ドラマそのものの感想というより、信長についての雑感です。
本日の回の最後、地獄の宴と言うようです。「膳がどうしたこうした」で、信長が光秀を叩き、さらに蘭丸が食ってかかってました。
おなじみのシーンながら、背景が違います。まず信長の嫉妬。それから「樹を切る」=信長の命を絶つという光秀のリアクション。同じシーンでも、背景や意味合いが全く違うものです。
私はよく知らなかったのですが、このシーンは一次史料にはないようです。フロイスの叙述も伝聞体のようです。でも比較的近い時代の二次史料には出てくる。実際にあったかも知れないし、実際はなかったが、説得力を持つため二次史料によく使われたのか。そこはよく分かりません。しかしこうして印象的に映像化されると、謀反の「決め手」としての説得力はあるなと感じます。
さて、信長はどう「因縁をつけた」のか。「1の膳が間違っている」ということでした。フルコースのうちの「1の膳」になんらかの間違いがあったと、因縁をつけたわけです。いつもは鯛が腐っているとか言う因縁なのですが、本日は膳のあり方でした。
最近読んだ本に、「信長以降、膳のあり方が簡略化された」と書いてありました。有りていに言うなら「面倒なことはやめよ」ということです。天下人がそんな感じなんで、随分とフルコースのあり方が変わったということでした。
「面倒なことはやだな」というのは信長の大きな特徴のように思います。「やれるけどやらない」という信長のあり方を表している気がします。
よく指摘されるのは斎藤道三との会見です。いつもの服でやってきて正装に着替え、道三を驚かせるわけです。「正装なんてできるよ、でもやりたくない」という信長の特徴を示しているとされます。
「儀式を見ると、荘厳と感じるより、可笑しくなってしまう」、、、実は私にもそういう傾向があるのですが、信長もそういう傾向が強かったように思います。
朝廷との付き合い方などもそうです。学者さんが「信長は紙の使い方ひとつでも、当時の礼法を立派に守っていて、実は保守的だ」とか言うわけです。保守的でも構わないのですが、それって「信長の性格じゃないでしょ。やればできるからやってるだけは」とは思います。「やれないわけではない」ので、「朝廷や幕府の礼法なんて、知識持った者に命令すればできるよ」というところは見せるわけです。でも本音では「メンドくさいな」と思っていたふしがあります。実際に信長がやったのは「まあ田舎者とバカにされないように、相手に合わせて上質な紙を使っておけ。喜ばせておけばいい。」という命令ぐらいでしょう。
官位なぞもそうですね。左大臣になってくれと言ってもなんだかんだ言って断ります。なったら儀式があります。習えばできます。でも「習うのも面倒だな」と思っていたのではないか。官位問題はこんな理由だけで片付きませんが、1%ぐらいそういう理由だったのではないか。よく真面目な顔してあんな面倒なことできるよな、アホかと感じていたのではないか。
これと違って秀吉などは「習う」のですね。いくら独裁関白といっても礼法はあります。みっともないことはできない。だから熱心に習うのです。信長はさほど「熱心には」習った感じがしません。「膳のあり方」が簡略化されたのは、要するに面倒くさいからで、その信長のあり方は他でも見られる気がするのです。
「お前たちが大事に思っている礼法なんて、お前達にしてからが人に習ったものであり、習えば誰にでもできるけれど、あまり意味はないよな」という信長の声が聞こえてきそうな気がします。
この文章、なんの根拠もなく、ただ思い付きで書き散らかしているので、あとで反省して削除するかも知れません。
最後に一つだけ真面目なことを書くと、こういう面倒くさい礼法を取り入れることで、徳川幕府は長く存続しました。信長も政権を作っていたら、好き嫌いに関係なく、取り入れたかも知れません。
本日の回の最後、地獄の宴と言うようです。「膳がどうしたこうした」で、信長が光秀を叩き、さらに蘭丸が食ってかかってました。
おなじみのシーンながら、背景が違います。まず信長の嫉妬。それから「樹を切る」=信長の命を絶つという光秀のリアクション。同じシーンでも、背景や意味合いが全く違うものです。
私はよく知らなかったのですが、このシーンは一次史料にはないようです。フロイスの叙述も伝聞体のようです。でも比較的近い時代の二次史料には出てくる。実際にあったかも知れないし、実際はなかったが、説得力を持つため二次史料によく使われたのか。そこはよく分かりません。しかしこうして印象的に映像化されると、謀反の「決め手」としての説得力はあるなと感じます。
さて、信長はどう「因縁をつけた」のか。「1の膳が間違っている」ということでした。フルコースのうちの「1の膳」になんらかの間違いがあったと、因縁をつけたわけです。いつもは鯛が腐っているとか言う因縁なのですが、本日は膳のあり方でした。
最近読んだ本に、「信長以降、膳のあり方が簡略化された」と書いてありました。有りていに言うなら「面倒なことはやめよ」ということです。天下人がそんな感じなんで、随分とフルコースのあり方が変わったということでした。
「面倒なことはやだな」というのは信長の大きな特徴のように思います。「やれるけどやらない」という信長のあり方を表している気がします。
よく指摘されるのは斎藤道三との会見です。いつもの服でやってきて正装に着替え、道三を驚かせるわけです。「正装なんてできるよ、でもやりたくない」という信長の特徴を示しているとされます。
「儀式を見ると、荘厳と感じるより、可笑しくなってしまう」、、、実は私にもそういう傾向があるのですが、信長もそういう傾向が強かったように思います。
朝廷との付き合い方などもそうです。学者さんが「信長は紙の使い方ひとつでも、当時の礼法を立派に守っていて、実は保守的だ」とか言うわけです。保守的でも構わないのですが、それって「信長の性格じゃないでしょ。やればできるからやってるだけは」とは思います。「やれないわけではない」ので、「朝廷や幕府の礼法なんて、知識持った者に命令すればできるよ」というところは見せるわけです。でも本音では「メンドくさいな」と思っていたふしがあります。実際に信長がやったのは「まあ田舎者とバカにされないように、相手に合わせて上質な紙を使っておけ。喜ばせておけばいい。」という命令ぐらいでしょう。
官位なぞもそうですね。左大臣になってくれと言ってもなんだかんだ言って断ります。なったら儀式があります。習えばできます。でも「習うのも面倒だな」と思っていたのではないか。官位問題はこんな理由だけで片付きませんが、1%ぐらいそういう理由だったのではないか。よく真面目な顔してあんな面倒なことできるよな、アホかと感じていたのではないか。
これと違って秀吉などは「習う」のですね。いくら独裁関白といっても礼法はあります。みっともないことはできない。だから熱心に習うのです。信長はさほど「熱心には」習った感じがしません。「膳のあり方」が簡略化されたのは、要するに面倒くさいからで、その信長のあり方は他でも見られる気がするのです。
「お前たちが大事に思っている礼法なんて、お前達にしてからが人に習ったものであり、習えば誰にでもできるけれど、あまり意味はないよな」という信長の声が聞こえてきそうな気がします。
この文章、なんの根拠もなく、ただ思い付きで書き散らかしているので、あとで反省して削除するかも知れません。
最後に一つだけ真面目なことを書くと、こういう面倒くさい礼法を取り入れることで、徳川幕府は長く存続しました。信長も政権を作っていたら、好き嫌いに関係なく、取り入れたかも知れません。
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