「のーまらいぜーしょん」「ばりあ・ふりー」最近よく聞く言葉だ。僕の今の仕事は主にハンディキャップを持った子供と楽しく過ごす仕事なので、勿論よく聞く言葉。誰が提唱したのか?ぼかぁ…知らない。
何のことかを簡単に説明すると、
「ハンディキャップを持った人とそういったものを持たずに浮かれて暮らしている人とを隔てている壁を取り除いて、一緒に仲良く暮らせる社会を作ろう!」って、感じでいいと思う。が、正直、僕はピンと来ない。
街角でよく見かける点字ブロックや、点字、音の出る信号、優先席、分別の分かりがいい絵が描かれたゴミ箱、温泉にある手すり、余計に金がかかってそうな政府広報、僕から見て実態の知れない公共広告機構etc…、などが目指すものが「のーまらいずされた社会」で、前に挙げた最後の2つは、正直何だか分からないけど、そんな事を言っているのを偶に見かける。更に推し進めて言うと、例えば「雫石の下にSHIZUKUISHIと書いてある道路の案内板」なんかは外国人を「のーまらいず」するもので、東京なんか凄い!「日本語をまったく知らなくても何処にでも行けるアル」って、ドンテが言ってた。話が逸れたし、ドンテは中国人じゃない。しかも「行けるアル!」って日本語で喋っちゃってる…。あ、あと高齢者も忘れてはならない。そんなこんなで前置きが長いし、ウザい…。
「のーまらーぜーしょん」を考えてみた。どうやら、2つの社会が在るらしい、それを一つにしたいらしい。これは、明白な事実だ。知らない人たちと、知られていない人たちが大きな共同体の中で隔離されて暮らしていた過去が今に引き継がれていて、当事者やその家族の努力とか、財政難とか、欧米の思想の影響とかを受けて「ナンセンスだ!」と声高に叫ばれるようになった。ともかく、二つの社会をくっつける作業が必要とされている。
壁を取り除く、と書いた。僕は無作為にギザギザに切った二つの紙切れをぴったりくっつけるという感じがしっくりくる。無作為に切っているから、当然合うわけがない。でも、合わせなきゃいけないので片方をもう一方に合うように切る、または折る。それでも、合わない…一回で終わるそんな、簡単な問題ではなさそうだ。だから、愚直に繰り返す。例えば、自閉症者が町を歩けるように社会整備を行ったり、もしくは自閉症者を社会に適合するように訓練する。近隣の住民がちょっとグループホームに寄るようにしたり、ハンディをもった人が、困った時は近所に相談するようにしてもいい。高齢者はちょっと話が別になって、社会の中心に居たのに仕事をリタイヤすると、ちょい離れた場所に居ざるおえなくなるから、この隙間を何とか埋めたり、上から貼ったりすればいい。乱暴だが、これらが合わない箇所を切ったり折ったりする作業だと思う。もっと、精神疾患とか、視覚障害とか、聴覚などの例も挙げればいいのだろうけど残念ながら思い浮かばない。僕の能力の所為で、ホント情けないと思う…。
以上、長々と「のーまらいぜーしょん」のことを書いてきたけど、もっと簡単な方法がある!と常々思っている。「憎めない!」とか「意外と普通…」とか「笑顔が可愛い」とか「カッコイイ!」とか「おもしれー!」とか、そんな単純な理由で付き合っちゃう方法。(日常生活でも僕はそうしているけど…)「快」「不快」で判断する。今の所幸いにも「快」が多いい。
ハンディキャップのギザギザをばっさり真っ直ぐに切っちゃう。そして、僕の方もばっさり一直線に切る、偏見なんがは僕のギザギザに含まれるものだから一緒に切り落とす。そうすると当たり前だけどピタッと合う。簡単な話だと思う。要は友達と接するようにすればいい。嫌いになったら仕方ない。人間も世の中そんなもんだ。僕は以上の方法で「のーまらいぜーしょん」を実践出来ていると思っている。職場でも同じ方法を取っている人が居るし、今の所、大嫌いな人は居ない。苦手な人、嫌いな人は居る…。でも、結果的にお互いを「のーまらーず」はしちゃってる。別に他の職業でも同じ事だし…ね。
無責任かもしれないけど…唯、単純に…楽しい!だけで、皆と付き合っている。そして、付き合えるもんだからいいと思う。社会整備は必要だと思うけど、過度の社会整備を行う前にしなきゃいけないことがあるんじゃねーか?って思ってるだけだ。知らない人が知ればいい。そこに居る人はチャーミングな人かも知れない。そんなもんでしょ?
