまいが、今は深く言及しない。むしろ、往来物資料の寺子屋教科書として普及を見る『庭訓往来』そのものに焦点をおいてみてきたことへの研究結果報告に基づいてまとめておくことになる。 「風情」と「輪廻」との間
 ⑴国会図書館所蔵甲本『庭訓往来』二月廿四日に返状
連歌者雖無常寂忍之舊徹ヲ未弁下
※十二字を記載保有する。
 ⑵静嘉堂松井文庫所蔵(小宮山氏旧蔵)松井甲本
此本二月返事ノ内ニ折句沓冠之風情ト輪廻傍題トノ間ニ連歌者雖學無常寂忍之舊徹トイフ十二字アリ。諸本ニ曾テミサル所ナリ。二月文章ニ連歌宗匠和歌達者一両輩可有御誘引トアレハ其答アルヘク且輪廻傍題打越落題ハ連歌ノ事ナレハコノ十二字ナクテハ義キコエカタシ。必諸本ニ落タルナリエリ云云
とあって、その上欄小宮山氏書込み注記として、
文藝類纂ニ此句ノ考證アリ。轍ノ字䖝ノ字皆訛リ又徹ノ下不讀不弁ナトノ二字アリシナラント云リ。とする。
⑶国会図書館所蔵乙本『庭訓往来』二月廿四日に返状
芳野自筆書込み
芳野按ニ今本此條ヲ脱せリ。徹ハ誤冩ニテ轍ナルヘシ。且輪字ノ上例ニ據レハ不曉トカ不辨トカアルヘシ。如此珍本他ニ校スヘキナシ。惜シムヘシ。とある。
⑷国会図書館所蔵丙本『庭訓往来』二月廿四日に返状
連歌者䖝((雖))學無常寂忍之舊徹 とある。
⑸内閣文庫本は、⑴に同じ。
「未弁ト」は小書きにする。
という諸本記載書込み部分にも及ぶ。
 斯く「輪廻」の語を読解してきたのだが、『庭訓往来』は、仏教語が離れ、通俗語としての「他人の感情を害したりしないためにだまっていなければならなかった事を、再びくどくどと何遍も繰り返して言う」意へと転じていて、此の内容を習學理会していくなかで、どうけじめづけてきたのかを改めて見つめ直す機会にもなった。
 いま、手塚治虫漫画作品『ブツダ』、『火の鳥』に描かれる「輪廻」は仏教語「輪廻転生」としていて、此の室町時代の文藝創作に関わった連歌俳諧との接点は、AIの技術を活用するなかで改めて新たな方向へ動き出すことになろうとしていることに近似た営みになろうとしている。

【羨者淨法也。非者染心也。淨法能出於輪廻深為利本染法返沉於苦海實可傷嗟諸佛出興大意為此。】

てらつつき【啄木鳥】

2023-11-15 20:23:13 | 日記
2012/10/07~2023/11/15 更新
てらつつき【啄木鳥】
                               萩原義雄識

