平和の為に何をやれるか、愚行積善備忘録、園田幸二のブログ

人間『死ぬまでの暇潰し』と思ってみても、日本人として、日本文化を愛し、歴史伝統を護りたい。日本の安寧祈願。旅

黄色い中身のスイカ

2017-07-05 00:51:00 | 熊本の旅
熊本は日本一のスイカの生産地
質量共に、

スイカは好きだが、
中身の黄色いスイカを見ると
何故か、
悲しくなる、

子供の頃、
母方のおばあちゃんが癌で入院、
手術、入院、
よくお見舞いに一緒に行った、
もうだいぶ、
これはもうダメ~
そんな時期
(最期)
日曜の午前中にお見舞い
オヤジが、
最後に何か食べたいモノはない?
尋ねた、
スイカ~がよか~
父はすぐに産地に向かった、
一緒に乗ってるだけで自分も、

季節でもないのに、
何処に有るんだ????

父は戦争中でも高校に通っていた、
その頃のつながりらしいが、
産地まで高速も無い時代、
車に揺られ揺られ、
車の中で寝てしまい、
気がつけば、
後ろに座席に、箱
お腹は空いたが、
何か切迫した雰囲気が
子供ながら感じた、
往復何時間だったろうか?
病院に戻った頃には日も暮れ、
病室、
おばあちゃんにスイカを切って
食べさせようにも
もう手も自由にならない、
スプーンで父がチョイとあげた、
その場面を食い入るように眺めていた、
《美味しいそうだな》
ばあちゃん涙、
『ありがと、もうよか~あ
こうじ食べんね』
と言われ、
がっがっ喰った、



ばあちゃんはそれから数日後、
旅立った、
往生~
苦労を重ね、
見事に子供4人を立派に育て上げ、
いつも優しかった。
感謝、
いつまでも忘れません。






熊本で一番の大桜

2017-04-15 00:20:11 | 熊本の旅
被災地、待ちに待った開花 南阿蘇の樹齢430年「一心行の大桜」

この桜、なかなか観れない、
大混雑どころではない、
渋滞、
では電車、
超混み、
駅から歩くにも、
混雑、

阿蘇の麓、
黄色い菜の花畑の中に、
1本だけの桜、

それがでかい、
この桜、
敗軍の将となった
確か?
相良家だと記憶、
家の再興を願い
植えた桜、
今年は熊本の復興を願い、
桜を愛でに行かれる方が多いだろうなあ~

前にも一度、
行ったが諦め、
駅前の桜を眺める





地鶏料理店へ、
庭に放し飼いの鶏、


熊本地震復興花火

2016-09-23 20:54:27 | 熊本の旅
西日本で唯一の全国花火競技大会
2016年版

八代全国花火競技大会は、
昭和62年から全国の有名な煙火芸術協会クラスの煙火店を招いて、
全国花火競技大会として開催。

北は秋田から南は鹿児島まで、
全国の有名花火師たちがその腕を競い合うこの大会は必見です
!5号玉、10号玉、スターマインの3部門の競技花火のほか、
ミュージック花火なども予定されている。
花火師の自信作や最新作の花火が見られることから、
全国的に注目を浴びています。

10月15日(土)
行きたいなあ~

http://sp.jorudan.co.jp/hanabi/spot_87533.html



虹を訪ねて

2016-05-17 13:30:46 | 熊本の旅
虹を訪ねて、

チョイと一息、

窓の外を眺めていたら、
子供が雨靴を履いて、
何かを追いかけるように
はしゃいでいる。

子供の頃、
夏休み、
入道雲がどんどん大きくなり、
雷雨がやって来ても、
土砂降りの雨、
しかし、直ぐに、

何もなかったように、
また晴れ間が見える、
そこに必ず、
お約束のように、
虹が出る。

虹を追いかけた。
行っても、
行っても、

虹には近づけない。

やがて虹は、
『ふっ』と消える。

気が付くと、だいぶ家から遠くなってしまい、
お腹は空くし、
早く帰ろ~~

一度でいいから虹を触ってみたい。

司馬遼太郎の大作の一つ、
『坂の上の雲』
を思い出す。
峠の上を見ると、
そこに雲が有る、
どんどん峠を登って、
その雲に手が届くかと思いきや、
雲には手が届かない。

それにしても、
維新・明治期の人間はなんであんなに素晴らしい日本人が
雲霞の如く出たのか?
司馬さんは
『それは各地方地方の独特の文化、武士道が有ったからだ』
と言う。


