現在「軍事も内政も、なんでもできるスーパースター信長」といった「信長論」を展開する人はほとんどいません。それに代わり「室町幕府を尊重し、朝廷を尊重し、天下静謐の大義のもと、戦争状態の終結を目指す、そこそこ常識的な信長」が語られることが多くなっています。
「極端から極端へ」(堀新さん)と言われる現象です。こうした「極端な信長論」は、いずれ10年のうちに、少なくなっていくと思っています。革命児や保守的といった「レッテル貼り」は極めて非生産的です。こうしたレッテル貼りを乗り越えようという意図を宣伝した新著はありますが、いまだ乗り越えているとは思えません。
「天下静謐の信長」が大きく語られるようになったは2014年ごろからです。これは信長研究の泰斗である谷口克広さんの認識です。信長本があまりに多数出てきたことに「驚いた」と書いています。そのもとは2012年の池上裕子さんの「伝記」だと思います。その前から天下静謐を語る学者さんはいましたが、2014年の「現象」のみに限定するなら、この池上さんの信長論の影響が大きいといえるでしょう。
その「伝記」は「私は織田信長を許さない」という「今も信長を許さない人々の存在」から語られます。冒頭でそのような人々の意見に接し「安堵した」と書きます。この池上さんの「伝記」は、「信長の限界」に「強く」注目しながら、その「異端性」(絶対服従を求める。果てしなく分国拡大をしようとする)をも語っており「極端」なのものではありません。しかしこの本のあと、せきを切ったように「革命児信長への不満」が爆発し、極端な信長論が語れるようになりました。それは今も継続中です。昨日読んだある学者さんの新著もそのようなもので、まるで金太郎飴のように「同じ」です。繰り返しますが、池上さんの論述は違います。「信忠が生きていても信長の代わりはできない」「信長の戦争は天下静謐と分国拡大に分けられるが、信長の中ではやがて一つのものになっていく」「結局関所の撤廃をしたほか、内治面ではなにをしたんだ」などスリリングな論点に満ちています。
私は当初、東大の金子拓さんの「信長論」(織田信長天下人の実像、織田信長権力論)を「金太郎飴の一つ」だと思っていました。しかし金子さんは脇田さんの論考を参考にしながら「天」を「朝廷をも含め、天皇も従わねばならないと信長が認識していたもの」と考えており、決して「金太郎飴」ではありません。上記の新著の作者も金子さんを「引用」していますが、その点への言及がないため「劣化コピー」となってしまっています。
信長の「古さ」と「新しさ」をきちんと分ける必要があります。信長は多くの分国を持ちます。その原動力となった「信長の古さ」は何なのか。「信長の新しさ」は何なのかを考えることでしょう。「古さ」もまた勢力拡大には重要です。「古さ」は理解を得やすい。その古さを利用して勢力を拡大した局面もあります。なにより人々の理解を得やすいのが「古さ」です。
他の大名も「古さ」を持っていたし「新しさ」も持っていた。にもかかわらず、信長の分国のみがあれだけ急拡大したのはなぜか。毛利の急拡大をも考えにいれながら.
というのが私の今の関心の中心事項です。
信長論の論点は「例えば」以下のようなものでしょう。
・信長は検地をどう考えていたか。光秀らの検地は信長の意向とは全く違ったものだったのか。そのような「遅れた大名」が多くの分国を得たのはなぜか。
・信長は楽市楽座を「分国全体の政策としては」行わなかった。では楽市楽座とは何か。都市の直轄化など、信長のマネー戦略はどのようなものか。いくら収入があったのか。
・兵農分離とは何か。本当に兵農分離で「強く」なるのか。
・信長の技術改革として語られてきた「長槍」「鉄砲」等をどう再評価するか。特に鉄砲の場合、マネー戦術と濃厚に関わる。堺の直轄化などとも関わる。そこを「公正に評価する」必要がある。
・信長には分国法のようなものがないようにも見える。明智軍法は後世の偽作なのか。偽作ではないとして、どれだけ信長の意向と結びつけることができるのか。分国法すらない「遅れた大名」である織田権力に、なぜ多くの大名は勝てなかったのか。
・幕府や朝廷との関係、ただ「当時の考え方の範囲内で、幕府と朝廷を尊重し」という記述だけでいいのか。
・信長のその後の国家運営につき、中国皇帝を意識したという論者は少なからずいる。そうした論者と対話的に論争しないでいいのか。天下静謐と武威という言葉から「中国皇帝」が飛び出してくるように見えるのはなぜか。
池上裕子さんの「伝記」は実に面白い。また谷口克広さんの深い見識と洞察力も大事だと思います。谷口さんと対話しながらそれでも「違う説になってしまった」というまさに学者の鑑のような金子拓さんの信長論。そして堀新さんの公武結合王権論。加えて朝廷の「強い」主体性を訴える学者さん。
当面は「朝廷、天皇すら天のもとにあると信長が認識していた」という立場から語られる金子拓さんの「天下静謐の信長論」をいかに「創造的に乗り越えるか」だと私は思っています。「私が乗り越えられる」わけはありません。そこはプロの歴史学者に乗り越えてほしいと思っていますし、金子さん自身も「批判を望んいる」という認識を書いておられます。
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