 室町時代の古辞書である饅頭屋本『節用集』の初版本と増刋本における記載標記語には、全く異なる標記語を収載することに注目せねば成るまい。何故このように、初版と増刋と異なった標記を饅頭屋本は用いたのだろうかという編纂上の改編過程に注目して此の語彙を見ておくことにする。
 啄木鳥(テラツヽキ)。〔初版本・天部生類門59ウ②2〕
 →〓〔列+鳥〕(テラツヽキ)〓(同)。〔増刋本・天部畜類門59ウ②2〕
とあって、初版本では「啄木鳥」の標記語を採用し、和訓「てらつつき」の語を記載している。これを増刋本では「〓〔列+鳥〕(テラツヽキ)〓(同)」とし、単漢字「〓」と「〓」の二語を標記語として収載し和訓は同じく「てらつつき」と記載するようになるのである。この相異は、編纂者がまず、和語「てらつつき」の語に「啄木鳥」の語を示したことに始まる。
 この標記語は、平安時代末の古辞書、三巻本『色葉字類抄』、そして当代の易林本『節用集』にも採録された語となっている。
 次に増刋本で用いた「〓」も同じく三巻本『色葉字類抄』に採録する此の語は、それ以前の平安時代の源順編『倭名類聚鈔』にも用いられている。今その語例を小学館『日国』第二版を補助資料欄を以て示す。その前に輔仁『本草和名』、鎌倉時代の経尊編『名語記』などの語例を参照することができる。
 もう一つ、同で示された「〓」の語については、此の饅頭屋本が所載表記字としては最初のようである。
 そこで、現行の新潮『日本語漢字辞典』〔新潮社刊〕でこの字を繙くと、
 14980【〓〔列+鳥〕】6鳥 17画 レツ漢・レチ呉 意味鳥の名。啄木鳥(きつつき)。〔2521頁上段〕
 15002【〓〔谷+鳥〕】7鳥 18画 ヨク漢・呉 意味「蒼〓(クヨク)」は鳥の名。八哥鳥(はつかてう)。椋鳥(むくどり)の類で、中国南部から東南アジアに分布。他の鳥の鳴き声や人の言葉をまねる。〔2522頁中段〕
と、記載するに留まる。この語における実際の用例は未収載としている。因みに、此の辞典では、「けらつつき・てらつつき」の字用例は、饅頭屋本『節用集』初版の「啄木鳥」〔418頁中段〕にあって、「鳥の一類の総称。鋭いくちばしで木の幹に穴を開け、中にいる虫を食べる。足には鋭い爪(つめ)がある。◇「けらつつき・てらつつき」とも読む。◇「啄木(たくぼく)」ともいう。▼啐啄(そつたく)」と記載し、単漢字「堆」にも此の「啄木鳥」を引くようにみる。そしてやはり、実際の用例は未記載とする。
 この段階で、初版本の標記語が現行での辞典類に採用されていて、むしろ、増刋本の単漢字二語がある意味で特殊な字例ということになっていることは饅頭屋本『節用集』二種別の編纂意識の過程をどうみておくべきか、鳥名を三字熟語表記で表記するより、単漢字で表記することに当代の書記者たちが求めていたのかを知らねばなるまい。この点から連歌資料における魚鳥語句の取り扱いを考察することがその視座と言えよう。金子金治郎「南北朝連歌の一視点」〔広島大学「國語研究」KokugoKyoikuKenkyu_8_91〕に、
賦物にはまた一種の言語遊戯的な興味があった。賦島魚連歌であれば、鳥の名、魚の名をそれぞれ五十も読みこむわけであるが、そうなればありきたりの鳥名・魚名では間に合わない。当然耳馴れないもの、疎ましいものも出てくる。それは俳諸的興味を呼ぶものである。〔※傍線の附記は筆者が記載した〕
といった観点が働いていく結果をここに具現化しているとみては如何であろう。「ありきたりの鳥名・魚名では間に合わない」と高尚していく結果がこの饅頭屋本という古辞書編纂に如実に表出してきたとみる立場に今はある。そのなかで、飛鳥井榮雅編の増刋『下學集』との連関度合いが注目されてくる。このなかで、
 〓(テラツヽキ) 或云啄木。〔天部・畜類門65ウ⑤〕
とあって、標記語「〓」とした此の字例が吾人は饅頭屋本に何らかの影響を与えていたと見てきている。ただし、この語注記内容を丸ごと引用することはなく、「〓」字を配置した点は、上記連歌賦物の影響も反映していると考えている。