熊本小論

2016-05-07 13:17:43 | 熊本の旅
熊本県人の気質とは、

夏目漱石が愛した気質、
物事がはっきりして、
裏表が無く、
明るい、

漱石はイギリス留学中、
頭が狂ったと、
当時の明治政府は考えた
『うつ病か』と、
イギリスからの手紙で
日本はこんな(イギリス)のような国の真似はしてはならないと、

ヨーロッパ人の真似はするなと、

日本への手紙に、
『日本へ帰ったら、旅をしたい、
そう、あの小天温泉へ、』

小天温泉の温泉が良かったわけではなく、
周りに住み暮らしている人達が良かったのではないか、

小説『草枕』の舞台となった小天温泉の周りの人達、
前田家の人々を愛情をもって表現している。

小説『二百十日』では
阿蘇の旅館で地元の仲居のおばさんの事を
優しい眼差しで表現している。

部屋に着くと、
中居さんにビールを注文した。

『ビールはなかですが、
エビスなら有りますバッテン』
『そ!、それ!それでよか』(大笑)



司馬遼太郎は肥後、熊本人は
一人一党の気質なり、
イイものはいい、
悪いモノは悪い、
白黒はっきり、

『アカンもんはアカン』

アレ?
これどこかの藩の教えと全く同じ

会津松平藩の藩校『日新館』の教え、
『ならぬモノはならぬ』

司馬遼太郎
肥後人(熊本人)の実直さをあらゆる面から書き出している。

肥後は難地の国で有る
(難地とは、治めるのが難しい)

豊臣秀吉から肥後の国を任された佐々成政が赴任して来た。
肥後人は佐々成政を嫌った。

地元の民は
嫌いなモノは嫌いだ、
各人それぞれ蜂起し、
佐々成政を肥後から追い出してしまった。

南北朝の頃、
南朝方に正義性が有る、
そう考えた肥後の大豪族『菊池家』は
北朝の足利が九州へ攻めて来ても降伏せず、
負ける戦に勇んで突進して行った。
『正義に為に死するは喜びなり』

