よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

元日の気分で毎日を過ごせれば。(星野富弘さんの詩画より)

2019年12月31日 | 日記
年末最後の日記は、恒例のこちらで締めくくります。




今日はお世話になった方のところにご挨拶に伺ったのですが、不思議なことに奥様から
「今日の夕方、葉桜さんが来るだろう、と主人が話していたの。間もなく戻ります」
というではありませんか。すごい予知能力。そして本当に良いタイミングで戻られ、
お礼をお伝えすることができました。ありがとう、神様。




写真の万両は、奥様からいただいたものです。
花瓶がすべて使用中なので、麦茶ポットで代用。生き生きしていて綺麗です。

西側の窓辺なので、黄色いもの――アラゴナイトの招き猫と、クリムトの「接吻」が常駐しています。



正月のお花。たまにはミニブーケもいいですね。
カーネーションは(家で飾る場合)一番好きな花です。長持ちするし、花粉も花びらもこぼれないし
廉価だし、それでいて華やかで匂いもきつくなく、枯れ方も悪くない。ベストフラワー♪



年越しそばも完食。麺は1.5人分あります。ダイエットはどこへ行ったんだろう…。


さっき「はてなブログ」をいじっていましたが、やっぱり慣れているgooのほうが使い勝手がいい。
というわけで、新年も多分こちらのブログをちまちま書き溜めていくことになると思います。


さよなら2010年代、ようこそ2020年代

石和温泉「花いさわ」で湯めぐり(吉方位旅行記)

2019年12月30日 | 旅行
吉方位旅行。東京から西といえば、山梨県の石和温泉あたりがいい。
直感で決めた宿が「花いさわ」。
石和温泉駅から徒歩5分という利便性がよい。




石和温泉駅近くのレストランで、ランチをいただく。雰囲気が昭和だ。
何しろ、全席喫煙可能で、入った瞬間やや煙の臭いがする。
幸い喫煙者はいなかったので、ここで山羊座新月の願い事をしたためる。
(12月26日 14:14から新月)





玄関に可愛い居眠り小僧がいる。

14:45頃に到着し、温泉につかってのんびりする。
「温泉と食事を楽しむ」だけが目的で、特に観光の予定は入れていない。



部屋に戻ってメールしたり、ごろごろしていたが、ふと思いついた。
確か、15:00~18:00の間に姉妹館2つの湯めぐりができたはず。Webサイトに書いてあった。
このとき、16:30。一か所くらい、行けるんじゃないか、と軽い腰を上げる。

送迎の方に「春日居源泉」に送ってもらう。担当さんが運転しながら「急げばふたつ周れますよ」というのに心が動く。
(せっかくだから、ふたつ体験しようかな)と思い「18:00までですよね」と尋ねると
「そうですね、手前どもは18:00過ぎますと、夕食の準備で忙しくなりますので」と答えが返ってきた。

結果、春日居源泉と石和源泉、ふたつの温泉をめぐってきた。
ただお湯に浸かるだけなので、そう急がなくても周れるのだ。
花いさわに戻ったのが17:53。よしよし、宿の人に迷惑をかけずに済んだぞ、とほくそ笑む。
(時間厳守が私の取柄)


夕食は19:00から。








この後、20:00から中国雑技団のショーを見る(無料)。







すごい身体能力!
(撮影はOKだが、動画撮影は禁止)

この後、また温泉に浸かる。お肌がすべすべになったが、多少湯あたり気味。




翌朝の空








朝食。ダイエットしなければといいつつ、食べ過ぎの私。


宿のチェックアウト時間は11:00だが、やはり高幡不動尊大國魂神社に参詣しようと思い、8:28石和温泉駅発の電車に乗る。


高幡不動尊(京王線 高幡不動駅より5分)


大國魂神社(京王線 府中駅より5分)



ひとり旅の良さは「軽やかさ」だと思う。ひらめきがすぐ行動に移せるのがいい。
京王線を選んだおかげで、中央線で発生した「飛来物による全線ストップ」に
巻き込まれずに済んだ。自分を解放した状態で動いていると、こういうことは頻繁に起きる。
かなり守られているなあと思う。感度を研ぎ澄ませて、必要な情報をキャッチしていこうと思う。

そして、いつものんびり過ごそうとしているのに、何故か予定を詰めてしまう私。
多分、動いていないとダメな性分なんだろう。泳がずにいられない、まぐろ気質なのだろうか?

