愛しのボニー

元保護犬
2020年9月21日没(推定10歳)
ラブラドール・レトリバーのボニーの思い出

無題

2023-10-17 16:18:05 | 思い出

 

今までできなかった 夫の服の処分…

とうとう始めました

 

何度もクローゼットから取り出しては

着ている姿を思い出して

懐かしい匂いがするか確かめて…

それで結局元に戻して

 

夫はもうこの世にいないのだと

実際 わたしはそこのところが理解できていないのだろうと思います

 

家に帰ると

いまでも「ただいま」と言ってしまう

あんなにつらかった治療中でさえ

いま思えば幸せだった

 

ボニーの名も日に何度呼ぶだろう

思い出してその名を呼べば

まだ近くに居てくれるような気がする

都合のいい考えだけれど

 

本当は真っ先に思い出すのは

亡骸になって帰ってきたボニーの姿で

そうなったのはわたしのせいだったから

 

でも3年経ってしまった

本当に都合のいい考えだけれど

いつまでもわたしの記憶の中で

悲しい姿のまま閉じ込めておくことが

ボニーからしても本意ではないだろうから

楽しかったことだけ

嬉しかったことだけ

努力して これからそれだけを思い出すようにするね

 

あなたとお父さんとわたし

あの雪の日


11年前

2022-08-10 16:08:11 | 思い出

前回ボニーのお誕生日のことを書いた

そうしたらもう11年も前の 保健所の職員さんのことを思い出した

 

あれは2011年の12月

ボニーがうちの子になって 嬉しくて

そろそろクリスマス商戦が始まって

街が賑わいを見せ始めたそんな頃

保健所に畜犬登録に行ったのだった

 

渡された書類に書き込んでいく

が、「生年月日」を書く欄で手が止まった

 

窓口に居た職員さんに

「うちの子は保護犬で動物保護団体から譲り受けました。生年月日はわかりません」

と事情を話すと

職員さんはにっこりと笑って

「好きに決めてかまいませんよ。だいたいこれくらい、というので大丈夫です」

と言う

 

好きに決めて…といってもねぇ…(^-^;

あれこれ迷ってしまって数分経過

 

職員さんはその間もにこにこしながらわたしを見ている…

そして…

 

「実はうちの子も保護犬です」

「わたしの場合は道端で拾いました」

「目も開いてない状態でした」

「わかったのはどうやら犬の赤ちゃんらしいということぐらいで」

「放っておけないので連れて帰りました」

「どんな犬種なのかもわからず」

「育ててみたら…どんどん大きくなって」

「ドーベルマンでした」

「今は30kgを超えています」

「ドーベルマンといっても断耳も断尾もしていないので全然凛々しくはないんですけどね」

「すっかり甘えっ子です。可愛いですよね~わんこ」

なんだかとろけそうな笑顔で言う

 

それを聞いてわたしは自分の度量の狭さに愕然としたのだった

やれ大型犬がいいだの垂れ耳がいいだの

のんきで明るい性格がいいだの

選り好みしていた

なのにわんこ一匹救った気になって

自分が恥ずかしかった

 

あの職員さんのことは折に触れ思い出す

こういった気持ちになれるのもボニーがいたおかげなのだろうな、と

 

今は懐かしく思い出す

 

※ 画像はお借りしたものです


食器洗い機とボニーの思い出

2021-10-23 12:23:19 | 思い出

何気なく食洗機を見たら 前回の取り替え工事から

10年近く経っていることに気がついて

ボニーのことを思い出してしまった

ドアを開けるなりボニーが出迎えたので

工事担当のお兄さんは

「うわっ!」(◎_◎;)

と叫びました

 

「わたし…犬が苦手なんですよ~

と言う…

 

なのになのに人が好きなボニーは大喜びで

しっぽを振り回して大歓迎(笑)

匂いは嗅ぎにいくわ おもちゃを持って来て遊びに誘うわ

キッチンで交換作業をするお兄さんにず~っと張り付いていました

 

