五寸釘から一寸釘をまばらに幾つか立てたかの様に植木鉢の土からにょきにょきと顔を出しているといったところが今の姿だ。大きいのはほんの少し先端がラッパ型に広がり始めているが、昨年の葉は全くないからまことにみすぼらしい。
この春、宮崎の家の庭から邪魔になる部分の幾つかを引き抜いて、葉を落とし土を落とし、根とバルブ(根茎)だけをタッパーに入れてポルトガルまで持ってきたのだ。4つのプラスティック鉢に分けて植えつけたが、2ヶ月近く経った今でもそんな五寸釘状態である。各鉢に4本から6本の五寸から一寸の新葉が顔を出している。
文章を書いた時より少しは成長しているが、未だにこの状態。後ろにジャカランダとブーゲンビリアが見えるアトリエの窓辺にて。
いつも思うことだがハランの新葉の成長は遅い。庭などに植えて放ったらかしにしておいたなら、いつの間にか広く繁茂して逆にその成長に目を見張ったりもするのだが…。
ハランは葉蘭と書くがラン科ではない。クサスギカズラ科ハラン属の常緑多年草である。エビネ蘭の様に根茎で繋がって一年に一つづつ前へ伸びて行く。栄養が良いと奴(やっこ)に出たり、三つ又に出たりしてどんどん広く成長する。そして養分を取られた根茎は後ろから退化していく。
学名は Aspidestra erlatior と書く。中国南東地方の原産とのことであるが、南九州でも自生しているし、ヨーロッパでも広く栽培されている。ハランと言うが花も咲く。地面ぎりぎりに、或いは半分土に埋もれるように咲く茶褐色の地味な花だ。ウマノスズクサ科のカンアオイの花に似ている。葉は全く違うのだが…。
ハランの花(2020年7月25日セトゥーバルのベランダにて撮影)
父はカンアオイの花を「猿のだっちょ」と称した。それを聞いて夫婦で大笑いしたのを覚えている。カンアオイの媒体は森のナメクジかカタツムリで分布速度は極めて遅く、一万年に1キロと言われている。種子は重く飛ばない。受粉したその場に落ちる。風で飛ばされることもないし、鳥が運ぶこともしない。それだけに地域固有種が限られていて植物学者にとっては研究の対象として興味を引くものらしい。ハランの場合も花で考えるとそれと似ているところがあるのかも知れないが、植物学者の研究対象にはなり得ない。種子により分布を広げるというよりも、根茎で伸びて行く速度の方が速いのだろう。85種程が登録されているが大きな変化はないのだと思う。
葉は立派で艶があり、長持ちもすることから活花のモティーフとしても良く使われる。尤も主役ではなく常に脇役であるが…。
日本では昔から鮨の下敷きに使ったり、刺身のケンとの間仕切りに使ったり、料理店では欠かせないもので、料理用語ではバランとも言う。最近ではプラスティックの模擬バランが主流で弁当屋のおかずの間仕切りに使われているし、スーパーの刺身にも欠かせないものだ。プラスティックのバランは単なる飾りだが、ハランには殺菌効果もあり、昔は飾りのみならず、実用としての知恵が生かされていた。
ハランだけではなく、昔はおにぎりを竹の皮で包んだり、押し寿司を熊笹で巻いたりが普通であった。富山の鱒寿司は木の半切り樽に熊笹をぐるりと敷き並べて包んであった。
今でも柏の葉で包んだ柏餅や桜の葉で包んだ桜餅などは普通に使われている。今年も帰国時はちょうど桜餅の季節で2度ほど美味しい桜餅を食べた。宮崎では餡子餅を山に自生しているサルトリイバラで包んだものなどもあった。それを猿取り茨餅とは言わなかった。それも柏餅と言っていたから単にサルトリイバラを柏葉の代用に使っただけだろう。しかし灰汁餅(あくもち)は必ず竹の皮に包まれていなければならない。奈良には柿の葉寿司なども有名だ。たこ焼きは薄板の舟に乗ったものが一番旨いと僕は思う。あの木の香りが何とも食欲をそそる。酒も青竹で呑むと二級酒でも一級酒に変るなどと父は言っていた。南方のインドネシアではお皿代わりにバナナの葉を使っていたし、チマキなどもバナナの葉に巻かれて蒸されていた。それぞれ葉によって殺菌の成分は違う様だが何れも殺菌効果はある。ハランにはフィトンチッドという殺菌成分があるらしい。
