愛しのボニー

元保護犬
2020年9月21日没(推定10歳)
ラブラドール・レトリバーのボニーの思い出

闘病

2022-02-26 13:37:58 | 日記

夫は家では一日中ソファに横たわっている

そしてほとんど眠っている

それでも 以前のようにはいかないが仕事を続けている

仕事に行けば しばし病気のことを忘れられるのか

充足感を得られるのか

 

こんな状況になっても やはり人間は何かせずには生きていけないらしい

 

今は腹水がひどく 膨満感に苦しんでいる

息切れがして歩くのも辛そうだ

そういう夫にわたしは一日中寄り添って

自分のできる民間療法を施している

 

もう医師からは見放されてしまったから

もうホスピスに入ることを考えなければいけないのに

何も考えない夫

相変わらず仕事のことしか考えない夫

 

緩和ケアのこと

仕事のこと…

3年前に「2か月程度をめどに仕事の引き継ぎをされると良いかと」と医師から言われていたのに

辞めるどころか新しい企画で仕事を始めてしまっている

会社をどうするのか

お墓は…

母は…?

 

すべてこのままわたしへの宿題として残されるのだろう

 

先日長男と娘が来て久しぶりに母子で話した

ふたりともわたしに向ける視線は憐憫に満ちていて

わたしはびっくりしてしまった

 

それぞれ父親になったり妻になったりして

今までとは別の角度から“母親”というものを見られるようになったらしい

 

それぞれが大変な思いをしているから甘えるわけにはいかない

とにかく後悔しないように たんたんと看病するだけ

ただそれだけ考えている

 

今していることは主に3つ

「漢方薬」

「光線療法」

「里芋湿布」

いずれもわたしが考え勝手にしていること

どんな効果があるかはわからないけれど

何もしないでいたら気が狂いそうだから

もしかしたらこれらのことはそんな自分のためにしているのかもしれない

 

「漢方薬」はわたしが調べて始めた

すでに1か月以上続いている

“漢方の抗がん剤”というが劇的な効果は望めないと正直思っている

 

「光線療法」は健康オタクのわたしが元々使っていたもので

“コウケントー”が有名?でカーボンアーク灯による治療

これは万病に効くといわれていて昔からあるらしく

鍼灸院などで今も使われている

スポーツ選手が何台も使って怪我や不調を治していると聞く

 

「里芋湿布」は腹水改善になると聞いて始めた

“youtube”にも具体的な方法がアップされていて

すぐに始めてみた

急なことであり合わせの布を使って里芋ではなくジャガイモを使った

(ジャガイモでも同じ効果があると聞いたので)

すりおろした芋とおろした生姜に小麦粉を加え適度な固さにする

これをお腹に貼り付けておく

 

すると腹水が外に出てくるというのだが…

 

こんなのも里芋湿布用に売られていて

意外に愛用者は多いのかもしれない

右の「温」というのは生姜のホットパッチで

里芋湿布の前に温める目的で使う

 

そして夫が痛いというところを撫で さすり

ツボを探して押して

食べやすい食事を作って一日が終わる

 

昨日作ったポーチ

 

今は無心に手を動かすことが救いになっている

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観葉食物?

2022-02-18 09:59:38 | 日記

半月ほど前にOKというスーパーで買ったリーフレタス

(野菜コーナーで普通にレタスとして売っていました)

 

 植栽ポットのまま売られていてどう保存したものか…

考えた結果 空き瓶に入れて室内の明るいところに置くことにしました

 

わりにきれいな葉色で観葉植物代わりになっています(?)

