鉄道親爺の窓

今日でブログを始めて6年目 国鉄形の車輌の淘汰が進み 寂しさもひとしおですが 平成の名車にも目を向けたいと思っています。

北の蒸気機関車(千歳線のC57前補機)

2012-12-06 19:58:57 | 蒸気機関車


    1972年01月00日撮影 千歳線 千歳~長都    前補機C57 91 次本務機D51

千歳駅を発車する前補機(C57 91)本務機D51の重連貨物列車です。千歳線の西の里(信)と上野幌間に 14.3パーミルの勾配区間があり 貨物列車に前補機が付き重連で運転していました しかも貨物列車等のD51に 旅客列車用のC57が補機に付くという形でした 9600やD51のような貨物機のデフレクターは 切り詰められていましたが C57やC62などは原型のままでした ただ前哨灯は補助灯が付きキャブも 寒冷地対策でしょう 密閉式に改造されていました。


 

北の蒸気機関車(二つ目キューロク)

2012-12-05 17:55:30 | 蒸気機関車


    1972年01月00日撮影 函館本線 倶知安~小沢    9600  19640

 函館本線でC62重連の「ニセコ」を撮影した時 一緒に撮影したものです。ニセコが通過する前に 岩内(岩内線)からの貨物列車を引いて 倶知安に向かう列車です。倶知安機関区の9600形機関車は 急カーブの多い胆振線を走行するので 夜間の安全のためにヘッドランプが ボイラー上ではなく左右のデフレクターのステーに二個付いていたので 「二つ目キューロク」の愛称で親しまれていました この釜も北海道の釜らしく デフレクターは短く切り詰められ 化粧煙突からパイプ煙突に改造され 回転式火の粉止めも装備しています。

北の蒸気機関車(宗谷本線の9600)

2012-12-05 17:16:52 | 蒸気機関車


    1973年08月00日撮影 宗谷本線 抜海~南稚内    9600(名)

 旭川から宗谷本線を 北に向かう貨物列車は 線路規格が低い音威子府から北は 旭川機関区のD51から 軸重の軽い9600(名寄機関区)に付け変えてさらに北へと進み 稚内に向かいます。 この時の北海道行きは 天候に恵まれず おまけに地震の追い討ちを受け 無残な結果に終わりました。短い盆休みを利用しての行程でしたが 行きの航空券の早い便が取れず 稚内に着いた時も小雨交じりの天気で C55の客レと9600の貨物を各一本ずつ写したのみで 天気予報を見ると南部のほうが少しはよさそうなので 日高本線に向かいましたが 今度は地震で到着が遅れ おまけに貨物列車は運休となり撮影できず ただ北海道を北から南に走り抜けただけでした。

北の蒸気機関車(塩狩峠のD51)

2012-12-04 21:13:57 | 蒸気機関車


    1972年01月00日撮影 宗谷本線 蘭留~塩狩    D51  167

 宗谷本線の貨物列車は音威子府まで 旭川機関区のD51が担当していました。北海道のD51はデフレクターを切り詰めたり ギースルエジェクターを装備したりと かなり改造された釜が多かったようですが このD51 167(旭)もギーセルエジェクターを装備した釜の一輌です。


    

    1972年01月00日撮影 宗谷本線 塩狩~和寒    D51  866

 塩狩峠は塩狩駅がサミットになっていて 塩狩駅に居れば蘭留.和寒両方から上って来る列車の 力行する姿を捕らえる事が出来ました また貨物列車には DD53の後部補機が付いていました。当時ディーゼル機関車には 目もくれなかったのですが 一枚ぐらい写しておけば好い記録になっていたでしょう。