ふり返ると今年はとんでもない一年だった。
愛犬の死―
ボニーの死はまったく頭の中になく、あの日、病院に運んだ日も
「今日、連れて帰れるだろうか?もしかすると入院?」
とのんきに考えていた。
レトリバーは腫瘍ができやすい…とは予備知識として知っていた。
ご近所のラブラドールちゃんは腫瘍ができたが、治療して天寿を全うした。
なんとなく「ボニーも15~6歳まで生きて、最後の一年は介護になるかな」
そう思い込んでいた。
介護をすることでボニーへのご恩返しができる、と、そう思っていた。
現実は―
異変が起きてからわずか一日の命だった。
本当にのんきな話だが今夏に白内障になり、目が見えづらい状態になって初めて老いに気付いたのだった。
散歩中に物にぶつかったり、いつもならば向こうからくるワンちゃんをすわって待ち構えるのに
やっと数メートルの距離で気付き「ああ、もう遅い」とばかりにあきらめるのが見ていて切なかった。
ただ、食欲は衰えず、散歩も毎日3時間以上、雨の日も風の日もどんどん歩いた。
目以外にはとくに老いを感じるところはなかった。
いつもわちゃわちゃと元気で、動きが子どもっぽくて、はしゃいで走りまわって、
「ボニーちゃんはいつも元気ねえ」
と言われていた。
見えないところで病魔におそわれていた。
不幸な生い立ち…だったと思う。
愛護センターでは死の恐怖を味わったと思う。
犬の飼育経験のないわたしのもとで、本来必要のない苦労をさせられた…と思う。
どこにあなたの幸せがあったのか…考えるとつらくなる。
初めは保護犬を引き取って良いことをした気になっていたけれど、
実際に助けられていたのはわたしのほうだった。
いつも美味しそうに食べてくれるから食事作りがとっても楽しかったし
あなたがいたからどんどん歩けたし
あなたの存在がわたしを支えてくれていた。
あなたはわたしの光で太陽のようになくてはならない存在だった。
わたしがもらっていた幸せをあなたに返せたのか
毎日考えてしまう
ただ、幸せだと思う瞬間が少しでもあったなら。
ほんの一瞬でも感じてくれていたなら。
その、点のような幸せを思って生きていける気がする。