惚けた遊び! 

タタタッ

抜粋 『禅家語録集』別冊 対談 西谷啓治・唐木順三 筑摩書房 日本の思想一〇

2017年01月06日 | 宗教


西谷 禅が日本に入ってきて、中国で発展したものと違った展開をみせているという気がするんだけども、……、専門的な禅者というだけのものにとどまらないで、いろいろな文化の面に結びついて、そして文化の基本的な精神みたいなものになってはたらいてきた。……、だいたい中国の禅は、全般的に士大夫というか知識人に最初結びついていたと思う。


士大夫(したいふ)は、中国の北宋以降で、科挙官僚・地主・文人の三者を兼ね備えた者である。(ウィキペディア)


*中国禅は知識人なのに日本禅は民衆に拡散。


 臨在の「破夏(はけ)の因縁」


唐木 拠るべとするテキストはないけれども、テキストをものにしている師家に会って、問法する。そうしなければ悟りが開けない。


 愚堂東寔(ぐどうとうしょく)=答えたらいけない


 禅の立場を説法のような形で、ちょうど経文になるような形で、理論として相手に向かって提出したら、もう嘘になる。嘘かといえば、一方にある人が聞いたときにぱっと悟るという何かがある。そういうところが禅の立場にはある。





*平成二十九年一月五日抜粋終了。

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