惚けた遊び! 

タタタッ

抜粋 三木成夫 『胎児の世界』人類の生命記憶 中公新書

2017年08月29日 | 読書
 
 ……これからお話しします「記憶」とは、臍の緒の切れる以前から、つまり生まれながらにしてそなわったものです。
 それは、三十億年もまえの〈原初の生命球〉の誕生した太古のむかしから、そのからだのなかに次から次へとり込まれ蓄えられながら蜿蜒と受け継がれてきたものであります。


 生命記憶


 たとえば、本の見開きの右のページは活字ばかりで、図などは左のページに載っていることが多い。


 わたしたち人間の感覚-運動器官は、このように、右側が文字やことばの、いわゆるロゴスの世界を、左側が絵や音楽の、いわゆるパトスの世界を、それぞれ得意として分担しているのですが、これらは、神経の交叉で反対側の脳と繋がっていますので、左脳=ロゴス、右脳=パトスという図式が出てくるわけです。


 つまり、電流を使って言語音と非言語音の脳内経路を民族のあいだで比較しましたところ、どうもわたしたち日本人は自然の音を左の言語脳で聞くらしい。(耳鼻科医師の実験)これは、欧米人が、たとえば虫の音を一種の〈雑音〉として右の音楽脳で受け止めるのと対照的です。


 韓国・中国も欧米型、ポリネシアが日本人と同じ型とのこと。


 懐かしさというものは「いまのここ」に「かってのかなた」が二重写しになったときにごく自然に湧き起ってくる感情であろう。印象像と回想像が重なり合ったときの情感といってもいい。


 やむなく友人の小児科医に相談すると、それは亭主が吸のだという。


 古生物学の教えるこの五億年にわたる脊椎動物誌
  序 古生代の〈魚類の時代〉
  破 中生代の〈爬虫類の時代〉
  急 新生代の〈哺乳類の時代〉


 それは、臍の緒の血管が子宮の〈血の池〉に無数の根を下ろして母体の血流に結ばれているのと同じだ。母子交流の原点をなす哺乳の世界には、こうした地球誌的な時の流れが秘められているのであろう。


 C・ベルナールの体液の恒常性「ホメオスターシス」の概念


 いきなり、「ずぼっ!」という音とともに、あたり一面に羊水が飛び散る。


 しかし、いずれの場合も、一億年の歳月はかれらに長い長い試行錯誤の期間を与え、その過酷の自然はかれらに絶妙の適応を遂げさせることとなった。


 夢にまで見た「脾の遊離」がついにここで現実となる。それは「鰓の退化」が始まる最初の一か月に見られるのであるが、脾臓はこのとき、胃の幽門部の尾根から、その場に〈新しい静脈〉を生み落として、ゆっくりと離れていく。


 それは決定的な出来事であった。脾の遊離はやはり現実にあった。脾臓はこのとき、造血機能を陸上歩行のための四肢の骨髄に譲り、みずからは今日の独立脾の姿に変わっていくのであるが、それは、動物が水から陸に向かって上陸を始める、あたかもその変態の初期におこなわれる。予想どおり、脊椎動物の「上陸」と密接不可分の間柄にあったのだ。


 ニワトリの卵殻内の小さな空間には、脊椎動物の悠久の時が閉じ込められていた。とくにその四日目から五日目にかけての二十四時間には、古生代の終わりの一億年を費やした上陸のドラマが見事に凝縮されていた。


 それは思考のアキレス腱を切断するに等しい止めの一撃だ。


 グラッと傾き、やがて液のなかをゆらゆらと落ちていく、そのゴマ粒の頭部……。わたくしは、しかしその一瞬、顔面が僅かにこちらに向いたのを見逃すはずはなかった。フカだ! 思わず息をのむ。やっぱりフカだ……。


 ……おれたちの祖先は、見よ! このとおり鰓をもった魚だったのだ……と、胎児は、みずからのからだを張って、そのまぎれもない事実を、人びとに訴えようとしているかのようだ。読者は、どうかこの迫真の無言劇を目をそらさないでご覧になってほしい。


 「古生物学」


 わたしどもはさらに「奇形」といわれているものの奥に必ず、この古代のかたちが隠されていることを述べずにはいられない。


 「奇」とは、凡人の価値観を超絶したものに与えられる形容でなくてはならない。


 このように見てくると、人間のからだに見られるどんな〈もの〉にも、その日常生活に起こるどんな〈こと〉にも、すべてこうした過去の〈ものごと〉が、それぞれのまぼろしの姿で生きつづけていることが明らかとなる。そしてこれを、まさに、おのれの身をもって再現して見せてくれるのが、われらの胎児の世界ではなかろうか。


 生物の二大本能として「個体維持」と「種族保存」があげられる。


 植物メタモルフォーゼは、ゲーテにとっては「自然の指図」――まさに「天の命」のしからしむるところであった。


 「宇宙交響」


 この問題の指針はただ一つ、それは、卵巣とは全体が一個の「生きた惑星」ではないか、ということだ。いや、この地球に生きるすべての細胞はみな天体ではないのか……。


 それは、先に示した食と性の波に乗った、たがいに双極的に聯関する二者一組のものでなければならない。



*平成二十九年八月二十九日抜粋終了。
*とんでもない本である。


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