 室町時代の古辞書『温故知新書』に、
 〓(テラツヽキ)・鴗(同) 。〔て(梵字)部・中卷オ氣形門オ⑤4/5〕
とあって、これまた標記字を全く他の表記とは異にする。言わば、特異性の表記語例となっている。茲で、このあとに載せた『和歌集心躰抄抽肝要』の二つ目の「〓」字の「虫」扁に旁部「鳥」の単漢字は共通することからも、此の『温故知新書』と何等かの繋がりを有している証しとなっている。
 室町時代末の古辞書『運歩色葉集』
 啄木(テラツヽキ) 。〓(同)。〔元亀二年本・鳥名部370①〕
標記語「啄木」と「〓」の二種を所載し、
 室町時代連歌辞書『和歌集心躰抄抽肝要』に、
 啄木(寺ツヽキ) 。〔287①〕 孫(寺ツヽキ)。〓(同)。〔293⑧〕
とあって、標記語「啄木」「孫・〓」の三語を収載する。
 近世初期誹諧資料『毛吹草』夏部
 ひえ鳥 かし鳥 ましこ 〔列+鳥〕 虫くひ鳥
 つゞミ まめ鳥 ひたき むく鳥
とあって、「〔列+鳥〕」の標記語が用いられている。
 標記語のなかで周圏古辞書から饅頭屋本『節用集』増刋本の「〓〔列+鳥〕」の語はこのなかからは見出せない。
 江戸時代の元禄九年版『反古集』では、
 ・啄木 鳥ノ名也/又表具也
 啄木(タクボク) ダクボク/ダクリボクリ 〔太部諺─上ウ5〕
※字音「タクボク」の他に、「ダグボク」と「ダクリボクリ」の珍しい冠頭濁音表記の読みとする二つの和訓が記載されている。そのうえで、冠頭部には別に注記「鳥ノ名也/又表具也」と記載する。この「ダグボク」「ダクリボクリ」の語は象徴語の副詞となっていて、どのような場面に用いられてきたのかが今後の考察としたい。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
てら-つつき【寺啄】〔名〕鳥「きつつき(啄木鳥)」の異名。《季・秋》*本草和名〔九一八頃〕「喙木頭一名堆一名斵木鳥、和名天良都都歧」十巻本和名抄〔九三四頃〕七「斵木 爾雅集注云斵木一名堆〈音列 天良豆々歧〉好食樹中蠹者也」*梁塵秘抄〔一一七九頃〕二・四句神歌「小鳥の様(やう)かるは、四十雀(から)鶸鳥(めひはどり)燕(つばくらめ)、三十二相足らうたるてらつつき」*色葉字類抄〔一一七七~八一〕「堆 テラツツキ 音列啄木也」*壬二集〔一二三七~四五〕「ふりにける杜の梢にうつりきてあかずがほなるてらつつき哉」*名語記〔一二七五〕一〇「鳥のてらつつき如何。答、寺つつき也。ゆへは、聖徳太子の逆臣守屋を誅罸し給て、守屋が館を没官して、四天王寺を建立し、仏法をひろめ給へりしを、守屋が亡魂そねみて、鳥となりて来て、かの寺をたたき損せむとせし時より、寺つつきとなづけたりと申す」日葡辞書〔一六〇三~〇四〕「Teratçutçuqi(テラツツキ)」*俳諧・誹諧通俗志〔一七一六〕時令・八月「啄木鳥 テラツツキ」【方言】①鳥、きつつき(啄木鳥)。《てらつつき》仙台†058日光†066江戸†058長州†122周防†122青森県三戸郡083南部084岩手県088091097宮城県登米郡115和歌山県那賀郡696島根県725《おてらつつき〔御─〕》和歌山県有田郡040《ちらつつき》福島県155《てらちちき》島根県仁多郡723《てらじゃあつつき・てらだちぎ》岩手県九戸郡088《てらとどき》石川県能美郡012《てらこつき》奈良県山辺郡675《てらこっき》三重県名張市・阿山郡585奈良県宇陀郡680《てらだま・てらだ》岩手県九戸郡088《てらこ》岩手県和賀郡095奈良県吉野郡686鳥取県東部042《てらそ》富山県東礪波郡402岐阜県飛騨497《てらす・ててらす》岐阜県飛騨502《ててらそ》岐阜県大野郡498《てらっぽ》長野県西筑摩郡岐阜県益田郡502静岡県磐田郡546愛知県北設楽郡553②鳥、あかげら(赤啄木鳥)。《てらつつき》奥州†040岩手県007宮城県栗原郡007和歌山県西牟婁郡007《おてらつづき》和歌山市007《てらほっき》岩手県007《てらほんずき》岩手県西磐井郡007③鳥、まさあきやまがら(─山雀)。《てらつつきめ》とも。東京都八丈島338④容姿を特につくろう女。おしゃれ娘。《てらそ》岐阜県北飛騨492《てらす・ててらす》岐阜県飛騨502《てらっぽ》岐阜県益田郡502【語源説】(1)聖徳太子が四天王寺を建立した時、誅罸された物部守屋の霊がこの鳥になって寺をつついたところからという名語記・日本釈名・東雅・日本語源=賀茂百樹〕。(2)「」虫ケラ」などをつつく、「ケラツツキ」の転〔東雅〕。「ツラツキツク(貫突々)」の義〔名言通〕。【発音】〈ア史〉平安●●●●○〈標ア〉[ツ]〈1〉【辞書】和名・色葉・名義・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【〓〔列+鳥〕】色葉・名義・文明・伊京・明応・天正・黒本・易林・書言【啄木鳥】色葉・易林・書言【啄木】天正・饅頭・言海【斵木】和名【斲木】色葉【〓木・喙木鳥・孫・哲】名義【〓】饅頭【都盧鳥】書言

