武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

013. 猛暑・山火事

2018-10-12 | 独言(ひとりごと)

 ポルトガルの山火事は世界中に報じられた。
 七月の末頃に各地で同時多発的に始まった山火事はどんどん新たな地域を求めて山林を焼き尽くすだけではなく農家や小さな村々をも飲み込み拡大していった。

 連日ポルトガルのテレビでも特別ニュース番組を組みその迫力のある映像を流したので僕も釘付けになって見ていた。

 ポルトガルの山火事は今年だけに限らず毎夏のことなのだがそれにしてもこの八月は悲惨であった。
 消防士を含めて多くの犠牲者も出た。

 ポルトガルには元々油分が多くて燃えやすいユーカリの木と松の木がたくさん植えられている。
 ユーカリはパルプの原料として植えられているようだ。
 ポルトガルの気候に適しているのか成長が早く採算性が良いのだろう。
 ドライブをしていてもユーカリ林の側を通ると、時たまよい香りが締め切った車内にまで忍び込んでくる。
 巨木の森も多くて森林浴にはもってこいでコアラでなくても気持が良い。

 ポルトガルでは大航海時代から新たな土地を発見すると、その土地にしかない植物を本国に持ち帰る慣わしがあって、ユーカリの木もオーストラリア大陸が発見されてかなり早い段階からポルトガルで植栽されていたらしい。

 ブラジルが発見されてジャカランタが持ち帰られ、日本が発見され椿と紫陽花がポルトガルに植えられた。

 松の木も利用価値は高い。
 そしてポルトガルには何種類もの松が植えられている。
 松の実はポルトガル人は好んで食べる。
 アルカサール・ド・サルの名物は松の実の砂糖菓子だ。
 松ボックリは炭火焼の火付けに便利だ。
 松脂(まつやに)を採取している光景も良く見かける。
 葉っぱからはテレピン油が採れるそうだ。
 テレピン油は掃除用の洗剤としても使われている。
 もちろん材木としても用途は広い。

 ヨーロッパの今年の夏はそれにしても暑かった。
 5~6年前に60年ぶりの猛暑と言う夏があってその時もかなりのものであった。
 セトゥーバルの町の温度計は51度を指していて驚いたことがあるが、今年はそれを上回り150年ぶりとの事である。
 フランスでは猛暑による死者が一万人だとか、びっくりする数字である。
 ポルトガルでも1800人に達したと発表された。
 なんでもポルトガルでは人が死亡してもその原因をよく調べないから、フランス程は数字が出てこない。のだとか冗談とも本気とも取れる噂が流れている。

 今年最も暑かった八月初旬にポルトガルでも最も暑いと言われている内陸部の町に一泊旅行をした。
 その時のことを書いて僕がある人にお送りしたメールがある。
 その一部をここに引用したいと思う。

拝啓、○○様

 ポルトガルは激暑です。今までにないアトリエの気温に(もちろんエアコン等はありません)100年前の猛暑のアルルでのゴッホの心境になって描いています。

 猛暑のポルトガルの山火事は治まるどころか、新たな地域へ広がっています。
 大気はますます乾燥して、からからの風が吹いています。
 一雨欲しい所ですが、雨は全く期待できません。
 日本では二ヶ月間も雨が降らないとなったら大騒ぎでしょうが、ポルトガルでは初夏から秋までは一滴の雨も降らないと言うのが例年通りで普通なのです。
 ですからこの時期、雨が降らないからと言って、雨乞いの踊りをする人もいませんし、雨乞いの祭りもありません。
 それでも幸いな事に日本の様に渇水の心配もあまりしません。
 やはり端っこにあるとは言えポルトガルも大陸の一部です、何百キロもの大河が国境を越えて流れていますし、地下水だって豊富にあるのです。
 むしろ八月のこの時期に雨が降ったら「異常気象だ!」と言って騒ぎ出すかも知れません。

 昨日一泊旅行で内陸の町のお祭に行ってきました。
 途中、山火事のニュースで伝えられているあたりとは違う場所ですが、大規模な山火事あとの側を通りました。
 そのあたりは松やユーカリではなく、オリーブとコルク樫の林でしたのでそれほど大規模にはならずに、ニュースにものぼらなかったのかも知れませんが僕の見る限りでは見渡す限りでかなり大規模なものでした。
 内陸に入ると暑さは尋常ではなく、クルマのクーラーをいっぱいにしていても外からの熱が伝わってきました。
 途中の村で「ちょっと休憩」とクルマから出ると本当に燃えあがるようでした。
 温度計を持って行かなかったのが残念ですが、恐らく50度くらいになっていたのかも知れません。
 目指す町には民宿が一軒だけありました。
 「エアコンのある部屋はないのですか?」と聞くと宿の主人は「なななんだってぇ!ええエアコン~ん?」と笑い飛ばすだけだし。
 もしかしたら内陸の町は砂漠と同じで昼間は暑くても夜になったら急激に温度は下がるのかな?と言う僕の浅はかな知識が一瞬頭をよぎり、たぶん大丈夫だろうと思ってしまったのです。
 それに新品らしき扇風機はあるし。「まっ、大丈夫やろ!」とその宿に泊まる事にしました。
 ところが温度は下がるどころか。新品?の扇風機は「グオーグオー」とうるさく熱風をかき混ぜるだけで、夜中に何回も水のシャワーを浴びて、裸になって濡れタオルを掛けて…。
 したがって寝返りも打てないし、お陰で今日は寝不足で身体はがちがち。

 それでお祭はどうだったかと言うと、お祭の屋台で一番乗りに夕食を取ったのですが脱水状態だったのでしょう。よく冷えた白ワインも一本空けて…またフランゴ(チキン)の炭火焼はたっぷりと粗塩がまぶされていて、その塩辛さが熱された身体にはことのほか旨くて…、ますます喉は渇き、その後広場で生ビールの黒を飲んだのですが、旨すぎて一気にいってしまったのです。
 いよいよ祭が始まるという時になって酔っぱらってしまって一旦宿に帰ってちょっと休憩…。
 そのまま暑さと酔いで再び出かける気力もなく、始まったお祭では下手糞な生バンドと舞踏会で人々の騒ぐ音が宿の部屋まで生で入り込んでくるし。
 その騒音と扇風機の騒音と猛烈な暑さの中、気も狂わんばかりの想いで、暑くて狭い宿の中で過しました。
 と書いてテレビのニュースを横目で見ていたら、その山火事の地区にぁぁぁ雨です。
 「奇跡」です。ニュースキャスターも笑ってしまっています。
 ほんの少しの雨ですがレポーター記者は嬉しそうに傘をさしています。
 あの時の騒音は「雨乞いの踊り」だったのかも知れません。
 敬具


 以上のメールでその時の猛暑の様子が伝わっただろうか?


 ポルトガルもようやく例年なみの過しやすい夏になり、山火事も鎮火したようだ。

 全国的にほぼ鎮火しようとしていたその日に、我家からほんの300メートルしか離れていない丘の上で山火事が発生して一瞬ひゃっとした。

 消防自動車が5台来て30分程で消し止めてホットしたが、燃え広がるのが早くてベランダから見ていてもかなりの迫力であった。



我家のベランダから2003/08/17撮影

 我家は丘の上にあるからいつも火事の時はいち早く発見できる。
 この場所から山火事を四回、レストランの火事を一回、一週間も燃え続けたパルプ工場の火事も我家からずーっと見えていた。
 この場所に消防署の火の見櫓があれば良いのにといつも思う。
 その他にも焚き火から燃え広がった小火(ぼや)は数え切れない。
 それにしても火事の多い国だ。
 僕の今までの人生の内でこれほど火事を見たことはない。

 先日の上の写真の火事の時も我家からなら何処で燃えているのかは一目瞭然で、どの道を通って行けば一番近道かはすぐに判るのに、消防自動車はあっち行ったりこっち行ったりしてなかなか現場が突き止められないらしくて、道を間違えて慌てふためいている様子が手にとる様にして見えて歯痒い思いをしたほどである。
 
 猛暑による自然発火による山火事。あるいはそれは自然の摂理。
 それによって土壌(地球)は生まれ変わり再生を計ろうとしているのかも知れない。
 あるいは地球は怒っていて人類はそれを教訓にいろいろと反省をする必要があるのかもしれない。

 でも今回のポルトガルの山火事は自然発火も少しはあるのかも知れないが、残念ながら人間の身勝手によっているところが大いに露呈された。

 一つにはタバコの投げ捨てによる山火事があると思われる。
 今日もクルマで少し出かけたのだが、前を行くクルマの運転手がタバコを吸いながら片手運転をしていた。
 タバコをくわえる時以外はずっと腕を外に出している。
 もちろん指にはタバコを挟んでいる。
 自分のクルマの中に匂いが移るのを嫌がっての事なのだろう。
 そして最後には火の付いたままぽいと捨てたのだ。
 タバコはころころと転がる。
 風に煽られて沿道の枯れ草に燃え移らないとも限らない。
 やがて枯れ草からユーカリの木に燃え広がり山火事へと発展するかも知れないのだ。
 僕は自然発火よりもタバコの投げ捨てによる山火事もかなりあるのではと思っている。
 なにしろ国道沿いから燃え広がった山火事がやたらと多いのだ。
 そして捨てた本人は「まさか、自分のタバコが…」とも考えていないのだろう。

 もう一つ。
 ポルトガルでは「山火事にあった山の木材は安くで業者が買うことが出来る」という制度があるそうだ。
 業者は木材を安く買うために、この空気が乾燥する夏に放火をするのだそうである。
 山火事に遭った木材が果たして材木として使えるのか素人考えでは疑問であるが、案外と一皮剥けば製材が可能なのだろうか?
 今年も放火犯が何人か捕まったようだが、こんな制度があるから放火が後を絶たないのだ。
 と言う話になってその制度を見直すということにはなってはいるそうだが。

 材木業者のそんな身勝手なやり口によって山奥の貧しい、火災保険などとは縁遠いところに住んでいるお年よりたちが焼け出されて泣いている姿を見ると堪らなく憤りを感じる。

 山を持っている人は或いは都会などに住んでいたりするお金持ちで、山にも充分な保険などを掛けているのだろうが、そういった山間部の僻地で倹(つま)しく昔から暮らしている貧しい人々や、お年寄りの家屋までをもこの夏の山火事は呑みこんでしまったのだ。

 人間はどこまで残酷で欲深く出来ているのだろうか?
 戦争にしたって、自然災害にしたって、先ず弱い立場の人たちから犠牲になるのだ。VIT

 

 

(この文は2003年9月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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