羆を仕留めた後には、急に山が大荒れに荒れ「羆嵐(くまあらし)」になるという。おそらくそれは本当だろう。羆嵐は気象科学とは無関係に起こるにちがいない。羆の死は、山に悲しみと瞋恚(いかり)を引き起こすに十分だからである。ちっぽけで非力な人間にとって、蝦夷地に連なる神々しい山塊と、そのふところに棲む強大な膂力を持った羆は、それほどに畏怖の対象なのである。
まるでカメラで捉えたような写実である。しかもどんな幽かな物音も逃さぬような集音装置でもあり、その場の空気や匂いまで写し取る写実主義なのだ。しかも精緻だが決して冗長にならず、むしろ簡潔ですらある。
これが吉村昭という作家の、研ぎ澄まされた五感が言葉の印画紙に写し取る、彼の作品の特質である。だから、軽く読み飛ばしができない。読みながら、いつしか緊張を強いられる。「羆嵐」もその例に漏れない。
「羆嵐」は日本の動物文学の最高峰に位置する。海外に翻訳されているかどうかは寡聞にして知らぬ。もし翻訳されているなら、世界の動物文学の最高傑作と評されるかも知れない。ジャンルで言えばルポルタージュ、記録文学である。あるいは恐怖(ホラー)文学でもあろうか。恐ろしいのだ。
第一次大戦が続行中の大正四年、北海道天塩国苫前(とままえ)村。役場のある中心部より奥の平地に、屯田兵による開拓地である三毛別(さんけべつ)集落がある。鰊漁の出稼ぎと、やっと豊穣な稔りを得るようになった豊かな集落である。そこからさらに三毛別川の渓流沿いに三線、四線、五線と奥深く入ると、沢沿いの山深い傾斜地にわずかばかりの平地がある。六線沢の新しい開拓集落である。彼等は東北地方から他の土地に開拓に入ったものの、虫害と蝗害のためその地を捨てた人たちで、林野管理局の斡旋で十五家族がこの地に新たな開墾の鍬を入れたのだ。彼等は許可を得て山から木を伐り出し、柱や梁を蔓で組み、樹皮で屋根を葺き、小屋の周囲を草で囲い、窓と入口は筵を掛けた。
石塊(いしくれ)や木株を掘り出し、土地を耕し雑穀を植え、収穫はわずかだが増えていった。女たちは子どもを産み、耕地が雪に覆われれば男たちは鰊漁に出稼ぎに行く。こうして入植から四年たった。大正四年十二月九日、男たちは出稼ぎ前に集落共同で、渓流に氷橋(すがばし)を掛ける作業に従事していた。この日、日本の獣害史上最悪の惨事と記された事件が起こった。
集落で唯一板囲いをしていた家が日中に襲われたのだ。板囲いはいとも簡単にぶち壊されており、留守番をしていた女房と幼い子どもが殺害されたのである。女は壊された窓から引きずり出され、雪の上を赤く染めて山中のトド松の繁みに消えていた。この力は人間のものではない。羆である。この奥まった沢は、本来は羆の生息地で、開拓者の彼等こそ侵入者だったのかも知れない。三毛別の老猟師によれば、稀に巨大な羆がその身体に合った冬ごもりの穴を見つけられず、「穴持たず」となって一冬をさすらうものが出るという。
内地の月の輪熊は、木の実などを常食し、大きなものでも三十貫(110キロ余)だが、羆は百貫を超え、一撃で牛馬の頸骨を叩き折り、内蔵から骨まで食べ尽くす肉食獣なのだ。人間も恰好の餌に過ぎない。
襲われた家の惨状を目にした男たちは恐怖にとらわれた。かなり巨大な羆にちがいない。鉞も鍬も鎌も全く無力であろう。六線沢集落では誰も銃を持っていない。それに日が暮れてはどうにもならない。山中に引きずられていった女の遺体を探すのは夜が明けてからだ。明日、村役場や三毛別集落に応援を請おう。男たちは石油缶などを叩き、松明を手に、まるで小動物のように身を寄せ合い、集団で移動しながらそれぞれの家に帰った。
