引き続き、伊勢市出身の詩人
竹内浩三さんの詩を紹介させてください。
入隊を前にして
骨となって故国に帰ってくる詩を書く一方で
浩三さんは、次のような詩も書いていました。
宇治橋
ながいきをしたい
いつかくる宇治橋のわたりぞめを
おれたちでやりたい
ながいとしつき愛しあった
嫁女(よめじょ)ともども
息子夫婦もともども
花のような孫夫婦にいたわられ
おれは宇治橋のわたりぞめをする
ああ おれは宇治橋をわたっている
花火があがった
さあ、おまえ わたろう
一歩一歩 この橋を
泣くでない
えらい人さまの御前(ごぜん)だ
さあ、おまえ
ぜひとも ながいきをしたい
( )内ふりがな:はるのん2号
伊勢内宮の式年遷宮にともない、架け替えられる宇治橋。
子夫婦・孫夫婦と三代揃って、渡り初めの先頭を歩きたい、
その日まで、長生きをしたいという望みを
実は持っていたのだということが、わかります・・・
実際の浩三さんは、骨すらふるさとに帰ってくることは
叶いませんでした。
*******
最後に、浩三さんが18歳の頃に書いた詩を紹介します。
“三ツ星”といえば、冬の星座オリオンのことだとおもうのですが
浩三さんは、その星に思いを寄せて
純粋でまっ直ぐな詩を残していました。
今後、夜空の星を見上げる時は
きっとこの詩を思い出すことでしょう・・・
はるのん2号
三ツ星さん
私のすきな三ツ星さん
私はいつも元気です
いつでも私を見て下さい
私は諸君に見られても
はずかしくない生活を
力一ぱいやりまする
私のすきなカシオペヤ
私は諸君が大すきだ
いつでも三人きっちりと
ならんですゝむ星さんよ
生きることはたのしいね
ほんとに私は生きている
<出典:竹内浩三著 小林察編 「竹内浩三詩文集~戦争に断ち切られた青春~」風媒社 2008年5月発行>
浩三さんは志半ばで人生に終止符を打たなくてはいけなくなった時悔しい思いでいっぱいだったと思います。
若者たちにそんな思いをさせてはいけません。
地球上ではいっぱい紛争が起こっています。私は38年間保育士をしてきました子どもたちに自分の思いが通らない時決して暴力で解決してはいけない事を言ってきました
話し合いが大事話し合う事でお互いに分かり合える
地球上から紛争がなくなってほしいです
『大勢の方達の犠牲があって今があることを忘れてはいけない』
『誰もが平和を願っているはずなのに間違った方向に進むのはどうしてでしょう。・・決して暴力では解決しない・・』
73回目の終戦の日を迎えて、『終戦(戦争が終わった)』意味を改めて考える事が大切だと思いました。
竹内浩三さんのことを調べていたら、『大東亜戦争 開戦の詔勅』に突き当たりました。改めてここに戻ってはいけないと強く感じています。
表現する・しないの違いはあるにしても
このような境遇に立たされた人は
少なからずこのような思いのはざまで苦しむのではないかな・・・
なので、竹内浩三さんの残した詩や文章が
共感を呼ぶんでしょうね。
ようやく巡りあうことができて
いろいろ考えさせられました・・・
新谷さんに教えられた子どもたちは
しあわせですね♡
表現する・しないの違いはあるにしても
このような境遇に立たされた人は
少なからずこのような思いのはざまで苦しむのではないかな・・・
なので、竹内浩三さんの残した詩や文章が
共感を呼ぶんでしょうね。
今回、ようやく巡りあうことができて
いろいろ考えさせられました・・・
新谷さんに教えられた子どもたちは
しあわせですね♡
ホントにそのような世の中になってほしいです・・・
貸していただいて、ありがとうございます!
入隊前、見送りの人々を待たせて
チャイコフスキーの“悲愴”を
「もうこんな音楽は聴けないんやで。
頼むから最終楽章まで聴かせてくれよ」と
せかすお姉さんに頼んだそうですね。
いろいろなエピソードを知るにつれて
そのひととなりが浮かび上がってきます。
映画を創る夢も果たせず
骨すら帰ってこれなかった浩三さん・・・
でも、彼だからこそ可能だった役割を
立派に果たされたとおもいます。
もっともっと知られてほしいものです。
竹内浩三さんの詩に託された想い、大切に受け止めなければいけないなぁ〜と思っています。
チャイコフスキーの『悲愴』でしたね。悲壮と書いちゃいました・・・。
余計にこれらの詩が心に染み入ります。
これら若者に孫が近い年齢になってきました。
今の子は、これだけ(生と死)を真剣に考えていないことでしょう。
それだけ、生まれてこの方、平和であったという事でしょう。
いつも思います。
いつまでも(戦後)であり続けてほしい。
今が(戦前)でないことを!
そのまま出勤しました。
大分の日田は連日の猛暑で
39℃台が続きました。
明日からブログも再開しますので
またよろしくお願いします。
応援ぽち
あと一歩満州を出るのが遅れていたら
ソ連軍に捕らえられて
シベリアに抑留されたかもしれなかったそうです。
祖父は「戦争は絶対にあかん」
「朝鮮さんや中国さんと仲良くせなあかん」と
私に言ってくれました。
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話された言葉には
考えさせられることが多かったです。
それに比べて現首相の言葉の軽いこと。
この人がまた総裁選で勝つんですかねぇ。
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