わたしはダメな飼い主で 一方 ボニーはおかしなところがあった。
おかしなところ…外に出るとおかしなテンションで
がんがん引っ張るのだった。
何らかのトラウマを抱えていると思うのだが
ハァハァと息も荒く駆け出そうとする。
とにかく前へ前へがんがん引っ張る。
何かにとりつかれたように…
家に居るボニーとはまるで別犬になる。
家の中のボニーはリラックスし落ち着いているのに…
初めはお散歩経験が足りないためそうなってしまうのかと
素人考えで 日に3回4回と それも長時間散歩していた。
それを何年も続けたけれど何も変わらなかった。(これは後日談)
夫はそんなボニーを
「このおかしい犬を返してこい!」
他の散歩中の犬を見て
「あの犬を見ろ!引っ張っているか?」
「あれはおかしい犬だろう!散歩中にあんなに引っ張る犬が他にいるか!?」
そう言ってわたしを責めた。
わたしは
「保護犬は育った環境がわからないしトラウマを抱えていると思う」
「困った部分も引き受ける覚悟で引き取ったの」
「物じゃないのよ。返すなんてできない。それにもう“うちの子”なのよ」
自分が怪我をしておいてそう頑張ってしまったわたしだった。
わたしはボニーに引きずられて怪我をしてしまい
結局お預かりの方に顔の怪我が治るまで預かっていただいたのだった。
あの時は まったく協力する気のない夫にがっかりして悲しかった。
ほんの少しの譲歩…具体的にいえば15分程度の散歩でも
人を頼らずに済んだのだから。
実はその後がわたしにとってつらいことだった。
お預かりの方はボニーはわたしには無理だから、という。
むいてない、と。
返せない、と。
今思うとその判断は妥当なものだと思うけれど
その時は悲しくやりきれなかった。
わたしは不適格者となり信用されなくなってしまった。
怪我をしたから預かってでは
確かに任せられないだろう。
あの時どれだけわたしが頭を下げてお願いしたことか。
本来ならばお預かりの方とも いい関係を築いていけたはずなのに
ボニーの幸せのためにもそうありたかったのに
その後 気まずくなってしまった。
妥当とはいえ厳しい言葉は やはりわだかまりを残してしまう。
お預かりの方のところにはボニーの親友が遊びに来るので
あんなことさえなければ親友と遊ばせてあげられたのだ。
結果としてボニーの楽しみを奪ってしまった。
今となってはいろいろなことが悲しくてならない。
今は夫はボニーを思って涙ぐんだりしている。
ボニーは夫に優しかった。
夫が大好きだった。
夫もそんなボニーを愛した。
心は通じる。種は違っても。
わたしは孫の誕生日にとメッセージ付きでプレゼントを送った。
発送が済むと わたしはすっかり終わった気になってしまった。
その数日後、誕生日の夜に 夫から
「今日 誕生日だったけどお祝いのメッセージ送った?」
と聞かれ 孫の誕生日をすっかり忘れていたことに気付いた。
ボニーのことは毎日毎日思っているのに…
なんということ。
そう、ボニーは家族だった。
いつもそばにいてくれた大切な家族だった。
昨日 夫から言われた。
「治療のせいで気分が悪い時もあるけど 食事の時に
無理しないでね 残してもいいのよ
ゆっくり ゆっくりでいいからね
と いつも言ってくれるから それだけで楽になるんだ」
わたしそんなこと言ってるんだ…(^^;
人は変わる
病気はつらいけれど いつまで続くかわからないけれど
思いがけず 静かなやすらぎを与えてくれた
今はただ
おだやかな時間が流れている