肥後菊池家は滅んでもその名を残した。

肥後人の思想を司馬さんは、
愛情をもって書き出している、
『横井小楠』
にその思想を求めている。

小楠の名、
これは楠木正成から取った名、
小楠の教えは、
吉田松陰、坂本竜馬、高杉晋作、
久坂玄瑞等に多大な影響を与えた。

『尊皇改革』
日本を守るには国を開き、
外国に負けない体制を作り上げる。
天皇を尊び、
日本民族の誇りを失わず、
それが日本の進むべき道 と、

思想の原点は神道に有るのではないか、
古い古い時代からの神道、

森羅万象すべてに命が宿っている。
神に日々感謝、

続はまた、










人吉 繊月 焼酎の源流

2016-05-07 00:13:04 | 熊本の旅
思い出す、焼酎の里

熊本の山の中の小京都『人吉』の幽霊寺として有名な永国寺。

正面が永国寺。

歴史は意外に古く、室町時代初期の応永15年(1408)に実底和尚による開山。
今から約600年前の創立。

この寺は、西南戦争で熊本城を落とせず撤退し、
人吉に入った西郷隆盛が薩軍本営に定めた寺としても知られています。



その寺から西郷隆盛が宿舎として使っていた屋敷の先にその蔵元は有る。

この蔵元も古い、繊月酒造

この蔵元の行ったら必ず試飲して買わなきゃいけない焼酎が有る。
門外では販売されない焼酎、
なにせ約30年以上寝かせた古酒、
40度にしては飲みやすい。
凄い、

美味い、色は樽に入れ熟成させるからほんのり樫色、
しかし味はクリアー、
これはちょびり、ちょびりと飲むのいい、

チェイサーに水を飲みながら、
では直接蔵元へ行って買って来た『無言』が少しだけ在庫が有ります。
九州新幹線全線開通に伴い。


さて、話は戻り、
西郷隆盛の宿舎跡、

ここは司馬遼太郎も訪れ暫し、この庭園をず~~と眺めていたそうだ。

確かにこの庭園はいい、何処かでもみたような、

そうだ、昔の
小生の実家の昔の庭園と全く同じ形体、違いは池が小さい、
我御先祖様の庭園は池が2っ有り、
橋がかかっていた。

この屋敷の座敷で暫し休息、
連れの爺様・ばあ様もほ~~お!
この屋敷の物語りは司馬遼太郎の飛ぶが如くに出て来る。
その話はいずれ、

西郷隆盛の死で『薩摩武士の薩摩隼人』の精神も終わった。
西郷隆盛の死後、明治政府の汚職が無くなった。




熊本 祭り 法事 クマモン 温泉 グルメ

2014-11-26 20:25:13 | 熊本の旅
2014、11月
熊本行き、
今年はこれで3度目、
4月は母の誕生日、
7月は天草~熊本
この11月は法事

先ず、到着したら、

なんと云ってもこの時期、
九州三大祭りの『妙見祭り』

見慣れた
大名行列は何処にでも有るようなモノ、
だが、

子供が泣き叫ぶ、
蛇亀、







怖い


蛇亀(ガメ)の
後ろの赤毛を頂き、
財布に入れてると、金運が増す、

子供の頭を噛ませるといい子に育つとさ、、
なんと、恐ろしい、
子供にとってはトラウマじゃん、






馬を川で走らせる。
怪我は当たり前、
それでも毎年、参加する猛者達、
最近は女子も一部の馬に参加する。



何時間も前から河川敷きの上に見物客、



お祭見物して貰っている間に、

仏壇へ、墓へ、

墓の裏側にも家紋。

『丸に釘貫きは旧い家紋で有る、敵の城を九つ抜く、武門の誉れの家紋』
戦旗に丸に釘貫きは敵を恐れさせ、威武させた。
と有る。


飾ってあるのは『楡』
高野山にしか咲かない『高野楡』
と云うそうで、
毎回、高野山から直接、
『菅乃屋』の社長さんが買っている、
そのおすそわけ、
感謝、感謝、ほんと、感謝

『妙見さ~ん』と地元で親しまれてる神社で!
お参り、
列が凄いのなんの、

それでも並んで、参拝

遅い昼ご飯
念願の島田寿司へ、

ここのネタは最高~~
値段は激安、

食べて、赤霧島のボトル開けて、つまみも充分食べて、
一人換算したら、びっくり、
毎度、スイマセン。

ここのオヤジさん。
創業以来、表に暖簾を出した事が無い、
そんな店、

確かに言える事は、
飾り包丁は関東に料理人に負けるが、
ネタの良さ、
値段を考えたら驚異的、

友達の家に寄り、
皆さんの顔を拝顔し帰る。

夜は熊本市内で!

結婚式の3次会??
写真出していいの?

いつも行く、
魚料理のお店で
天草の穴子、

それから、
好きなこだわりの居酒屋へ、

この凄いのは
海に海水を刺身の醤油代わりに出す、

 左がなんと海水 右が普通の醤油
牛深の海水を付けてお食べ下さいと、

最後はラーメン

チャーハンも行くぞ~~

満腹中枢 オーバーヒート

寝る


翌日
昼から法事だあ~~~~
その前に

大好きな岡田コーヒーへ

それからクマモンへ^~~Go




小泉八雲の旧宅を観ながら法事へ、

急ぐ、




法事のお食事を馬料理日本一と言われる『菅乃屋』さんで!


馬のしゃぶしゃぶ、



久しぶりにお坊さんとお話、

2次会は幼馴染と馬焼きのお店へ、

もうダメ、呑めない
早くホテル帰ろう

夜はお洒落なお店へ、
気取って


キャサリンズバー


スザンヌの妹
マーガリンちゃんと


最後に天草の『大王鶏』の手羽先
デカイ~~~~


寝る

明日は早く起きねば、
明日、雨が降らないように

翌朝は阿蘇の地獄温泉
南阿蘇鉄道へ乗り換え


乗り換えの駅『立野』で名物ニコニコ饅頭を買う

列車の中で、朝飯代わりに頬張る。
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宝くじ当たるかな~~


朝霧がいい~~
空気が綺麗、澄んだ空気が心地よい、
広がる田園風景、
のんびり~~

阿蘇には沢山の温泉、
その中で、今回は

名湯の地獄温泉
敷地が広い、

野趣、原始的な露天風呂


新湯


内湯

色々な温泉、


特に凄いのが撮影禁止の湯。

ここからが撮影禁止(残念)

お湯が地面から、正しくボツボツと湧き出ている。


料理が凄い、
地元のモノを丁寧に仕上げた昼の御膳。

素晴らしい




こんな山の中の旅館でこんな料理、

夏目漱石が来た時代、
漱石が
ビールを仲居さんに注文したら、
仲居さんが
ビールはなかですが、ヱビスなら有ります』
漱石は笑いながら、
『そう、そのヱビスでヨカです』





阿蘇山が噴火したんだと、


外は霧が凄くなって来た、

漱石が阿蘇に来た日のような感じか

帰りに大きな白菜¥200円
思わず買ってしまった。

自宅で白菜漬け


白川渓谷を走る鉄道、

急いで帰らねば、


















































旧い家紋 武門の誉れ

2014-11-25 21:35:15 | 熊本の旅
武家が家紋を戦旗に入れたのはいつ頃からか?
それは知らない。

八幡太郎義家の頃には有った筈、
その前からも有った筈、

さて、
丸に釘貫き

家紋に託された意味。

『丸に釘貫は古い家紋で有る、
武門の誉れの家紋で有る。
戦っては、九つの城を抜く軍団の旗印。』


御旗の誇り命を懸けた時代、

墓の裏にも家紋、
意外に気が付かなかった?




