芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

人のとなりに ずうっと大好きだよ

2015年12月03日 | エッセイ
               

 その絵本のことを知ったのは2001年春の数日間、ゲートシティ大崎で開催された「国際子供の本の日」(日本国際児童図書評議会)のイベントであった。
 この年の「国際子供の本の日」は実に盛大であった。ゲートシティホールは二つに仕切られ、ひとつは日本児童出版美術家連盟(童美連)の画家たちによる原画展が行われ、もう一つはステージでコンサートや有名絵本のアニメによる上映、読み聞かせ等が行われた。各ルームでは「魔女の宅急便」作者・角野栄子や、「あらしのよるに」あべ弘士、「絵で読む広島の原爆」西村繁男などの著名絵本作家、童話作家らによるトークショー、読み聞かせ、人形劇、ワークショップ、サイン会等、盛りだくさんのプログラムが組まれた。黒井健氏をはじめとする童美連の画家たちが、連日交替でやって来て、会場スタッフから絵本の販売やサイン会を務めたりした。
 ゲスト出演者も多彩で、武田鉄矢、志茂田景樹、井上ひさし氏らが登場した。私は井上ひさし氏と話ができたことが一番嬉しかったし、氏の講演が一番面白かった。演題は江戸の草双紙、黄表紙の話で、ここに天衣無縫・井上ひさし文学のユーモアの源泉があったと思われた。さらに落語の濫觴もここにあったのではなかろうかと思われた。
 また井上ひさし氏で強く記憶に残っているのは、会場で販売されていた絵本の中から、那須正幹・文、西村繁男・絵の「絵で読む広島の原爆」(福音館書店)をふと手に取り、「名著です。これは日本の名著です」と言ったことである。彼は控室でも私を相手にその話を続け、本番の草双紙の講演の最後にそれを紹介し「名著です、あれは日本の名著です!」と繰り返した。確かに、那須正幹の文も、西村繁男の絵も、衝撃的かつ実に素晴らしいもので、日本の名著であることは間違いない。機会があれば是非手にとって、開き、ご覧いただきたい。

 ちなみに「国際子供の本の日」は多くのボランティアに支えられているが、それにも限界がある。補助金もサポート企業も減り続け、年々厳しくなっているらしい。こういう社会性のあるイベントにこそ、企業がサポートする意義があると思うのだが、近頃の風潮は「サポート」すなわち「投資」で、「リターン(利益)」を求められる。アメリカでは企業におけるチャリティやフィランソロピーへの支出は、株主利益を損なうものとして訴えられそうである。その金は本来株主に配当、還元されるべきだと言うのである。現に経営責任者が訴えられた例はたくさんある。株主資本主義なのだ。日本の大企業にはCSR(企業の社会的責任)セクションが花盛りだが、その意識はSP(セールスプロモーション)と大差ない。「国際子供の本の日」等のイベントは、本来は企業がCSRとして取り組むべき格好の題材だと思うのだ。

 さて冒頭の絵本とは、ハンス・ウィルヘルムの「ずーっとずっとだいすきだよ」である。これを女優の中井貴惠が、いろいろ仕掛けもある半立体の大きな大きな手作り絵本を開きながら、音楽や効果音をバックに朗読したのである。
 私は中井貴惠が引退したものとばかり思っていた。結婚して、海外で暮らし、出産と子育てで、テレビドラマにも映画にも全く出演していなかったからである。ところが彼女は「大人と子供のための読み聞かせの会」を自ら主宰し、すでに何年も、志しを同じくする仲間達と、各地で活動しているというのである。
 ステージでの彼女は、ありがちな、妙に子供に媚び阿るような声音の、過ぎる演技も全くなく、淡々として自然で、優しいお母さんのままの語り口なのであった。先ずそれが素晴らしい。

「ぼく」という語り手の少年がまだほんの幼児の頃、両親が小さな小さな子犬のエルフィーを飼い、少年の友としたのである。少年とエルフィーはいつも一緒に昼寝をし、一緒に遊び、一緒に大きくなる。もちろん、少年より犬のエルフィーのほうがずっと早く大きくなる。
 少年はエルフィーの柔らかで温かいお腹を枕にして眠るのが好きだった。そして一緒に夢を見た。毎日毎日一緒に遊んだ。エルフィーは元気で、公園のリスを追いかけ回し、ママが庭の花壇に植えた球根を掘り返し、いろんな悪さをした。その度にお兄さんも妹もママも、大声でエルフィーを叱った。でも、みんなエルフィーのことが大好きだったのだ。だったら、みんな「エルフィー、大好きだよ」って言ってあげればいいのに、誰もそれを口にしなかった。言わなくてもエルフィーには通じると思っていたのだろう。でも少年は毎日毎晩「エルフィー、大好きだよ。ずうっとずっと大好きだよ」と声に出して言った。
 やがて少年の背がぐんぐん伸びはじめた頃、エルフィーはどんどん太っていった。エルフィーは動くのも辛そうで、寝ていることが多くなり、あれだけ大好きだった散歩も嫌うようになった。
 少年は心配になって、町の獣医さんの所へ連れて行って診てもらった。獣医さんは何もできなかった。「エルフィーは歳をとったのだよ」と彼は言った。
 エルフィーは毎晩、二階の少年の部屋で寝るのだが、そのうちエルフィーはとうとう階段も昇れなくなった。少年はエルフィーを抱いて階段を上がり部屋に連れて行くようになった。ある朝、エルフィーは少年のベッドの傍らで死んでいた。少年が眠っている夜のうちに逝ったのだ。
 少年はエルフィーの死がとても悲しかった。兄も妹もママもパパも、みんな泣いて悲しんだ。だったら、エルフィーが生きているうちに、「ずうっとずっと大好きだよ」と言ってあげればよかったのに。少年は毎日エルフィーに「ずうっとずっと大好きだよ」と言っていたので、きっとその言葉が通じていただろう。と思うと、少し気持ちが楽になった。
 いつか少年は、また犬や猫や金魚を飼うだろう。そうしたら、また毎晩言ってあげよう。「ずうっと、ずっと、大好きだよ」…

 この「ずーっとずっとだいすきだよ」は、小学一年生の教科書に掲載されているらしい。テーマは、いつか必ずやってくる愛するものとの死別や、生きているうちに自分の気持ちを言葉にして、愛するものに伝えようということだろう。「大好きだよ」
 この中井貴惠の「読み聞かせ」は「大人のための」ものでもあった。私はこれを聴いた夜から、家の飼い猫たちに「ずうっと、ずっと、大好きだよ」と言葉をかけるようになった。

     ハンス・ウィルヘルム絵と文「ずーっとずっと だいすきだよ」(久山太市訳 評論社)
           

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