隈研吾設計の新国立競技場のには聖火台がなかったという。これは世界の嗤い者だ。オリンピック、新国立競技場に関わる人たちは、どいつもこいつも責任逃ればかりする呆れた連中だ。ジ・エンド五輪担当大臣はモソモソとわけの分からないことを言った。最初から議論にも上らなかったと。
和をコンセプトにした隈案は屋根が木製のため消防法上無理なのだという。
さて、新国立競技場は和がテーマなのだから、それを重んじよう。日本の伝統漁法に鵜飼漁がある。鵜飼漁は夏の夜の風物詩ともなっている。司馬遼太郎の「街道をゆく」にもある通り、鵜飼漁の歴史は古く、中国にもあったらしいが、夜に篝火を焚く鵜飼漁は日本独自の伝統文化であるらしい。鵜飼漁はかつて日本中の川で行われていた。このことは、このブログの「人のとなりに」の一篇に「鵜ン蓄」と題して掲載している。
聖火台は鵜飼舟の舳先に篝火が付いているように、競技場の外に篝火のように吊せばいい。水を湛えた大きな皿と一体型にして吊すか、あるいは篝火の真下に池を作れば、その水面に聖歌が美しく映えるだろう。 夜の聖火は美しく揺曳するだろう。
参考となるデザインは、日本の伝統漁「鵜飼舟と舳先の篝火」、もうひとつは四国の宇和島あたりや九州の一部に伝わる漁船「打瀬船」の長く突き出た舳先だろう。打瀬船については「エッセイ散歩」の一篇「海亀的漂流」としてこのブログにも掲載している。
新国立競技場の聖火台、聖火問題はこれだろう。日本の伝統文化と、胸を張って言える。
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