ゆず『YUZUTOWN』が教えてくれる、なぜその音楽はいつも私たちの「帰る場所」であり続けるのか?
2020.03.03 17:00
同時に、どこまでも朗らかで親和的で、誰ひとり疎外することのない「帰る場所」としての包容力を備えていること。
ポップミュージックを志す者の理想たるその両極を、ゆずがCDデビュー以来20年以上にわたって体現し続けていることは言うまでもない。
極彩色のポップ大航海へと漕ぎ出した前作『BIG YELL』とそのツアー、さらに日本音楽史上初の弾き語りドームツアーといったトピックに象徴される通り、「ポップミュージックの可能性を押し広げる音楽冒険家」として最前線で闘い続けるゆず。
そして――通算15作目のオリジナルアルバムとなる今回のニューアルバムを、北川悠仁&岩沢厚治のふたりは『YUZUTOWN』と名付けた。
松任谷正隆&蔦谷好位置の壮麗なアレンジで生まれ変わった“SEIMEI”をはじめ、“GreenGreen”、“マボロシ”、“マスカット”、“公園通り”といったタイアップ曲、さらには嵐への提供曲“夏疾風”のセルフカバーまで含む『YUZUTOWN』。
『WONDERFUL WORLD』や『新世界』といったコンセプトやイマジネーションの先にではなく、自分たちのミュージシャンシップとプリミティブな表現欲求の果てに「今、ここ」をリアルなポップの舞台として己の音楽を咲き誇らせる――。“チャイナタウン”や“花咲ク街”、軽快な言葉遊びも楽しい“イマサラ”など、多彩な感情がそのまま楽曲になって響いてくるような今作の楽曲群は、非日常的なアッパーな高揚感とは一線を画した「心のホームタウン」としての多幸感に満ちている。
音楽や歌は「自分の想いを時代に刻む手段」なのか、あるいは「他の誰かに向けて放つメッセージ」か――というバランスは、永遠に答えの出ないテーマのひとつと言えるだろう。
しかし、『YUZUTOWN』でのゆずは、その自他の均衡関係を二律背反ではなく、永久機関の如き無限の循環へと新たに再構築したように見える。「自分の想い」のひとつひとつが「誰かへの言葉」であることを宿命づけられたシーンの表舞台で今、北川&岩沢はそんな非日常的な構図そのものをも自分たちの「日常」として伸びやかに謳歌している。その事実に、思わず胸が熱くなる。
『FURUSATO』や『LAND』など、これまでにもゆずは自分とリスナーの「帰る場所」を音楽で描き出してきた。が、ここでのふたりは至って自然体で、表情豊かで、だからこそ豊潤なポップの輝きにあふれている。ゆずの新たなフェーズを物語る、至上の1枚だ。(高橋智樹)
以上、まんまコピーしました(*´∇`*)
そうなの、そうなの(*´ω`*)
届くのがとても楽しみです(*´∇`*)
東京ドームのライブはそのまま映像に残って商品化されたので、いつでも懐かしく見ることができます(*´∇`*)
その前のBIG YELLのツアーは最前列という至近距離で参加しました(*´∇`*)
なんか、よく分からないけどこの記事がポワンと現れたので(笑)
そうそう、そうなのってついついコピーしてしまいました(大切なので二回言う(*´∇`*))
今、いろいろとTVに出て宣伝(笑)してる感じです。
この間【うたコン】(NHK)に出演していて、そこで亡くなった実家の父がよくカラオケで歌っていた【北国の春】を偶然聞いて、もうすぐ祥月命日だなぁと改めて思い出しました。
あのふるさとへ帰ろかな~♪っていつも歌っていました。
実家にはカラオケの機械が置いてあり、時々歌っていたなぁ。
子どもが幼かった頃、ミニモニ、ひなまちゅり♪って歌っていたなぁ。
なんだかゆずの歌を聞きたくて見ていたのに別のスイッチが入ってしまいました(笑)
今日?
明日?
もうすぐ届くので楽しみです(*´∇`*)
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