よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

足で歩いた頃のこと

2017年06月23日 | 読書
星野富弘さんの最新詩画集『足で歩いた頃のこと』を読みました。



頸髄損傷で首から下が動かなくなり、もう半世紀が経つ星野富弘さん。
口で絵筆を咥えて描かれた絵は、どれも心にしみます。

星野さんの作品には、傍らで絵の具の色を調節し、色味を相談して口に筆を握らせる奥様の姿があります。

おふたりの生み出した作品たちは、いつも私の心を慰め癒してくれます。

心が疲れた時も、元気な時も、ふわりと優しい気持ちになれるのです。



星野さんの詩画集は全部持っていますが、最新刊を読むと、またすべて読み返したくなります。



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アドラー心理『幸福の哲学』

2017年04月22日 | 読書
岸見一郎さんの『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの知恵』を読みかけ、途中でリタイアした。

『嫌われる勇気』もかなり話があっちこっちに飛び、読みにくいなと感じていたのだが、本著も同様なのだった。
文章が多少読みにくくても、内容に共感できればそのまま読めたのだろうが…。

幸福になることは容易ではない。
幸福になることを妨げるように見える出来事に、必ず遭遇するからだ。


この一節にはたと頭を捻った。

他者から見て「不幸そう」と思うような体験をしても、当事者は幸福感に満ち満ちている場合もある。
逆に人から羨まれるような環境にある人が、自身の運命を呪っていることもある。

出来事に良し悪しはなく、それを人の感情がラベル付けするだけだ。

つまり相田みつを氏の言葉のとおり「幸せはいつも自分の心が決める」のである。


誤解のないように書いておくが、アドラー心理の本は二桁ほど読み、セミナーにも参加したことがある。
概念自体は、フロイトやユングよりも実践的で魅力的だと感じている。

だが、岸見氏の癖だろうか、40ページに達しない段階で醸し出される「不幸感」に辟易し、アドラーはこんな思想ではなかったはず、と残念に思った。

幸せになりたい気持ちがあるなら 明日を見つけることはとても簡単
(「元気を出して」竹内まりや)

逆に「幸福になることは容易ではない」と思い込めば、多幸感を味わうことは難しいだろう。


哲学や心理学は、実はそれほど難解ではなく、シンプルで役に立つものだと思う。

私は本からもヒントを得るが、人との交流や、歌詞や、漫画の台詞、その他日常のふとした瞬間に、気づきになる断片を拾って自分の糧にしている。


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印象に残っている絵本

2017年04月21日 | 読書
「ちいさいおうち」「ぐりとぐら」「もりのおばあさん」
「やまのこどもたち」「ひとまねこざる」「おかあさん大好き」
「はなのすきな牛」「ももいろのきりん」・・・。
数えだすときりがない。本が大好きな子だったから。


岩波の子どもの絵本が大好きだった。
小学館の「イギリスのお話」「アラビアのお話」シリーズも好きだった。

「お母さんが読んで聞かせる話」は、自分で読んでいた。

偕成社の「世界の悲しい話」「世界の心を打つ話」は、裏表紙に山の絵があり、そこにリアルな双眸が描かれていて、子ども心にひどく怖かったことを思い出す。


生まれて初めて欲しがったのが「みつばちハッチ」の絵本だったそうだ。
しかし父の「意地悪そうな表情の絵を見るのはよろしくない」という判断から、買ってもらえなかったらしい。
仄聞調になっているのは、私にその記憶がないからだ。

でも、その判断について父に感謝をしている。

私は、意地の悪い人をひどく嫌悪する。
テレビでもそれは顕著で「ハイジ」は好きだったが、「フランダースの犬」はアロア父が出てくると目を閉じ、耳を塞いだ。
「見なければいいのに」と両親は苦笑していたが、話は嫌いではなかった。
ただ、アロアの父やネロをいじめる大人たちが、とても苦手だった。


絵本の話に戻るが、やはり魂が素直な時期には、美しいものや綺麗なものをたくさん見せたほうが良いと思う。

人生の汚濁は、いずれ向き合うことになる。
幼いうちに見ないで済めば、それは幸せなことだ。


大人になった今は、綺麗な絵をたくさん見たり、美しい花々と親しむ時間で気持ちを浄化している。



出かけられない時は、星野富弘さんの詩画集を紐解いたりする。
年を重ねても、印象に残る本に邂逅できることが僥倖だと思う。


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逃げるは恥だが役に立つ(最終巻)

2017年03月13日 | 読書
社会現象にもなったドラマですが、私は最初にコミックを読んでいたんです。

男女が親しくなっていく過程が一般と違っていて、そこに社会の目や自我、呪縛のようなものが織り込まれていて、とても新鮮でした。




みくりも百合ちゃんも、時間をかけて好きな男性に呪縛を解いてもらいます。
ここは、本当に少女漫画(お姫様ストーリー)の王道なんですが、切り口はもっと怜悧で社会派な要素を含んでいます。

童話のお姫様は悪い魔女等、他者に呪いをかけられていますが、このマンガのヒロインたちは、自分で自分に呪いをかけています。
ポジモンに静かに言い返す百合ちゃんは、相手の毒に反応しません。
そして、自分の中の目覚めに気づくのです。

そもそも呪詛は、自縄自縛なものかもしれません。

他者が何を言おうが、世間の目がどうであろうが、自分軸が揺らがない人たちは柳に風と受け流します。
でも、大抵は周囲の目やら期待やら常識やら批判などが気になり、心が折れたりするのです。

一歩踏み出す勇気や、人から貰える温かさで心がほどけていく感覚。
読み終わった後の幸福感、解き放たれたすがすがしい感覚。

正直、下手なカウンセリング本や自己啓発の本を読むよりも、学ぶことが多い本でした。


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得意なことで協力し合おうと神様は言う

2017年01月17日 | 読書
自己啓発に書かれている多くのことは、既に古典に記されていると思う。

「苦手なことに取り組むよりも、得意なことを伸ばせ」

これは、既に『古事記』に書かれている。


例えば、天照大神を天岩戸から引っ張り出す計画を出したのは、知恵を備えたオモイカネ。

艶然とした舞を披露し、祭りを狂乱させるのはアメノウズメ。

天岩戸をこじ開けるのは、力自慢のタヂカラオ。


この三者の役割がひとつでもずれていたら、計画は頓挫しただろう。



海幸、山幸の話にしてもそうだ。

海幸が山に、山幸が海に行っても、まったく獲物は取れない。

それぞれ、得意分野でこそ光る存在なのである。


『さるかに合戦』の役割も、同様のことが言える。

栗、蜂、昆布、石臼はそれぞれ適材適所で能力を最大限に発揮する。


適した場所でこそ、人は輝けるということは、古人からのメッセージなのかもしれない。



『毎日かあさん』西原理恵子著

西原さんの作品は好きだが、千年前のニートの腐女子とは誰のことだろう。

『蜻蛉日記』の右大将道綱母?

紫式部や清少納言は、宮仕えしているキャリアウーマンだ。

作風もあるのでまあいいかと思う反面、古典好きとしては、ちょっと引っかかる

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