2022/07/27更新
あまのがは【天河】
萩原義雄識
あまのがは【天河】源順編『倭名類聚抄』を註解した江戸時代の狩谷棭齋『倭名類聚抄箋註』卷一景宿類「織女」に記載の標記語「天河」についてまとめた。
⑴十巻本『和名抄』卷一景宿類「天河 兼名苑云天河一名天漢〈今案又一名漢河 又一名銀河也 和名阿万乃加波〉⑵廿卷本『和名抄』卷一景宿類「天河 兼名苑云一名天漢今按又名河漢銀河也[和名阿万乃加八]とし、十巻本と廿卷本とで若干の表記・語順に異なりを見せる。その1が「一名」表記の重出と省略。2に別名漢字表記「漢河」と「河漢」3に「案」字と「按」字、4に万葉仮名表記「阿万乃加波」と「阿万乃加八」となる。此の異同表記について、『倭名類聚抄箋註』が如何に註解しているかを述べておく。基本的には、十巻本を基軸としていて、2別名漢字表記「漢河」と「河漢」については「漢河」を用いる。だが、棭齋自身「河漢」の語も検証する。古辞書資料の観智院本『類聚名義抄』、十巻本『伊呂波字類抄』の書名を載せて示す。彼が古辞書を繙く環境下にあったことを重要視したい。②三巻本『色葉字類抄』阿部天象門に、「天河[平・平]アマノカハ 銀璜 同 漢河 同 銀漢 同 瓊浦 同 銀河 同 玉潤 同 天津 同 折木 同 天漢 同〔前田本・阿部天正門二四オ二九三頁5~7〕「③『伊京集』に、「天漢(アマノガハ) 天河 銀河/銀浦同〔安部天地門ウ1〕※末尾「銀浦」の語は他古辞書に所載を見ない語で、諸橋轍次著『大漢和辞典』の【銀】の熟語例も「銀鋪」の語例はあっても当該語は未収載とする。中国宋景文公『雞跖集』に「李賀名天河以銀浦」〔宋-楊伯喦『六帖補』の「天河」参照〕に見える語で書写編者は当代に伝来していた類編の資料書を参考に採択する。「天漢・天河・ 銀河・銀浦」と別名の語群を排列所載する。大谷大学本及び正宗文庫本、岡田希雄本に、「天漢(アマノカワ)天河(同)銀河(同)〔大谷・安部天地門七四頁1〕「天漢(アマノガワ)天河(同)銀河(同)〔正宗・安部天地門八九頁(四五オ)3〕「天漢(アマノガワ) 天河(同)銀河(同) 或云沫雪下末〔岡田・安部天地門オ3〕として、『伊京集』や広本『節用集』末尾の「銀浦」や「銀漢」の語例を添えずに書写しており、「銀浦」の語を後に増補したとなれば大谷本・正宗本がその増補以前の原形を示すともとれるのだが、逆に大谷本が『伊京集』と広本とで異なる語例を敢えて載せないとか、未載理由は未知なる情報語であったことともとれる。伊勢本系玉里本は「天河・ 銀河・銀漢」と標記語「天漢」を載せないが、末尾を広本と同じく「銀漢」の別名の語とする。標記語一例のみとする広本は『伊京集』に最も類する形態で、「天河」「銀河」「銀漢」の三語を所載する。「△ー(天)川(アマノガワ)[平・平]テン、せン同〔安部天地門頁3〕「△ー(天)漢(アマノガワ)[平・去]テン、カン・ソラ又天河・銀河、・銀漢同〔安部天地門3〕※「同」は上位語「天野」の注記「河内國酒ノ出所」となり、地上の川名として記載する。「天漢」と天象語を置く。語注記の標記字「銀漢」の語例が『伊京集』では「銀浦」に別名表記する点に着目したい。明應五年本は「 天河(アマノカワ)〔安部天地門左3〕※標記語「天河」に付訓「アマノカワ」とし、他別表記語は未記載とする。飛鳥井榮雅増刋『下學集』は「天河(アマノカハ) 天漢 銀河/皆同〔安部乾坤門六十七ウ4〕※語注記別記を「天漢」「銀河」の二語とする。『下學集』から変容していくなかで、古写本『下學集』には、「○銀河(ギンカ) 天河也〔天地門一七頁6〕」「あまのがは/わ」の標記語は未収載にし、同じく注記別記とする「銀河」を標記語とする。語注記に「天河」のを置く。この系統寫本とする是心本も同じ記載が見え、付訓を「アマノカワ」と表記する以外は異同を見ない。広島大増刋も同じ。標記語を明應五年本と同じ「天河」で付訓「アマノカハ」とし、語注記に「天漢」「銀河」の別表記の語を載せ、「皆同」と記載する。時代を室町末期に転じ印度本系黒本本における「天河」の語は「天河(アマノガハ)或云・天難(ヒ)漢・又云銀河朗詠集銀河注云和名阿摩乃賀波(アマノガワ)云々〔安部天地門〕※語注記内容が他の『節用集』より詳細となっている。「或は云ふ・天難(ヒ)漢。又云ふ・銀河。(和漢)朗詠集』銀河注に云く、和名阿摩乃賀波(アマノガワ)云々」としていて、別表記「天漢」「銀河」を載せ、書名『倭漢朗詠集』における「銀河」の注記に「和名、阿摩乃賀波(アマノガワ)云々」を記載する。『和漢朗詠集私注』(内閣文庫蔵)375銀河の詩「銀河沙漲三千界。梅嶺花排一万株。(銀河の沙漲る三千界、梅嶺花排く一万株」の注記に「雪中ノ即事 白銀河一ニハ名銀漢一ノ名ハ河漢。和ニハ名テ曰阿摩乃賀波。漢書曰銀騫奉テ漢武ノ使ヲ尋テ河源ヲ昇ル銀漢ニ。大庾嶺ニ有万林之白梅云云。」とする。黒本本系統の枳園本及び伊勢本系の天正十七年本に「天河(アマノカハ)或云・天漢・又銀河・又朗詠集銀河之注云和名曰阿摩乃賀波〔安部天地門〕〔下二三九頁4〕にも同等の語注記を記載する。