よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

オルセー美術館展(ヴィーナスの誕生)

2014年07月20日 | 美術
19日、コレド室町のアートアクアリウムに行って
目で涼感を得ようかと企んでいたのですが…なんと入場制限、場内に入るまで1時間待ちの
盛況ぶり!!

…前の日、テレビで宣伝していたし、ある程度は予想しておりましたが。


行列が大の苦手なので、六本木に向かいます。
オルセー美術館展を観るためです(前売りチケットGET済)。

やはり連休初日ということもあり、かなり混んでいました。
人の頭を避けて鑑賞しないとならないので、立ち位置に苦心します。

マネの「笛を吹く少年」は美術(図工?)の授業でもおなじみ。
とても懐かしい感じがしました。

さて、この展覧会で最も印象に残ったのが
アレクサンドル・カパネル作≪ヴィーナスの誕生≫。

同題のボッテッツェリの絵画は非常に有名ですが、私はこちらのほうが好みです。




ヴィーナスの白磁のやわらかな肌、計算か無意識か判じかねる挑発的な視線、
しどけないポーズ…ももちろん良いのです。

しかし!私が気に入ったのは、後ろのキューピッドです!

あのまるまる、ぷくぷくした抱きしめたくなるような質感と愛くるしい動き。

古典絵画の赤ちゃんって、可愛く描かれていないものも多いので、
個人的にツボで、葉書も買いました

ちなみに一番気に入っているのは、左端の貝を吹いている子です。
お腹のぽて具合、お尻の丸さ、ほっぺのぷにぷに感…とても和みますので。




あと強烈な印象を持って眺めたのがウィリアム・ブグローの
《ダンテとウェルギリウス》。



男たちの筋肉の見事さ、苦悶の表情、それを無感動に眺める背後の男性陣、
野卑な笑いを浮かべて空を飛ぶ魔の使い…。

とにかく、登場人物ひとりひとりの心情が生き生きと再現されているのです。
テーマはどす黒いのですが。

ブグローは、美しすぎる女性を描く画家というイメージがありました。

描かれる女性たちが、あまりに端正な美貌を所有しているゆえ、
人間臭さを感じなかったのですが---この絵には、
人間のもつ極限の性根までが炙り出されていて、驚嘆しました。

ブグローを見直しました!(笑)

他にもたくさん見どころはありますので、興味のある方はぜひどうぞ!


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東京都美術館「ターナー展」

2013年10月14日 | 美術
三連休の中で、今日が一番秋らしい気がした。

陽射しは強いものの、木陰に入るとすっとした冷気が身を包む。
空気もやや乾燥しており、着衣から静電気を感じるほどだ。

今日は、夏目漱石『坊ちゃん』でもお馴染みの、ターナーの絵を観に行ってきた。


上野駅はいつも人が多いが、本日の混み具合は半端ない。



上野動物園前は、こんな長蛇の列。




遠目で見ても、その列は衰えることなく延伸し続けている。


そちらを尻目に、ターナー展の会場に入る。

こちらもかなり混んでいて、絵の傍まで近寄れないため、少し下がって拝見。

クローム・イエローを好み、ぎらぎらした光を演出した画家、と注釈に書かれていたが
少し違和感をおぼえた。

たしかに燦爛とした光の表現は素晴らしいけれど、明るくやわらかい画風だと思っているし、
ぎらついたイメージは希薄だったので。
(ナポレオンを描いた絵は、多少ぎらぎらしていたかもしれない)

晩年になると、絵の輪郭がだいぶ曖昧になり、描きたいものが何か
不明瞭になっているのは、モネやルノワールにも通じる。

モネは白内障、ルノワールはリュウマチだったから、筆致が荒くなったのもわかるが
ターナーも体調が悪かったのだろうか。

他者の描いたターナー画も興味深く見た。
イケメンとほど遠い小さな風采の上がらない男性で、この人が英国随一の画家、と
言っても誰も信じるまい――のような評が書かれていた。

確かにイイ男ではないが、目に力が宿り、森羅万象に対する興味深さ、
詮索の強さを内包しているように思えた。

やはり、画家の瞳をしていると思う。

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印象派を超えてー点描の画家たち

2013年10月06日 | 美術
国立新美術館で開催中の印象派を超えてー点描の画家たちを観に行ってきた。

満足度…うーん、30点くらいかなあ。

なんというか、似通った印象の絵が多かったのと、
これ!というインパクトある作風のものがなかった感じ。

ゴッホの「種まく人」は良かったけども。

三菱一号館美術館に期待しよう…。

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最愛の師匠の愛ある言葉「モローとルオー -聖なるものの継承と変容-」