角川『古語大辞典』
てらつつき【寺啄】〔名〕鳥名。「きつつき」の異名。斵木、一名天良豆豆岐」〔和名抄〕「ことりのやうかるは、四十がらめひはどりつばくらめ、三十二相たらうたるてらつゝき」〔梁塵秘抄・四句神歌〕「扨、啄木とは、てらつつきといふ鳥の名なり」〔かたこと・二〕「守屋が亡魂と俗にいふてらつゝきといへる鳥、堂塔伽藍を突き崩す」〔伎・粂仙人吉野桜・初ノ口〕〕

いちじく【無花果】

2023-11-05 13:03:25 | 日記
2002/07/15から~2023/11/05 更新
いちじく【無花果】
                              萩原義雄識

 平安時代の『和名類聚抄』には、標記語「無花果」の語例は当然見えていない。とはいえ、突然表出した果樹ではなく、太古から「いちじく」は大陸アジアに存在し、以前にも記述したことだが、大陸渡来系の外来語(ペルシャ語「Ajjir」)の中国翻訳「映日果」を音で、「インヂィオ」(『日国第二版参照』)を耳で聞き取り、本邦で「いちぢく」「いちじく」と表記したという。ここで「ヂィ」の音を和語「じ」乃至「ぢ」と聞き取ったかでその表記となったことになる。中央の京都で濁音を避け、「し」と記載することが最も定着したと見れば、「いちじく」を優先することになる。

