1640年に宮之城領主・島津久通が発見した山ケ野金山は1751年~1820年は金の採掘量が全国一でした。
1.黄金の郷、山ケ野史跡
最盛期には約2万人が働き、金山周辺には大規模な鉱山町が形成されました。
2.現在は1日3本のバス便がある
江戸時代には人力による採掘や運搬が行われていましたが、幕末には島津斉彬が西欧の鉱山技術の導入を始め、フランス人技師を招き近代化を図りました。
3.鉱山跡の標識
江戸時代から明治30年まで金山経営の中心だった山ケ野には当時の盛況を偲ばせる数多くの産業遺産跡が残っています。
4.住居跡
現在もお住まいの方の住居もがあります。
5.石垣跡
過ぎ去った年月が感じられる石垣です。
6.精錬所などの跡
建物は残っていませんが、小学校跡もあり、街が形成されていたことが伺えます。
7.迷路のような道
訪れる人も少ないのか、道が荒れており車で行けなくなったので探検は諦めることにしました。
8.普請方跡
当時地下鉱脈を探す坑道掘りを「普請」と呼びました。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
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