2013年09月15日 | 美術
モローとルオー -聖なるものの継承と変容-を観覧してきました。



モローの「ユピテルとセメレ」は、ずっと実物を観たいと思っていた絵画のひとつでした。

ユピテル(ゼウス)の気迫に満ちた眼差しと、愛する男の真実の姿を知り驚愕するセメレ。
ユピテルに比べ、セメレの顔の描き方がちょっと雑な気がしたのですが、
迫力満点の作品でした。



ルオーは黒い輪郭で人物を描く画家。
…くらいの認識しかなかったのですが、この展覧会で初めて二人が師弟関係だったと知りました。

美術学校でふたりが出逢ったのは、モローは66歳、ルオーが21歳のときでした。

正直言って、今回の展覧会で一番印象に残ったのはとりどりの絵画ではなく、
このふたりの往復書簡でした。

モローは72歳で胃癌でこの世を去るのですが、直前まで愛弟子の行く末を案じ、
後援をしています。

1896年7月の、師モローからの書簡(私の思い出し書きです)。

「食べると気分が悪くなるが、6時間も経てば調子がよくなってきます。
 また制作に取り組む機会を持てればよいのですが。

 君はもっと私にまめに手紙を寄越すべきです。

 (ルオーの友人)ピオは作品を仕上げ、楽しそうにバカンスに行きました。
 作品は、まだまだ荒いところがあります。

 期間中に目的を達成できたわけでなく、制作過程で得たことを生かすために、
 作品を仕上げた後に、制作を再開することが必要不可欠なのです。
 
 これには大変な熱意と、膨大なエネルギーが必要です。

 しかし、恵まれた環境で、享楽的に甘やかされて育ってきた人間には、
 たやすく手に入らないものです。


 君は私に「<むしろ>手紙を出さずすみません」と書いてきたが、
 <より迅速に>と書くべきでしょう。

 教師はより迅速に、間違いを指摘しなければなりません。
 早く手紙をもらえれば、こちらも早く対応できるのです。

 (ルオーの友人)ミルサンドーにデッサンを出すようにいいましたが
 おっちょこちょいな彼が約束を覚えているか不安です。
 出来上がったら取りに行くから、電報をください。
 電報代は、私が負担しますから。


 君たち(ルオーとミルサンドー)への手紙に封をしようとして
 気づきました。
 軽率な君たちは、私に連絡先を知らせていませんね。
 大学に尋ねて、この手紙を出します。

 それにしても君たちはなんといいかげんで、頼りないのでしょう!」


モローは、このとき既に胃癌の兆候が出ていたようです。

その燃え尽きる寸前の灯火のような自分の命を振り絞り、
才能はあるものの、先行きが不透明な若い弟子たちの指導に
心を砕いている様子がうかがえます。

お金のない若者のために、電報代を負担するという思いやり。

作品を早急に仕上げ、心がバカンスに飛んでいるピオ、
師匠に住所を伝えるのを失念するルオーとミルサンドー。

未熟で頼りない彼らを、慈愛と謹厳さをもって父親のように案じ、
少しでも道筋をつけようとする様子に、胸を打たれました。

モローは72歳で身罷りますが、このときルオーに5000フランを遺します。
27歳のルオーは悲嘆のどん底に突き落とされました。

ルオーの師匠への思慕もまた強いものでした。
モロー美術館の初代館長は、ルオーが務めています。


デッサンの鍛錬後にキャンパスに色を乗せる手法を打破し、
いきなり絵筆で造形を取らせる教育を実践したのがモローでした。

その革新的な講義は大変な人気で、美術学校では立ち見が出るほどに
人気があったといいます。



モローの手紙。
今年読んだ文章の中で、一番感動し、一番印象に残ったものになりそうです。

それは、相手のことを本当に深く想い、力になりたいと願い、
尽きかけた命の焦りを伏せて、時折ユーモアを交えながら
叱咤激励をしているからです。

美文麗文、格調の高い表現は数多ありますが、
ここまで心のこもった文章には、めったにお目にかかれません。

良いものに触れた、としみじみ思いました。


※ 手紙文は、私の曖昧な記憶を再現している上、中略も多くなっています。
  これから当美術展に行かれる方は、ぜひ完訳をご覧ください。


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