そんなこんなで、あれ?あまり、良くない話を書いたのかもしんない…。
何のことかを簡単に説明すると、
「ハンディキャップを持った人とそういったものを持たずに浮かれて暮らしている人とを隔てている壁を取り除いて、一緒に仲良く暮らせる社会を作ろう!」って、感じでいいと思う。が、正直、僕はピンと来ない。
街角でよく見かける点字ブロックや、点字、音の出る信号、優先席、分別の分かりがいい絵が描かれたゴミ箱、温泉にある手すり、余計に金がかかってそうな政府広報、僕から見て実態の知れない公共広告機構etc…、などが目指すものが「のーまらいずされた社会」で、前に挙げた最後の2つは、正直何だか分からないけど、そんな事を言っているのを偶に見かける。更に推し進めて言うと、例えば「雫石の下にSHIZUKUISHIと書いてある道路の案内板」なんかは外国人を「のーまらいず」するもので、東京なんか凄い!「日本語をまったく知らなくても何処にでも行けるアル」って、ドンテが言ってた。話が逸れたし、ドンテは中国人じゃない。しかも「行けるアル!」って日本語で喋っちゃってる…。あ、あと高齢者も忘れてはならない。そんなこんなで前置きが長いし、ウザい…。
「のーまらーぜーしょん」を考えてみた。どうやら、2つの社会が在るらしい、それを一つにしたいらしい。これは、明白な事実だ。知らない人たちと、知られていない人たちが大きな共同体の中で隔離されて暮らしていた過去が今に引き継がれていて、当事者やその家族の努力とか、財政難とか、欧米の思想の影響とかを受けて「ナンセンスだ!」と声高に叫ばれるようになった。ともかく、二つの社会をくっつける作業が必要とされている。
壁を取り除く、と書いた。僕は無作為にギザギザに切った二つの紙切れをぴったりくっつけるという感じがしっくりくる。無作為に切っているから、当然合うわけがない。でも、合わせなきゃいけないので片方をもう一方に合うように切る、または折る。それでも、合わない…一回で終わるそんな、簡単な問題ではなさそうだ。だから、愚直に繰り返す。例えば、自閉症者が町を歩けるように社会整備を行ったり、もしくは自閉症者を社会に適合するように訓練する。近隣の住民がちょっとグループホームに寄るようにしたり、ハンディをもった人が、困った時は近所に相談するようにしてもいい。高齢者はちょっと話が別になって、社会の中心に居たのに仕事をリタイヤすると、ちょい離れた場所に居ざるおえなくなるから、この隙間を何とか埋めたり、上から貼ったりすればいい。乱暴だが、これらが合わない箇所を切ったり折ったりする作業だと思う。もっと、精神疾患とか、視覚障害とか、聴覚などの例も挙げればいいのだろうけど残念ながら思い浮かばない。僕の能力の所為で、ホント情けないと思う…。
以上、長々と「のーまらいぜーしょん」のことを書いてきたけど、もっと簡単な方法がある!と常々思っている。「憎めない!」とか「意外と普通…」とか「笑顔が可愛い」とか「カッコイイ!」とか「おもしれー!」とか、そんな単純な理由で付き合っちゃう方法。(日常生活でも僕はそうしているけど…)「快」「不快」で判断する。今の所幸いにも「快」が多いい。
ハンディキャップのギザギザをばっさり真っ直ぐに切っちゃう。そして、僕の方もばっさり一直線に切る、偏見なんがは僕のギザギザに含まれるものだから一緒に切り落とす。そうすると当たり前だけどピタッと合う。簡単な話だと思う。要は友達と接するようにすればいい。嫌いになったら仕方ない。人間も世の中そんなもんだ。僕は以上の方法で「のーまらいぜーしょん」を実践出来ていると思っている。職場でも同じ方法を取っている人が居るし、今の所、大嫌いな人は居ない。苦手な人、嫌いな人は居る…。でも、結果的にお互いを「のーまらーず」はしちゃってる。別に他の職業でも同じ事だし…ね。
無責任かもしれないけど…唯、単純に…楽しい!だけで、皆と付き合っている。そして、付き合えるもんだからいいと思う。社会整備は必要だと思うけど、過度の社会整備を行う前にしなきゃいけないことがあるんじゃねーか?って思ってるだけだ。知らない人が知ればいい。そこに居る人はチャーミングな人かも知れない。そんなもんでしょ?
そんなこんなで、あれ?あまり、良くない話を書いたのかもしんない…。
ハナミズイラスト入りのあるって春号完成が楽しみです。
ところで15日のご予定は?
95%の視野喪失、東京のような場所で生活するのは困難だから、生活設計を為直しましょう・・と言われた。
喜んで、「岩手暮らしを考えている」と打ち明けたら、脳天気な人間と見破り、「障害者になるんですよ、現実を見据えましょう!!」と大学病院の教授が言う。病気の深刻さを理解できぬと、思ったらしい。
岩手の自然や人々とは、今のところ波長が合うというか、いい環境に居ると思ってますが、去年、東京に墓参りに行った際、「こんな所で生まれ育ったんだ」
と思いつつ、「此処じゃ暮らせねー」と実感しました。
hanamizuさんのコラムをジックリ読み直し、私も考えてみます。
明日、・・・やりますと、多田さんに誘われ、迷ってます。
女房に皆を紹介したいし、私も逢いたいし・・・。