翌朝、救援の要請を受けた三毛別の区長と三十一名の男たちが、五丁の村田銃を携行して六線沢集落に入った。区長は六線沢の責任者も兼ねていた。彼等は女の遺体を回収しに山の傾斜を登っていった。その途次トド松の陰に動く巨大な茶褐色の塊に遭遇した。五人の射手が一斉に引き金をひいたが、発砲音を立てたのは一丁だけであった。四丁は整備不良で不発だったのだ。馬よりも逞しい巨大な茶褐色の塊は、雪煙を上げて集団に向かってきた。彼等は転げるように逃げた。羆は途中で踵を返し山中に消えた。やがて彼等は遺体と呼ぶには余りにも小さな、頭蓋骨とこびりついた毛髪と、わずかな肉体の切れ端と布きればかりを発見した。
その夜、どの家も赤々と薪の火を絶やさずにいた。しかし通夜を営んでいた家が再び襲われた。羆は全く火を恐れなかったのだ。そこでは新たな死者こそ出なかったが、誰もが青ざめ恐怖に引きつった。駆けつけた人々が松明を手に手に引きあげて行く途次、前方の闇の中から野鳥の群れが鋭く啼きしきるような音がした。複数の人の喚き声である。別の家が襲われたのだ。区長を先頭に四十名近い男たちが、その明かりの消えた家に恐る恐る近づいた。すでに家の中の人声はない。何か固いものをへし折り、細かく砕く音だけがしている。
射手の一人が夜空に発砲した。残りの射手が飛び出た羆を撃つのである。地響きを立てて入口の筵を押しのけて巨大な塊が飛び出し、あっと言う間に家の裏の闇に消えた。その早さに発砲は間に合わなかった。この家に避難していた別の家の女房と三人の子どもの遺体が発見され、三人の重傷者が確認された。女はほとんど食われていた。これで六名の死者が出たのである。
羆は人知をはるかに超えた強大な膂力と俊敏さと、とどまることのない旺盛な食欲を持っていたのだ。そればかりか、火を恐れず、火があるところに「餌」があることも知ったのである。
「退避だ」と区長が言った。その場にいた男たちは頷いた。誰もが最初に襲われた家の惨状を目の当たりにした時から、逃げ出したいと思っていたのだ。踏みとどまったのは開墾途上の土地への執着と、近い将来の豊かな稔りへの期待からなのだ。渓流沿いに点在した家々から、女、子ども、老人たちの退避が始まった。
羽幌警察分署からサーベルを下げ、新銃を携行した分署長と若い警官が馬に乗ってやって来た。また林野管理局羽幌出張所の所長や所員らが銃を携行して入った。さらに各村々から屈強の男たちも続々と救援に駆けつけた。これで六線沢、三毛別の男たちも含め二百名近くになった。銃携行者は四十名となった。分所長が総指揮を執ると宣言した。新たに集まった男たちは威勢がよく、六線沢の男たちを励まし、もう大丈夫だと請け合った。しかし凄惨な遺体は彼等の裡に恐怖を忍び込ませていた。彼等の意気はたちまち阻喪した。いつ出没するか知れぬ巨大羆の恐怖のために、薪が崩れる音に驚き収拾のつかぬ恐慌状態に陥ったのだ。
この羆をそのままにしておけば、やがて羆は無人になった六線沢から三毛別へと、「餌」を求めて渓流沿いに下りて来るにちがいなかった。さらに三毛別川沿いの下流の村々を襲うだろう。六線沢の氷橋で食い止めなければならない。闇の中を氷橋に敷かれた木が踏みしだかれる音がした。その夜は銃によって追い返すことができた。
区長は老練な羆撃ち専門の猟師を呼ぶ決心をした。その老練な猟師はすでに百頭を超える羆を仕留めていた。しかし彼の人格には多大な欠陥があり、多くの人々に蛇蝎の如くに嫌われていた。狷介で傲慢で暴力的で酒乱であった。借金を重ね、猟銃も質入れし、その金は全て酒になった。区長はなけなしの五十円を用立て、これで質屋から猟銃を引き出し、引きずってでも連れてこいと使いの者を派遣した。彼はやって来るだろうか、やって来てもしたたかに酔っているのではないか、また周囲の人々に暴力をふるうのではないか…。
翌日、老練な猟師はやって来た。酒も帯びておらず、物静かに羆の潜む山を見つめた。彼は分署長らの集団から離れ、「ひとり」で羆を追い対決することを望んだ。区長が彼の道案内をつとめ、二人は分署長の集団と別行動をとった。その午後、猟師は血の気の引いた顔で、ひとり巨大な羆と対峙した。…
翌日、黒雲が空をよぎり、木々は波濤のように逆巻き、雪煙が舞い上がり、猛吹雪となった。
吉村昭「羆嵐」(新潮文庫)