
(灰羽については、もうずいぶん深く考察していらっしゃる方がいるので、多分ガイシュツ(?)でしょうが・・・)今日もお昼を食べていたときにふと思いついて、“そっか”と自分で納得してしまいました。)
~ 灰羽が生まれてくる年齢はなぜばらばらなのか?(でもおおよそ年少組の幼児と年長組の中学生くらいに分かれるみたいですが)
~ それから巣立つ期間が早い灰羽と、レキやネムみたいに遅い灰羽がいるのはなぜなのか?
・・・“事実”はほとんど語られないこの“物語”の核心がそのあたりにあるような気がします。
まず、ほぼ大多数の方のご意見と同じく、灰羽たちが、自殺や不慮の事故で命を落とした“青少年(ここらへんも疑問?)”の魂の“再生(?)を待つための生まれ変わりの姿だとしたら・・・を前提とすると、
生を捨てた、または失くしたそのときの姿?・・・ではないと考えます。
むしろ、生をやり直せる、または“より善き生”全うでき得る可能性のある時点の“過去の純真無垢だった自分”の姿。と私は思います。
それは、① 灰羽として生まれる年齢が丁度第一、第二次反抗期や性徴期(心や体が大きく変化する年齢の直前あたりに集中していること。結構その年齢あたりから、いろんなことが変化しますよね。事件、事故も多いし。そんな年齢になる直前の姿。 そう考えると第二の疑問もそれなりの回答がでるかと、 ② ・・・ うまくまとまらない(!)
まあ、そう考えると、レキやラッカは自らの命を自ら絶ったとしたら・・・そうなる原因(?)が始まる直前の年齢で生まれてきた。ということだと思います。
でも人間は弱いもので・・同じような過ちをふたたび犯してしまう、しまいそうになる。
レキのヒョウコとの駆け落ち(?)、再び自分の殻に閉じこもってしまったラッカ・・・
(では、ネムは?)
クラモリ・・私は、どこで間違えたんだろう? レキの言葉にすべてが表れているかと。
なにもかも真っ白な状態で繭から生まれ、善き“生”を追体験し、(生を善きものと捉えられず、死を考えたり、自分の存在意義をみつけられないのが罪つきか?)生を本当に素晴らしいものと感じられたその時に、巣立っていく。それが灰羽かと。
思いました。
あくまで、一つの想像、可能性ですが。(あと、最終羽の“祈り”から想像される“煉獄説”(神曲にもそんなくだりがありますね。)など、ユダヤ、キリスト教的な考え方も支持です。)(“過ぎ越しの祭り”もユダヤ教の行事なんですね。)
長文書きましたが、もし、読んでくれた人、感謝です。
ここで自分を捨てたんだ・・ヒカリでした。