2020年は波乱の年、といわれている。大波、小波、どんな状況にあっても
絶えず泳いでいくのだろうな、と思っている。


2010年代も間もなく終了。本格的な令和時代が到来。

『手ぶらで生きる。』を読み、食器を捨て始めた。

2019年12月29日 | 断捨離
『手ぶらで生きる。』(ミニマリスト しぶ)を読んでいるうちに
私の中の断捨離熱が復活しはじめ、読了前に使わない食器を処分しよう、
という思いがふつふつとわいた。



この数年、まったく使っていない食器たち。キティちゃんのワイングラスは、あるのを忘れていたし
相田みつをの湯飲みは、数年前にみつを美術展の福袋に入っていたもので、一度も使っていない。
不要タッパーも含め、すべて処分。



今はこんな感じ。まだ捨てる要素はあるのだが、完璧は目指さないことにする。

ついでに不要な書類もざくざく捨てる。使わない毛布もごみ袋に押し込む。
45リットル袋ふたつ分、処分した。




私はミニマリストではないが、モノを置くのが好きではないため、
寝室はこんな状態。夜だけ布団を敷くが、普段は何も置かない。


今、テレビの調子がややおかしい。完全に壊れたら、テレビのない生活を始めようと思っている。
旅行先で湯めぐりを終えたあと、いつもは見ないテレビをつけたら、一気に不快指数が上がってしまった。
ニュースは、虐待、事故、殺人…と見ていてつらいものばかり。


若いころは、清濁併せ呑むことを目指し、視野を広げるためにいろいろな情報をキャッチせねばという
何とも不思議な強迫観念めいた発想をもっていたが、最近はそうではない、と思うに至った。

逃れられない不快なことはさておき、選択権のある状況であれば、快適な方を選ぶ方が良い。

例えば「清らかで美味しい山の天然水」と「工場排水など有害物質が混在した水」の
どちらを飲んでも良いといわれたら、通常、ひとは前者を選ぶだろう。
何も好きこのんで、気分が悪くなる方を選択することはない。

不快なものを極力、生活の中から取り除くと、清々しさが増すようになる。



快適さは自分で選ぶことができる。

深川不動尊で写仏体験(納めの不動)

2019年12月28日 | 神社仏閣
12月28日は納めの不動。昨日、高幡不動尊に参詣したので、今日は予定どおり
深川不動堂で写仏体験をしてきた。

写経はいろいろな寺社で経験しているが、写仏は初体験。
13:30に本堂地下1階で受付を済ませる。今年最後の縁日なので、通常より参加者が多いらしい。
予定の会場に入りきらなかったため、係の方が別室を準備していたくらいだ。
(私は早目に受付を済ませたので、最初の会場に入室できた)

まず、塗香を掌にとり、合掌して両手を浄め、そのまま手の甲をこする。
お不動様をイメージしつつ、手を交差した状態で両肩をなでて、身体を浄める。

(私は西新井大師の写経会で教わったやり方で、塗香を扱ってしまった。
 西新井大師では両掌を胸の前にもっていき、横に引くように胸、腹、腰と
 香をなすったように記憶している)

そして法話、般若心経、光明真言、不動真言を唱和した後、
下絵をもとに不動明王をなぞっていく。

意外に難しい。どこから描き始めてもいい、ただしお不動様の目は最後に描いてくださいという
説明があったので、迦楼羅炎から着手したのだが、細かすぎてまるで迷路を描いているような
気分になってくる。迷いを消滅させるお不動様を描きつつ、何故私は迷走しているのだろう、と疑問を感じる。

普段、筆を持たないので、扱いが難しい。線も太すぎたり、細すぎたり、かすれたりする。
墨の量もよくわからない。いつの間にか、マラソンのような心境になる。
いつになったら、ゴールが見えるのだろう。写経の時も、そういう気分になる。

ひとりの人が、軽やかに描き終えたお不動様を奉納していく。まだ開始から20分しか経過していないのに!
私は完成率30%くらいだ。どうしてそんなに早く描けるのだろう。
別に競争しているわけでもないのに焦る。時間制限もないのに、気がはやる。
だんだん、提出していく人たちが増える。なんだか課題を終えないと帰れない学生のような心地になった。



ようやく、尊顔までなぞることができる。ああ、なんて長い道のり。
完成までおよそ1時間。半分くらいのひとは残っている。よかった、ビリじゃなくて。
だんだん、当初の目的と目指す方向が違っているのがわかるのだが、しかたない。
いつも雑念まみれになってしまうのだ。