毎月、高野山から送って頂く、
『高野にれ』を飾る。

高野山にしか咲かない『高野楡』
毎月有り難く、有り難く感謝、










日本一美味しい馬刺し屋

2013-04-11 13:56:55 | 熊本の旅
いつもながら、実に新鮮、旨いなあ


馬の鉄板焼き


馬のしゃぶしゃぶ、あっさりしていい





言わずと知れた日本一の馬刺し屋、
お店は綺麗だし、
熊本で馬刺し食べるならこの店、

天国もいいけど、
バリエーションが素晴らしい、


馬肉の70%強は熊本県、
その中でも最強のお店と断言出来る。
それはそうだ、馬牧場持ってる、それに世界的にも優秀な加工工場を持っている、
日本一の食肉加工工場を





小天温泉、草枕の舞台

2013-04-11 13:53:03 | 熊本の旅
漱石が熊本で年越しに過ごした宿、

入口を入ると綺麗に整えられた庭、

小天温泉、今は移築、改装して小綺麗な宿、昼の料理安くて美味しい、
食べて温泉、垢を落とそ、




坂を上りながら、考えた。智 を唱えれば角が立ち、情に竿さしゃ、流される。
意地を通せば窮屈だ、兎角この世は住みづらい。
だったかな?

さて、毒舌家の漱石にしてはこの小天温泉を余程気に入ったみたいで、
その後、小説『草枕』の舞台として小天温泉を使ってる、
また、イギリスからの手紙で、『今度は日本的な旅をしてみたい、そう、あの子天温泉みたいな』
なんて書き送っている。

漱石が大晦日から正月に滞在した
部屋、


旧前田家、



こんな人達が草枕の登場人物、
この場所でどんな話をしたのだろう、
正月のお節を一緒にたべたのだろうか?
ムツゴロウの甘露煮も、

当時は海の近く、
屋敷がまるで城だ、

昔の共同浴場は上に脱衣所、
下に石造りの風呂が多い、
特に西の方の造りは

入り口の右側に共同浴場、
それを石段で登って家屋(母屋)
共同浴場の奥に今は朽ちてしまったが、大きな家屋、
これは何人もの使用人が住んでいたのだろう、

那古井旅館、
電車で行くには不便、




夏目漱石in熊本

2012-02-28 13:44:09 | 熊本の旅
夏目漱石の旧宅!今でも綺麗に残っている。
熊本帝国大学教師として赴任してきた夏目漱石は意外や意外、
熊本が好きだった、と言うより、
熊本の県民性に好感をもったのだろうが?
当時は方言がきつく、通じのだろうか

玉名が舞台の『草枕』、
『二百十日』は熊本が舞台で地元の人を面白可笑しく、
愛情を持って描き出している。

二百十日の中で、
阿蘇の『内牧温泉』の宿で中居のおばさんとのやりとり、
離の部屋に通された二人は仲居のおばさんに『ビール下さい』
と言ったが、
『ビールはなかですが、ヱビスなら有りますバイ 』
との返答、二人は『え!』と、
『そうそう、それでいいのですぐ持って来て』
と大笑い。

また三四郎では熊本の青年、
三四郎が主人公である、
毒舌家の夏目漱石にしては珍しい。
短い期間、愛媛県へ赴任した時などケチョンケチョンに愛媛人の事をけなしている、
愛媛で良いのは道後の温泉くらいか
ケチで見栄っ張り、
閉鎖的で卑屈、
まあ漱石先生、
そうおっしゃるな
愛媛はその後、短い間しかいなかった先生だけど、
強烈な程に夏目漱石先生を全面に出してる 。
なんもかんも先生がらみ、
鉄道、住所、球場も飛行場も坊っちゃん
お土産に至っては驚く数 のお土産、


夏目漱石と熊本

2011-04-26 23:28:17 | 熊本の旅
阿蘇内牧温泉、山王閣、漱石が熊本の第五高等学校(現熊大)の同僚と共に訪れ、二百十日を書いた舞台。
今も現存しているとの事で黒川温泉への途中で立ち寄って観た。