印度本系二種の語例は「A系統末尾「ワ」表記・・・弘治二年本、永禄十一年本。伊勢本系の天正十七年本は「・天河(アマノガワ) 或云天漢(アマノカハ)又云銀河朗詠集銀河之注云・和名阿摩乃賀波〔弘治本・安部天地門ウ8〕※標記語「天河(アマノガワ)」、「天漢(アマノカハ)」とし、「ワ」と「ハ」と両用表記を示す。「・天河(アマノガワ) 或云天漢(アマノカハ)又云銀河朗詠集銀河之注云・和名阿摩乃賀波〔弘治本・安部天地門ウ8〕「・天河(アマノガワ) 或云天漢(アマノカワ)ト・又云銀河朗詠集銀河注云・和名阿摩乃賀波〔永禄十一年本・安部天地門一九〇頁3〕」・天河(アマノガワ) 又云天漢又云銀河朗詠集阿摩河〔伊勢本系、天正十七年本・天地門(百オ)四二三頁4〕「 ○天河(あまのがわ) ○天漢(同) ○銀河(同)〔『和漢通用集』安部天地門三三〇頁上段7〕」 B系統末尾「ハ」表記・・・永禄二年本、尭空本、経亮本、高野山本」・天河(アマノカハ) 或云天漢又云銀河朗詠集銀河之注ニ云・和ニハ名テ阿摩乃賀波ト〔永禄二年本・安部天地門一六六頁4〕「・天河(アマノカハ) 或云天漢又云銀河朗詠集銀河之注云・和ニハ名テ阿摩乃賀波〔経亮本・安部天地門4〕「・天河(アマノカハ) 或天漢又云銀河、朗詠集銀川之住云和ニ名テ曰阿摩乃賀波〔高野山本・安部天地門一九二頁7〕とあって、A系統とB系統共に共通の語注記の文言を示す。刷版系天正十八年本・饅頭屋本(初刊と増刋二種)・易林本は、各々特徴性を有している。「 天河(アマノガワ) 銀河(同) 或他銀漢〔堺本=天正十八年本・下卷安部天地門十六オ9〕「天河(アマノガワ) 〔饅頭屋本初刊安部天地門下冊六十一オ1〕「天河(アマノガハ) 〔饅頭屋本増刋安部天地門下冊六十一オ(二七四頁)1〕「天河(アマノカハ) 銀河(同(アマノカハ))〔易林本・下卷阿部(一六ウ)2〕」堺本だけが「天河・銀河・銀漢」の三語を所載する。傍訓「アマノガワ」とするのは堺本と初刊饅頭屋本であり、増刋饅頭屋本と易林本は末尾ハ行転呼音の回帰の「アマノガハ」と付訓する。古辞書資料における語中末尾ハ行転呼音について別稿に讓る。『節用集』全体のまとめとして、第一に、仮名遣い表記「は」と「わ」について述べておきたい。ハ行字からワ行字への移行が見る。キリシタン版(=ローマ字表記)『日葡辞書』に依って、「Amanogaua」とワ行表記。「ハ」から「ワ」への移行期は平安時代中期に始まっている。室町時代後半期の古辞書を中核にして一度は「わ」と表記していた語注語尾の語例が「は」と再び回帰する。印度本『節用集』及び刷版本系三種の『節用集』。饅頭屋本『節用集』の初刋本と増刋本も顕著に二分する。此の語中語尾に示す「わ」と「は」の表記について、古辞書以外の諸作品資料からも検証することが肝要となる。室町時代末に成った『運歩色葉集』完本二種(元亀二年本・静嘉堂文庫本)も検証する。「 ○天河(アマノカワ) ○銀河(同) ○銀漢(同) ○銀渚(同) 〔元亀本二五八頁2・3〕「 ○天河(アマノカハ) ○銀河(同) ○銀漢(同) ○銀渚(同) 〔静嘉堂本二五八頁2・3〕「○銀漢(アマノカワ) ○銀渚(同) 〔岡田真旧蔵本二五八頁2・3〕「とあって、二種の資料にあって、第五拍表記に差異が見えている。『節用集』類で見た傾向と同じ状況化にあるとすれば、元亀二年本と静嘉堂本における原本書写年時の先行と後行とが垣間見らたことにもなろう。精緻検証する方法として、猪熊本(岡田真旧蔵『節用集』)を取り上げる。上位「天河」「銀河」の標記語二語は未収載にし、下位部「銀漢」「銀渚」で共通、「銀漢」の付訓を「アマノカワ」としていて、元亀本に共通する。二字、一字、三字、四字熟語という排列語記載を採用していて、「あまのがわ」に四字の標記語を所載する。元亀二年本『運歩色葉集』〔阿部二六三頁6〕静嘉堂本『運歩色葉集』〔阿部二九九頁5〕「 ※注記に「万」とあって、『万葉集』乃至古註釈『仙覚抄』や『類葉抄』に此の語が所載されていず、典拠資料書名の冠字を以て引用を示すに過ぎない。『類葉集』〔延徳三(一四九一)年成る、京都府立総合資料館蔵〕を以て「あまのがは」のかな表記と漢字表記とを一覧した結果では、「天漢」三六例 「天河」一一例 「天川」二例 「天漢原」一例 「天之河」一例 「あまのかは」一例 「あまの河」三例を所載し、当該語の例は見えない。何を以ての記載なのかは今後の研究に俟ちたい。
2023/01/18 更新
契冲と『和名抄』
萩原義雄識
『和字正濫通妨抄』卷一、全集三一九頁~三五三頁に、
○正濫抄それにかなはぬ事あるかにて・大きに腹だちていへるやう・引證する所の・日本紀等の六國史・舊事紀・古事記・古語拾遺・萬葉集・菅家萬葉集・古今集等・其外家々ノ歌集・延喜式・和名抄等・すへて昔は假名つかひ法はいまた定まらさりけ」れは・皆かな乱てあれは・これらによらは・かなつかひの法はなくて・いかやうにかきてもくるしからぬになるへし。〔一ウ〕
○本朝にして假名の事においては・日本紀、古事記、萬葉集等は、聖經のことし。其他の諸史、菅家万葉、延喜式、古今等は賢傳のごとし。和名鈔等は漢儒以下の註疏のことし。これらを除ては、和國に書なし。〔四六ウ〕