そして意外に使えます

パンにはさんだり肉料理に添えたりして

ちょこちょこ使っています

 

まだまだ使えそうです

しょーもないネタですね…(;^_^A

ご参考までに(笑)

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死生観

2022-02-16 11:32:22 | つぶやき

子どもの頃、ピアノを習っていた。

高校受験のため、中学3年生になると同時に辞めてしまったけれど。

 

当時の先生はまだ音大生で、年が近い(20歳?)せいか親しみやすく、明るくおおらかな雰囲気の人だった。

体も大きくて(身長170㎝くらい)屈託なく良く笑って、それまでの先生とは全く違っていた。

 

その曜日は最終がわたしだったので、レッスンが終わると、いつも先生と一緒に帰った。

いろんなことを話しながら帰るその5、6分が楽しみだった。

学校のこと、将来のこと、友だちのこと、好きな小説、漫画、映画、音楽のこと…

 

クッキーやケーキを作って持っていくと先生は

「すご~い!あなたが作ったの?」

「美味しそう!」

と言って喜んで受け取ってくれるのだった。

年下のわたしがいうのもおかしいけれど、先生はとても可愛らしかった。

 

    

 

数か月後――

学校帰りに近所のおばさんに呼び止められた。

(そこの家の娘さんも同じピアノ教室に通っている)

「ねえ、知ってる?」

「あの先生、亡くなったのよ」

「え…!?病気だったんですか?」

「それが、どこも悪いところはなかったそうよ」

「朝、起きてこないので見に行ったら息が無かったんですって」

「原因不明の突然死でポックリ病ってことみたい」

 

わたしには「先生」と「死」がどうしても結びつかず…

「先生」は「死」と最も遠いところにいる印象があった。

その先生が…

それも「ポックリ病」なんていうわけのわからない、バカげた病気で亡くなる…?

 

    

 

あの日が「死」について考えるようになった最初の日だった。

眠る前には「明日目覚めることはないかもしれない」と思い

起きた時には「今日も生かされている」と思う、そんな日々。

 

考えてみると、自分の命はひとつしかないけれど、いずれは誰でも死を迎えるのだ。

それは老人でも若者でも赤子でも、生きとし生けるもの全てに在りうることだ。

そんな風に思うようになった。

 

その後一年もしないうちに父が亡くなった。

80代の祖父は

「子どももまだ小さいのに可哀そうだ」「わしが代わってやりたい」

と言って泣き崩れた。

逆縁となってしまうのは本当に辛いことだと思う。

 

わたしは父が苦しんでいるのを見ていたから死は「苦痛からの解放」とも思えた。

 

そして今、同じようにわたしは「死」をみつめている。

 

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犬を失った悲しみは犬でしか癒せない

2022-02-05 10:52:06 | つぶやき

これはムツゴロウこと畑正憲さんの言葉です。

 

だから、また新しく犬を迎えればいい、と。

でも

感情はなかなかそうならないですよね。

思い出が多すぎて…つらすぎて。

 

そう思うことが旅立ってしまった子に申し訳ないって思うんですよね。

薄情な気がして。

でもね そんなことない

新しい子を迎えて旅立った子のことを思うことが多くなるよ

折に触れて思い出して思い出して思い出して…

 

わたしは犬との暮らしが素晴らしいものだと思うので

でも、自分にはそれはもうできないので

お正月に長男夫婦に

「できれば犬を飼ってほしいな~。子供たちのためにも」

って言ってしまったのでした

 

長男夫婦は共働きで5歳と3歳の子供の育児で大忙しだから

無理だと思いつつでしたが。

お嫁さんは小さいころから犬と暮らしていたから

「できればそうしたいんですけどね…」

と言いました。

 

わたしはボニーを亡くしてから1年間、ほぼほぼ外に出られませんでした。

ボニーはご近所でも目立っていたので

「あら?ボニーちゃんは?」

と聞かれるのが怖くてこそこそと隠れて生活していました。

聞かれてしまったら間違いなく大泣きして醜態をさらすことになるとわかっていたから。

 

今も散歩中のわんこを見るとどの子も可愛くて目が釘付けになるんですよね

気付けばじ~っと観察してる(笑)

しぐさや表情を見ていろいろ想像して楽しんでる

 

でも

ラブラドールだけはダメ

先に悲しみが来てしまう

 

1年と4か月…まだまだペットロス中です

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