ビックリした事に宿泊客でなくても簡単に無料で見学出来る、
旅館のフロントでお願いすると気安く承諾してくれた。
宿泊した部屋は旅館の庭の離れに有り、2階建ての至って実に簡素な作り、
手入れも行き届いていない、
本当に簡素との言葉がぴったり、
今。ここに泊まれと言われたら、
絶対嫌だぁ~、
夜とか怖いだろうなぁ~。

『ビールは無かですが、恵比寿なら有ります、』
『え!、恵比寿はビールではないの?』
 こんな感じの会話だったかなぁ~
阿蘇の山の中の人はビールの中の銘柄が恵比寿と云う事すら知らなかった時代』

ここで女中さんが運んで来たビールではない恵比寿を飲み、
阿蘇五山を眺めたのだろうなぁ~、この場所に何泊しかたは不明だが15の俳句を残した。

ついでに温泉だけ入らせて頂いた、無色透明、結構熱めの純粋な温泉。
漱石が『純透明な湯』と称した湯!
内牧温泉、山王閣の人達、穏やかでとてもいい感じでした。
有難うございました。

その後、内牧散策、質素だがいい感じ、薬膳料理のお店で昼食、とても野菜の味が濃厚で、美味しい、
町並み穏やか、時間がゆっくり過ぎて行く、
黒川への道のりも車の窓を開け、新鮮な空気が美味しい、体の中を風が吹き抜けてゆく感覚、

考えてみたら、
漱石はこの阿蘇で多くの俳句を残しているし、
漱石は熊本の事を『杜の都』と初めてよんだ人物でも有る。
熊本に5年弱ほど漱石はいた、
『三四郎』の出身高も第五高等学校だし、
『我輩は猫』の書生も五校の生徒で有った。
『草枕』も熊本が舞台だし、熊本と漱石を語ればきりがなく、
漱石と熊本はゆかりが深い筈なのに、熊本には漱石に関するお土産が無い。
(一部、小天温泉の玉名市が漱石が通った温泉として『草枕』云々でやってはいるが、)
何故だぁ~、何故もっと全体でやらないのかなぁ~
何故もっと漱石を出して観光誘致につなげるとか、文化向上につなげないのか?
阿蘇の街々にしても温泉地にしても、
例えば、三四郎ラーメンとか?三四郎オコシ、
草枕団子、温泉水二百十日とか、
我輩は猫のストラップ、
熊本漱石文学賞とか、
いくらでも考えられる、
何故やらないのか?
不思議としか言いようがない。
経済効果は計り知れない埋蔵量なにになぁ~
参考までにネットで出ている漱石と熊本
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/kumabun.html
逆に、
四国の松山行けば、どこもかしこも『坊ちゃん』、『坊ちゃん』、
坊ちゃん団子は小説坊ちゃんの中で道後温泉に入浴の後、近くの評判の団子屋に立ち寄った話が有る。

確かに、だが美味しいとは一言も言っていない、
温泉だけは素晴らしいと言っているが、
それはまあいいとして、
坊ちゃん饅頭、
坊ちゃん煎餅から坊ちゃんを冠したお土産ばかり、
まあ何でもかんでも夏目漱石にあやかり、
地名さえも、伊予鉄道も坊ちゃん列車、
劇場も坊ちゃん劇場、
最近でも球場の名称も『坊ちゃん球場』、
漱石自身松山にいた時期は短い、
但し正岡子規と漱石が仲良くその縁で松山を訪ねているが、

漱石は理由はよくわからないが、
松山の人々を小馬鹿にしている、
小説『坊ちゃん』の中で松山の事、散々悪く書かれているのに、
漱石から小馬鹿にされても、
松山の人々は漱石に強烈な片想いでもしているかのような観が松山の商店街を覆っているように感じられた。

松山の商魂なのか?、
伊予人の寛容なのか?
わからんです。
小説の中でアレだけ小馬鹿に散々な事を言われても怒らない。何故?!?

小馬鹿とは少し失礼な言葉。
漱石の言葉を借りるともっと失礼になる。
適当な言葉を今度、捜そう。
松山尋常中学からすぐに熊本の第五高等学校に赴任して、
いきなり熊本、肥後人の気質が気に入ってしまったのか、
熊本題材の小説でも熊本の人達の事を良いように書いているのは確かな事実。

もう一つ漱石が散々に言っている都市がロンドン、
ロンドンみたいな都市になってはならない、
文明がもたらす不幸を警告してるのですが、
続は今度、