という。茲で契冲は、『和名類聚抄』なる書物にも接し、その概要を他の書籍類に比較し、「漢儒以下の註疏のことし」と説明する。
この前にも、
○假名つかひの法、徃昔いまた不定、日本紀より三代實録までの國史、万葉集、新撰万葉、古語拾遺、古事記、延喜式、和名抄、古今和哥集、其外家々の集のかな、よみこゑとりましへ、又はをおえゑ等乱てあり、今かやうの書を假名の證據とさためかたし。しかれとも、其中に用不用あり。とるへきものをとり、取かたきものはとらさる也。右の書を證據とする時は、仮名遣の法はなき也。いかやうにかいてもくるしからぬになるへし。假名の法は、平上去入の四声にしたかひてさたまりぬ。〔四五ウ〕
として、表記文字は異なるが「和名抄」を挙げている。
地名を記述するは、『和名類聚抄』廿巻本に所収と位置づけれているのだが、やはり、次のごとく見える。
○一中ゐ〈略〉員數なとの時、ゐんなるは〈これもまた〉呉音欤。和名に、伊勢國郡名員辨[爲奈丶倍]、他書には猪名部とかける所にかく用たり。〈略〉和朝の假名にては・六國史、萬葉、和名等を依憑して、證據なき今案の口傳を信せぬを、眼あり智ある人いふへし。〔三〇ウ〕
○奥お〈略〉下にかく事は、いとすくなけれと、全くなきにはあらす、和名鈔に、大隅國郡名、囎唹[曾於]、又箕面[みのお]これらあり、〔三五オ〕
○たとへは印の字は、伊刃(ジン)ノ切にて、音いんなる故に、播磨國の郡の名、印南をは、和名に、伊奈」美と注し、日本紀、万葉等に、稻美ともかける事、めつらしからぬを、此先生は、〈無理に〉ゐんと書へしと〈いひ〉、因縁の因の字、〈匀會に伊眞〉〈於人(ヲジンノ)〉切いんなる〈故に、昔稲羽とかける國の名も、因幡と假り字に書、和名にも、以奈八と注したる〉をもゐんと書へしといへり。〔五二オ〕
と引用する。
○中え〈略〉萬葉には、萌を毛伊とよみ・和名には冷(ヒエ)をひいとよめり〈ひえにかよへり〉。悔をくい、くやむ、くゆ〈とよみ、〉和名に、寄生を保夜とあるに、萬葉第十九には、保与とよめり、〈略〉寒を、和名に、こよしものとよめるは、〈今の〉俗にこゞりといふ物なり。文選蕪城賦に、寒(コイタル)鴟(トヒ)嚇(カヽナク)レ雛ニ、これ又和名にあり。此こいたるといふは、俗にこゝえたるといふなり。宣化紀には、白玉千箱アリトモ、何ソ能フ救ハンレ冷(コイ)ヲ、これら、よといと通せり。又杖机等にも用也、但口傳有とは、いかなる習そや、和名には、杖も机も、共にゑなり。順も先生と同時ならは、口傳を受て假名の道を知らるへきに、數百歳さきに出て知らさりけるは、惜き事なり。〔三二オ・ウ〕
と記述する箇所になると、書名と人名とが交錯する。
○わの字 訓の時〈下〉に書事なし 今云、これ知らぬを知れりとするものなり。轡くつわ、石炎螺まよわ、結菓かくのあわ、沫あわ、皺しわ、以上万葉、和名等なり。但万葉、和名等をも物の數とせぬ高慢の人は、われ喩(さと)すことを得す。又かたわの假名は誤なり。下に見ゆへし。〔三五ウ〕
○うの字 〈略〉むま〈うま〉、むはら〈うはら〉、これらは、和名にも通してかければ・うめむめも同しかるへし。うまる[うみ、うむ]うもれ木[うつみ、うつもる]、これらは、音便は、和名にも通してかければ・うめ
これらの前には、
○一 古代之歌書或紀傳等ノ假名未レ定、猶詩三百平側位次、無定格也、今云、日本紀等の六國史、萬葉、古今等、」延喜式、和名鈔等の假名、一同にして定まれり、何そ定まらすといふや、汝か兄、明巍の盲導 にひかれて、偏執の深坑におちいれるを、汝何そこれを救て、彼深坑を出さすして、いとゝ其上に落重なるや、古事記序云、《略》云々、古人の書を撰ふ〈事〉、精密なる事かくのことし。又倭名鈔の篤實なる事も、これに同し、具には序に見えたり。其末に至りて云、古人有」レ言、街談巷説、猶有レ可レ採。僕雖誠淺學而。所二注緝皆出レ自二前經舊史倭漢之書一、云々。これを用すは、何を用んとかする。故に刊行の時、羅浮子序ヲ加て云、順爲レ人博聞強記、識字屬レ文賦レ詩又詠二倭歌一、梨壺五人、順爲二之最一、先レ是、万葉集傳二于世一久矣、然自沙門勤操空海造二以呂波字一而后人皆赴簡便而不讀二万葉一。々々書體殆漸廃弛。順懼二其古風之委一レ地面以二國諺一爲二之訓點一、至レ今學二和歌一者、大率頼レ之、順之功居_多。吁、古稱二楊子雲識一レ字。然九原不レ可レ作(オコス)也。源順者吾邦千歳之子雲乎。熟知二倭名一者、旦暮遇レ之。羅浮子は近」世の大儒にして、推稱する事かくのことし。汝か兄何人そ、いまた其名を聞さるに、大言を吐て、日本紀萬葉より此等の書の假名をも用すといふや。〔二三ウ~二五オ〕
とあって、『和名類聚抄』編者源順の名を以て茲に説く。
リウコウ【林檎】
萩原義雄識
標記語「林檎」と「林檎子」
⑴なぜ、標記語に「子」字を付記し、今は「林檎」と「子」字を付記しないのか?
⑵漢字「林」を「リム」と訓まずに「リウ」と訓ませるのか?
⑶漢字「檎」を「コウ」で訓み「キン」へといつ頃、訓みを置き換えたのか?
