愛しのボニー

元保護犬
2020年9月21日没(推定10歳)
ラブラドール・レトリバーのボニーの思い出

2020年 ありがとうございました

2020-12-30 11:53:24 | 日記

今年も残りわずかになりました

 

自分の持って行き場のない感情を綴るだけの 本当に暗いブログで

お目にとめていただくことがあろうとは夢にも思わず

独りよがりな文章 お恥ずかしいかぎりです

 

そもそも亡くなった犬の思い出話…なんてドン引きされるだけ

そう思っていました

でも 

考えてみれば愛する家族であったペットを失うという経験は

どなたにでもあることで

今の自分の感情も自然なことなのだと納得できました

 

犬との暮らしも向き合い方もそれぞれ形は違っても

愛する気持ちはみんな一緒

直接お話しできませんが みなさんのブログを読んで

泣いたり笑ったり…いろいろ励ましていただいて…癒されています

ありがとうございます

 

もともと書くことが苦手で マメでもないので

まともな返しができそうになく コメントを受けることもできないでおります

…が

 

2021年もよろしくお願いいたします‼

 

それでは 良いお年をお迎えください

 

 

 

 

 

 


2020年

2020-12-26 17:56:16 | 日記

ふり返ると今年はとんでもない一年だった。

 

愛犬の死―

ボニーの死はまったく頭の中になく、あの日、病院に運んだ日も

「今日、連れて帰れるだろうか?もしかすると入院?」

とのんきに考えていた。

 

レトリバーは腫瘍ができやすい…とは予備知識として知っていた。

ご近所のラブラドールちゃんは腫瘍ができたが、治療して天寿を全うした。

 

なんとなく「ボニーも15~6歳まで生きて、最後の一年は介護になるかな」

そう思い込んでいた。

介護をすることでボニーへのご恩返しができる、と、そう思っていた。

 

現実は―

異変が起きてからわずか一日の命だった。

 

本当にのんきな話だが今夏に白内障になり、目が見えづらい状態になって初めて老いに気付いたのだった。

散歩中に物にぶつかったり、いつもならば向こうからくるワンちゃんをすわって待ち構えるのに

やっと数メートルの距離で気付き「ああ、もう遅い」とばかりにあきらめるのが見ていて切なかった。

 

ただ、食欲は衰えず、散歩も毎日3時間以上、雨の日も風の日もどんどん歩いた。

目以外にはとくに老いを感じるところはなかった。

いつもわちゃわちゃと元気で、動きが子どもっぽくて、はしゃいで走りまわって、

「ボニーちゃんはいつも元気ねえ」

と言われていた。

 

 

見えないところで病魔におそわれていた。

 

不幸な生い立ち…だったと思う。

愛護センターでは死の恐怖を味わったと思う。

犬の飼育経験のないわたしのもとで、本来必要のない苦労をさせられた…と思う。

 

どこにあなたの幸せがあったのか…考えるとつらくなる。

初めは保護犬を引き取って良いことをした気になっていたけれど、

実際に助けられていたのはわたしのほうだった。

 

いつも美味しそうに食べてくれるから食事作りがとっても楽しかったし

あなたがいたからどんどん歩けたし

あなたの存在がわたしを支えてくれていた。

あなたはわたしの光で太陽のようになくてはならない存在だった。

 

わたしがもらっていた幸せをあなたに返せたのか

毎日考えてしまう

 

ただ、幸せだと思う瞬間が少しでもあったなら。

ほんの一瞬でも感じてくれていたなら。

その、点のような幸せを思って生きていける気がする。

 

 

 

 

 

 

 


家族

2020-12-23 20:44:45 | 思い出

犬との暮らしをしぶしぶ承知した夫であったが

いつの間にかボニーに愛情を持つようになっていった。

 

ボニーも夫によくなついて、しっぽをぶんぶん振ってお出迎えしたり

膝に頭をのせて上手に甘えたり…で、おじさんたらし(?)な面を発揮してくれた。

 

ボニーのお世話はほぼすべてわたしがしていたが、唯一

シャンプーだけは夫が進んでしていた。

そのたびにわたしは少々大げさに「助かる~」とか「ありがとう~」

と言っていた。

(本当はシャンプーするよりドライするほうが、そしてそのあとの片付け、

大量のバスタオルやマット類を洗う方が大変だということを夫は知らない;)

 

わたしは夫がどんどんボニーに優しくなっていくことが嬉しかった。

そのうち、夫ひとりでドッグランに連れて行き、帰り路にあるペット用品店で

おもちゃやおやつを大量に買いこんでくるようにもなった。

 

夫の実家にはその昔、秋田犬がいた。

もう何十年も前のことで、当然のように外飼いで

庭には大きな犬舎があった。

自分のところの犬なのに「怖かった」と言っていた。

本来、犬が好きではないのだろう。

 

それでも、ボニーに理解を示すようになってくれた。

彼の中で “家の中にいるケモノ” から “家族” に変わった瞬間だった。

 

よかったねボニー!

 

 

 


月命日

2020-12-21 17:44:36 | ボニーへの手紙

今日で3ヵ月――

まだ暑く、晩夏というにふさわしかったあの日から3ヵ月――

季節は変わるのに母は何も変わっていないね

 

毎日あなたを思って何度も何度もその名を呼んでいるよ

そこにあなたがいないことが信じられない、と思う気持ちと

あなたと暮らしていたことが夢だったのではないか、と思う気持ち

まったく逆なのに…

 

つらさや悲しさの根底には「すべてわたしのせい」という思いがある

どうして気付かなかったのだろう?わたしが気付いていれば――

ボニーの病気に気付けるとしたらわたししかいなかったのに――

毎日毎日24時間一緒にいたのだから…

わたしが死なせてしまった

 

こんな思い 誰とも共有できない

 

このつらさ、悲しみと一緒に生きていくよ

あなたを忘れないために

 

甘えるボニー

 


トラウマ2

2020-12-20 16:59:27 | 思い出

トラウマ発覚後、再び散歩が苦痛になってしまった。

 

いつ何が起こるかと思うとあまり遠くまで行きたくないのだが

本人はいたって元気なものだからぐいぐいと遠くへ遠くへ行こうとする。

 

その「何か」が起こった時にはとんでもない力で見境なく走り出す。

ボニーは25kgほどで、ラブラドールとしては小柄なのに、

2倍以上体重のあるわたしを引き倒す。

(たぶん短足で重心が低いせいだ)

 

このような状態では誰かに散歩を代わってもらうわけにはいかない。

このままでは本人もわたしも先々困るのではないか?

何とか克服できないものか。

悩む。

が、逆にいえば我が家の生活に慣れ、家族の一員になり、安心したからこそつらい過去がよみがえったのではないか。

今まで思い出すほどの余裕もなかった、と思うと不憫に感じながらも嬉しく思えたりするのだった。