野の花を見にアレンテージョの牧場などに探索に行くと、一昨年あたりから、目がかゆくなり、鼻水とくしゃみが出る様になった。どうやら花粉症の症状だ。
日本では杉の花粉が飛び散る真っ只中に居ても何ともなかったのが、ポルトガルの野の花に反応してしまった様だ。
昨年はセトゥーバルの薬局で薬を買い求めて服用すると、ピタッと楽になったが、薬に頼るのもあまり気が進まない。今年の野の花探索はゴーグルとマスクの完全防備で行こうかなとも思っている。
先日、花粉症対策としてバナナが有効だと聞いた。バナナには白血球を増やし、外敵に対し免疫力をつける効果があるとのことだ。どれ程効くのか半信半疑ではあるが、早速バナナを食べることにした。
バナナなら好きな食べ物だし、安いので気軽に食べられる。別に騙されたと思っても害にはならないだろう。
今までも毎朝のヨーグルトにりんごを混ぜていたのだが、それを聞いて以来、りんごに更にバナナを加えることにした。
ポルトガルでバナナといえばマデイラ・バナナがある。少し小ぶりだが味は濃厚で身が固く旨い。スーパーやメルカドでは世界ブランドのチキータ・バナナなども売られているが、マデイラ・バナナはポルトガル国産として値段も少し高いが人気も高い。マデイラに行くとその中でもどこどこのバナナと言って銘柄があり、それもさすがであるが旨かった記憶がある。
日本ではありふれたどこにでもある安いフルーツであるが、たかがバナナといって馬鹿にしてはいけない。
セトゥーバルのメルカドではバナナだけで商売をしている店もあるくらいなのだ。だからと言って色んなバナナを取り揃えているといえばそうでもない。幾つかの房を棚に並べて、上からも少しばかりぶら下げている。よくあれで商売が成り立つものだと感心してみている。
南米を旅行中、エクアドルやペルーでは、やはりバナナだけで商売をしている露天があちこちにあったのを思い出す。そこでは色んなバナナが売られていた。煮炊きに使う料理用で大きな緑の硬そうなのなども売られていたし、巨大な背丈ほどもある房ごとというか、枝ごと置かれていてさすが本場だと思った。
ブラジルでは料理の添え物にバナナが盛られていたのをよく食べた。油で揚げるか茹でるかしたもので、じゃがいも代わりなのだがあまり旨いとも思わなかった。スープにも入っていた。
インドネシアでは茹でたバナナがテーブルに置かれていて驚いたが、甘味が増して美味しいのだそうだ。でもその時は食べなかった。
ポルトガルに来てからはもっぱらマデイラ・バナナの愛好者になったが、これを食べ始めると日本のバナナなどずわっとして食べられない。マデイラ・バナナは丸々と太って身が締まった完熟バナナだ。
日本でも最近は完熟バナナと言ってスーパーでも売られているがあれもまあまあ旨い。
子供の頃はバナナは今よりも高級品だった様な気がする。遠足のおやつに1本のバナナが入っていた。
そんな子供の頃、お袋がバナナの叩き売りのさわりの部分を僕たち子供の前で披露していたのを思い出す。「このバナちゃん買ったなら~。どうの~こうの~」と言うほんのさわりだ。バナナのことをバナちゃんと言うのが子供心にも何だか可笑しかった。僕は本物のバナナの叩き売りは見たことがない。
昔は…、昔といっても僕たちが生れる以前、戦前の話、昭和一桁台だと思うが、台湾が日本の統治時代の話。
台湾バナナが門司港に陸揚げされていたそうで、バナナは未だ緑の内に採られ舟に載せられ、そして門司まで運ばれ日本各地へ汽車で送られて行く。
門司で既に黄色くなってしまっているバナナはとても大阪、東京までは持たない。それを門司の地元で叩き売ってしまおうと言う物で、バナナの叩き売りが始まったらしい。
お袋は福岡県の出身で子供の頃にはバナナの叩き売りを興味深く見ていたのだろう。お袋の姉、つまり僕のおばさんに言わせると、お袋は近所の男の子たちに混ざってゴム長を履いて泥んこになって遊びまわっていたおてんばな女の子だったそうだ。おばさんは女の子らしくおしとやかだったそうだが…。
子供の頃のお袋が寅さんの様なバナナの叩き売りのまん前で身体を揺すって、手を叩き嬉しそうに見ている姿が僕の瞼に浮かぶようだ。
あの頃はまったく興味はなかったが、もっとちゃんと母のバナナの叩き売りを聞いておけば良かったかなと今になって思う。
そんな僕の子供の頃の家は前庭と後ろにも小さな庭のある大阪によくあった4軒棟割長屋の端っこの角家であった。今も実家はその場所にあるが、増築を重ねて様変わりしてしまっている。
当時、僕もよくお使いにも行ったものだが、何かを配達してもらう時に、親父は「お店の人に必ず芭蕉の木のある家です。と言いや~」と教えたが、僕は「何丁目のバナナの木のある家です。」と言ったものだ。子供の僕には芭蕉という言葉は難しかったのだ。クラスの友達に芭蕉といっても必ず「バショーて何や」と言われたものだった。お店の人は「ああ、あの家」とすぐに判ったほど、バナナのある家は特徴的だった。前庭にバナナが密林の様に植えられていた。大きくはならなかったが時々は実も生った。ほんの5センチほどのバナナの実が生った。
かつての名画の中にバナナを描いている絵は殆どない。ゴーガンがタヒチかマルケス島あたりで立派な赤いバナナを描いているが、その他の画家では思い当たらない。
昔は輸送手段が限られていて熱帯から西欧先進諸国へは無理だったのだろう。その頃の画家たちはバナナを見たこともなかったのだろうと想像する。
熱帯を空想で描いたアンリ・ルソーにもバナナらしきものが描かれているが、実物とは程遠い。そう思えばバナナの歴史は案外と浅いのだろう。
マチスの時代になればバナナは既に珍しい物ではなかったように思うが、果物を多く描いているマチスの絵にもバナナは見当たらない。
果物といえば季節感があるものだ。いちごなら春だろうし、スイカは夏、ぶどうやりんご、梨は秋、そしてミカンは冬。その他、びわ、桃、イチジク、サクランボ、柿とそれぞれの季節感がある。果物好きにとっては季節感を味わうのも楽しみだ。
だがバナナに季節は残念ながらない。いつでも店頭に並んでいるし、年中価格もあまり変らない。いつでも食べられるという安直さからかかえって案外食べない。これは不幸の始まりだ。
バナナが花粉症に有効か有効でないかは判らないが、でもメルカドに行くたびに1房のマデイラ・バナナを必ず買うということを僕の中で習慣付けても良いのかも知れない。何だかバナナ協同組合の推薦文の様になってしまった。VIT
(この文は2011年3月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)
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