武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

216. 宮崎で始動 Começou em Miyazaki.

2024-12-01 | 独言(ひとりごと)

 11月26日にようやくインターネットが繋がりました。ポルトガルを引き上げたのが9月24日。それからの2か月間は何となくボケっと過ごしていた様な、忙しく過ごしていた様な、地に足が着いていなかった様な、訳の分からない夢の様な時期を過ごしていた様な、でも夢ではなく現実。その間、帰国後1か月が過ぎたところではたと思いつき、友人知人たちに帰国報告のハガキをお送りしました。宛名不明で戻って来たのも10通ほどがありました。ここにその文面を書いてみたいと思います。

 『ご無沙汰しております。お元気ですか。当方は二人ともなんとかやっています。実はこの2024年9月24日に帰国しました。1990年9月16日から暮らしたポルトガルから引き揚げ完全帰国を果たしました。もうポルトガルには戻りません。

 ポルトガルに移住した1990年当初には5年も住めれば良いかなと思っていましたが、5年が10年、10年が20年、気が付けば34年です。

 10年ほど住んだ頃から70歳くらいになれば帰国しようかなとは漠然と思い始めていましたが、その帰国をするべき頃からコロナ禍でした。でもコロナ禍で自宅に閉じ籠りの生活に実は快適さを感じていましたし、私たちが老人と言われる世代の仲間入りをしたのと同時にコロナ禍でのセトゥーバルの人々の思いがけぬ親切にも多々触れることにもなり帰国は遠のいた感は否めません。ますますセトゥーバルでの生活が気に入ってしまったのです。

 でも今の年齢を考えると、健康に自分の足で歩けるうちに帰国するのなら今しかないとも考え、一念発起して、急遽帰国の道を選びました。この歳になっての帰国(引っ越し)は想像以上に大変なものでした。そしてそれでも何とか帰って来ました。

 心残りなのはポルトガルでの油彩は完成には至っていませんし、淡彩スケッチのブログも3403景で中断したままです。

 セトゥーバルでの生活と宮崎の生活のあまりにもの違いに戸惑いも感じていますが何とか始動しています。油彩100号も描き始めました。

 34年間のセトゥーバルでの生活で溜りに溜まったゴミは殆どを捨てましたが、それでもどうしても捨てきれないゴミは段ボール箱20個分にもなり、仕方なく船便で送りました。それが1月頃には到着する予定です。狭い宮崎の自宅にどのように収納するのかが今からの課題です。

 今は時差ボケがそのまま慢性化した如く気分ですが、一刻も早く宮崎の気候、気圧に慣れていきたいと思っています。今後とも変わりませぬよう、お付き合いの程をお願い申し上げます。』

 このはがきを郵送してからさらに1か月が過ぎました。宛先不明で戻って来たハガキもありますが、お返事を下さった方もありますし、電話を下さった方も、都城から会いに来てくださった方、そして大阪からわざわざ飛行機に乗って会いに来て下さった方も居て、それぞれ恐縮しています。

 暑すぎる秋を過ごし、急に冬がやって来ました。宮崎にずっとお住いの方も戸惑っておられるようですが、我々にとっては尚更です。インターネットも繋がり、昨日は新車が我が家にやって来ました。でもいまだに、どこからどう手を付けて良いのやら、何だか宇宙遊泳をしているが如く、地に足が着いていません。 武本比登志

 

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