有名な沼田城での昌幸が稲姫に追い返された後寺で
孫たちを連れて面会に来たっていう
イメージが順序が逆になってたり
秀忠軍を追撃するのを「卑怯で義に反すると」追撃しなかった上杉景勝
というのが逆で直江兼続が止めたという
斬新な解釈の回でした。
三成の「切り取り次第安堵」の手紙に
甲斐・信濃をよこせの返信
三成「安房守め……甲斐、信濃をまるごとくれてやれと言ってきた」
吉継「良いではないか、くれてやれ」
昌幸「よっしゃー!」のガッツポーズ
実はここにも史記の韓信の話が織り込まれている気がします。
斉を平定した韓信は、劉邦に対して斉の鎮撫のため斉の仮の王となりたいと申し出た。
劉邦は、自分が苦しい状況にあるのに王になりたいと言ってきた韓信に身勝手であると
激しく反発したが、張良と陳平に韓信が独立勢力となることの危険性を指摘され、
一転「仮の王などとは言わずに、真の王となれ」と許可したと
第2次上田合戦が始まり、時間稼ぎをした上での雨待ち
戸石城を信繁が兄と示し合わせて開城
身内同士の戦いを避けた
真田軍は神出鬼没のゲリラ戦で徳川軍を翻弄
本多伊豆の「退路を断たれましたな」の背水の陣
先週の韓信の「背水の陣」の話がここで生きてきます
背水の陣を背後から襲うと言う昌幸の作戦でしたが
予想通り、あっさり終わった超高速関ヶ原も話題に