[ことばの稽査報告]
⑴真字体漢字表記(=万葉仮名)で、順カ和名に「利宇古宇」と記載する。
⑵三巻本『色葉字類抄』上卷利部植物門「林檎」の語注記に「与奈相似而小者也」と「柰」字を字形相似による誤記していて、これと同じ語注記が見えるのは、廿巻本系の古写本(㈠伊勢廣本と㈡天正三年本)に見えていることから、『字類抄』が編纂参照し、記載したのが此の系統の資料に基づいていることを明らかにした。
⑶鎌倉時代の印融筆『塵袋』卷三に標記語「林檎(リムキン)」と訓む問いに対し、答のなかで「順カ和名」を用いていることから、真言宗寺院に『和名抄』が伝来し、鎌倉時代の学僧たちは容易に此の辞書を繙くことができたことが見てとれる。
⑷江戸時代の狩谷棭齋『倭名類聚鈔箋注』に、輔仁『本草和名』には標記語「林檎」は収載するが和名は未収載とする点を説く。①「利宇古宇」が音轉ということを述べる。②「陶注」『新修本草』卷十七「柰」注記から引用記載する。③『王羲之帖』を引用記載する。④『尚書故實』から引用記載する。⑤『文選集注』卷四「蜀都賦劉逵注」から引用記載する。⑥『證類本草』卷二十三果部から引用記載する。
【翻刻】
廿卷本『倭名類聚抄』卷第十七
林檎 本草云林檎[音禽和名利宇古宇]与奈相似而小者也
十卷本『和名類聚抄』
林檎子 本屮云林檎[音禽 利宇古宇]与柰相似而小者也
※標記語「林檎(リンゴ)」と「林檎子(リンゴのみ)」。注記中「和名」の語有無に異同。
林檎子 『本草(ホンザウ)』に云(い)はく、林檎[音は禽、利宇古宇(りうこう)]は「柰(からなし)」と相似(あひに)て〕て小(ちひ)さき者(もの)なりといふ。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
りゅうーごう[リウ‥]【林檎】〔名〕(「りんごん」の「ん」を「う」と表記したもの)「りんご(林檎)(1)」に同じ。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕九「林檎子 本草云林檎子〈音禽利宇古宇〉与柰音相似而小者也」【発音】〈ア史〉平安○○○○〈京ア〉[0]【辞書】和名・色葉・名義・言海【表記】【林檎】和名・色葉【林樆子】名義
りんーき【林檎】〔名〕「りんご(林檎)(1)」に同じ。*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「林檎 リムキ リウコウ 与奈柏似而小者也」*書言字考節用集〔一七一七(享保二)〕六「林檎 リンゴ リンキ 一名来禽」【方言】植物。(1)わりんご(和林檎)。《りんき》青森県上北郡082岩手県一部030秋田県一部030長野県一部030(2)りんご(林檎)。《りんき》北海道小樽062秋田県南秋田郡・秋田市130新潟県佐渡352(3)あかりんご(赤林檎)。《りんき》出羽†039木曾†029秋田県鹿角郡132【辞書】色葉・書言【表記】【林檎】色葉・書言
りんーきん【林檎】〔名〕(「きん」は「檎」の漢音)「りんご(林檎)(1)」に同じ。*塵袋〔一二六四(文永元)~八八頃〕二「林檎(リムキン)をば字の如はよまずしてりむこうと云ことある如何」*大和本草〔一七〇九(宝永六)〕一〇「柰(リンキン)一名頻婆〈略〉 若水云、津軽にも信濃にもあり。りんきんと云。其実日に晒して遠方におくる」【方言】《りんきん》青森県一部030岩手県一部030福島県一部030
りんーご【林檎】〔名〕(1)西洋リンゴが普及する以前の和リンゴなどの総称。りんきん。りんき。りんごう。りゅうごう。*本草和名〔九一八(延喜一八)頃〕「林檎 一名黒琴」*御湯殿上日記ー文明一〇年〔一四七八(文明一〇)〕六月一日「二そん院よりりんこ一折まいる」*俳諧・誹諧初学抄〔一六四一(寛永一八)〕末春「りんこのはな」*本朝食鑑〔一六九七(元禄一〇)〕四「林檎〈古訓二利宇古宇(りうごう)一近代称二利牟古(リムゴ)一〉」*白居易ー西省対花憶忠州東坡新花樹詩「最憶東坡紅爛熳、野桃山杏水林檎」(2)バラ科の落葉高木。アジア西部からヨーロッパ東南部の原産で、古くから栽培される。日本へは江戸末期に渡来し、明治時代にはいって本格的な導入が行なわれた。高さ三~九メートル。葉は広楕円形で縁に鋸歯(きょし)がある。春、葉に先だって、枝先に径約五センチメートルの淡紅色の五弁花を開く。果実は円形で甘酸っぱく、生食するほか、ジュース、ジャムなどを作る。国光・紅玉・旭・祝・富士・王林・世界一・スターキング・デリシャスなど数多くの改良品種がある。漢名は苹果だが、慣用的に林檎を用いる。せいようりんご。学名はMalus domestica 《季・秋》 ▼りんごの花《季・春》*日本植物名彙〔一八八四(明治一七)〕〈松村任三〉「リンゴ 林檎」*春夏秋冬ー夏〔一九〇二(明治三五)〕〈河東碧梧桐・高浜虚子編〉「我恋は林檎の如く美しき〈富女〉」【語誌】(1)中国では古く西洋から伝わった「リンゴ」を「柰」「頻婆」「苹果」などと表わした。それに対し、中国原産のものが「林檎」である。『和漢三才図会』第八七では「柰(かたなし)」を「頻婆」ともいうとし、「与二林檎一一類二種。樹実皆似二林檎一而大。有二赤白青三色一〈略〉皆夏熟」と記している。(2)古く十巻本『和名抄』卷第九には「林檎子〈略〉利宇古宇(りうこう)」とあるが、平安期に「リンドウ」が「りうたう」とも「りんたう」とも表記されていたように、「リンゴウ」と発音していたとも考えられる。中世以降はリンキ、リンキンの形も見られ、「リウコウ」から次第に「リンキン」・「リンゴ」のような撥音形へ移っていったようである。(3)近世に入るとほとんどの書物で「リンゴ」を一般形としている。