 李時珍『本草綱目』〔東京都立中央図書館諸橋文庫蔵〕
無花果」食物トウガキ釈名の永日果[便民圖纂]優曇鉢〈下略〉頭注書込み
師説 無花果 今ノイチシク 天仙果 古イチシクト呼モノ即今今ノイヌビハ也和訓ニテヨノハント云 勢州ノチヽタツホト呼フモノモ同科ナラン可考
という書込み内容に留意して見ておくと、本邦書記者は「イチシク」と訓み、第三拍を古形「し」清音表記する。博物学研究者としての有識文字意識と見て良かろう。その上で、国ことばという伊勢地方での「ちちたつほ」の語が注目語訓とも言える。江戸時代の越谷吾山『諸国方言物類称呼』〔一七七五(安永四)年刊〕巻之三に、
無花果『本艸釈名』にうとんげと有又芭蕉の花をもいふ也又天仙花[未詳]〔一六オ〕
と云うだけで、「勢州」の語も見えず、当然此の「チヽタツホ」の語を検証できていない。特異な語訓の記述と見て良い。現在の「いちじく」と古の「いちしく」=「イヌビハ」では、小学館『日国』第二版の図絵を見ても葉が異なっていることに気づかれよう。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
いちじく【無花果・映日果】〔名〕(1)クワ科の落葉小高木。小アジア原産で江戸初期に渡来し、各地で栽植される。高さ二〜五メートル。樹皮は褐色。多く分枝し、幹、枝は湾曲する。葉は掌状に三〜五裂し、裏面に細毛をもつ。春から夏に倒卵形で肉厚の花嚢をつける。花嚢は中に無数の白い小さな花をもち、暗紫色か白緑色に熟し、食用となる。乾した茎、葉、実は駆虫、緩下剤、下痢止めになり、液汁は疣(いぼ)、うおのめなどに効くという。とうがき。ほろろいし。学名はFicus carica《季・秋》*俳諧・続猿蓑〔一六九八(元禄一一)〕夏「無菓花や広葉にむかふ夕涼〈惟然〉」*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕六「無花菓 イチヂク 一名映日菓。時珍云五月内不花而実出枝間者」*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕一〇「無花果(イチヂク)(〈注〉タウカキ)寛永年中 西南洋の種を得て、長崎にうう。今諸国に有之。葉は桐に似たり。花なくして実あり。異物なり。実は龍眼の大にて殻なし。皆肉なり。味甘し。可食。〈略〉又日本にもとよりいちぢくと云物別にあり。後にあらはすいちぢくに似たる故に、無花果をもいちぢくと云」*日本植物名彙〔一八八四(明治一七)〕〈松村任三〉「イチジク 無花果」(2)植物「いぬびわ(犬枇杷)」の異名。*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕一二「いちぢく(和品)無花果をもいちぢくと云。それには非ず。葉は木犀に似てうすく、冬おつ。其実、無花果より小なれども能似たり」【語源説】(1)映日菓の上下略、転音〔古今要覧稿〕。ペルシア語anjir を音訳して、シナで映日果といichijikuい、その近世音インヂクヲがイチヂクとなったものか〔外来語の話=新村出〕。(2)イチジュク(一熟)の義〔古今要覧稿・和訓栞後編・大言海〕。(3)イタメチチコボル(傷乳覆)の約転〔名言通〕。【発音】〈なまり〉イソズキ・イッヅク〔福岡〕イチジッ〔鹿児島方言〕イチジュク〔島原方言・NHK(長崎)〕イツズク・エジジク〔千葉〕イッヅキ〔熊本分布相〕イツヅク〔鳥取〕〈標ア〉[チ]〈京ア〉[ジ]【辞書】書言・ヘボン・言海【表記】【無花菓】書言【無花果】ヘボン【図版】無花果(1)

