よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

東京オリンピックと「強制」ボランティア

2018年08月31日 | コラム
ボランティアは個人の自発的な同期によるものである。

ターゲット層である、学生ボランティアの数が集まらないから
国が学校に働きかけて仕掛けをつくるなど、
いつもながら本末転倒の泥縄ぶり。




ここまで制約が多く、自己負担が多く、閉塞感が強いものに
参加する若者は少ないだろう。

私なら宿泊費と食費、それなりの日当が出ても参加しない。

そもそもオリンピックに関心がないこと
酷暑の時期に動く身の危険性を想えば
まったく動機が見つからない。

まして全額自己負担となれば…。


ここまで若者に拘泥する理由は、もちろん炎天下での救急搬送を
少しでも緩和するためだろうが、国をあげてのイベントであれば
それなりの報酬を提示すべきだろう。

誰でも「メリット」がなければ動かないものだ。
以前、スーパーボランティアの70代男性が話題になったが
彼には心の充足感があるから、全国各地を駆け回るのだと思う。

「モチベーションをあげよう」のかけ声がかかるのは
そこにモチベーションがないときだ、という。
しかし、土壌を何度眺めても、高揚するものが見当たらない。

この「体制」という息苦しいものを忌避する私は
若者たちの自由意思が尊重されることを願ってやまない。

周囲の声に縛られず、大事な時間とお金を自身の
やりたいことのために使ってほしい。



五輪は最初から最後までケチがつくと予想


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