この頃には中国伝来の「花紅」という種類を中心に、広く栽培されるようになっていた。(4)そこに、当初「オオリンゴ」と呼ばれた「西洋リンゴ」が流入、大ぶりで味もよかったため従来の「リンゴ」を圧倒し、ほどなく「リンゴ」といえば「西洋リンゴ」の方をさすようになった。それに伴い従来のものは「和リンゴ」・「地リンゴ」などと呼んで区別され、現在では東北地方などに若干残るのみとなっている。(5)「五六月に熟する者也」〔滑稽雑談‐六月〕ということで、俳句では元祿以降六月の季語とされ、「西洋リンゴ」が主流となった後も、(2)の挙例「春夏秋冬」のようにしばらくはその説が継承された。現在では、出荷の早い「青リンゴ」のみ夏、普通の「リンゴ」は秋のものとされる。【発音】リンゴ〈なまり〉ジンゴ〔飛騨・鳥取・島原方言〕ユンゴー・リゴ・ルンゴ〔岩手〕〈標ア〉[0]〈京ア〉[リ]【辞書】文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【林檎】文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【図版】林檎(2)
りんーごう【林檎】〔名〕「りんご(林檎)(1)」に同じ。*塵袋〔一二六四(文永元)~八八頃〕二「林檎をば字の如はよまずして、りむこうと云ことある如何。順が和名には林檎とかきてりうこうとよめり」*伊呂波字類抄〔鎌倉〕「林檎 リンコウ リンキン」
角川『古語大辞典』
りんご【林檎】〔名詞〕 植物名。『和名抄』に「林檎子 本草云、林檎 利宇古宇 柰(=カラナシ)と相似て小き者也」、十巻本『伊呂波字類抄』に「林檎 リンコウ、リンキン」とある。ばら科の落葉高木。葉は楕円形で鋸歯あり、互生する。春に五弁花を開く。つぼみは紅色で、開けば白色に微紅を帯びる。晩夏初秋のころに果実が熟する。中国では果実の色味により数種を挙げるが、和りんごについては『重訂本草綱目啓蒙』卷二六に「本邦にては只一種のみ。…花後実をむすぶ。大さ一寸許正円にして緑色、光あり、六月に熟す、その頭半紅色となる。内に黒子あり、梨核のごとし」という。果樹としては重視されなかったようで『農業全書』などにも取り上げていない。実の頭部と底部とが深く凹んだ形が特徴的で、器物の型の名とする。季語、夏。例「林檎 リンゴ」〔易林本節用集〕例 「英円りんこ一籠之を給ふ」〔経覚私要抄・文安四・六・一九〕例「六月…林檎{りんこ}」〔毛吹草・二〕例 「つや〳〵と林檎すゞしき木間哉」〔忘梅〕
狩谷棭齋『倭名類聚抄箋註』卷九果蔬部果蓏類〔曙版八七六頁〕
【翻刻】
林檎子 本草云林檎、[音禽利宇古宇、○按利宇古宇、即林檎音轉、非二倭名一、故輔仁不レ載是名、今俗呼二利无呉一、又呼二阿乎利无呉一、]
與柰相似而小者也、[○所レ引文原書不レ載、按㮏條陶注云、有二林檎一「相似而小、此所レ引蓋陶注也、王羲之帖、有二櫻桃來禽日給滕一、尚書故實云、來禽言三味甘來二衆禽一也、俗作二林檎一、蜀都賦劉逵注、林檎、果名也、林檎實似二赤柰一而小、味如梨、開寳本草云、林檎其樹似二柰樹一、其形圓如柰、六月七月熟、陳士良曰、大長者爲レ柰、圓者林檎、那波本無二標目子字一、]
語用例を含めて標記語「林檎」については、その訓みも意味説明も相当詳細にまとめられている語と云えよう。そして、現代人にとっても健康管理上、重要な果実のひとつとなっている。
かなづなゐ【桔槹】
萩原義雄識
『倭名類聚抄』廿巻本と十卷本「かなづなゐ【桔槹】」
【翻刻】
廿卷本『倭名類聚抄』卷一水部第三水泉類第9
桔槹 辨色立成云桔槹鉄索井也結高二音[和名加奈豆奈爲]
十卷本『和名類聚抄』卷一水部第三水泉類[井附出]第9
桔槹 辨色立成云桔槹[加奈豆奈為吉高二音]䥫索井也
【訓読】
井[桔槹付]『四声字苑』に云はく、井[子郢反、和名は為(ゐ)]は地を鑿(ほ)りて泉を取るなりといふ。『弁色立成』に云はく、「桔槹[加奈豆奈為(かなつなゐ)」、吉高の二音]は鉄索の井なりといふ。
【語解】
「桔皐(キツカウ)ケツカウ」は、『淮南子』〔新釈漢文大系第55卷六八八頁・明治書院刊〕
小学館『日本国語大辞典』第二版
はねーつるべ【撥釣瓶】〔名〕支点でささえられた横木の一方に重し、一方に釣瓶を取りつけて、重しの助けによってはね上げ、水をくむもの。桔槹(けっこう)。*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「桔槹 ケッカウ カナツナヰハネツルヘ」*太平記〔一四C後〕三九・自太元攻日本事「敵の舩の舳前(へさき)に、桔槹(ハネツルベ)の如くなる柱を数十丈高く立て」*俳諧・犬子集〔一六三三(寛永一〇)〕六・水鳥「水鳥のたぐひか是もはねつるべ〈宗恕〉」*田舎教師〔一九〇九(明治四二)〕〈田山花袋〉一二「桔槹(ハネツルベ)のギイと鳴る音がして」【発音】〈標ア〉[ツ]〈京ア〉[ツ]【辞書】色葉・和玉・天正・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【桔槹】色葉・天正・易林・書言・ヘボン【槹】和玉【機械】書言【撥釣瓶】言海【図版】撥釣瓶〈和泉名所図会〉
かなづなーい[‥ゐ]【金綱井・鉄綱井】〔名〕(「かなつない」とも)鉄の鎖を綱に用いたはねつるべ。かなつなのい。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕一「井 桔槹附 四声字苑云井〈子郢反 和名為〉鑿地而聚泉者也、弁色立成云桔槹〈加奈都奈為 吉高二音〉䥫索井也」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「桔梗槹 カナヅナヰ」*改正増補和英語林集成〔一八八六(明治一九)〕「Kanatsunai カナツナイ(ハネツルベ)」【辞書】和名・色葉・名義・言海【表記】【桔槹】和名・色葉【桔梗槹・㮮槹】名義【鐵綱井】言海
