遺伝子はこれまでとこれからの行動とリンクして変化もするらしい?

2008-07-22 | Weblog
父が町工場を続けられていたら、私は勉強しただろうか?
工場の装置で効率を上げる為に、マイコンを使ったりする勉強ならしたかもしれないが、むしろそちらは弟が得意なジャンルだったように思う。

私は特にこれといって集中力を発揮するものはなく、どちらかと言えば、加工装置をいじって職人的に腕を徐々に上げていくタイプだ。

くりかえし、くりかえし、普通の人が見ていると、馬鹿なのではと思うくらい、単調なことを繰り返し、精度を上げていく。

ドラムのパラディドルなどのルーディメントを練習する大学生の私の姿が、まさにその馬鹿だった。
ドラムの場合、音楽という大きな芸術作品の一部に包み込まれているものであるから、プロとして歩むにはこの音楽自体の素養に自信が必要であるはずで、私にはその自信はなく、遊びの域をひたすら揺らいでいるだけである。

さて、町工場も消え、父も他界し、家も財産もなく、そんな私たちは、
生来の遺伝子にはない行動パタンをトライし、自分の遺伝子自体を動かし続けることになったのかもしれない。

弟が、音楽に打ち込み、私が電子工学やLSI・ICの設計に打ち込む羽目になった。

私の記憶からすると、全く逆の方が、世界に通用するのではないか?!と思うくらい、少年の頃の行動パタンは真逆であった。
それが、なぜこうなったか。

ひとえに、貧しい家庭で、将来真っ暗な時代を生きることになったから、
そのような環境の大きな変化があったからに違いない。

大きな環境の変化で、眠れる遺伝子もオンしだす。
気になるのはオフする遺伝子があるかどうか?

ほっといても勝手にオフして欲しくないのだが、
これも、生物の原理原則として、退化・退行というものが存在するので、
ほっといて、それを欲するのも危険なことだろう・・・・

「たまには、音楽に聴き入って、絵でも描かないといけないかな?!」

「彼も、たまにはマイコンでおもちゃでも作らないとね・・・」

「今度一緒に、世界一高速で便利で面白い、特殊目的のパソコンなんかを自作しようよ!!」

時にそんな言葉が浮かんでくる。

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