えいじつ-か[‥クヮ]【映日果】〔名〕植物「いちじく(無花果)(1)」の異名。*本草綱目-果部「無花果 釈名、映日果、優曇鉢、阿〓〔馬+旦〕、時珍曰、無花果凡数種、此乃映日果也」【発音】エィジツカ〈標ア〉[ツ][ジ]
いぬ-びわ[‥ビハ]【犬枇杷・天仙果】〔名〕クワ科の落葉低木。本州中部以西の暖地で池や海岸付近の林中に生える。高さ二~四メートル。樹皮はなめらかで灰白色、傷つけると乳白色の液汁が出る。葉は倒卵形か倒卵状長楕円形で先がとがる。雌雄異株で、春、小さな白い斑点が散らばったイチジクに似た花嚢を付ける。花嚢は径一五ミリメートルほどで、夏から秋にかけ紫黒色に熟し、食べられる。いたぶ。いたび。こいちじく。ちちのみ。やまびわ。学名はFicus erecta《季・夏》*和漢三才図会〔一七一二(正徳二)〕八八「天仙果(いぬひわ)〈略〉六七月無花結一実一柎二三顆状似枇杷而小初青熟赤紫色内満白細子小児喜食俗名犬枇杷」*日本植物名彙〔一八八四(明治一七)〕〈松村任三〉「イヌビハ コイチジク 天仙果」【発音】〈標ア〉[ヌ][ビ]【辞書】言海【表記】【犬枇杷】言海【図版】犬枇杷
とう-がき[タウ‥]【唐柿】〔名〕(1)植物「いちじく(無花果)」の別名。*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕一〇「無花果(いちぢく タウカキ)」*和漢三才図会〔一七一二(正徳二)〕八八「無花果 いちじゅく たうかき〈略〉俗云一熟 又云唐柿」(2)植物「トマト」の異名。【方言】(1)植物、いちじく(無花果)。《とうがき》長州†122筑前†039久留米†127新潟県一部030佐渡357山梨県一部030滋賀県一部030京都府030054大阪府一部030兵庫県047660664奈良県679鳥取県一部030島根県715724730岡山県753岡山市762広島県054776782山口県792玖珂郡791厚狭郡799香川県827小豆島829愛媛県030福岡県030築上郡873長崎県898熊本県030919大分県030939941《とがき》大阪府一部030兵庫県家島030《とんがき》愛知県一部030兵庫県030赤穂郡660《とうがい》山口県大島801《たあがき》大分県大分郡941(2)「無花果(いちじく)」の果実。《とうがき》山梨県南巨摩郡465(3)植物、「トマト」。《とうがき》岐阜県一部030(4)植物、「とうごま(唐胡麻)」。《どうがき》島根県美濃郡964【発音】〈なまり〉ターガキ〔豊後〕【辞書】言海【表記】【唐柹】言海

《コラム》「お茶菓子」に「西來果」と云う特別な菓子がつくられたそうだ。この茶の湯菓子は、「いちじく【無花果】」の実をベースにして、餡で包みこんだ特殊なもののようであったそうな。(私もまだ見ていない)製造元は鶴屋八幡か?これも定かでない。どなたか探求していただければと思う次第である。(2005,10,18萩原義雄記)
 「いちじく【無花果】」という果実樹木は、いつ頃どのように日本に渡来したものか?江戸時代も初期の寛永年間に、その名称が見受けられ、それ以前はこの果樹も本邦に伝来をみない植物であったのか?その疑問について探ってみたい。
 そして、この果樹を「いちじく」乃至は、「いちぢく」と表記呼称するに至ったその名称由来も考えてみることにする。
 現在、この果樹を「いちじく」と四音で表記し、第三音を濁音「じ」と表記する。語構成からみるとき、「いち」+「しく」と二音二音の語が膠着して成ったものであれば、漢字表記にして見るに「一如く」などと思えないではない。しかし、此の「いちじく」は渡来系のこともあって、和語ではなさそうだ。実は、外来語(ペルシャ語「Ajjir」)の中国翻訳「映日果」を音で、「インヂィオ」を耳で聞き取り、「いちぢく」「いちじく」と表記したことにある。茲で「第三拍」の「じ」と「ぢ」の表記の揺れが早くも生じていたことに注目しておきたい。この表記統一がなされるのは、明治時代を待たねば成るまい。そして、現代仮名遣いでは、「いちじるしい【著】」とならんで、「じ」表記をもってこの語を示している。この「じ」表記に統一されるまでの「ぢ」表記が長く表出している要因は何かを考えておく必要があろう。
 一時期、「いちじく浣腸」という「ぢ【痔】」の薬が知られ、病名の「【痔】」は、「ち」に濁点の「ぢ」であり、また、海の哺乳動物「鯨」が「くぢら」と「くじら」のいずれかの決着がつかない表記であることも助力となっていてか、この「イチジク」も「いちぢく」がひょっこり、どうしても顔をのぞかせてきていると推察する。
 現に、明治時代のへボン編纂の『和英語林集成』第三版にも、「いちぢく」と表記される所以であり、かつは八百屋の店先に「いちぢく」と書かれた品書きが見られるのもその表れと見ておきたい。(萩原義雄記2002,07,30)