現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

人を見る目を養うと言うこと

2009-04-23 14:45:44 | 意識構造

 もう、かれこれ15~6年位前の話である。この地方で40人ぐらいの規模の会社の社長と会った際、製造並びに営業を主体とした会社である。事務員の募集をかけたところ三人の応募があった。「一人は長い間、製造関係の仕事をしてきたので遠慮していただいた。」もう一人は商店の事務をしていたがそんなに大きな所にいたわけではなかったのでこの人にも遠慮していただいたらしい。もう一人は、何千人といる地方銀行の総務に長く在籍していた人であり、結局、彼女を採用した。「やっと家みたいな会社でも良い人が来てくれた。」と得意になって話した。

大きな所にいればそれなりの社内教育もしっかりしているので何でもできると勘違いしてしまったらしい。私にすれば(多分、一年と持たないと思っていた。)このことは、あえて言い出さなかった。彼の言葉を聴いていると「どうも選択を間違えている。」と考えていた。得意になって話をしているので「話の腰を折ることも無い。」いずれ気がつくだろう。

本当は、商店の事務をしていた人を採用すべきだった。お客さんからのクレームが来るは、小さいがゆえに総務の仕事はしなければ成らない。その上お金のことや売り上げ等に関する営業事務、その帳簿関係の仕事はあることになる。彼女であれば、おそらく、完全に行かないまでも多くのことに対応できたであろう。大きな所は何千人といるので総務ならその仕事をしているだけでよい。他の仕事は違う人がしているので覚える必要はないことである。細分化されているということは頭の中にサラサラないのである。

結局、使いものにはならなかった。雇われた方もイズラクなって止めざるをことになってしまった。会社の経営者ですらこういう間違いをすることになる。「人を見る目をしっかり覚えなければならないなあ。」と教えられた出来事である。

   【人鑑写せ現のわが姿自分の顔は見えなきものを】【人鑑】より