パソコンのデータを整理していて、「相撲社会の文化学」という一文を見つけた。
2005年7月26日に書いたものである。十一年も前だ。掲載しておこう。
相撲界は封建制の遺風が残る旧態然たる社会のように思われる方が多いが、これは全く事実と異なる。相撲社会が古いのか新しいのかは措くとして、言えることは確かに特殊な社会であり、またオープンソサエティであることだ。だから欧米の文化学者や哲学者たちは数十年も以前より、日本の相撲社会のここに注目していた。彼らは相撲社会を日本の中の、最も異質な実力社会と捉えてきたのである。
オープンソサエティとは字義通り開かれた社会のことである。オープンソサエティでは、誰もが機会を均等に与えられる実力社会なのである。この社会は芸能界や政界と異なり、親の七光りが全く通用しない。文字通りの裸一貫の実力社会であり、家柄も門閥も人脈も、通常の日本社会が持つ「封建の遺風」は全く通用しない。つまりこの社会には、いささかも「小さな天皇制なるもの」は存在しない。
この相撲社会は、極めてアメリカ的、アングロサクソン的な「実力至上主義」が貫かれており、その意味に於いて、日本社会内では最も異質で特殊な社会なのである。古くから力士たちは、土俵の中に宝が埋まっていると聞かされてきた。それは努力と実力次第で全て得られるものなのである。
相撲は五穀豊穣や平安を祈る神事として神に捧げられてきた。神事は礼式化して伝えられている。
また親方とお女将さんと弟子の関係は親子としての関係であり、兄弟子と弟弟子は兄弟の関係である。そこには主従関係はなく、親や年上や先輩を敬う礼儀がある。
現役力士は頭に髷を結い、髷のある間は土俵上で武士道を貫かねばならない。
武士道本来の珠玉の理念は、封建の主従関係ではなく、彼が立ち生きる「場」において、いつでも「死ぬる覚悟」「潔さ」を言う。「葉隠」の冒頭に述べられる「武士道とは死ぬことと見つけたり」なのである。
従って土俵は力士たちの武士道の場なのであり、ただ勝てばよいとして卑劣な手を使ったり、土俵を汚すような振る舞いに及べば、行司は斬り捨ててよいのである。この斬り捨て御免の行司は、真剣の脇差し帯刀を許されている。力士たちは土俵という場に死ぬ覚悟で立ち、己の武士道、相撲道に精進するのである。
相撲社会に於いては番付が全てという方も多い。これも一面正しいが、実は本質的ではない。相撲社会は実力社会である一方、礼儀が非常に重んじられる。若い横綱や大関は、年上の平幕力士に対し礼儀を持って敬する。そして年上の平幕力士は若い横綱や大関の地位に対し、礼儀を持って敬する。
しかし年上の力士も幕下以下の番付なら、若い関取の付け人をやらされる。それは「悔しかろう、口惜しかろう、だから頑張れ」というインセンティブなのである。それも力士の修業なのだ。
相撲社会の実力には「人格」力も入る。横綱を極めても理事長になれるわけではない。
相撲社会は実力社会なので、人格力すなわち人徳や、協会の運営能力、経営能力、統率力が問われる。横綱・常ノ花が出羽の海理事長時代、その協会No.2に抜擢したのは現役時代に前頭二枚目が最高位だった親方であった(名前は忘れた)。実質上はその親方が相撲協会を経営した。
さらに双葉山の時津風理事長が次期理事長に抜擢したのは、これも前頭筆頭が最高位だった武蔵川親方であった。彼は引退後に経理学校に通い、経理・財務に秀で、人望もあつく、数々の大胆な改革を断行した。
次の春日野理事長が二子山の次の後継者に抜擢したのは、優勝回数も少なく一般には人気もなかった佐田の山(出羽の海)であった。
佐田の山は優勝した翌場所に体力を残したまま引退し、実に潔い引退と言われた。彼も引退後に経理学校に通い、財務に明るく、また他の親方衆や力士たち、行司や呼び出したちの人望もあつかった。彼は理事長職に専念するため、出羽の海という大名跡を関脇・鷲羽山に譲り、自らは一介の部屋付き親方に過ぎない境川親方になった。年若くして理事長職に就いたため長期政権になると言われたが、数々の改革断行の中で「親方株改革」に失敗すると、さっさと理事長職を大関・豊山の時津風に譲った。なかなか潔い人だったのである。
現在の協会理事に、前頭筆頭が最高位だった若藤親方(和晃)がいる。彼も人格者の評判が高い。また現在、数々の大胆な改革を実行に移しているのは元関脇・藤ノ川の伊勢の海理事である。
相撲社会は実力と人格の高潔さが尊ばれるのである。相撲社会は、日本社会の中では異質のオープンソサエティであり、そして伝統の美風が残された社会のひとつである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます