愛しのボニー

元保護犬
2020年9月21日没(推定10歳)
ラブラドール・レトリバーのボニーの思い出

この頃の毎日

2022-06-28 11:02:37 | つぶやき

していることは遺品整理という名前のゴミの片づけであった

 

何でもかんでも取っておく人だった

書斎はゴミ部屋に他ならなかった

 

彼にとって大切なものとはいったい何だったのか

翻って考えると わたしがいなくなった時には

後に残された者はまた「ゴミだらけ」だと思うのだろう

 

うんざりするほど本があるが

雑誌はともかく 本を捨てるのには正直抵抗があった

付箋がたくさん貼られた本

線を引いて書き込んである本

 

しかし日が経つにつれ どうしようもない現実を知る

処分していくしかないのだった

それでも買い集めたのだからそれなりに理由があるのだろうと

一冊ずつ見ている

 

「命売ります」三島由紀夫

1998年が第1刷で

これは2015年第21刷

すでに三島事件から50年以上経っている

 

しかし意外なほど古さはなく読み易い

ところどころ吹き出しながら読んだ

 

同じく書斎から発掘されたCDを聴きながら

 

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荒れ野をさまよう

2022-06-12 15:26:29 | つぶやき

深夜 娘に 泣きながら 電話をかけてしまった

「お父さんはどこにいるの?」

「もう会えないの?」

娘もつらいのはわかっているのに

 

「大丈夫 居るからね」

「今頃ボニーと楽しく散歩してるよ」

「また会えるよ」

 

夜中に泣きじゃくりながら電話してくる親というのも 結構なものだ

亡くなった直後は

「お父さんはね 新しいステージに立っただけ」

「痛み 苦しみ つらいこと それからやっと解放されて楽になったの」

「いずれまた会えるから」

そう言っていたのはわたしのほうだった

 

長い闘病生活で 最後は本当に可哀そうだったから

素直にそう思えた

ずっと傍にいて 命の炎が消えていくのをずっと見ていた

 

この頃初めて出会った時のことを思い出すんだ

着ていた服とか どんな表情をしたとか

はっきり目に浮かぶんだ

45年も前なのに おかしいね 

 

当たり前のことなんてないんだね

今日と同じ明日がくると思っていたあの頃

些細なことが許せなかったあの頃

 

どこにいるの?

今はひとり 荒れ野をさまよっている

 

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