愛しのボニー

元保護犬
2020年9月21日没(推定10歳)
ラブラドール・レトリバーのボニーの思い出

むか~しむかし(・.・;)

2021-07-24 13:41:39 | つぶやき

パソコンを使い始めて早23年。

初めてのマシンのOSは「Windows98SE」で

ネット接続はダイヤルアップ。電話回線を使うものでした。

当時、わたしのまわりにはパソコンを使う人はいませんでした。

(若者とビジネス使用の人以外には縁のないものだった…と思います。たぶん

 

夫の仕事の都合で、メールで画像ファイルを受け取る必要があり、

仕方なく…本当に仕方なく(笑)覚えようとしたのでした。

 

でも問題だらけでした。

送られてきた画像ファイルがどうしても開かず、悪戦苦闘

懸命に調べて「ファイルの種類」「拡張子」というものを知り、

まずは拡張子の勉強(独学)をすることに…

夫には「早く何とかしろ」と言われるしあの時は困ったなぁ

 

度々フリーズするのも困りもので「ディスククリーンアップ」と

「デフラグ」が有効と聞いて試せばその作業中にまたフリーズ。

 

フリーズしていると気付かないわたしは「時間がかかるなぁ…」

と思いつつPCの前で朝を迎えることになったり

疲労困憊とはあの時のことをいうのだろうなぁ~(^_^;)

 

メーカーのサポート担当の方と困りごと掲示板?のPCに詳しい方には大変お世話になりました

時代は変わり…18年前からは光回線になりましたが

思えば困りごとはほぼネットで解決してきました。

 

包丁砥ぎ 水道のコマパッキンの取り替え

庭木の剪定&刈り込み ペンキ塗り←ダイニング、リビング、トイレの壁を3週間かけて塗りました。

シーリングライトの取り付け AV機器の接続 

建具部品などの交換←これは…窓のカムクラッチハンドルを交換したことがあります。

仕組みを知らないと部品が中に落ちて取り返しのつかないことになります

今は…大抵のことはできるようになりました(*^-^*)

 

昨日こんなまぐろを見かけて買ってみました。

2人しかいないので多すぎですがこれが一番小さかったのです

「ブーメランブーメランブーメランブーメラン」

そしてセンスのない盛り付け…

 

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ド根性たんぽぽ?

2021-07-21 13:51:38 | 日記

なぜかひょろひょろと伸びたたんぽぽ

背の低~い、地面からいきなり咲いているような

元気いっぱいなたんぽぽは良く見かけるのですが

アスファルトの隙間から伸びたたんぽぽ…頑張って

 

プッチのことですが、苦しそうに咳をしているので診てもらったところ

「気管虚脱」

と診断されました。

ポメラニアンに多い難しい病気らしいです。

 

まだ若いし、元気で当たり前だと思っていましたが

“当たり前”のことなんてないんですよね。

 

健康が当たり前ではないし

夫が、妻が一緒にいてくれて当たり前ではないし

子どもを産んで当たり前でもないし

親なんだから当たり前も子どもなんだから当たり前もない

 

それを忘れるからうまくいかないような気がします

 

何を書いているのかわからなくなってきました(笑)

 

子どもが小・中学生だった頃

友人から電話があって

その時わたしは風邪をひいて臥せっていて

「昨日は39℃近く熱があって、でも日曜日で夫が休みだったから助かったの」

「夕食は子どもたちを連れて行ってくれて」

そう言うと友人は驚いて

「あなたのご主人はあなたを放って食事に行くの!?」

そう言いました。

 

友人「あなたの食事はどうするのよ!?」

「わたしは食欲もないし、食事作りをしないで済んだので休めたのよ」

友人「何言ってるの!ダンナが作ればいいじゃない!」

「……」

 

話はまったくかみ合いませんでした(;´∀`)

そっか~わたしはどんなにフラフラになっても当然のように家事をして

それが当たり前でしたが。

 

息子とお嫁さんの関係を見ていると息子はとても優しい。

嬉々としてガスパチョやローストビーフなど作ってる。

息子の作る料理はとても美味しいとお嫁さんが言う。

 

なんだかもやもやしてしまう狭い心の母なのでした。

 

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知りたくなかったこと

2021-07-01 11:04:20 | 日記

夫の病気が進行している。

昨年からじわじわと腫瘍マーカーの値が上がっている。

 

治療前の値はCA19-9が50000以上だった。

50000以上、というのは それ以上は測定不能、ということらしかった。

それでも一時はその値が57になり(上限値37)

あと少し!と飛び上がって喜んだものだった。

 

上限値を下回り、その状態がキープできれば

あるいは手術できるかもしれない、との言葉に

わずかに希望を見いだしたのだった。

 

しかし現実は厳しく その後は上がり続けている。

「一喜一憂してはいけない」

「大事なのは画像による診断」

と医師は言うが “一憂”はしないものの

下がっていたときは明らかに“一喜”していたではないか。

 

そして CTの診断でもがんは大きくなっていた。

抗がん剤が効かなくなってきている…と思うしかないけれど

「効いてますよ!とても効いてます」

「たいていの患者さんはせいぜい半年ほどで効かなくなるか 治療に耐えられなくてやめていくんですよ」

「あなたはもう2年以上続けていますよね」

「よく効いています」

 

…そう言われました。

現実は思った以上に厳しいものでした。

 

2年前 夫に

4年以上この治療を続けている人の話をした。

その方はまだ40歳前後で小学生のお子さんがいる。

それでも仕事をしながら治療を続けている。

コミュニティサイトを立ち上げ、運営し

研究機関の調査協力、講演なども積極的に行っている。

 

そんな話をした。

 

その時 夫は絶望していた。

でも実は『絶望』という意味ではわたしも同じだった。

救いを求めてネット検索ばかりしていた。

何か手立てはないか、どうしたらいいのか、何ができるのか――

 

当初 夫は起き上がることもできなかったが、

やがて仕事を再開した。

もともと仕事が大好きな人だった。

仕事中は病気のことを忘れていられるのだろう。

 

でも最近は痛みが増しているようだ。

 

4年以上治療を続けていたN氏は昨年亡くなっておられた。

 

N氏の話は時折 家族の会話に出てくる。

わたしには言えない。

 

わたしはどうすればいいのだろう

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