この本を初めて手にとったときの第一印象は、
かなり分厚いので、読み終えるには一ヶ月くらいかかってしまうかも。
実際は1週間で読めてしまった。
あっという間だった。
第3章「ガルガンチュア風」暴飲暴食の旅を読み進めていくうちに、
ワインが飲みたくなってたまらなくなった。
しかも、禁酒中だけにつらかった。
ワインの魅力や価値を100%味わうためには、
ワインの知識をもっと深めないとダメということがよくわかった。
ワインの知識はなくとも、
飲んでみて美味いと思ったらそれでいいじゃんと思っていた。
しかし、それだけではワインの魅力を百万分の一もわかったことにならない。
ぜひフランスに行って、飲み比べして、
同じ地方でも畑の土壌によって味がぜんぜん違ってくることを、
自分の五感を駆使して実際に体験してみたいものだ。
第13章の「ニューヨーク'81」も興味深かった。
ワシが初めてこの地を尋ねたのは1986年だから、その5年前。
もっとも治安の悪いころのニューヨークの実態に目が釘つけになった。
確かに当時は絶対にここの地下鉄に乗ってはいけないとよく言われていたものだ。
隔世の感があります。
最後の第14章「AIDSの荒野を行く」で、
最近自分のブログに書いてきたことと共通する証言を見つけてしまった。
自分の命が残り僅かとわかったらというエントリーで、
タイトル通り「もし、自分の命が残りわずかとわかったら、何をするだろうか?」を考えてみた。
エイズにかかっていることを告げられたにもかかわらず、
死の恐怖にうち勝ち最後の瞬間まで堂々と生きていく患者もいたそうだ。
そんな患者のコトバに生きることの本質を見たような気がした。
エイズにかかっても、かからなくても人はいずれ死ぬ。
我々は皆、生まれた時から死は宣告されているのだ。
>>>
死というのは妙なもので、
自分は本当のところ何者なんだろう、
自分がしていることは何なのだろうということをいやでも考えさせるんです。
そういう意識のもとに自分と自分の生活を見直すと、
何もかもちがって見えてきたんです。
そういう意味で、
ぼくは、元気だったときより今のほうが本当の意味で人生を生きているという気がするんです。
映画を見たり、人に会ったりしても、
今のほうがずっとエンジョイできる。
親しい人との人間関係もずっと深いものになっている。
いまは人生の一瞬一瞬をすみずみまでフルにエンジョイしているという気持ちなんです。
人が生きるとはどういうことなのかを新しい目で見直すことができたという点で、
ぼくはエイズに感謝すらしているんです。
<<<
>>>
自分に残された時間はそんなにないんだということがわかったとたん、
生きているということがどんなに大切なことかわかってきた。
日の出を見たり、ハドソン河の流れを見たり、通りを歩く人々を見たりするたびに、
そういう一つ一つのことがなんて素晴らしいことなんだろうと思えてきた。
自分がここに生きており、
それを見ているということ自体が素晴らしいことなんだと思う。
生きている者にとって、生きてるということ自体が素晴らしいことだ。
そう思ってみると、これまで見慣れていたものがみんなちがって見えてきた。
<<<
自分の命が残りわずかとわかったら、
いろんなものがちがって見えてくるし、
自分にとって大切な物が何なのかがわかってくる。
わしもいろいろ考えてみたことなので、
それは確かであります。
思索紀行 ――ぼくはこんな旅をしてきた
立花隆
出版社: 書籍情報社 (2004/10/1)
ISBN-10: 4915999130
ISBN-13: 978-4915999130
発売日: 2004/10/1
かなり分厚いので、読み終えるには一ヶ月くらいかかってしまうかも。
実際は1週間で読めてしまった。
あっという間だった。
第3章「ガルガンチュア風」暴飲暴食の旅を読み進めていくうちに、
ワインが飲みたくなってたまらなくなった。
しかも、禁酒中だけにつらかった。
ワインの魅力や価値を100%味わうためには、
ワインの知識をもっと深めないとダメということがよくわかった。
ワインの知識はなくとも、
飲んでみて美味いと思ったらそれでいいじゃんと思っていた。
しかし、それだけではワインの魅力を百万分の一もわかったことにならない。
ぜひフランスに行って、飲み比べして、
同じ地方でも畑の土壌によって味がぜんぜん違ってくることを、
自分の五感を駆使して実際に体験してみたいものだ。
第13章の「ニューヨーク'81」も興味深かった。
ワシが初めてこの地を尋ねたのは1986年だから、その5年前。
もっとも治安の悪いころのニューヨークの実態に目が釘つけになった。
確かに当時は絶対にここの地下鉄に乗ってはいけないとよく言われていたものだ。
隔世の感があります。
最後の第14章「AIDSの荒野を行く」で、
最近自分のブログに書いてきたことと共通する証言を見つけてしまった。
自分の命が残り僅かとわかったらというエントリーで、
タイトル通り「もし、自分の命が残りわずかとわかったら、何をするだろうか?」を考えてみた。
エイズにかかっていることを告げられたにもかかわらず、
死の恐怖にうち勝ち最後の瞬間まで堂々と生きていく患者もいたそうだ。
そんな患者のコトバに生きることの本質を見たような気がした。
エイズにかかっても、かからなくても人はいずれ死ぬ。
我々は皆、生まれた時から死は宣告されているのだ。
>>>
死というのは妙なもので、
自分は本当のところ何者なんだろう、
自分がしていることは何なのだろうということをいやでも考えさせるんです。
そういう意識のもとに自分と自分の生活を見直すと、
何もかもちがって見えてきたんです。
そういう意味で、
ぼくは、元気だったときより今のほうが本当の意味で人生を生きているという気がするんです。
映画を見たり、人に会ったりしても、
今のほうがずっとエンジョイできる。
親しい人との人間関係もずっと深いものになっている。
いまは人生の一瞬一瞬をすみずみまでフルにエンジョイしているという気持ちなんです。
人が生きるとはどういうことなのかを新しい目で見直すことができたという点で、
ぼくはエイズに感謝すらしているんです。
<<<
>>>
自分に残された時間はそんなにないんだということがわかったとたん、
生きているということがどんなに大切なことかわかってきた。
日の出を見たり、ハドソン河の流れを見たり、通りを歩く人々を見たりするたびに、
そういう一つ一つのことがなんて素晴らしいことなんだろうと思えてきた。
自分がここに生きており、
それを見ているということ自体が素晴らしいことなんだと思う。
生きている者にとって、生きてるということ自体が素晴らしいことだ。
そう思ってみると、これまで見慣れていたものがみんなちがって見えてきた。
<<<
自分の命が残りわずかとわかったら、
いろんなものがちがって見えてくるし、
自分にとって大切な物が何なのかがわかってくる。
わしもいろいろ考えてみたことなので、
それは確かであります。
思索紀行 ――ぼくはこんな旅をしてきた
立花隆
出版社: 書籍情報社 (2004/10/1)
ISBN-10: 4915999130
ISBN-13: 978-4915999130
発売日: 2004/10/1