三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕
桔槹(ケ[キ]ツカウ) カナツナヰ ハ子ツルヘ 搆機汲水具 〔卷上加部地儀門九二オ(一八七頁)2〕
として、字音の付訓は「ケ(キ)ツカウ」とし、「キツカウ」と「ケツカウ」両用の訓みを添え訓みとして示し、此の点を現行索引では見落としていることになる。そして注記和訓「ハ子ツルヘ」の語だが、次の観智院本『名義抄』には未収載になっていることから、より通俗性の高い和訓ということになる。このあとの内容注記説明の「機を搆へ水を汲む具」が何に依拠するかは今後の課題としたい。
観智院本『類聚名義抄』〔正宗敦夫編・風間書房刊、色彩版・八木書店刊〕
桔梗槹 結高二音/カナツナヰ[上・上・上濁・上・上]〔佛下本一〇三3〕
とあって、『名義抄』標記語の中文字は「桔梗」の「梗」字であって、茲は「桔槹」にすべき衍字記載と見ている。
2022/12/09~10 更新
ほくら【寳倉】
萩原義雄識
廿卷本『倭名類聚抄』注文
寳倉 漢語鈔云寳倉[保久良]一云神殿 〔卷十三調度具上・祭祀具〕
十巻本『和名類聚抄』注文
寳倉 漢語抄云寳倉[保久良云神殿] 〔巻第五調度具上・祭祀具〕
伊勢廣本『倭名類聚抄』第四冊〔東京都立中央図書館河田文庫蔵『倭名類聚抄』183KW3〕
寳倉 漢語鈔云寳倉[保久良[上上上]云神殿] 〔卷十三調度具上・祭礼具一七二・七ウ3〕
※伊勢廣本〔河田文庫蔵〕は、部類数を廿卷本に整えているのだが、その語と語註記は十巻本に从う。標記字「ホウ」は「寳」字に作く。
寳倉 漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良[上上上]云神殿] 〔卷五調度具上・祭祀具七ウ1〕
※神宮文庫蔵の書写では「寳倉」にカナ付訓がなされ、「寳」字のウ冠、「抄」字の旁「少」字、真名体漢字表記「久」字に複写とは思えない相異が見えていて、註記「寳倉」を略符号「ーー」字で記載する。写し手の違いが観察できる部分でもある。
此れに敢えて廿卷本『倭名類聚抄』系の大東急記念文庫蔵天正三年本〔菅為名写〕と比較しておくと、
寳倉 漢語鈔云寳倉[保久良一云神殿] 〔卷十三調度具上・祭祀具〕
とし、伊勢廣本河田本が註記が略符号「ーー」を用いずに、「寳倉」と記載する点とカナ付訓をしない点を以て古写系資料に近い原本を以て各々書写していることが見てとれよう。
昌平本『倭名類聚抄』〔東京国立博物館蔵、卷五祭祀具七十〕
寳倉(ホクラ) 漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良]云神殿 〔卷五調度具上・祭祀具七十ウ7〕
下總本『倭名類聚抄』〔内閣文庫蔵第三冊〕
寳倉 漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良一云神殿] 〔卷五調度具上・祭祀具七十・ウ7〕
松井本『和名類聚抄』
○寳倉 漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良一云神殿] 〔坤冊卷五・調度具上・祭祀具七十・八オ6〕
とあって、下總本そして松井本のように、十巻本でも「一云」と記載することが見えている。
京本『和名類聚抄』〔国会図書館藏、中冊巻五、調度具上・祭祀具七十〕
寳倉(ホクラ) 漢語鈔云ーー(〔寳倉〕)[保久良[上上上]云神殿] 〔卷五調度具上・祭祀具七十ウ7〕
狩谷棭齋『和名類聚抄訂本』巻五〔内閣文庫蔵〕
寳倉 漢語鈔云寳倉[保久良一云神殿] 〔卷五調度部十四祭祀具七十、六ウ6〕
『和名抄』は、廿卷本・十巻本共に大きな差異は見えない。「一云」と「云」の記載のところに差異が見えるように思われがちだが、実際は十巻本写本類のなかには「一云」と廿巻本の註記記載に見える註記が見えていることに留意すべきだろう。棭齋は『倭名類聚鈔箋注』に「一云」の本文を優先採録する編纂姿勢が見えている。次に示す。
此の標記語だけが、くら【倉廩】の標記語とは、同じ部類門に置かれずに、調度具上・祭祀具に排列したことに着目して見ておくことが当該語における焦点となる。
『倭名類聚抄箋註』渋江抽斎筆写本・四冊〔183KW9〕
【本文翻刻】
1寳倉(ほくら) 『漢語抄(カンゴシヤウ)』に云(いは)く、[保久良(ほくら)、一(ある)は神殿(かみどの)と云(い)ふ]
2○『紀(キ)』に「神庫(かみくら)」の本注(ホンチユウ)に云(いは)く、「神庫(かみくら)」を此(こ)れ「保玖羅(ほくら)」と云(い)ふ。
3『天武紀(テンムキ)』の「神府(シンフ)」に同(おな)じく訓(よ)む。
4蓋(けだ)し、「神寳(シンホウ)」は、「藏(くら)」にて之(こ)れ「府庫(フコ)」なり〈也〉。
5其(そ)の制(セイ)は高峻(カウシユン)たり、尋常(よのつね)に〈於〉秀(ひい)でて「府庫(フコ)」、
6故(かるがゆへ)に「保久良(ほくら)」と云(い)ふ。
7『神武紀(ジンムキ)』に、「浪秀(なみほ)」を與(とも)に「奈三保(なみほ)」と訓(よ)む。
8又(また)「頴穗(たほ)」を「保(ほ)」と訓(よ)み、之(こ)れ「保(ほ)」に同(おな)じ。
9『漢語抄(カンゴシヤウ)』に、「寶倉(ほくら)」の字(ジ)を用(もち)いるは〈者〉、「寶(ホウ)」を以(もつ)て「保久良之保(ほくらのほ)」に爲(つく)るに似(に)たり、恐(おそ)るるに非(あら)じ。」
