武威とは「武力を行使して人をつき従わせること、またその圧倒的な力」のことです。
黒嶋敏さんの「秀吉の武威、信長の武威」の副題は「天下人はいかに服属を迫るのか」という題です。
冒頭から秀吉や信長の「嘘ばっかりついて自分を大きく見せている手紙」が紹介されます。そういう種類の手紙等の分析を通して、「曖昧な惣無事令の再考」と「信長はどこまで達成したのか」を考えていくというのが筆者の狙いのようです。
内容自体も実に興味深いものです。
しかし私が感じたのは、ちょっと違うことです。あるいは「著者の狙い通りのこと」かも知れません。
ズラーと「嘘ばかりの文章」が並ぶのです。中には「嘘は少ない文章」も含まれます。ほとんどが「一次史料」です。
ここまで嘘ばかりの資料が並ぶと、自然に「当時の手紙は信じてはいけない」ということに気が付きます。と同時に「裏を読むことの大切さ」に気が付くのです。
筆者自身も「一次史料を裏読みをせず読むこと」や「一次史料のある部分をとりだして並べ、そこから史実なるものを作り出そうとする態度」について「その危うさ」を指摘しています。(あくまで私がそう感じたということです、これに近い叙述は存在します。筆者は一次史料のプロであり、史料から史実を再現することの大切さは強調しています。)
大変おもしろいと思いました。
黒嶋敏さんの「秀吉の武威、信長の武威」の副題は「天下人はいかに服属を迫るのか」という題です。
冒頭から秀吉や信長の「嘘ばっかりついて自分を大きく見せている手紙」が紹介されます。そういう種類の手紙等の分析を通して、「曖昧な惣無事令の再考」と「信長はどこまで達成したのか」を考えていくというのが筆者の狙いのようです。
内容自体も実に興味深いものです。
しかし私が感じたのは、ちょっと違うことです。あるいは「著者の狙い通りのこと」かも知れません。
ズラーと「嘘ばかりの文章」が並ぶのです。中には「嘘は少ない文章」も含まれます。ほとんどが「一次史料」です。
ここまで嘘ばかりの資料が並ぶと、自然に「当時の手紙は信じてはいけない」ということに気が付きます。と同時に「裏を読むことの大切さ」に気が付くのです。
筆者自身も「一次史料を裏読みをせず読むこと」や「一次史料のある部分をとりだして並べ、そこから史実なるものを作り出そうとする態度」について「その危うさ」を指摘しています。(あくまで私がそう感じたということです、これに近い叙述は存在します。筆者は一次史料のプロであり、史料から史実を再現することの大切さは強調しています。)
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