それでも、それなりの出来栄えになった。要は心なので巧拙は関係ないと思うが、形になるとうれしい。
添える願意を考える。最初「母の供養」と思ったが、何しろ戒名が長すぎる。
戒名は漢字9文字。願意はせいぜい6文字しか入らないので、私の個人的な願いにした。

(長い戒名を細かい字で書く気力が残っていないというのが、本当かもしれない)

「供養」護摩木もあるので、母のことはそちらでお願いした。

写経も写仏も本当に苦行なのだが、何故か終わってみると清々しい。
また機会があったらやってみたいなという気になる。


納めの不動、しかも土曜ということで、護摩修行の場にも参詣客があふれかえり
異様な熱気に満ちていた。以前は混雑を避けていたが、最近活気がある場所も
いいものだと、やや宗旨替えをしつつある。あまり混むのはいやだけれども。


クリスタルの不動像がたくさん納められているお部屋(一方通行・撮影不可)を通る。
とても美しい場所だ。
右手に巨大数珠が手すりのようにたくさん並んでいるので、それを撫でつつ、進む。
お坊さんが金襴に包まれた警策で、両肩を軽く叩いてくれたので、今年の厄祓いは終了!

深川不動堂は、いつも賽銭箱前で失礼していたが、中も結構見どころがある。
今回は行かなかったが、天井絵やお砂踏みの場所もあるらしい。
次回、新年の人波が引いた頃に、参詣しようと思う。

三箇日は押すな押すなの混雑になるので、逆に参詣は避ける。
これだけ年末にお参りしたのだから、ちょっと遅れてご挨拶しても容認してもらえると思っている。

※28日は、小網神社徳大寺摩利支天不忍池辨天堂に参拝してから
深川不動堂に参詣しています。


神様、仏様、ありがとうございます♪2020年もよろしく

新月・日食・母倉日に、吉方位旅行に出かけてみた。

2019年12月27日 | 運気アップ
12月26日から27日、吉方位旅行と称して石和温泉に出かけた。
2019年12月の吉方位が「西」だったから。いつもは日柄方位に拘泥しないが、
今回は特別行きたい場所がなく、ただ「温泉と食事」が楽しめればよいという
漠然とした希望しかなかったため、ちょっと「吉方位」で彩ってみたというわけだ。



旅行をすると、特に一人旅の場合は、確実に運気はあがる。断言できる。
今回、その理由をつらつら考えてみたのだが、すべて自分の判断を「快」に委ね
誰かに対し忖度しなくてよい、即ち直感をフルに使えるからではないか、と思うに至った。

仕事中に「直感」「好み」などは差し挟めないから、畢竟、本来のアンテナは鈍くなる。
だからこそ、時折の旅行が必要なのだ。自分の感覚がもとに戻る感覚は素晴らしい。
企図したわけではないが、出発日は母倉日(天が万物を慈しむ吉日)だった。これも縁だ。

今回は旅先で山羊座新月を迎えたため、その場で新月の願い事を10個ほど書いた。
うちひとつが「ダイエットに成功します」である。
たらふく飲み食いするつもりで旅に出ておきながら、なぜこんなことを書くのだろうと
自身に欺瞞をおぼえる。本当に矛盾に満ちた生き物だ、人間は。というか私は。


2日目は特に予定は入れなかったのだが、せっかくだから中央線を使わず、京王線で
高幡不動尊にご挨拶しよう、その後大國魂神社にも寄ろう、と急に決めた。これも勘。

参拝後に京王線に揺られていると、アナウンスが入る。
「ただいま、飛来物の確認により、中央線は全線ストップしています…」
また、トラブルを回避してもらえた。やはり私は旅行運が良いと思う。
吉方位によるものか、お不動様のご利益か、大國魂の神様のおかげかわからないが
取りあえず、瞑目して心の中で感謝を唱える。

このほか、お世話になった方から優しいメールが届き、励まされたり
食事処で逢った子どもが親切だったり、
借りたかった本が早めに届いたり、
持ち株が上がっていたり(1日で今回の旅行費用と同じくらいの利益が出た)

なんだかんだで、いいことが続いた。

運気アップの秘訣は「感覚を研ぎ澄ますこと」「自分でいいことを探し、数えること」
「運の良さを信じること」「感謝をすること」なのだ。
それだけで、吉祥事象は加速度をつけて増えていく。

実体験を踏まえて、そう信じている。

2020年は「波乱の年」と予測されている。
どんな年であっても、快適さを感じ取れる自分であるよう、
感謝を忘れずに過ごそうと思う。


旅行記はまた別途書きます