10又(また)按(アン)ずるに、「保久良(ほくら)」後世(コウセイ)轉(テン)じて「叢祠(ほこら)」の〈之〉名(な)に爲(つく)る。
11『拾遺集(シユウイシユウ)』小序(セウジヨ)に、「稲荷(いなり)乃(の)保久良(ほくら)」、
12『續詞花集(ゾクシカシユウ)』に、「大鳥王子(おほとりのみこ)乃(の)保久良(ほくら)」、是(こ)れなり〈也〉。
13故(かるがゆへ)に、一(ある)は「神殿」と云(い)ふなり〈也〉。
14又(また)轉譌(テンギ)し、「保古良(ほこら)」と云(い)ふ。
15『爲忠(ためただ)前百首(さきのひやくしゆ)頭歌(タウカ)』に見(み)える。]
【文献資料】
『紀(キ)』『天武紀(テンムキ)』『神武紀(ジンムキ)』『漢語抄(カンゴシヤウ)』『拾遺集(シユウイシユウ)』小序(セウジヨ)
『續詞花集(ゾクシカシユウ)』『爲忠(ためただ)前百首(さきのひやくしゆ)頭歌(タウカ)』
【語解】
1寳倉(ほくら) 『漢語抄(カンゴシヤウ)』に云(いは)く、[保久良(ほくら)、一(ある)は神殿(かみどの)と云(い)ふ]
2○『紀(キ)』に「神庫(ほくら)」の本注(ホンチユウ)に云(いは)く、「神庫(ほくら)」を此(こ)れ「保玖羅(ほくら)」と云(い)ふ。
※『日本書紀』卷六
○何(なに)ぞ能(よ)く天神庫(あめのほくら)に登(のぼ)らむ」とまうす。神庫、此をば保玖羅(ほくら)と云ふ。五十瓊敷命の曰(い)はく、「神庫高(たか)しと雖(いへど)も、我(われ)能く神庫の爲(ため)に梯(はし)を造(た)てむ。豈(あに)庫(ほくら)に登るに煩(わづら)はむや」といふ。故(かれ)、諺(ことわざ)に曰(い)はく、「天(あめ)の神庫(ほくら)も樹梯(はしだて)の隨(まにま)に」といふは、此(これ)其の縁(ことのもと)なり。
3『天武紀(テンムキ)』の「神府(シンフ)」に同(おな)じく訓(よ)む。
※『日本書紀』卷六
○皆(みな)神府(みくら)に藏(おさ)めたまふ。
4蓋(けだ)し、「神寳(シンホウ)」は、「藏(くら)」にて之(こ)れ「府庫(フコ)」なり〈也〉。
5其(そ)の制(セイ)は高峻(カウシユン)たり、尋常(よのつね)に〈於〉秀(ひい)でて「府庫(フコ)」、
6故(かるがゆへ)に「保久良(ほくら)」と云(い)ふ。
7『神武紀(ジンムキ)』に、「浪秀(なみほ)」を與(とも)に「奈三保(なみほ)」と訓(よ)む。
※『日本書紀』卷二
○天孫、又(また)問ひて曰(のたま)はく、「其(か)の秀起(さきた)つる浪穗(なみほ)の上(うへ)に、八尋殿(やひろどの)を起(た)てて、手玉(ただま)も玲瓏(もゆら)に、織經(はたを)る少女(をとめ)は、是(これ)誰(た)が子女(むすめ)ぞ」とのたまふ。〔〕
8又(また)、「頴穗(たほ)」を「保(ほ)」と訓(よ)み、之(こ)れ「保(ほ)」に同(おな)じ。
9『漢語抄(カンゴシヤウ)』に、「寶倉(ほくら)」の字(ジ)を用(もち)いるは〈者〉、「寶(ホウ)」を以(もつ)て「保久良之保(ほくらのほ)」に爲(つく)るに似(に)たり、恐(おそ)るるに非(あら)じ。」
10又(また)按(アン)ずるに、「保久良(ほくら)」後世(コウセイ)轉(テン)じて「叢祠(ほこら)」の〈之〉名(な)に爲(つく)る。
11『拾遺集(シユウイシユウ)』小序(セウジヨ)に、「稲荷(いなり)乃(の)保久良(ほくら)」、
『拾遺集』卷十九・01268
[詞書] 稲荷のほくらに女のてにてかきつけて侍りける
読人不知 よみ人しらす (000)
滝の水かへりてすまはいなり山なぬかのほれるしるしとおもはん
たきのみつ-かへりてすまは-いなりやま-なぬかのほれる-しるしとおもはむ
※天福寺本『拾遺和歌集』〔京都大学図書館藏〕
12『續詞花集(ゾクシカシユウ)』に、「大鳥王子(おほとりのワウジ)乃(の)保久良(ほくら)」、是(こ)れなり〈也〉。
卷二十・戲咲
くまのゝ大鳥のほくらにかきつけたりし歌
おゝとりのはくゝみ給ふかひこにてかへらんまゝにとはさらめやは」
此哥ある人慈覚法師か哥とも申
太神宮にまいりけるによめる
13故(かるがゆへ)に、一(ある)は「神殿(かんどの)」と云(い)ふなり〈也〉。
14又(また)轉譌(テンカ)し、「保古良(ほこら)」と云(い)ふ。
※「転譌」=「転訛」。
15『爲忠(ためただ)前百首(さきのひやくしゆ)頭歌(タウカ)』に見(み)える。]
※『丹後守為忠百首』〔一一三四(長承三)年頃か〕雑部「なる神はいづこか社めに見えぬ雲のかくれやほこら成るらむ」
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
ほーくら【神庫・宝倉】〔名〕(「ほ」は「秀」、「くら」は物を置くための場所の意。高い建築構造を持つものをいう)(1)神宝を納めて置く庫(くら)。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕垂仁八七年二月「吾 手弱女人(たをやめ)なり。何ぞ天の神庫に登らむや。〈神庫、此を保玖羅(ホクラ)と云ふ〉」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「神庫 ホクラ」*日輪〔一九二三(大正一二)〕〈横光利一〉三「彼の父は不彌の神庫(ホクラ)に火を放った」(2)小さな神社。やしろ。ほこら。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕五「寳倉 漢語抄云寳倉〈保久良一云神殿〉」*観智院本三宝絵〔九八四(永観二)〕下「八幡の御前にして法華経を講ずるに、ほくらの中より紫のけさをほどこして、法をききつる恩をむくひたり」*拾遺和歌集〔一〇〇五(寛弘二)~〇七頃か〕雑恋・一二六八・詞書「稲荷のほくらに、女の手にて書きつけて侍ける」*北野天神縁起〔鎌倉初〕「宮こへ帰らんこといつとしらねども、ひそかにかの馬場へ向ふおりのみぞ、むねのほのほ少しやすらぐ事有。