僕が宮崎から持参した根茎のハランは元々は斑入りである。斑入りであるが、うっかりしていると斑は消えてしまう。深緑一色の葉になってしまう。宮崎の庭でも斑入りは一割ほどしか残っていない。庭には残飯などを長年漉き込んでいるから、土は肥沃になっている。窒素分の多い肥沃な土地では勢いの良い緑葉が繫茂して劣勢な斑入り葉などは押しやられてしまう。出来ることなら時々は植え替えをして、斑入りと斑入りでないのを隔離して育てるのが望ましいのだが、なかなか帰国時には手が回らないのが現状である。
斑はアトハゼである。アトハゼとは出始めは緑の部分も白い部分も薄い。それが1年もするとはっきりと深緑と真っ白に際立ち美しい斑入りハランとなる。
この斑入りハランは父が大阪の実家で育てていたものを一株譲り受け宮崎で増やしたものだ。実家の隣近所でも斑入りのハランを家の玄関先に植えているところを数軒見かける。父から株分けされた物なのかも知れない。父の育てるハランにはいつも立派な斑が入っていた。せっせと選別を怠らなかったのだと思う。
父に聞いてみると元々は父の出身地、新居浜の実家の庭に植わっていたものだと言う。何時の頃からそこに植わっていたものなのか父も知らないと言っていた。「わしが物心付いた頃には既にあったがな~」と言っていた。父は昨年100歳で亡くなったが、新居浜では恐らく父の年齢より永くそこに植わっていたのかも知れない。
その新居浜には僕も子供の頃、法事などで何度か行ったこともあるが、今はお屋敷は取り壊されてない。高層のビルが建っているらしいから、もう既にその場所に斑入りハランはない筈だ。移植されているか或いは捨てられたかだろう。
宮崎では鉢植えで増やしていた。店に飾っていたのだ。窒素肥料過多では斑が消えてしまうと思い、あまり肥料を施さずに少しづつ増やしていたので、いつも班が入っていた。斑の消えたものなどは株分けの際、庭に移植していたが、その中からも時たま斑が現れたりもしていた。
ポルトガルに移住する時に、その内の一鉢を義母の宮崎の庭に託していた。そしてその後、宮崎に家を買ったのを機に自分の庭に植えていたものだ。自分の庭と言っても、大半をポルトガルに暮らしているから、宮崎には1年の内2~3ヶ月もいない。水をやる人も居ない。日本は幸い雨が多く、庭に植えると放ったらかしでも良く増えた。但し班はいつの間にか少なくなってしまっている。
昨年、大工さんに頼んで庭にフェンスを作ってもらった。その際にも邪魔になるところは、大工さんの手でかなり処分された。それから1年が経って又、根茎からたくさんの芽を出していた。それを引っこ抜いて今回持ってきたのだ。
鉢植えが立派に育ったらマンションの玄関ホールに飾るつもりである。以前にも持ってきて、玄関ホールに飾っていた。玄関ホールは出入りの時にはいつも見るのだが水遣りが疎かになる。たいてい水切れ気味だ。なかなか旨くは育ってくれない。
これは一度は瀕死の状態になってしまった鉢だが、ようやくここまで回復を遂げ、新葉が10本ほど出ている。新葉にも斑が入っている様だ。
ポルトガルでもハランは珍しくはない。いつも立ち寄るアライオロスのドライブインの入り口には見事なハランの鉢植えがあり、手入れの良さにその都度感心している。エボラのホテルにもあったし、アゼイタオンのワイン蔵の前にもたくさん並んでいる。イギリスのテレビドラマでもよく見かける。
別に珍しくもないが、宮崎でゴミとして出すには忍びない。それで遥々と生きている根茎だけを連れてきたという訳である。
階下のマダレナおばさんは緑のハランはポルトガルにもあるが、斑入りは初めて見たと言っていた。
今回持ってきた根茎からは斑は出ないかもしれないが、大きく育って、海水浴の弁当におむすびかサンドウィッチでも包んで持っていければ楽しいのではないだろか。VIT