昔からの、話だっていがの、
源為朝が島へ流されて来とうときから、
大里の海に近い所の山で「堀場」てよ 所で、城を築かっていや。
どうて、堀場にはまんでも、石の門が、
両方向き合って、立って、あろだら。
城は、すごく、ぼうからっていや。
為朝は弓を引くのが、うまからっていや。
トンネルの上にあるところの絶壁は為朝が射て作ろう跡だらーて、
いわれてあろわ。
為朝は体から何から何までぼうからっていや。
どうて、椅子も耳も、ぼうけんて
、跡も、ぼうく、残ってあるわけだっていや。
「赤間がまま」の白く、あろめは為朝の鼻汁だっていや。
為朝の城の跡は牧場だらっていや。
そいで、牛めが、城のあろう所から
海が、真下に、ある所げー、ぶっこちて、まるばっていや。
それー真似して人間の自殺場になり、
城が、あっとう、とこどうて「城下」ていうていや。
八高郷土史研究クラブの記事を参考にしました。
昭和33年~34年の取材です。
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