ほくらをかまへてたちよるたよりを得せしめよ」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「秀倉 ホクラ 一云神殿」【方言】洞穴。《ほくら》長崎県南高来郡905【語源説】(1)「ホクラ(秀庫)」の義。その構造の高いところから〔箋注和名抄・百草露・国語の語根とその分類=大島正健・大言海〕。(2)「ホクラ(穂蔵)」から意味の転じたものか〔東雅〕。【発音】〈ア史〉平安・鎌倉●●●〈京ア〉[0]【辞書】和名・色葉・名義・書言・言海【表記】【寳倉】和名・色葉【神庫】名義・言海【宝倉】書言・言海【秀倉】名義
ほこら【祠・叢祠】〔名〕(「ほくら(神庫)」の変化した語)神をまつる社殿。神社。多くは、小さなやしろをいう。*丹後守為忠百首〔一一三四(長承三)頃か〕雑「なる神はいづこか社めに見えぬ雲のかくれやほこら成るらむ」*太平記〔一四C後〕九・高氏被籠願書於篠村八幡宮事「甲を脱て叢祠(ホコラ)の前に跪き」*蔭凉軒日録‐長享二年〔一四八八(長享二)〕二月二六日「相公問二厳中和尚一曰、ほこらと云字如何。厳中云不レ知。大梁在レ傍云、ほこらとは叢祠是也」*運歩色葉集〔一五四八(天文一七)〕「宝倉 ホコラ。禿倉 同」【方言】(1)洞穴。《ほこら》大分県大分郡941《ほこ》大分市941(2)谷。《ほこら》兵庫県家島662【語源説】(1)「ホクラ(神庫)」の転。〔箋注和名抄・筆の御霊・国語学通論=金沢庄三郎・大言海・綜合日本民俗語彙〕。またホは秀の義〔類聚名物考・和訓栞〕。(2)「ホソクラ(細座)」の義〔日本釈名・紫門和語類集〕。(3)「ホキクラ(祝坐)」の約〔菊池俗言考〕。ホギクラ(祝庫)の義〔国語学通論=金沢庄三郎〕。(4)「フルコハレミヤ(古壊宮)」の義〔日本語原学=林甕臣〕。【発音】〈なまり〉オコクラ〔壱岐〕ホクラ〔岩手〕〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】天正・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【叢祠】書言・言海【寳舎】天正【神庫・宝倉・禿倉】書言【祠】ヘボン
てんーか[‥クヮ]【転訛】〔名〕(1)文字の写し間違い。*和字正濫鈔〔一六九三〕五「木欒子 むくれにしのき〈略〉和名を思へばわらはへの愛するむくろしといふ物はむくれんしの転訛歟」*童子問〔一七〇七(宝永四)〕跋「此書未レ遂二印流一、謄写転訛、学者憾焉。仍請二先生令嗣長胤点校一、遂レ鋟梓以公二于世一」*随筆・秉燭譚〔一七二九(享保一四)〕一「又直支に作る。梁書百済の伝には名映に作る。いづれも文字の転訛にて一人なり」(2)ことばの本来の発音がなまってかわること。また、その音や語。*舎密開宗〔一八三七(天保八)~四七〕内・五・一一〇「此塩は昔人独乙蘭土(ドイランド)にて貎老涅(ブラロウネ)と名る咽喉病。及び伝染疫に称用す故に此なあり布律涅爾剌は蓋し貎老涅の転訛なり」*日本開化小史〔一八七七(明治一〇)~八二〕〈田口卯吉〉一・一「口より口に伝へて、益々転訛したる言伝なれば」*比較言語学に於ける統計的研究法の可能性に就て〔一九二八(昭和三)〕〈寺田寅彦〉「子音転訛や同化や、字位転換や、最終子音消失やで」【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉(0)
かんーどの【神殿】〔名〕(「かむとの」とも表記)しんでん。また、神社。かみどの。*延喜式〔九二七(延長五)〕一・神祇・四時祭「園并韓神三座祭〈略〉斎服料〈略〉守二神殿(かんとの)一一人」*狭衣物語〔一〇六九(延久元)~七七頃か〕四「かん殿に入らせ給ひて、いよいよも、かかる心思ひなほるべきさまに、申させ給へ」*大唐西域記長寛元年点〔一一六三(長寛元)〕七「層台、祠宇(カムドノ)石を彫り木を文(もとろ)けたり」
ほこら【祠・叢祠】〔名〕(「ほくら(神庫)」の変化した語)神をまつる社殿。神社。多くは、小さなやしろをいう。*丹後守為忠百首〔一一三四(長承三)頃か〕雑「なる神はいづこか社めに見えぬ雲のかくれやほこら成るらむ」*太平記〔一四C後〕九・高氏被籠願書於篠村八幡宮事「甲を脱て叢祠(ホコラ)の前に跪き」*蔭凉軒日録‐長享二年〔一四八八(長享二)〕二月二六日「相公問二厳中和尚一曰、ほこらと云字如何。厳中云不レ知。大梁在レ傍云、ほこらとは叢祠是也」*運歩色葉集〔一五四八(天文一七)〕「宝倉 ホコラ。禿倉 同」【方言】(1)洞穴。《ほこら》大分県大分郡941《ほこ》大分市941(2)谷。《ほこら》兵庫県家島662【語源説】(1)「ホクラ(神庫)」の転。〔箋注和名抄・筆の御霊・国語学通論=金沢庄三郎・大言海・綜合日本民俗語彙〕。またホは秀の義〔類聚名物考・和訓栞〕。(2)「ホソクラ(細座)」の義〔日本釈名・紫門和語類集〕。(3)「ホキクラ(祝坐)」の約〔菊池俗言考〕。ホギクラ(祝庫)の義〔国語学通論=金沢庄三郎〕。(4)「フルコハレミヤ(古壊宮)」の義〔日本語原学=林甕臣〕。【発音】〈なまり〉オコクラ〔壱岐〕ホクラ〔岩手〕〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】天正・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【叢祠】書言・言海【寳舎】天正【神庫・宝倉・禿倉】書言【祠】ヘボン