犬が苦手だというのでどうしようかと思いましたが

ボニーは横に行って ただじ~っと見ているだけでしたので

わたしは工事のお兄さんを見ているボニーを見ていました

 

そのお兄さんは帰って行く時には なんと

ボニーをなでなでしていたのです

そして

「犬が少し好きになりました」

と言いました

2時間足らずで人を変えてしまうボニーってすごいなぁと思いました

 

犬を飼っている人からは

「全然吠えないね」

と よく言われました

普通は吠えるんですね

ボニーとお別れして1年1ヶ月経ちました

何を見てもボニーとの思い出につながってしまいます

 

ボニー…

今どうしていますか?

あなたに会いたいです


家族にまつわる話15

2021-09-16 17:20:01 | 思い出

 

「ひどいんだよ」

弟の最初の言葉がそれだった。

 

母が入退院を繰り返して医療費が嵩み 

弟の収入では賄えなくなった。

すると母は弟に

「今の仕事を辞めて運転手にでも何でもなってもっと稼げ」

と言ったらしい。

 

弟は友人と2人で製造業をしていて

千葉に作業場を作って働いている。

始めてまだ数年。

ようやく軌道に乗りだしたところで

たいした利益にはなっていなかった。

 

弟はこの時23歳。

医療費、生活費をこの弟に負わせるのは

どう考えても無茶な話だった。

 

母がここまでおかしいとは…この時まで思っていなかった。

 

母は弟を溺愛し、弟も母に甘えていた。

子どもの頃、弟の成績が悪いと

「どうして弟に勉強を教えてやらない」

「おまえが悪い」

といってわたしが叱られていたほどだ。

 

わたしは自分が逃げることを考えたけれど

弟はそういうわけにはいかなかった…

それは弟に母を押しつける結果となった…

・・・

 

弟の用件はお金を用立ててほしいということだった。

わたしは正直どうしたらいいのかわからなかった。

金額は百万円単位だった。

その金額はわたしでも持ってはいるが

それはわたしのものではなく

あくまでも夫と2人のものだ。

 

“もうこれ以上夫に負い目を感じたくない”

本当の自分の気持ちはそうなのだ。

 

でも、自分にできるのはお金を出すことくらいなのだった。

(実家の近くに住んでいる姉は通院や日常生活でのサポートをしていた)

 

これらのことを夫に話すと

「いいよ、もちろん」

「大切なお母さんのことじゃない」

「大丈夫だよ、だからもう泣くな」

「大丈夫、大丈夫」

そう言ってくれた。

・・・

 

久しぶりに会う弟は憔悴しきっていた。

この時 弟は数千円しか持っていなかった。

「これから千葉に帰るけど これでガソリン何リットル入れられるかな」

と言う。

わたしは驚いて弟に

「これ、ガソリン代にして。満タンにしてね」

「それでこれで何かちゃんとしたもの食べて」

と言ってそっと手渡した。

 


家族にまつわる話14

2021-09-15 12:05:34 | 思い出

その後 母は具合が悪くなっていった。

 

実は母は10年以上前から血糖値が高めで

本当は節制が必要だった。

節制さえすればとくに問題はない、その程度のはずだった。

 

でも 母はたいしたことないと高を括って

好きなものを好きなだけ摂っていた。

 

もう少し早く忠告していたら…

と 思いもするけれど

母がわたしの忠告を聞き入れるとは今でも思えない。

 

まず 目がおかしくなった。

大学病院に通うようになったが良くなることはなく

入退院を繰り返しながら

悪化の道をたどっていった。

 

母がさかんにわたしに言っていた

「わたしの目の黒いうちは」

「目の黒いうち」

「目の」

好んで使っていたその言葉――

恐ろしい形相でわたしを威嚇していた母の、その目。

 

あっという間にその目は黒くなくなってしまった。

その時

人に投げつけた言葉はすべて自分に返ってくるのだな…

と思った。

 

この後、弟が困ってわたしに連絡してきたのだが――