jurgen's Heurige Blog (ゆるげんのブログ)

I will, I will いっぱい足りないの切なくて
I feel, I feel いっぱい会いたいのボクだって

気分はだぼだぼソース/椎名誠

2008年04月01日 | 読書
『さらば国分寺書店のオババ』につづく初期のスーパーエッセイ。
シーナさん自身が提唱した昭和軽薄体でもって、
80年代初期の世相をコノヤロ的ドクダミ光線で斬りまくる。

この本に収録されている原稿のほとんどは、
流通業界誌の編集長を務めていたサラリーマン時代に書かれたもの。
本業の業界誌では堅苦しい文章ばかり書かなくてはならない。
その反動というか鬱憤の憂さ晴らしから生まれたのが、
くだけまくり文体の昭和軽薄体なのであった。
この辺の事情は「むははは日記」に詳しい。

確か大昔に1度は読んだはずなのだけど、
ウォークマンのエピソードだけは覚えていた。
電車から見えるいつもの東京のなにげない風景が、
ウォークマンで音楽を聴きながらだと映画的で感動的なものに見えてくるというもの。
あとはまったく記憶に残っていなかった。

つくづく自分の脳味噌の記憶容量の少なさに悲しくなってしまう。
新しい記憶がインプットされるたびに、
昔の読書の記憶が上書き消去されてしまうようだ。
かつて読んだことのある本を新鮮な気分で読めるのは、
果たして喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。
後者の寂しさの方が大きいような気がする。

ウォークマンといえば、
確かに80年代初期にマスコミから叩かれまくったことがあった。
「クラい」とか「自分の世界に閉じこもっている」とか。
表面だけしか見ていない、いかにも大きなお世話で見当はずれな批判がまかり通っていた時代があったのだ。
60年代の「長髪=不良」のレッテルと大して変わらないトンデモ若者批判。
今となっては信じられないでしょう?

昨日までウォークマンを楽しんでいた友人から、
ある日突然電車の中で音楽を聴こうとしたら
「暗いからやめろ!」怒られたことがあった。
上記のような記事を読んですぐに影響されてしまったようであった。
あまりの豹変ぶりに唖然としてしまった自分。
そんな大昔の学生時代の理不尽なデキゴトが思い出されてしまった。

朝日新聞の投書欄では、
ウォークマン論争がやがて徴兵論まで発展していったそうである。
どこがどうなって徴兵の話につながっていくのかさっぱりわからない。
昔から朝日はアサヒっていたのだ。

わしがもっとも感動したのは、Sports Graphic Number誌に掲載された
1979年12月の全日本プロレス観戦記。
世界最強タッグリーグ戦の決勝戦
ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク vs アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークを臨場感たっぷりに再現している。
この試合はわしもテレビにかじりつくように見た。
血だらけになりながらもけなげに反撃していくテリー・ファンクの姿が思い出され泣けてきた。
作家がプロレス観戦記を書くとこうも感動的なものになるのかと目からウロコであった。
会場の異常なまでに高まった熱気や殺気がビシビシと伝わってきて手に汗握る。
プロレスを愛していなければ、こうは書けない。



気分はだぼだぼソース
椎名誠
出版社: 新潮社; 〔新版〕版 (1995/06)
ISBN-10: 4101448159
ISBN-13: 978-4101448152
発売日: 1995/06